あぜみちの会ミニコミ紙

みち41号

(2006.2.10)



シグナル41

福井市 中川 清

若い人を捉まえて、「今一番いい時だね」という。でも、この言葉には、「これからは、地獄が来る・・・という事か」と、捻くれ者には反発される。

若い感覚を保持することが、素晴らしいという事で、年令じゃ無いんだ。生き生きとしていると言う事は、生きて行くという事で、目的に向かって歩いている事ではないか。

私は最近、パソコン教室に通っている。そして、若い教師に、しごかれている。パソコンが農業を救う役割を果たすかどうかは解らないが、パソコンにも就いていけないようでは、農業は取り残されてしまうだろうと思っている。

今、私は若いときには出来なかったことをこれから、やってみたいと思っている。

農作業場に、からすが時折餌を求めて入ってくる。この時、有機栽培のものの在処を知って、それを先に啄ばむから不思議だ。からすは、雑食だと聞いているが、ほんまものを見分ける能力を人間よりは持っているみたいだ。果物の熟期も判断できる。

人間は、現在、食物などの価値を値段で判断するが、このままだとほんまもんを見分ける能力が無くなり、将来、農薬に汚染されたものを食べ続けて人が絶滅の危機になり、からすがたくましく生き残るかもしれないと思ったりもする。ほんまもんの価値判断を「表示」に頼ってばかりいると、表示に騙されることが起き、自分で判断できる能力を培っていないと駄目だという気がする。

そのためには、学習と努力の積み重ねが必要だろう。人に判断を依存していると(甘えていると)その能力は、だんだん失われてしまうものだろう。毎朝、親に起こされてばかりで育つと、自分では、ちゃんと目覚められなくなる子育てに似ている。                   

あぜみち秋の収穫祭
純粋に一生懸命

福井市 名津井 萬

第一二回あぜみち収穫感謝祭が、平成一七年、定例の一一月二三日に福井市西藤島地区一円を会場として開催されました。メイン会場はJA福井市の農業倉庫(海老助町)の広々とした米の集合検査場です。また、メイン会場を取り巻く様にして散在する西藤島地区の専業農家が複数で取り組む形の「秋の収穫祭」となりました。

西藤島地区には、稲作を基幹とした専業農家が十指に余るほどいます。堂々と農に汗を流している人、コツコツと農に汗を流し日陰でソッと手拭きで汗を拭く人が「純粋に一生懸命」与えられた農業に取り組んでいます。由に今回の収穫祭のテーマは「純粋に一生懸命」としました。

何時も心配するのは天候の事です。第一回から一一回までは、すべて晴天に恵まれています。第一二回も晴天を天に祈るばかりです。しかし、前夜から、どうした事か、寒さ一段と冷え込み、雨が降り出し、おまけに雷で、当日の朝も「雨、降リ止マズ」で「天は、ついに我等を見放したか」と朝の乳しぼりをしながら、うらめしく西空を睨んでいました。あぜみちの会の収穫祭の奇蹟の晴天続きも、西藤島で終止符か、残念とうなだれていました。しかし、どうだろう、除々に天候は回復しはじめたではないです。

開会式は、正に秋晴となった。三年ほど前に見た映画「雨上る」となりました。そろそろ「ギネスブック」の候補になりはじめました。開会式では酒井市長、山田JA福井市会長もかけつけて頂き感謝しています。

広々としていたメイン会場も狭いくらいで、販売コーナーには遠くは美浜、敦賀、大野、三国、丹南、それに地元福井の農家が、自慢の農産物をかかえ駆けつけて頂きました。

実演、実習コーナーには、隣地区の河合より櫻井さんが「しめ縄」作り、織田の山崎さんのリース作り、美山町萌叡塾の竹細工で盛り上がりました。試食コーナーでは、地元の西藤島青壮年部の中島部長を中心に多数の部員が焼鳥で活気をつけてくれました。北会長は自慢の自家産のもち米の餅つきまで賑わった。それに例年の前田さんの「そば」はやっぱり旨い。

今回、複数の農場を回る、シャトルカー、二台で各農場めぐりを企画しました。コースは名津井牧場―ファーム・サルート(農産物直売とジェラード店)―義元アヂチファーム、米パン倶楽部―藤島エンタープライズでした。

西藤島地区内の顔見知りの人も何人もおられ「同じ地区に住んでいるが、直接農場へ入って見た事も無いので、この機会に見学に来た」と云われる人が何人もいました。

また今回の中川賞(副賞・三十萬円)は、藤島エンタープライズで「あせらす、いばらず、おごらず」淡々と闘志を内に秘めた尾崎泰弘君が選ばれました。今後の大活躍を期待しています。

会場の準備や当日の役割は、何時もながら、あぜみちの会員は誰も指示せずとも、話し合いながら、それぞれに各所の会場運営に当たってもらい、私も一会員であるが何時も不思議に思い、今回は心から感謝しています。

また、あぜみちの会は結成されて今年は一七年目で、秋の収穫祭は一二回目、機関誌「みち」は第四○号を数え、まったく揺るぎない伝統と歴史を刻んでいます。

私も、私達も「あぜみちの会」会員としての誇りと自信と愛農の心が育っています。

最後に心から感謝しています。有難うございました。



あぜみち中川賞審査会審査員初体験の記

大野市 松田 信子

今日は近藤真理子さんから引き受けた「審査員」の初仕事。
尾崎充弘さんの論文の題は「私が就農した理由と私が農業を続ける理由」。一読後、尾崎さんが勤める「有限会社藤島エンタープライズ」に。
 「福井市大宮五丁目」は県立武道館を抜け越前海岸、三国方面に向かう近郊の農村地域。南北朝時代の武将新田義貞候の歴史を今に伝える由緒ある藤島地区だと紹介をうけた。
 現地では、社長さんと尾崎さん夫婦に幼児二人が迎えてくれた。審査員は会長の北幸夫氏、中川清氏、名津井萬氏、安実正嗣氏、玉井道敏氏、松田信子の計六人、私以外はお互い旧知の仲、和やかな集まりは自己紹介に始まり尾崎さんに質問形式で対話をした。幼児を抱っこした奥さんが終始にこやかで「硬い審査会」は明るいムードが流れた。気がつくと審査会は論文を引用して審査の枠を超え、自らの「農業経営」「食と農」「生き方」「来き方」談義にまでジャンルを越え盛り上げていた。
 「農」にかける熱い情熱を確認した私は、この地区に生きる先輩農業者のネットワークと地域の仲間、そして何より藤島エンタープライズ社長の懐の深さに、都会から来た尾崎さんは支えられているとの印象をもった。
 尾崎さん夫婦は大阪、非農家出身。「ゼロからものをつくる仕事に就きたい」との思いは「新規就農説明会で福井県の人が一番親身で真剣」に引かれ、飛び込んだのだ。そこが現在四年目の「藤島エンタープライズ」。最初の仕事は畦畔の除草剤散布だった。「畦をきれいにしておくこと」に疑問を持ったが「雑草、害虫」の出現で理解できた。農業の機械化は進展しても自然の摂理は無視してはならない、生態系の営みと共存は大事だと四年間の体験は実感がこもる。
 私もJA勤務時代、ある若妻さんから「里芋やジャガイモは「いも」を植えるのに、サツマイモは「茎」を植えるのはなんで」と意表をつく質問に答えられなかったことがある。農家で育った私は「知っていて当然」のことでも、知らない人は疑問を持つのが当たり前。同じようなことは枚挙にいとまがない。このことから「視点を変える」「発想の転換」を学んだ。この例を語ったところ笑われたが、妙に納得もしてもらった。
 最後に各審査員から以下の注文を求めた。「友達を多く作れ・同世代、時には世代を超えて、またJA・農林総合事務所などにある青年組織の加入と視野の拡大」「体力・知力・魅力を作る」「地域の活動に参加する」「食材の提供者として自信と誇りを持つ」「福井に定着して欲しい」「几帳面さを大事に」「地産地消のすすめ」等。思いの丈を二七歳の青年に託した。「農業は好きな仕事」と言い切る。
 漂う晩秋の冷気も、熱い「農軍団」に圧倒されそうな雰囲気に満足して審査会は閉じられた。


第7回あぜみち中川賞 最優秀賞 論文

私が就農した理由と私が農業を続ける理由

藤島エンタープライズ 尾崎充弘


 五年前の今頃、私はUターンIターンの情報誌をめくっていました。

その情報誌は、地方で農業をしたい人のための求人広告を載せたものでした。私はその雑誌をめくりながら、農業体験を兼ねて短期間のアルバイトができる場所を探していました。

なぜ、私がその雑誌を買うことになったか。というより、なぜ私が農業に興味を持ったかというと、それは昔から「なにかゼロからものを作る仕事に就きたい」と思っていたこと「もっと自然に近い環境に身を置きたい」という気持ちが年々強まっていたからです。

私はもともと大阪の生まれで周りには田んぼも畑もなく、中小企業の工場が立ち並ぶ町で育ちました。そんな環境に嫌気が差していたわけではないのですが、それとは正反対の静かで田舎的な土地での生活に、ある種憧れに似たような気持ちをある時期から持ち始めていました。

私が大学生だったころ、大学生活も半ばを過ぎ、出版社を就職志望していた私はさまざまなジャンルの雑誌を読み漁っていました。そんななかに田舎暮らしの特集や「スローライフ」「スローフード」「有機野菜」といった単語に目がいき、合鴨農法を実践している農家の記事や徹底した有機物循環システムの農場の記事などを読むたびになにか心揺さぶられる思いを感じました。そして、大学の最後の一年間、いざ就職活動を始めてみると、自分がしたかったことはこういうこととは違うのではないかと考え出しました。そして、思い切って住み慣れた土地を離れ、今までほとんど自分とは接点がなかった農業をしてみようと決めました。

まず手始めに、インターネットや出版物などから情報を探し何から始めればいいか考えました。そして、IターンUターン希望者の就職情報誌を見つけました。

それからの半年間は各地の農業法人で住み込みの短期間アルバイトをしました。そのなかで、自分に農業は合っているかどうか、そして自分にはどんな形の農業が合っているかを考え、その結果農業法人に就職する道が今の自分にとって就農できる一番の方法だと思いました。就農を何年か先に伸ばす方法も考えましたが、一○年、二○年先にまったく違う土地で、違う職種となる農業に転職できるか考えると難しいだろうと思い、思い切って行動に移すことができるのは今しかないと決断しました。

ある日、大阪で新規就農希望者を対象にした「ニューファーマーズフェア」という就職説明会が開かれ、私もそれに参加しました。西日本全体から各県の農業法人や農業普及所の方たちがそれぞれにズースを構え、就農希望者の相談を受け付けていました。脱サラして農業を始めようと迷っていそうな四、五○代の人もいれば、私のように若い世代の人もいました。

そのなかに福井県の農業法人の代表がブースを出していました。私はそこを訪ねる前に他県の法人の何社かに話を伺いに行ったのですが、福井県の人が一番親身で真剣に話を聞いてくれ、ここなら飛び込んで行っても自分の身を任せられるのではないかと思い、私は福井に住みそこで農業を始めることに決めました。いま私が勤めている「藤島エンタープライズ」という会社がまさにそこであり、そのとき話を聞いていただいたのが社長と県の普及所の前野さんという方でした。

そして、その春から私は今の会社に勤め始めました。

はじめにした仕事は畦畔の除草散布でした。今でもよく覚えているのは、「なぜ、田んぼのまわりの雑草を枯らさなければいけないのか。わざわざ枯らさなくてもいいのではないか」と、仕事を始めたての私には少し疑問に感じました。しかし、田んぼの周りに生えている小さな雑草をよく見てみると、そこに小さな害虫やその虫食いのあとなどを発見でき、畦をきれいにしておかなければいけない理由をあとあとになって把握しました。それは些細なつまらないエピソードかもしれません。ただ、屈んで足元まで注視しなければ畦に害虫が住み着いていることがわからなかったことと同じように、田んぼの外からでは圃場がどういう状態かわからないこともたくさんあることに最近になって気づくことがあります。農業の機械化がどんどん進んでいっても、こういう細かいところを無視しない心がけを忘れないようにしていきたいものです。

それから、私は技術的な面をせめて人並み程度に習得できるよう、とにかく何でも一通りできるようにはなりたいと思い努めてきました。そうこうしているうちに、知らぬ間に四年の月日が経とうとしていますが、未熟な点も多く、まったく知らないことも多々あります。就農したての私が生まれたての赤ん坊なら今の私はもう四歳児になるのに、私の成長は四歳児には遠く及ばないほど遅く、今までの一年一年が内容の希薄なものではなかっただろうか、と肩を落としたくなるような気分になることもあります。そんなときは初心を忘れず、未知なる農業という分野に対する挑戦心を思い出して、ついなんとなく過ごしてしまいそうな毎日を少しでも実りのある日になるようにがんばっています。

これからの目標といえば、抽象的な言い回しになりますが、「好きなままでい続けること」です。

簡単なことのようですが、好きなままでいるためには、そのための努力も必要です。「もっと知りたい」という探究心も持ち続けなければなりません。好きでなくなれば興味もなくなり、もっといいものを作ろうという努力もしなくなります。その気持ちを途切れさせることなく継続させることが当面の目標だと思っています。

将来的には、農業で叶える夢はとても大きく持っています。人が生活するために必要な衣・食・住の三大要素のひとつを担う農業は、これからは作るだけではなく消費者が口に運ぶまでの間に自分たち生産者がどういった形でサービスを提供することができるか、工夫次第でできることはたくさんあるはずです。

日本は外国と比べて、農地も狭く、生産量で太刀打ちするには限界があります。その代わりに作物の質や安全性、消費者のニーズに合った作物の選定などで勝負できると思います。いまは、値段は安いがどのようにして作られたかわからないものより、どこで誰がどのようにして作ったかわかるものの方が多少高値であってもいい、そんな風潮が広まりつつあるように思います。現に私が買う側の立場なら「作った人が直接お客さんに野菜を売る」という直売形式が、一番安心してその野菜を食べられると思います。

しかし、私が将来してみたい販売の形は、それをさらに突き詰めて「野菜を作った人が調理をして食べさせてくれる」という形です。

このやり方なら、まさに全行程を生産者が責任を持ってやることができます。それに加え、作物の特徴をよく知っていれば「この方法で調理するのが、この作物のこの品種ではおいしい食べ方」などということがわかりますし、栽培するときも調理することまで考えて育てれば、より目的意識が高くなりそうな気がします。

それに、お客さんがおいしそうな顔で食べてくれたなら作物を作る喜びと調理をする喜びとを二重に感じることができ、とてもやりがいがあると思います。

そのためには、いろんな野菜の作り方(少量多品目栽培の方法など)を勉強しなければなりませんし、自分では作りきれない作物をカバーしてくれる生産者とのネットワークも築いていかなければいけません。そして、その過程を楽しみながら農業をし、自分なりの個性を出していければと思います。

こういった夢で終わりそうなプランだけは湧いてくるのですが、それが、今の自分に農業という仕事を続けさせ、これからも続けていくための原動力になっているのです。



焼き芋の煙の中で(それぞれの収穫祭)

福井市 細川 嘉徳


焼き芋の煙の中で(それぞれの収穫祭)
福井市 細川 嘉徳
 一一月二三日雨のち晴。「あぜみち収穫感謝祭」が今年も行われた。前日は雨で天候が心配だったが、朝まで降った雨が不思議に晴れた。今回は会場が近いので行くには気楽なものだ。「収穫祭でパンジーを買って昼食も食べてくる」と言って自転車で家を出る。行けば誰かに会えるだろう。何か食べるものもあるだろう。会場は宣伝が行き届いたせいか大勢の客が来ている。

受付で少しばかりのカンパを納めて、先ず搾りたての温かい牛乳を一杯頂く。次に「イクヒカリのオニギリをどうぞ」と美人に勧められていい気分で試食をする。ついコシヒカリと比べてしまうがなかなか風味が良い。農業倉庫を開放した会場は意外に広く大勢の人の話し声で賑やかだ。やがて餅つきが始まった。これはいい時に来たもんだ。出来れば餅つきもやりたくてお願いしたところ交代で半臼搗かせてもらった。これで少しばかり祭りの参加気分を味わった。もちろんおろし餅も頂いた。

会場を一回りすると落ち着くところは焼き芋だ。これだけはあぜみち会の専売特許で、今どき籾殻でサツマイモを焼く店はどこにもないだろう。つまり年に一回収穫祭に来たものだけが食べられる特権。こんな事を思いながら芋を探していたら、「焼けたの有りますか」、近所の奥さんだ。「もう少し待って下さい」「あとで来ますからお願いします」と言うことで急に焼き芋係になってしまった。焼けるまであと二、三○分はかかるだろう。久し振りの友人がやって来た。籾殻の山を挟んで煙にむせながら、とりとめもない話で再会を喜び合う。こうして会えたのも小さな収穫だ。又風向きが変わり煙りに追われて場所を移動する。

煙りに咽せながら、ふと会場に展示されている新保町の今昔の写真が気になる。かつて一面の青田に整然と並ぶ榛の木、つい三○年ほど前の風景が今は会社のビルや工場が建ち、スーパーや商店で近代都市になっている。同じ場所で時間を追って写した貴重な写真だけに迫力がある。開発は時代の要請とは言え、この写真をどう見るかは個人の自由だが、なぜか複雑な気持ちが湧いたのは自分だけだろうか。

風景が変われば人も変わる。義元さんが脱サラで農業の傍ら米パンの製造販売を始め、更にブドーを手がけているのに続き、名津井さんが7月に酪農の店「ファームサルート」を開店して明るいニュースとなった。開店日には同級生の肩書きで招待に与ったが、店には乳製品を始め近くの農家の新鮮な野菜が並び、多くの買い物客で賑わった。店頭には子牛が二頭いて子供達の人気を集めていた。

賀 友 人 醴 酪 廛 開 店  

首 夏 鶏 牛 市 井 傍   

酪 商 開 店 又 何 妨   

主 人 結 得 古 稀 夢   

千 客 萬 来 歓 笑 長   

友人(ゆうじん)の醴酪廛(れいらくてん)開店(かいてん)を賀(が)す

 首夏(しゅか)の鶏牛(けいぎゅう)市井(しせい)の傍(かたわ)ら、

酪商(らくしょう)開店(かいてん)又(また)何(な)んぞ妨(さまたげ)ん。

主人(しゅじん)結(むす)び得(え)たり古稀(こき)の夢(ゆめ)。

千客(せんかく)萬来(ばんらい)歓笑(かんしょう)長(なが)し。

醴酪=あまざけと乳製の飲料。乳製品。廛=店。市井=まち。市場。人の多く集まるところ。古稀=七○歳をいう。歓笑=よろこび笑う。うちとけて笑う。

(初夏の町中に牛と鶏、なるほど今日は酪農家の開店だ。主人は今年七○歳、とうとうやったね。お祝いの客が沢山来て、うちとけた笑いが何時までも続いている)

それからこの秋第二○回国民文化祭が福井県で行われ、それに詩吟で熱中したことも大きな思い出だ。規模の大小はともかく仕事や趣味で一生懸命やってきた者同志が一堂に集まり、お互いにそれぞれの作品を展示発表して楽しむ祭りの基本理念は、今日の収穫感謝祭と何ら変わることはない。踊る阿呆に踊らぬ阿呆、同じ阿呆なら踊らな損だよ。祭りに参加することは楽しい。
 さて、もうそろそろ芋も焼けたのではないか。


必要なものを必要なだけ

福井市 酒井 恵美子


この一○数年医者に行ったことなし、薬らしいものやサプリメント類を試したことなし、生命保険以外には健診も受けたことなしと言えば、誰だってスーパーマン?それとも健診を受けるお金にも不自由しているの・・・と思うでしょう。

加齢七○才を越えた私のことですが、両方とも当たっているかも知れませんし、不健康を気にしないだけのことなのかも知れませんが、本人自身はそれでも体を結構いたわっているのです。電灯の下では字は読みづらい、左足の関節が傷んでもう三年になり、体調をくずすこともしばしばです。おまけに足の裏に「たこ」ができて歩く度に画鋲がささったような痛みを毎日感じていました。

 重ねて、今どき、キャッシュカードも携帯電話も持たず、勿論昭和のいざり組です。パソコンは持っていますがメールを読むだけで発信は半年も前から中断しています。その理由は急速な時代の進歩についていく自信がなくなりかけている。ただそれだけのことです。私はお金持ちでもありませんが、他から同情される程貧しくもありません。そんな私ですが、最近、こんなことに気がついています。左足の関節の痛みを意識しない日が続き、足の裏のたこも殆ど痛まなくなりました。春になって外仕事が増えると否応なしに体力を使い体重が二〜三s減ったところで「病知らずの快適な日々」が送れるのです。私の場合三七〜三八sが最高の体調の条件かなと思い始めています。余分なものを身につけない、要らないことに悩まないで自然の成りゆきに身をまかせる、その心地よさに溺れかけているのかも知れません。体の中の悪い虫が悪さをしたらそんなにあばれるなと言い、善玉にはもう少しがんばれよとなだめてやれば何とかなるような気が致します。

 私の菜園は自給用には少し広めのようですが、近隣の人と仲よく交流するには丁度よい広さです。商品を作らなくてもよいという気楽さが楽しみを倍増させているようです。不作のときも嘆かなくてもよいし、余るほどあればみんなで分け合えばよいという気楽さもあります。

 悪さをする虫がいたら「ごめんね」と言いながら何とか追い払い、必要以上に肥料を与えなくても育つ環境を整えてやれば作物はそれなりに応えてくれるかも知れない。老いていく木にむち打って若返らせなくても役割を終えた時には「ごくろうさん、ありがとう」と言って、そっと土に返してやればよい、家庭菜園なんてそんなものかなと、今思い始めています。

 過信、過剰から過を引いたら自然との共生も難題ではないような気もしてきます。



飛騨自由大学セミナー・講演録(連載第7回)
「人と人」、「人と自然」の新しいつながりを求めて

福井市 玉井 道敏


 ちょっとお疲れですけど、最後台湾を少し見ていただいて、終わります。
 これは故宮博物館ですね。僕はあんまり趣味がないもんで、ここ一日、一週間のうちに一日皆行っとったんですけど、僕は半日で、他の場所へ行っていました。趣味のある人は非常におもしろいとこだそうです。
 台湾については、中国系の文化と高砂族の昔の先住民の文化と、この二つを見ないと台湾を理解したことにならないと言うんですけれども、二三○○万人の人口のうち、高砂族、昔の先住民族は四○万人だそうです。それぐらいのレベルです。
 これは街中ですね。台北の街中です。これは食事をしてくれとるところです。これは台湾へ行くと皆さん、経験があると思うんですけれども、お茶を売っている場所へ連れて行かれてですね、お茶の入れ方の講習を受けるわけです。あとはお茶を買えという話し。これは必ずやりますね。
 これは街中に、こういう線香があってですね、果物やなんかが並べてある。なんか宗教的な。商売繁盛の、そういう宗教。これは台北へ行かれると、バイク群団ですね。自転車は走っていません。バイクと車だけ。すごいですね、バイクは。
 これは三越、新光三越というところへ行って、トロピカルフルーツを見たところです。こういうのを買ってきては、宿泊所へ、ホテルへ帰ってはパーティーをやっていました。四、五人で食べるパーティーをやっていました。これは野菜類ですね。日本と少し違うんですけど、それほど変わった野菜はありません。
 これは二日目かな、食事をした時に、こういうお酒類を売っていました。月桂冠とかですね、そういうのがありまして、だいたい月桂冠なんかは高いんですね。ビールなんかでも、キリンとかは高い。僕はもっぱら台湾ビールを飲んでいました。これは豆腐です。豆腐料理を食べているところ。字は一緒なんです。
 これが渡部忠世先生、我々のボスです。二○人ぐらいで行ったんですけど。アジア太平洋農耕文化研究会。今度は2月にスリランカへ行きたいなと思っています。
 車でずっと移動しました。台北から上の、キルンというところへ行って、そして南下しました。台東まで南下した。こういう植生ですね。非常にやっぱり南国的な植生で、非常に緑が豊かなところです。
 これはバナナですね。これは何か分かりますか? これはビンロウという、ヤシ。チューインガムみたいに、ビンロウの実をですね、キンマという木の葉っぱに、ちょっと石灰を塗って、それをくるんで噛むんです。口が赤くなる。ぱっぱっと、赤いつばをはいている。東南アジアのあのあたりに一帯に、どう言ったらいいんですかね、タバコ、チューインガム。それはこのビンロウから取るんです。
 これはね、おもしろい。これ野菜なんですよね。シダ類で、オオタニワタリという。この新芽が出てくるとそれを取って、食べるんです。中華料理では、ざくざくっと切って、炒めて、食べる。割合くせがなくって、おいしかった。これを二町くらい作ってるんですよね。
 これは北回帰線を通った時。北回帰線ですね。これは何か分かります? これはパイナップルですね。これは稲です。向こうはだいたい稲を二回作るんです。ちょうど二回めの稲が植わっていました。ただ米はどうしても安くてですね、あんまり儲からんということを言うてました。
 向こうへ行きますと、池上とかですね、瑞穂とかですね、昔日本が占領しとった時につけた名前が、地名がたくさん残っています。米も日本の風景と非常に似ていました。
 この方は、昔高砂族の方なんですけれども、日本に来たことはあると。この年齢になると、日本語はほとんど喋れます。八○才ぐらい。
 これは料理の一つなんですけれども、向こうも焼畑を昔はやっておったんですけれども、今は全部下へ降りて、ほとんどもう焼畑はやってないと。焼畑の主要作物は何やったか、粟なんですね。
 これは粟です。粟のおかゆ。この方、九つのいろんな昔の民族がいるんですけれども、その一つの族の方です。そこの集落を訪れるときに、説明をしていただきました。
 これは学校へ行ったんです。小学校へ。こういう感じです。中の風景は、日本と非常に似ていますね。これは近くでですね、刺繍をしているおばゃちゃんがおりましてですね、その写真なわけです。先住民族。これが面白いんで、先住民族の話を聞いた先ほどの方ですけれども、この人はおそらく貴重だと思うんですね。その行政が指名した人だと、この方は。
 この方は、頭目。山賊の頭のモクですね。その方なんですね。結局集落では二重構造になっているわけですよ。行政が指名した人と、昔ながらの頭目の家系の人がいるわけです。この人が実権を実際は握っておるわけです。この方が。このご夫婦なんですけど。家へ入れていただいて、話を聞きました。
 これは何か分かりますか? これはユリの花。それを干しているところ。食用にするんです。日本でも売っていますね。花びらですね。これも食事なんですけど。これが面白いんで、竹筒がこうあるでしょ。これをカーンと割ってですね、そうすると中に、紫黒米。赤米のような、紫の色の米ですね。それのおこわが入ってるんです。そういう料理を出してくれた。こういう餅とかですね。なんか変わった料理を出してくれた。
 これはよく向こうにたくさん、こういう黄色い花がたんさく咲いたウリがあったもんで、なんかへちまみたいな感じ。これがたくさんありました。これは長いウリというか、なんですかね。これは面白いんで、先ほどのキンマ。ビンロウの種を噛む、包む葉っぱ。葉っぱを日陰で作っている。こういう状態の中で。これたくさんありました。その葉っぱをですね、こういう三、四人の人が、こういうちょっとした作業場で1枚1枚ですね、調整をしているわけです。薄く石灰を塗って、丸いドングリみたいな、ビンロウジュの実をそん中に入れて、それをまた売っている店がいくつもあるんです。
 それと象徴的なんですけども、これ粟なんですね。実際はほとんど作ってないそうですけども、なんかやっぱり山岳民族の昔の流れで、その粟というのは非常にいろんなところに飾ってあるんです。粟の穂が。
 これはトロピカルフルーツのちょうど台東の辺で主に作られとる、シャカトウという。釈迦の頭みたいな。ソフトボールぐらいの大きさなんですけども、ボコボコとこう、釈迦の頭みたいな感じです。これ割って食べると、中に大きな種があるんですけれども、クリーム状の果肉がありまして、非常においしかったですね、ちょっと酸味があって。シャカトウという果物です。
 非常に台湾の人というのは、ポッと家へ行っても、家の中を見せてくれるんです。家へ上がれと言って、いろいろと説明をしてくれます。蒋介石が退役軍人をつかって、道を作ったということです。二○○何人死んだと、この道を作ったとき。
 ちょっと時間がオーバーして申し訳ございません。以上で私の話は終わりたいと思います。ご静聴ありがとうございました。



司会 はい、どうもありがとうございました。せっかくの機会ですので、ご質問等ございましたら、よろしくお願いします。

聴講者A すみません。ちょっと細かいようなことを聴くんですけれども、秋田県のカブラも焼き畑ですか?

玉井 秋田県ではなく山形県です。焼畑です。

聴講者A 河内の赤カブも焼畑ですか?

玉井 そうです。

聴講者A それは焼畑することによって、赤い色が出るとか…。飛騨の赤カブをよそへ持っていっても、色が出ないという話も時々聴くんですけれども、なんかそういうのと関係があるんですか。

玉井 例えば、色はようわかりませんけれども、河内カブラは硬いんですね。よそへ持っていくと、二,三年で柔らかくなってしまう。色もやっぱりあるかもしれませんね。ただ、焼畑で作ったのは、色が鮮やかで、クセがあるんですね。硬いのと、ちょっと苦味がある。そういう味というのは、焼畑じゃないと出てこない。ただ、以前田んぼで作りましたら、ネコブが出ましてね、そのネコブの抵抗性品種を作っとるんですけれども、元の河内のカブラではないと地元で言っている人もいます。色はやっぱり影響すると思います。

司会 他にございませんでしょうか?

聴講者B すいません、私は、玉井さんの寸鉄のハガキ通信をずーっと読ませていただいていて、そこの中でよく言われているのが、「組織より私」という、個人というのをすごく大切にされていて、組織の中の一人ひとりではなく、個全体の一人ひとりが生きて、集団を作るみたいに言われているんですけれども、そういう考えの中から生まれた「あぜみちの会」というものの秋の収穫祭、千人くらい集まると、さっきお伺いしたんですけれども、そこら辺のそういう関係というか、なんか…。

玉井 結局、今年九回目なんですけれども、毎年違う農家を会場にしてやるわけです。その農家の個性というものがあるもんで、その農家がいろんな人を知っている、農家自体がいろんな活動をしている、そういう農家でやると非常にたくさん人が集まる傾向があります。だから、千人とは、千人から千五百人が最高のレベルなんです。それだけ集まらん場合もあります。ただ、農家の個性によってかなり違う。農家を取り巻く人間関係が広ければ広いほど、交流が大きければ大きいほど、人はよく集まるということがいえます。「あぜみちの会」そのものは、スタッフとしてお世話をするということです。基本的には農家個人の人脈がものをいうように思います。

  組織的に、行政というのは、例えば米を作る場合にはコシヒカリとハナエチゼン、それに経済連なり農業団体が絡むのですが、たくさんの品種を作るのはめんどうくさい。だけれども、本来農家というのは、いろんなものを作っていいんじゃないかと思います。福井にはカントリーエレベータがたくさんあるのですが、それらの施設を利用するために、品種を限定する。だから、農家の立場よりもそういう行政なり、農業団体の都合で、こういう品種を作れ、こんな風につくれと指示をして作らせる感じになる。強制を伴う上意下達方式といっていいでしょう。

聴講者B 個人がつながる場というのを、個人という思い、さっき言われたように、農家だったらいろんな種類を作りたい。でも、つくってもどうしようもないという想いが農家個人にはたくさんいると思うんだけれど、それを生かすっていう場をどうやって作っていけるんだろう。

玉井 「あぜみちの会」の主要メンバーが、農協職員を辞めたのをきっかけに、ファーマーズマーケットを作ったんです。それは、専業農家の農産物をそこへ持ってきてもらって販売する場です。1年経ったんです。そこで面白かったのは、ある農家がいろんな品目をそこへ持ち込むんですね。二○品目ぐらい。この農家は生産物を農協へ出していないんです。そういう農家にとっては、そういう場は非常にありがたい。

  このファーマーズマーケットへは現在約四○人の専業農家が自分の生産物を出しているんです。一二、三人が米を出しているんですが、値段はそれぞれ別なんです。例えば一○キログラム四,○○○円の人もあるし、五,○○○円の人もある。必ずしも安値が売れるとは限らない。そのように、農家が自分で値段をつけて、自分のところで作った生産物を売る場所としてはいい。そういう場というのは必要なんだろうなと思います。

  もう一点、行政などが物事をやる場合は、動員をかけますわね、ほとんどの場合。農協もそう。「あぜみちの会」の収穫祭は動員を一切かけません。場作りに徹する。そこに来てもらう人が消費者でも生産者でもいい。そういう場を作って、いろんな人がそこへ集まってくる。その結果として、五○○人なり、一○○○人の人が集まる。動員をかけるかどうか、その辺りが一つの分れ目ではないでしょうか。

聴講者B ありがとうございました。

渡辺文雄館長 これだけ人を集められるようになるには助走期間がありますか? 最初から人が集まるというのはちょっと考えられない。

玉井 そうですね。ただ僕はね、僕の自信がついたのは、先ほども言いました県庁合唱団の合唱演奏会。最初で最後だといいましたが、あの時、人数はおそらく七,八百人の人がきてくれたんです。それは一所懸命団員みんなでチケットを売ったんですよ。あの経験がなんとなく僕の自信になっている。だから、助走期間が必要ではないかとおっしゃんたんですけれど、助走期間がなくても、なんか人は集められると思います。集められるというと、ちょっと語弊があるかもしれませんが、人は来てくれるよ、そういう場を作れば。そういう自信はあります。一方で、例えば寸鉄では、一六○人から始まって、今、

 一三○○人になっとるんですけれども、そういう意味からすれば、一○何年かかって

 一三○○人です。いろんなところで知り合った人の中で、心のふれあいが出来そうな人、

また、ほれた人にまめにハガキ通信を送ってきた。その蓄積が、いま、一三○○人だと。

渡辺文雄館長 キーワードは、今、先生がおっしゃった“蓄積”。

玉井 それはあると思います。

渡辺文雄館長 そういうことじゃないんですか? つまり一発逆転ということはない。特効薬というのはない。だから、やっぱり今先生がおっしゃった蓄積していく、積み重ねていく、途中でやめない、あきらめない、それがやっぱりキーワードじゃないかな。

玉井 県庁のいろんなイベントというのはやりっぱなしなんです。一回やってそれで終わりでしょう。それをきちっと、また次のときに生かさない。少なくとも我々の「あぜみちの会」は名簿を書いてもらいますよ。その名簿をうまく生かしているかどうかはうまくは言えませんけど、了解を取った上で、名前を書いていただきます。勿論記名することがいやな方もおられます。書いてくれた方々には、また次の収穫祭開催の時に案内を出します。それの蓄積です。だから県庁とか自治体がやることはその場限り、後に生きてこない。一回限りでもそのことによって影響され、変わった人もいるかもしれない。そういうことはありうるが、積み上げは大事だと思います。

渡辺文雄館長 時間もそろそろだいぶ押してまいりましたので、この辺で今日の会は終わりにしたいと思います。今も先生が最後におっしゃった積み上げていくということ、。これがかなり大事なことだと思いますので、我々のこの自由大学、今後頑張って積み重ねていきたいと思います。

  皆さん、今日はどうもありがとうございました。先生、どうもありがとうございました。
                                    (おわり)


山羊を飼います

福井市 土保 裕治 


前号で紹介しましたように、次のような計画を立てています。

利点
・ 子ヤギを安く購入でき、野山の草木、残渣まで草刈り機のように幅広く食べ、エサにお金が掛からない

・ ヤギは小型で、おとなしいため、高齢者、女性、子供など誰にでも飼え、愛らしいく、人なつっこいため、子供たちの人気が高く、小学校などで命を大切にする教育に取り入れられている。今回の旅行中、やぎなどを子供たちが世話をしている小学校を見学して来ました。

計画
 ただ単に飼っているだけではなく、山羊を使った事業を起こすことを考えています。

一、やぎを小学校に届け、子供たちが世話をしたり遊んだりできる情操教育の場を提供する

二、除草作業の請負

三、乳製品の加工、販売

 昔から子供の発育増進などに利用され、また、牛乳アレルギーのアトピー症に良い。なお、乳搾りは朝夕一日二回なので、やぎの近くに住むことになります。将来は頭数を増やし、里山に移り住んで観光牧場を目指そうと考えています。

まず、メスの子やぎ一〜二頭を夏から秋の間に購入し、お願いしてある福井市内の牛舎で飼い始めます。

 いよいよ、七月六日この計画に向かってスタートしました。子ヤギの競りが、長野県で開かれると聞いて急に出掛けたのです。普通、手に入れるには、全国三ヶ所で夫々年一回行なわれる今年生まれた子山羊の競りに参加するのです。

 午前中は子山羊の品評会があり、審査員らが時間を掛けていねいに見比べていました。その間、どこをどう見たらいいかわからないまま、素人なりに一頭ずつ観察し、どれを買いたいか絞りました。

 ところが、始まってみると、そんな品定めとは無関係?にどんなヤギでもどんどん上がって、高くなかった例年の二〜三倍に高騰してしまい、結局私は手が出ず、競りは終了してしまいました。

 しかし、折角遠い所に買いに来て、手ぶらでは帰りたくないとの思いで係りの人に尋ねたところ、一頭だけ心当たりがあるとのことで、その農家に案内してもらいました。そこでは、母やぎと一緒に草を食べでいました。

 その子ヤギは、実は変わったやぎでした。

     (次回につづく)

(お願い)

 これから皆さんにいろんな所に連れて行って欲しいと願っています。

・ 定期的にどこかの小学校に連れて行く。

・ エコ・プランのマスコットとしてイベントに連れ出す。

・ どこかに放牧場を作って放す。

・ その他、農薬、除草剤のない畑や野原での草刈や散歩をお楽しみ下さい。

・ 私の畑での草刈も頼んであります。

(注意)

 その時、気を付けることがあります。なお、注意点は今後増えるので、連れ出し時にお知らせします。

・ 野犬に襲われ死ぬことがよくあるそうなので、その場をあまり離れない。

・ 泥棒や子供のいたずら、乱暴。

・ 青草(雑草)だけを与え、人の食べ物はやらない。ビニール袋を胃に詰まらせて死ぬので、拾いましょう。



         月   光
                  福井市 小林 としを


山茶花の咲きて明るき露地の朝空ふた分けて飛行機雲伸ふ

ひと日の終わりに閉めるカーテン心地よき明日に繋がる音をひびかす

合歓の花咲く雨あがりゆらゆらと誰が霊ならむ黒揚羽飛ぶ

新築の奥まる吾が部屋しずかな涼風は入り光はあぞぶ

盆近く仏具の磨き方おさめ方継がすべくして教えて足らう

春は北秋は南の空の雲あやしきは雨ぞと父は言いにし

そこはかと秋は兆せり風のなか水引草は紅くそよぎぬ

流れゆく夜のしじまを庭石にうしをの如く注ぐ月光




         秋 の 味
                  福井市 鉾・俳句会

体験の搾乳をして秋収め      田中芳実

食べ頃を待つ枝豆に虫巣食ふ      阿部寿栄子

田舎より菰に巻きたる菊届く      宇佐美恭子

人訪ね来るビカランサ映える家       川端千鶴子

吊し柿日日に稔りて乾きみる      黒岩喜代子

ロープ張り農機動けぬ刈田中       竹川豊子

葉牡丹を寄せて亀の子仕立てかな      田中照子

里芋の総菜何れも子沢山        月輪 満

男手の変はりて今日の松手入れ     中田小百合

朝市に赤が飛び込む鷹の爪       橋詰 美禰子

自然薯のえくぼ多くて誉められるる       畑下 信子

切り傷の指口に当て石蕗の花      松井典子

トランクに野菜買ひ込む秋忘れ      吉田早苗





編集後記

玉井 道敏 


今号は、第十二回あぜみち収模感謝祭を特集とし、ちょっと贅沢をして、写真の一部をカラーとしました。印象はいかがでしょうか。
特集ということで表紙には、収穫祭の写真を用いましたが、次号からは、石塚民のペン画にもどります。
○今回の収種感謝祭は、前夜祭では、ハウスでの映画上映会を、当日はメイン会場でのファーマーズ・マーケットのほかに、農家施設での乳しぼりや米パン作りの実習、また西藤地区の農家ラリー、県の自然保護センターの展示、ヤギとのふれあいなど多彩な内容をもったイベントとしましたが、一過性でなしに、参加者の意識の変化や今後の活動に少しでもつながればと思います。
二前号に続いてあぜみち中川賞の応募論文を掲載しました。最優秀賞受賞者の尾崎充弘さんは大阪生まれの非農家出身ということで、新鮮な印象をもつのですが、同時に県内農家の若手の応募もほしいところ、彼ら、彼女らの発奮を促す。
あぜみちの会は、性格的に宇宙誕生前夜の混沌としたような存在で、その中から、惑星が生まれてくる、その惑星がファームビレッジ『さんさん』、名津井さんの『ファームサルート』、義元さんの『米パン倶楽部』などであると認識しています。ということで、今後もこれら惑星の消息を『みち』でお知らせしていきたいと思っています。
◎みち四十二号は三月中に発行の予定です。たくさんの寄稿をお待ちしていますが、定期的な内容の他に、家庭用鶏飼育小屋(コッコハウス)の紹介や、収穫感謝祭の前夜祭で行なったハウスでの映画上映会の記録、旧美山町河内で今も行われている赤カブの焼畑栽培についての報告などを掲載の予定です。ご期待ください。


 


このホームページに関するご意見、ご感想をお聞かせ下さい。 m-yamada@mitene.or.jp

[ホームページ] [あぜみちの会]