第20回ちょっといって講座
「行き詰まったか市町村合併」
(財)地方自治総合研究所 辻山幸宣 理事
2002年11月14日(木)
於:国際交流会館2階会議室
はじめに―これまでの経過と現状
(1)西尾私案
11月1日の地方制度調査会に西尾私案(西尾勝国際基督教大学教授・地方制度調査会委員)というのが出ました。それによると、基礎的な体力を持たない自治体は編入先を知事が決めて編入してしまおうという案、あるいは一定人口以下の町村は窓口事務といくつかの仕事を法律で決め、町長と議員5人ほどを置き、助役・収入役・監査委員・教育委員などは廃止し、残りの仕事は県に任せるという案が出てきている。いま進められている市町村合併で行き詰ったところを処理する法律案が考えられているということです。2005年4月以降そのようにしようということです。もちろん、全国町村会は激しい反論をしています。鳥取県の片山知事は、「いまやっている市町村合併は金目当て特例債目当てであり、その後どうなるかわからない、今やっている合併は”夜逃げ合併“・”食い逃げ合併”であり、そのような合併で体力のある基礎的自治体が出来ると考えるのがおかしい。」と記者会見の中で答えています。西尾私案は合併をして一定の体力をつけた自治体を基本にし、それを「市」と呼び、町村は自治体として認めないという構想です。それに対して片山知事は今やっている合併を評したわけです。
どんな自治体を作っていくのか、その地域をどんな地域として支えていくのかという議論なしに、ただ、「金繰りが苦しいから」「取り敢えず合併特例でお金がくるから」「これで一つ湿りがちな公共事業を一発やって景気を良くしていこう、そのために合併だ」という合併を全国でやっているわけです。みんなが損得勘定だけで走っているという気がします。
(2)松岡町の住民投票
松岡町の住民投票ですが、市町村合併を住民に決めろというのは酷です。住民に日ごろから情報はそんなに与えられていません。「この町が30年後に住民は何人になるのか」、「高齢者は何人で、小学生はどれくらいになるか」、役所には日本の将来人口という統計書がありますが、住民には知らされていません。このまま自治体を続けていれば30年後には借金はいくらになるのか、その借金を払うだけの税収入はあるのか、ないのか知らされていません。そのような中で、「合併したらいいのか」、「自力でやって行けるのか」を住民に判断させるのは無責任だといえます。まずその地域社会のリーダーである町長・町議会が「将来こういうふうにしてやっていこう」、やっていけないとすれば「近隣と合併して、こういう地域を作って、その地域の中のこの部分をわが町は担当していこう」、たとえば「福井市と合併して、福井市の波及効果で松岡町をやっていこう」、あるいは、「ベットタウンとして自立してやっていく町づくりをしよう」と、新市建設計画で地域の将来的なシナリオを示し、これでいいかと住民への問いかけ、決定をすべきです。
(3)各地のうごき
近年の住民投票ですが、埼玉県上尾市の「合併をしない住民投票」では市長は住民投票の結果を見て「さいたま市との合併を考えない」と明言しました。住民に情報は提供しないことを前提として投票しました。情報を提供すると、どちらかの考えに誘導するからだという意見です。乱暴なことこの上ない。住民は何を判断基準にして投票したのでしょうか。勘でしょうか。さいたま市が合併して動き出しましたが、30年後にその隣の上尾市が大きく水を開けられて、あの時合併をしておけばよかったと考えるかもしれない。その時、住民が投票したのだからあなたたちの責任ですよといわれても困る。住民投票の近年のやり方を危惧しています。
公務員を除けば、役所のありようによって住民の暮らしはそんなに左右されていません。役所がどのように再編されようが住民には関係がない。公共事業がなければ食っていけないという事業者がいますが、合併しても公務員も身分は安泰なのです。日々の暮らしに直接関係がないことで、住民同士が罵りあったり、憎しみあっていかなければならないのか。既に合併を決めた議会をリコールの住民投票にかけて議会を解散したという町があります。山口県熊毛町です。町の行く末で真二つに分かれているというのならいいのですが。政治的思惑に引きずられ町に亀裂を残すことがあちこちで起きています。町長のリコールが愛媛県砥部町で、また、群馬県富士見村では村長のリコール騒動になっています。合併問題を政治化して住民を巻き込むなといいたい。地域政策の選択の問題であり、政治勢力を大きくするかどうかの問題ではありません。しかし、ますます政争になってきている。今回の松岡町の住民投票も似たようなところがあり、結局、地域のリーダーシップで政治的決定ができず住民に投げたというところがあります。リーダーが見識のある合意結果を示さないで投票すると半々みたいになってしまう。
合併問題は、これまでそれぞれの市町村がどのような仕事をしてきたのか。そのことを振り返る作業と、今後、どんな自治体にしていくのかを本気で考えなければならないときに、「嫁入り先の実家は貧乏だ」という話では生産的ではないと思います。こんなことをやっているから、西尾教授はこれまでの思想を変えて、ぐずぐずしているのなら町村を解消してしまおうと考えたのではないでしょうか。
(4)99年8月通達
市町村の数が多すぎる1000くらいがいいとはじめて出したのは小渕内閣のときです。経済戦略会議という経済界の大物と竹中さんをはじめとする学者たちが日本の経済をどう立て直すかと議論した報告書に登場します。地方制度改革が経済戦略の中から出てきたわけです。1999年8月に全国に指令が出された。全国の市町村を合併させるので、各都道府県はどことどこを合併させたらいいかパターンを作成してほしいというものです。法律論的にはこの通達は何の効力もない。分権時代に入ろうかという時に、全国の都道府県はこれをよく守ったわけです。どうして通達がきたら県庁はそのような作業をするのでしょうか。県の職員は従来から通達がきたらとりあえず作業をするという癖がついていたので、知事とも相談せずに通達受容を決定したと思われます。分権時代は遠いと思います。鳥取県は3市でいいという構想を出しました。「県庁自身が県庁はいらない」といったようなものですが、そのことは考えていなかったようです。
1.政府がこんなにも市町村合併を進める意図と背景
(1)小渕内閣―経済対策消化能力の低下に危機感
1000の自治体になるまでにかかる経費を、合併特例債という形で政府が何十兆円も保証する。財政危機の政府がそのような財政投入をしたいと思っている理由は何かです。小渕内閣のとき、公共事業をやった。経済学者は批判をしたがどのように景気が良くなるかは提示しなかった。ものすごい公共事業をやったのですが、案の定景気はよくならなかった。その結果、経済戦略会議は市町村を束ねろといったわけです。小渕内閣は1年間に国債100兆円も発行しました。公共事業費を大量につぎ込んだのになぜ効果が出ないかというと、3300も市町村があって、公共事業の実施主体が小さいわけです。自分の財政が貧弱になっているので、従来型の公共事業しかできなかった。景気浮揚につながる事業、新しい産業が芽生えるような事業に投資できなかったわけです。政府が用意した公共事業ぐらいは消化できる自治体になってもらわなければ困るので、財布を1つにして大きくするというのが、戦略会議の1000という数字です。野中幹事長は政権の危機を感じ取ったのではと思います。中央から地方へお金を運んでいって事業をやる、財政出動して人々が潤う、それに感謝して自民党に投票するというメカニズムで政権が安定してきた。ところが、中央から地方にお金を運んでも景気に繋がらないというのでは政権はピンチです。市町村合併の動機は政権を維持するという要請からであったと考えられます。
(2)森内閣―都市部で勝てない危機感
森内閣も同じような事件にぶつかりました。2000年6月に総選挙があり、大都市圏と全国の1区で自民党は惨敗します。都市部で勝てない自民党になってしまった。都市部の有権者が都市部の税金を農村部に持っていくなと主張した、というか、そう主張する若手の民主党・共産党等の議員に都市部の有権者が反応して投票したわけです。都市の利害と農村の利害がぶつかった。亀井静香氏が反応して与党三党の公共事業見直し研究会を開きました。公共事業を見直して、止めるものは止める、白紙撤回するものは白紙撤回することをやりました。止められた事業は地方で行われる予定のダム・砂防・埋立て・漁港などでした。2兆7千億円が都市部へ付け替えられました。地方へ流れてくる公共事業の資金が確実に少なくなりました。地方は干上がりそうになったので、森内閣も市町村合併の大方針を推進しなければならなかった。ほとんどの自治体では投資的経費をどんどん削りこみ、財政硬直化を招き、地域の経済を冷え込ませていたわけです。そこで、自治体が倒れないために近隣市町村と手を携えて財政を維持していってもらうということです。
(3)小泉内閣―経済財政運営の基本原則(魅力ある地方の競争)
小泉内閣は全く違うベクトルです。地方への財政出動ははじめから考えていない。森内閣のときに地方に流れる血液の量が減りましたが、小泉内閣では、血液の量の問題ではなく血管の太さを問題にしている。太さそのものを変えていく。限られた国に入る税金、地方に入ってくる税金をどうやって生かしながら使っていくか。失われた10年の付けを払おうとしているのです。しかし、小泉内閣にはお金を生み出す力(増税)がないので、だれかに付けを払ってもらおうと考えています。ターゲットが地方自治体と特殊法人です。道路四公団だけで40兆円の負債があります。地方も地方交付税特別会計で48兆円の負債があります。この付けを自治体に払っていただきましょうということです。
どうしてそうなったかです。国の14年度予算は81兆円ですが、入ってくる金は47兆円が税収です(昨日11月13日、山中税調会長に詰め寄られて、塩川財務大臣は2.7兆円が入ってこないといってしまいましたので、44.2兆円しか入ってこない)。この中から、地方へ交付税交付金として20兆円出て行く。国庫支出金として13兆円、国債費=借金返済で17兆円が出て行くので、足りなくなる。中央政府の経営ができないわけです。だから、小泉首相は30兆円借金するとしたのですが、まだ足りなくなっているわけです。このことを放置しておくわけにはいかないわけです。
地方交付税は予算上足りないので借金をして配っているわけです。今年度予算では所得税・酒税の32%、法人税の35.8%等の国税5税分として12兆6千億円(減収で11兆円くらい)がルール分ですが、一方、20兆円地方へいくので、8兆円〜9兆円が足りない。財務省は国が借金をしてまで地方に配る必要はないだろう、足りなければ足りないようにやってもらえばいいじゃないかということで、全ての自治体が必要な行政をやるのにいくら掛かるか計算をして、そのうち地方税でまかなえるものはどれくらいか、その差額を交付税でまかなうという財源補償機能をやめ、担税力調整=税金を負担する能力の差だけを調整するために交付税でやるべきだといっている。交付税特別会計は、ほぼ毎年8兆円の借金をしてきたので、48兆円になってしまった。このうち 3.1兆円を国が借り入れ、3.1兆円を地方が借り入れる、あとは国の一般会計でとした。将来は国・地方が折半でということで決めました。腹を減らした蛸は自分の足を食べるといいますが、将来どうするのかわかりません。
小泉政権の骨太方針で「これまでの日本の内閣は均衡ある国土の発展ということを重視してきた。」といっています。均衡ある国土の発展を重視するから格差は出さない。どこに住んでいても同じような行政サービスを受けられるというのがこの国の大方針だったわけです。しかし、「これからは魅力ある地方の競争」といっています。そこで格差が発生します。それを、「格差と呼ばず、個性と呼ぼう」、知恵を出して競争してもらいたいということです。手厚い財政調整については将来的に見直すということです。交付税の減額が始まっています。これまでは交付税は減ったことはなかった。2002年から減り、来年度予算も下がり、合計で6〜7%ぐらい減る。合併をしようがしまいが、取りあえず減るわけです。
合併すると、交付税の合算額で概ね交付税の算定替えで70%で済むことになるという試算がある。とすれば、30%の浮きが出る。総額20兆円の30%だと6兆円が交付税財源として浮く。財務省がおいしく思うところです。しかし、ここで矛盾があります。この30%はすぐにはカットしない。10年間は出すわけです。その後5年間で段階的に減らしていく。削減効果が出るのは15年も先です。理屈に合わない。だから関西学院大学の小西砂千夫さんは交付税を浮かせるための合併だとは考えないほうがいいといっています。
いまの交付税の計算方式でも削ろうとしています。事業費補正、段階補正の見直しを行うとしています。だから、合併をしても余裕があるというわけではない。小泉内閣は地方にお金の出て行く仕組みそのものを変える。受け取る側の規模を合理化して国の歳出を押さえ込んでいこうとしています。
2.政府の意図だけが合併検討要因か―自治体を取り巻く状況
(1)社会変動のいやおうなき事実
しかし、財政の行き詰まりは国の政策のせいだけと単純に考えないほうがいい。もう1つ、地方財政の問題があります。これまで、「補助金さえつけば」ということで、どんどんやってきた。議会も否決するわけにはいかない。自治体の職員は国から金を引き出してきて仕事をやって、財政が膨張して赤字になって、最後に幕を引くのは職員の給与と退職金です。
地方は仕事をしたが、「こんなにいい町にした」と誇っている町は多くありません。「基盤整備」「基盤整備」と靴の裏に土のつかない町にしましたが、自治体に政策がなかったわけです。そんなものはいらないという自治体が必要でした。戦後50年、行政と政治がこの国の公共性を独占的に担ってきた。チェックの効かないままに公共事業として地面に吸い込ませてきた。そして、公共事業でしか食っていけない市民を生み出してきた。あながち政府だけの責任ではない。『世界』2002年8月号の新藤宗幸論文を読んでいただきたい。
対象者(高齢者) 介護需要
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分母(税金) 介護保険
社会変動のスピードが上がった。少子高齢化といいますが、生産年齢人口が減るのが大きな問題です。今年1月に人口問題研究所は合計特殊出生率を出しました。1.31ですが、少子化の数字は分母を表します。分子は年金では老人です。少子化は分母が小さくなることです。分母が小さくなると掛け金を引き上げるか、年金額を下げざるを得ない。医療保険も介護保険もそうです。公務員も退職者はどんどん増えるので、共済年金は倒れます。そこで健康保険の統合の動きがあります。都道府県か道州単位で束ねたほうがいいということです。
(2)住民の意識にも漠然とした不安が―「いまのままでいいか」
私たちは税金で地域社会を維持していく。介護などの対象者が大きくなるのが高齢化です。分母を負担するのが生産年齢人口です(15〜64才)です。この生産年齢人口が減っていくと計算式が成り立つかどうかです。それぞれの市町村ごとに検討して、単独の市町村で成り立たなければ近隣で束ねてみる、それが1つの判断基準になります。かつての内閣でしたらこれに対して交付税措置を手厚くしましたが、もうそのような政策は橋本派も民主党や他の政党もやってくれません。私たちは行き詰っている。合併しかないのか。私たちはこの構造的問題に対する答えを持っていません。地方六団体などの全国の自治体関係者は交付税を下げるなといっているが、交付税だけを下げるなという理屈はどこにもないわけです。住民もこの際合併だなと思っている節があります。松岡町の住民投票では5200人が投票しているのに、合併しなくていいと答えた人は800人しかいません。「昭和の合併以来30年40年とやってきたが、どうやらこの町も終わりだな」という気持ちになってきたのかもしれません。よその町に依存することもなく30年ひたすら働いてきた町長、議員、職員も、「町を見捨てて」という住民に憤りを感じないのかと思います。憤りも感じないようでは合併してこんな町にしようというエネルギーも沸いてきません。大きな市になれば安泰かというとその保証もない。住民は不安です。いまの自治体はそうした住民にきちんと安心できる答えを示していなません。どのような回答を用意しているのかというとないわけです。住民は自治体を見捨てて合併の道を選びつつあります。
では、合併が民意に沿うことなのでしょうか。心配なところは書上げて、住民にもこういうことを引き受けてもらうといって行き先を示すのが地域のリーダーの役割です。しかし、町長や議員が情報を出すには無理があります。情報を出せるのは自治体職員です。自治体職員がクールな情報を作ってリーダーたちに提供する。それを踏まえて、町の将来を考えるのがリーダーの役割です。足を引っ張るほうは「あそこと合併すれば税金が上がります」「公共料金が上がります」とバンバンいっているわけです。合併を勧めたいほうは「人が帰ってきます」「大学を持ってこれます」といいますが、本当かと思います。自治体職員はクールなデータを把握して、代表者に突きつけていくのが合併についての仕事です。
3.政府の合併促進政策とその論点
(1)財政特例
第1は合併特需の問題です。合併に携わっている人は、吉田郡町村で合併した場合には合併特例債が何百億使えるか、福井市と合併した場合にはどうかということは知っているわけです。これは秘密ではありません。総務省のホームページですぐ計算が出てくる。しかし、一般の人は知りません。合併によって数百億円の事業ができる。アクセス道路やインターネットをつなぐなどの事業をやる。7〜8町村で合併すると900億円ぐらいの事業ができる。自己負担金はほとんどいらない。45億円あればいいわけです。こんなに借りて事業をやれば、後々メンテナンスに費用がかかります。初期投資の1%見当としても、毎年9億円の維持管理費がかかる。この負担は見なければなりません。返済は70%を交付税の中で計算するということで、過疎債と同じくらいに有利だといわれています。しかし、270億円は合併後自分たちで返済していかねばなりません。年々いくらの負担になるかです。軽々には飛びつかないことが必要です。
事業者はなんとか一息つけたいと思っています。新潟県黒埼町は新潟市と合併すれば事業がとれるということで業者も合併に賛成したそうですが、黒崎町の事業者はほとんど仕事が取れない。新潟市の事業者の方が資本も技術力も上ですから。
4.地域の未来を市町村合併で開けるか
(1) どんな町になりたいのか――合併協議会での新市建設計画
合併対象市町村をお盆にたとえ、お盆の中に砂(その町の資源・財政力)がぱらぱらと散らばっているとする。その財政力を束ねるのが合併です。そこに集積が起きます。たくさんの予算が使える。私はこれを3つの集積といっていますが、@財源の集積です。金の集積、A人的集積 建築確認の仕事(人口10万人) 企画能力を持った職員、保健婦・管理栄養士・理学療法士が雇えるといわれています。B組織の集積です。市役所という大きな組織に情報と人材と資料が集積される。この集積で地域をやっていこうとするわけですが、現実にはできない。6か町村で地域ができているとすると、束ねるときに協議会に全町村の代表者全員が出てくる。
たとえば、A町では「過疎化する。周辺化する。合併で地域が悪くなるのは困る。集積が予定されている財のうち、一部分を周辺部にも投資しろ」というわけです。合併をまとめたいと思えば妥協して分配する。結果的に盛り上げられた資源が元も子もなくなる。それぞれの地域への施設の引っ張り合戦となる。夢のために、みんなでわがままをいっていたのではこの地域がなりたたないので我慢しようと合意していくのが合併協議会です。しかし、夢がないから、ほとんどの新市建設計画はどこの地域に何を作るというものばかりです。15年たって財政特例が終われば元の木阿弥になります。どんな自治体にするのかを予め考えないからです。
静岡市・清水市の合併では、「ひかり」を止めようといってきました。ひかりは東京方面から名古屋直行です。住民もこのキャンペーンについてきました。しかし、どんな都市づくりをするかが決まっていない。新職員を募集しましたが、静岡市と清水市間で何人ずつ採用するかで大おもめとなっています。
(2)やせ我慢の哲学
最初から資源を集積させないで分散型の連合都市をめざす行きかたもあります。ドイツにあるような『どこへいっても農村』という都市ですが、そのような都市がありうるのかです。日本にはまだありません。合併しなくしても同じ形をしていますから。合併協議での妥協策で本庁舎はA町、福祉課はB町というようなそれぞれの部局を分ける分庁型とは違います。
合併しないで3000人の町村で残った場合、どこかに編入されるのではないかという考えが生まれていますが、それが西尾私案の効果ではないかと思います。合併しないと宣言した町は“やばい”と思っているかもしれません。合併の進捗度は悪いわけですが、プッシュして危機感を煽ることにもなる。しかし、今の憲法体制で一方的に合併を強制することは法律上難しいわけです。編入先を知事に決めてもらう道を選ぶか、負担軽減自治体として、あまり大きな仕事をしないで、こじんまりした地域づくりを目指すかが強要されようとしています。雑音にまぎらわされず、自分の町には何があるか、伝統的に培われてきた資産・歴史を認識しどれだけの生産力があるのか、作っていけるかを見つめて議論することです。しかし、2005年には間に合いそうもない時間に入ってきました。
質問
(1)県の位置づけ
A氏
県の合併・道州制の話と、市町村との連携と県の業務は増えるのか。
辻山氏
西尾私案が出たとき、最初に県のあり方を議論すべきだと話し合いました。県をどのようにし、大都市をどのようにして、市町村にどういう業務を持たせるかです。これだけの能力がないだろうから町村は解消するというなら、県の将来の姿を出すべきです。全体像なしにつまみ食い的にやるなということです。市町村合併が進めば県は道州制に移行するというのはわかりやすいのですが、今回の私案では、過疎地の行政を県に分担させようとしています。議論の中では分裂状態になっていて、着地点が見えていないのではと思います。普通の都市よりも小さな県があるじゃないかという議論が出てきていますが、県として役割を担えない県の解消ということは市町村合併の延長線上には出てきます。しかし、その先に県をどのような広域自治体として位置づけるかが見えない。
(2)与党から強制合併の法律が出てくるのでは?
B氏
政治の側で人口3万人要件とかの動きがあるが、そのようなことがあるのではないのか?与党からそうした法律案が出てくるのでは?
政治の責任は政治家にというが、住民が付けをではないのか?
辻山氏
付けは住民が引き受ける。しかし、住民が政治家に責任を取れということはできない。次の選挙で落とすということですが、合併して落ち込んだ始末は誰も取ることはできない。そういう政治家を選んできた自分たちの責任であるといえます。
与党が法案を出してきて押し通るのではという気配はあります。自民党の地方行政調査会で西川公也議員の西川プロジェクトの中間報告は西尾私案よりももっと厳しいものです。それぞれの市町村の規模・能力によって仕事をどんどんはがしていく。道路などは県にまかせ、県が財政調整も代わってやる。そうすると、財政権のない自治体を作ることになる。だから西尾私案はそういうことの防波堤として出したという面もあります。
地元の自民党の国会議員は法案が通って現実に動き出した時に、「お前のところは3000人未満だから知事に申請して編入先を決めてもらえ」というだろうか。地元からそんなひどい事をしないでくれといったら、政治家は守りに入る。戦後の合併のとき8000人未満は残さないぞということでしたが、残ってしまったので、新市町村建設法を作り、県知事が合併の行き先を決めて勧告をし、やらなければ内閣総理大臣にまで上げて強制的に合併させるということだったのですが、結果的に数百が残ったわけです。自民党の政治家は地元の陳情を受けて、国策だからとはいえなかった。ギリギリのところで町村がなくなるというときに、与党の議員はどう動くか。一方で、私たちが立法の過程でどういう対案を出せるかです。既に西尾私案では森林の保護は県が似合っているとしていますから、「小さくてもきらりと光る」だけでは困難です。地域に責任をもてる自治体はどのような自治体かです。人口で切っていますが、3万人が地域に責任を持てる基礎自治体か疑問です。小さいから責任を果たせないかです。権限のほとんどを県に任せる自治体を1万人にしようか、8000人にしようかとか、現実は数字で切るということになる。
(3)税源移譲は?
C氏
地方分権で自治体への財源移譲はどうなのでしょうか。
辻山氏
権限は相当来ましたが、財源は来ていない。来ていないどころか絞り込んでいくことになります。交付税と税制と補助金で、小泉さんの言葉では「三位一体で結論を出せ」ということですが、答えが出せるのかどうかです。税源移譲論では、所得税を地方へといっていますが、所得税を受け取った市町村が税金を取れるかです。農村部は所得の捕捉が難しいし、個人所得の格差が大きく、都市部の方が所得が入ってくる。財源の格差が拡がるわけです。もう1つ検討されているのが消費税です。消費税も東京都などでは黙っていても何億円と入ってくるが、私の出身地である北海道の町では買い物は隣の市にいってします。税源移譲だけでは決着がつかない。
補助金カットをして交付税にするか、別の配分基準にするかですが、ひもつき補助金ではないかという議論が残ってしまう。
水平的交付税制度ということで、国税5税を国が分配するのではなく、都道府県が集まって、その税収を全体でならすという方法ですが、東京都は反対するでしょう。答えとしては、いまは歳出を抑えるしかない状況です。
(4)松岡町の住民投票の評価は
D氏
松岡町の住民投票についてですが、首長の見識に任せられるかというと、私はNOだと思います。首長自身、最初は合併に反対でしたし、自分自身の保身を優先していると思います。合併論議が煮詰まって、合併はさけて通れないということで、自分たちのリーダーシップの取れる合併を選択したのだと思います。議会では7対7の同数となり、委員長判断で住民投票になりましたが、住民に投げかけても判断は無理だと思います。何年も取り組んできた者でも本質がわからない。交付税がどれだけ下がるかもわからない。住民にとって3年先、5年先に痛みが来るといってもさっぱりわからない。なぜ、国なり、県なりが前段でうったえなかったのかです。一方には特例法の期限があり、11月に実施しなければ、福井市の任意協議会にも入れない。なんとか間に合わせようということでしたが、住民投票をして民意をふさいでしまったのではないか。
辻山氏
住民投票のチャンスは3回あると思います。まず、合併協議会の設置の時点です。議会が否決した場合には法律にのっとった住民投票も今年3月から可能になりました。その前段に枠組み投票ということで、どこと組むかで投票がある。米原町や今回の松岡町などです。ここまではリーダーの見識に関係がない。見識は最終的にどこに表現されるかというと、「新市建設計画」です。ここで住民投票をすべきです。住民たちは自分の町の将来図をやめるか選び取るかです。出口の住民投票です。見識をしめして「新市建設計画」が出来るまで住民たち情報の公開を求め、議論に参加し、計画が決まったら住民投票をということです。ところが、革新系といわれる人たちも、入り口で住民投票をといっているわけです。
どうして市町村議会だけが苦労するかです。県議会は遊んでいます。道州制の話が来たらあわてるでしょうが。県はどういう梃入れをするかですが、国の支援策だけで、県としてはぜんぜん動いていない。
(5)住民投票で市民の見識は?
E氏
住民投票では無理だとは思っていましたが、このままでは住民が反応しないので、ボールを投げれば、住民がレベルを上げ、行政に目を向けると思ったわけです。
辻山氏
その意味では住民が見識を示したと思います。この短時間で66%の投票率でしたし、それぞれ考えて投票したのではないのでしょうか。
(6)合併特需は?
F氏
合併特例債の話ですが、地域の経済効果について
県議会には相談がない。いっさい情報が入ってこない。県が入らないのは損ではないかと思うのですが。
辻山氏
県も県議会もいっしょに考えることがない。市町村が合併協議会をつくると、行政は入るがその地域の選出議員は入らないということですので、新しい論点かもしれません。
特需の話ですが、線香花火のように最後の特需を食うか自重するか判断のしどころです。今回の合併特例債は戦後の地域開発のやり方と同じです。だから、同じ結末に至るだろうと思います。中身が勝負です。「合併特例債に頼らずに」と提案する市長もいますが、「それでは魅力が半減する」ということも言われています。本当に必要なものに使っていくことが必要です。
講師紹介
辻山幸宣 氏
1947年、北海道生まれ。1974年、中央大学大学院法学研究科修士課程修了。1973年に地方自治総合研究所常任研究員を皮切りに多くの大学講師等を歴任。地方自治、地域政治、地方自治制度史を専門とする。1994年、中央大学法学部教授を経て、2002年、(財)地方自治総合研究所研究理事・主任研究員に就任し、現在に至る。
【主な著書】
「選挙過程と投票行動」(共著)、「福祉国家と政府間関係」(共著)、「地方分権と自治体連合」「地方分権の戦略」(共著)「住民・行政の協働」(編著)、「協働型の制度づくりと政策形成」(編集代表)など多数。