第24回ちょっといって講座
フリーター・ニート層の増大と雇用政策
講師:吉村臨兵 福井県立大学看護福祉学部助教授
2005年7月26日
国際交流会館第一会議室
本日は、お疲れのところお集まりいただいてありがとうございます。この春より福井県立大学にまいり
ました吉村と申します。福井県において、大学の外で話を聞いていただくのは今日が初めてです。本日のこの話題にしましても、県内の事情や現場のことについて、おそらく皆さんのほうがよくご存知なことが多いのではないかと思いますが、おおよその全国的な事情として、フリーター、あるいはニートと呼ばれる若者の増加を、その労働市場にかかわる観点からまずお話ししたいと思います。そして、それについてどのような雇用政策が可能かということを、すでに実施されているいくつかの対策や議論などをご紹介しながら、皆さんと考えてみたいと思います。
図表1
T.「若者」の位置づけ
まず、この日本の国土の上で暮らしている人々の年齢構成がどうなっているのか、という非常に基本的なところから確認したいと思います。高齢化と少子化ということがセットでいわれますが、そういう状況の中で「若者」のポジションがどうなっているかということを見ておこうというわけです。
そこで図表1を見ていただきましょう。このグラフは、日本に暮らしている人たちを生まれたての赤ん坊から最高齢の人まで一列に並べたとしたら、その順番のなかで何歳の人が何パーセント目に当たるのかということを、年を追って見てみたものです。国勢調査の数字を拾ったもので、1970年以後は5年ごとの毎回の数字を載せました。それでたとえば50%というところをご覧ください。グラフでは太めの線の――□――で表示しているものです。そこからわかるのは、2000年の時点では年齢順の列のなかで50%、つまりちょうど真ん中にくるのが41歳だということです。さてその年齢順の人口分布のちょうど真ん中、41歳というポジションは、――□――をたどってさかのぼると1960年には25歳だったということがわかります。
このことは実感を裏付けているのではないでしょうか。自分より年下の者が年齢の割に頼りなく見える、あるいは「おじいさん」「おばあさん」「おじさん」「おばさん」と呼ばれる年齢が徐々にあがっている、ということは確かにありますね。1960年頃のテレビドラマには30代の夫婦が「中年夫婦」として登場します。そういう変化についてこのグラフからわかるのは、みんなが頼りなくなったり、無理に若く見せようとしたりしているということではなくて、年齢分布からいって実際に同じ年齢の人が相対的にはどんどん「若く」なってきたということです。人口全体の年齢の分布で見ると、40歳を超えても、昔で言うと25歳ということで、なかなか年寄りにならない社会になっているということです。とにかく、全体の中でのある年齢のしめすポジションは、以前とは大分違っているんですね。
今しがた触れました1960年の「中年」は図表1の――△――と――▲――を辿っていくと、2000年ころには50歳代ということになります。たしかに「中年」ですね。また逆に、2000年に20代の人たちは、1960年には10代を割り込むくらいの年齢なわけです。ひよっこの年齢ですね。
U.ニートと社会的排除
(1)フリーター・ニートの語源
フリーターという言葉自体は80年代末から聞かれるようになった言葉で、「フリー」と「アルバイター」というドイツ語を合わせた和製語です。ニートは昨年ぐらいから言われ出した言葉で、NEET:(Not in Education, Employment or Training)教育も受けているわけでもなく、雇用もされていない、何かの訓練課程にいるわけでもないという英語です。90年代末のイギリスで、16〜18歳人口の9%がニートということが発見され、そのような形で過ごすと、将来的に社会的排除に結びつきやすいといわれます。
(2)日本でのニート問題
同じようなことが日本でもあるということですが、日本での取り上げ方をみると、「社会活動に参加していないため、将来の社会的なコストになる可能性があり、現在の就業支援策では十分活性化できていない存在」(小杉礼子編『フリーターとニート』勁草書房、2005年、p.6.)という定義づけが行われています。人の存在が「コスト」になるというのはある種の抵抗があるかも知れませんが、客観的にいうとなるほどそうなるかも知れません。かつ、個々人を「活性化」するという表現にも少し違和感を感じられるかも知れません。「活性化できていない」というのは周りの人からは活動しているように見えないということです。
フリーターの関係でもう1人、玄田有史さんという人も何冊か本を書いています。たとえば「家事手伝い」をどう見るかですが、小杉さんはニートではないと見ていますが、労働力調査で家事手伝いに○をする人はニートに入るというのが玄田さんです。
(3)教育機関との関係
高校生を送り出すという立場では、フリーターというのは大きな問題ですが、それならば進学すれば問題がないのかというとそうとも言い切れなくなってきました。高校を卒業して大学へ行く「彼女たちは、今という時代を直感的にわかっているのだ。大学は無業という暗い現実からの最終避難所となりつつあること、学校で学ぶことの積極的な意味など初めからないこと、学生と社会人の境界が薄くなっていることを。」(宮本みち子『若者が《社会的弱者》に転落する』洋泉社新書、2002年、p.155.)というように大学が、労働力の遊水池として顕在化してきているわけです。フリーター予備軍のような形で大学に通っているんですね。これは県立大の場合には当てはまりにくいでしょうが、大都市圏の偏差値の低い大学ではよく目にすることだと思います。たとえば、アルバイト先で店長に見込まれて正社員にならないかと誘われたから、とか、単位が思うように取れずに留年が確定してもう1年分の学費を親に出してもらうのもしのびないから、といった理由で、3年生まで在籍していた学生が簡単に退学してしまいます。そこまでの時間と学費を取り戻さないともったいないでしょ、と言ってもほとんど効果はありません。
ちょっと新聞の速報記事をご覧いただきましょう。「高卒増やさず」が半数 業績回復後の採用予定調査(朝日新聞ニュース速報)[2005-06-09-16:38]「新規高卒者の採用について約半数の企業は、業績がよくなっても採用増や復活を考えていないことが、独立行政法人「労働政策研究・研修機構」の若年採用調査でわかった。」というものですが、一方、もう1つのニュース、来年採用、高卒が大幅増(共同通信経済ニュース速報)[2005-06-07-16:33]によれば、「厚生労働省が7日発表した5月の労働経済動向調査(年4回実施)によると、2006年の新卒の採用予定者数が05年の採用者数より増加すると答えた企業の割合で、高校卒が前年同期比4ポイント上昇の16%と大幅に増加した。」という、あい矛盾した記事が出てきます。団塊の世代が大量に退職していくので、人員構成を適正に持って行こうとすると採用しないわけにいかないということになります。ですから前の記事はいくらか長期的な傾向、あとの記事は今年から何年かの瞬間風速的な傾向かも知れません。それでは「高卒増やさず」が半数 という理由はなんなのかということですが、「04年度に高卒者を求人しなかった企業の理由(複数回答)では「大卒者で必要な人員を充足できる」が61.3%でトップ。」ということなんですね。全体の長期的な傾向としてこのようなことが起きると、いきおい高校を卒業してすぐ職に就くというよりも、取りあえず大学にということになります。
(4)自己責任の問題
さて、たしかに職業選択の幅は非常に広がっています。職業を選択しないという選択の幅まで広がっています。それに伴って、いわゆる「自己責任」の問題を考えなくてはなりません。さきほどふれた宮本みち子さんの本によると、大学の3・4年で、「なにをやったらよいのかわからない」ということが当然のように出てきます。これはどういうことかというと、若い人は、やりたいことが見つかるものだといつのまにか思いこまされているということなんですね。つまり、やりたいことに行き当たれば、自分の人生は充実するはずである、それが就職活動の間に見つからなければならないはずである、と思っています。しかし、「やりたいことは結局、自分の内部にしか発見できない。しかもその認定基準は厳しくなる傾向があって、ますます見つけにくくなってしまう。しかし社会は「やりたいこと」の選択を彼らに許す。」つまり若者の側としては、やりたいことが自分の内部にあらかじめあって、目の前の仕事がどうもそのように感じられないのはまだその自分の内部にある「やりたいこと」が見つかっていないのだ、そんな段階で仕事についてもどうせ長続きしないからだめだ、と考えてしまいます。そして社会の側は彼らに対して、とにかく飯の食える仕事につけ、とは言わないわけです。やりたいことが見つかるまで探せばいいよというように、彼らに選択を許してしまいます。それなのに、「その選択に社会が責任を負わないしくみになっている」。たとえば、ある資格をとれば、その資格に沿った職場なり賃金が保障される社会であれば、社会が責任を取っているということになりますけれども、日本の場合は、資格を取っておくと就職に有利「かも知れない」というレベルで勧めるんですね。宅地建物取引主任者などのように、一定の強みのある資格もあるにはありますが、おおよそ大学3・4年になってから思い立って取れる資格というのは誰でも取れる資格ですから、あんまり職業的な意味はないわけです。その反対に、ドイツなどヨーロッパ諸国では資格に連動した職務、職務に連動した給与というものが社会的に存在しています。日本の場合そうではない結果として、「《やりたいこと》という《心理主義化》は、容易にシンプルな自己責任の論理に転嫁しうる」(宮本みち子『若者が《社会的弱者》に転落する』洋泉社新書、2002年、pp.80-81.)のです。つまり、うまくいかなかった人は自分探しの努力が足りなかったんだ、ということですね。
この心理主義についてもう少しお話しします。心理主義というのは、ある人、本日の話題でいえば若者ですが、その若者がいま置かれている状況について、それを当人の意識というか心理状態のせいにしてしまう考え方です。それで、たとえばひきこもりに対して、「ひきこもるな」といういろいろな制度的枠組みがあります。なんとか引きこもりたい心理状態を解消しようというわけですね。その一方で、ひきこもってみろよ、という考えも少数ながらあるのです。
もう少し、意識に関する記事をご紹介します。<新入社員意識>5人に1人が就職活動の「負け組」と認識(毎日新聞ニュース速報)[2005-06-22-18:33]「新入社員研修の参加者を対象とし、3910人が回答した。「勝ち組」と答えたのは77.1%、「負け組」は21.4%で」の記事は、新入社員の5人に1人が負け組と認識しているというものです。この「負け組」という認識は正しいように思いますね。勝ち組、負け組、というのはことばの魔術で、勝つ方に「組」など形成されません。世の中のほとんど全員が結局は負け組になるのです。それを、一時的にも自分が勝ち組の方に入ったと認識させる構造の方が問題です。そう思っている77%の人は、昨今の労働時間の二極化の中で、自分の勝ち組としてのポジションを維持しようとして、身を粉にして、際限なく働くというサイクルにはいっていきます。
それから、「内定ブルー」という言葉があります。<内定ブルー>就職辞退の学生 企業人事担当の大きな課題に(毎日新聞ニュース速報)[2005-07-15-13:39]「ネット主流も一因 学生を送り出す大学側も対策に乗り出している。「職業への意識が低いうちに就職活動が始まり、深く考える間もなく就職先が決まるのが内定ブルーの一因」と見る」という記事ですが、では、大人のあなたがたが職業を選んだときは職業意識が高かったのか、と問わねばなりません。こういうことを大人がうかつに言うことも、さきほど触れましたようにまじめな若者が際限のない自分探しをしてさまよう一因なのだと思います。たいていの場合、今の大人のみなさんも、やむなく、とか、いつの間にか、とかいったかたちで職業生活に入ったわけでしょう。そしてやってみると結構その世界になじんで今に至っている、という人も多いはずです。もっとも、「意識」と言うよりは「知識」が足りない状態で就職活動をすることは非常に効率が悪いでしょう。どういう仕事がどういう中身なのかということについて関心を持つことは非常によいことです。村上龍の『13歳のハローワーク』という本がかなり売れましたが、最近の仕事の中身が分からないので教えて欲しいということは結構なことです。それは「知識」の問題で「意識」の問題ではありません。
(5)世代間の社会的排除(あるいは貧困)の再生産
世代間の社会的排除の再生産ということですが、大阪の部落解放・人権研究所による聞き取り調査で、フリーター状況にある40人の父母も低学歴に大きく偏った構成となっているという調査結果が出ています(部落解放・人権研究所編『排除される若者たち』解放出版社、2005年、p.27.)。これに関連した記事として、若年層の所得格差拡大=フリーター増など影響−内閣府報告書(時事通信ニュース速報)[2005-05-25-19:30]というものを見ますと、「1990年代後半から、特に20〜34歳の若年層で所得の格差拡大が加速。フリーターやパート、アルバイトの増加が大きく影響していることが分かった。一方で正社員を希望する若者の割合は増えており、報告書は「職業能力を得る機会を与える政策が極めて重要」と訴えている。」ということです。そういう職業能力を得やすいか得にくいかといういろいろな要因の中に、当然本人育った環境があるのですが、そのことを再確認したのがはじめのほうの本です。また、低学歴ということとの兼ね合いですが、<ニート>中学卒や高校中退者ほど高率 厚労省研究機関調査(毎日新聞ニュース速報)[2005-06-22-20:38]という記事によると、「仕事も進学もせず職業訓練も受けない「ニート」になる割合は、中学卒や高校中退者の方が、大学や大学院卒より高いことが、厚生労働省所管の研究機関の調査で分かった。」といいます。
図表3(元データは総務省「労働力調査」。この図表については「労働統計要覧」のホームページ)
V.若年「労働力」の問題
(1)「流動」化
さて、そこで構造的なこととして、若者が労働力として市場に出て行く場合に、労働問題的に考えるとどういうことがあるかということをお話しします。それでまず流動化ということですが、先ほどの、就職した人の2割が負け組と感じるという話と係わることについて、こんなことを考えています。近年は、自分探しということの延長で、選んだ仕事がよかったのかどうなのかということを考えるチャンスが多すぎるという傾向が続いています。これは個々の意識だけではなく、「飯を食うために職」をという圧力が減っているということもあると、さきほど言いました。その背景の1つとして、奇妙なことを言いますが、年金制度の充実があるように思います。
国民皆年金といわれる年金の仕組みが始まったのは1961年です。25年たち、満額の受給資格者がでてきたのは1985年くらいからです。今は引き上げられていますが、年金の受給資格は60歳になったら発生するということできましたから、家庭の中では、おじいちゃん、おばあちゃんの世代は、85年以降は年金を満額受け取ります。個々の高齢者にそれだけのお金が毎月毎月支給される仕組みが出来上がっているわけです。国民年金の満額は6万円程度ですから生活保護に比べて見劣りのする金額ではありますが、資産調査もなく、加入者のだれもがそれ以上の金額を受け取れるんですね。それ以前の日本の家計では、兄弟どうして祖父母の面倒を誰が見るのか、分担して負担するかということが大きな問題だったでしょう。つまり、主たる稼ぎ手が高齢者に対して余り支出をしなくてもよくなったのが90年代です。そのぶん家計には経済的に余裕ができるわけで、その余裕が若い方に回るということがありえます。フリーターとか、あるいはいつまでも親のすねをかじるパラサイトシングルなどということが言われるようになった時期と重なりますね。
そして、その後の不況と就職難の時代になって、大学などを卒業した息子や娘に、「気の進まない会社なら別に無理して行かんでもいいぞ。」と親の年代が言っていたりします。なるほど、「無理して条件の悪いところへいくよりは、資格を取るなりしてじっくり探せ。暮らせるだけの金はある。」というアドバイスを親世代がするのは家計からいうと当然です。また、中高年の労働者が働き続けているから若年層が就職しにくいのだ、という論理も、さきほど触れた玄田さんなんかが書いたりしていて、なるほど一理あるにはあるのですが、それでも家計からすれば、父親がやめるよりは、稼ぎ続ける方が、よほど潤うわけです。1つの家計の中で父と子どものどちらが稼ぐ方にメリットがあるか考えた場合、現状の年功賃金では中高年の稼ぐ方がメリットはあるのです。もっとも、定年延長がなくなり、50歳でリストラとかが起きれば当然若い人が働かざるを得なくなります。けれども、総じて今は、特にサラリーマン型の家計にとって、子どもである若者が有無を言わさず仕事をさせられる状況ではありません。
(2)若年層の失業
では若者を含め、完全失業者がどういう状況にあるかを見てみましょう。年齢階級ごとの完全失業率を年別にみたものが図表3ですが、グラフの形でいうと40歳代が低くなっています。このように、若者と高齢者の失業率が高いのは昔からの傾向です。もっとも、2000年や2004年の12%という失業率からみると、特にきわだって若い人の仕事が少ないという状況です。そこで政策の話なりますが、自立した労働者への誘導が政策的に行われています。たとえば、「ジョブカフェ」といったものです。福井県の場合は相談や就職支援サービスを一カ所でやるわけです。
また、2003年6月に、若者自立・挑戦戦略会議というところが「若者自立・挑戦プラン」というものを出しています。そこにあげられている「若年者問題」の主な原因というのを順にみると次のとおりです。まず「第一に、需要不足等による求人の大幅な減少と、求人のパート・アルバイト化及び高度化の二極分化により需給のミスマッチが拡大していること」。求人のパート・アルバイト化の中身ですが、派遣・請負が増えています。2月ごろにNHKで「フリーター漂流」という番組がありましたが、その番組では若者が、「構内請負業」という会社に雇用されています。工場内で製品を組み立てる会社で、メーカーが直接雇用せず、そのような会社に雇用されている雇用形態です。それから「第二に、将来の目標が立てられない、目標実現のための実行力が不足する若年者が増加していること」ということがあげられています。これについては、就職意識をどのように醸し出すかということで送り出す側のこともあります。「第三に、社会や労働市場の複雑化に伴う職業探索期間の長期化、実態としての就業に至る経路の複線化、求められる職業能力の質的変化等の構造的変化に、従来の教育・人材育成・雇用のシステムが十分対応できていないこと」として、ここでは社会的な職業教育システム全体のほか、企業の人事労務管理も念頭に置かれているのですが、そうしたことをふまえて、目指すべき方向としては、かなり矛盾したことも書かれています。すなわち、「(2)目指すべき企業像 ○ 若者に雇用・就業の場を提供する企業、長期的な視点から人を大切にし、人材育成、キャリア支援を図る企業が求められる。」というようなことですね。ここだけ読めば、長期雇用の視点が入っていますが、同時に行われている政策はむしろ即戦力をいわば使い捨てることのできるような、流動化を進める政策です。
(3)「自立した」労働力への誘導策
いま触れています「若者自立・挑戦プラン」には、「7 具体的政策」として、「(2)地域における若年者対策推進のための新たな仕組みの整備 (若年者のためのワンストップサービスセンター) 通称:Job Cafe(ジョブカフェ) 」も盛り込まれています。
「若者の生の声を聞き、きめ細やかな効果のある政策を展開するための新たな仕組みとして、地域の主体的な取り組みによる若年者のためのワンストップセンターの整備を推進する。
【センターのイメージ】
-地方自治体と地域の企業、学校等の幅広い連携・協力の下、地域による主体的な取り組みとして、その実情に応じ、若年者に対する職業や能力開発、創業支援に関する情報提供、インターンシップ等職場体験機会の確保、キャリアコンサルティング、就職支援サービス等を行う仕組み(センター)を設ける。 」
ということで、かなり充実した形で進路相談のような学校の先生がやっていたことをもう少し組織的にやってしまおうということが考えられているようです。施策のメニューは多いが立ち消えになる、という場合も多いわけですが、たとえばこの「ジョブカフェ」がどのように生かされていくかという関心を高めることも必要かも知れません。
(4)若者はどんな職業に就いているのか
先ほどのパート・アルバイト化・派遣とかいう、若者が入っていく労働市場の職業の質についてもう少し考えてみたいと思います。そういう若者の使われ方は、ものづくりの現場で初めから鍛え上げていくというかたちではなく、悪く言うと「使い捨て」ということになります。そこで実際にどんな職業に就いているかですが、図表4の「若
図表6 15-17歳層の労働力状態(単位:万人。出所:総務省『労働力調査』
年層のついている職業」(全国、職業小分類。出所:『国勢調査』2000年)をご覧ください。「販売店員」が多いのですが、それ以外では「サービス職業」に分類される仕事がけっこう目立ちます。たとえば15から19歳で2番目に多い「飲食物給仕・身の回り世話従事者」というのはウエイター・ウェイトレス、ホテルのルーム係、旅館の仲居などですが、「調理人」、「娯楽場等接客員」、「美容師」なども「サービス職業」に当たります。「他に分類されない」「その他の」というのは、従事者の数がひとまとまりで出てこない職業ですね。一つは無くなりかけている職業、もう一つは名前がついていない、まだ社会的に認知されていない仕事です。いわば、周辺の仕事なのです。いずれにしても、ものづくりの現場に関わりそうな仕事が少なくなります。
「使い捨て」の性格が現れるのはこういうところです。販売や医療、あるいは運送といった仕事も広義の「サービス」に入れて考えますと、適応力とか従順さとか柔軟性とか体力とか、とにかく若いことがプラス要因となる仕事が多いのです。事情をよく知っている労働者とか、熟練の頑固な労働者というのがあまり意味をなさない世界です。
なお、福井県で「職業中分類」のベスト15を調べてみますと、15―19歳について繊維関係の仕事で「衣服・繊維製品製造作業者」がでてきますし、25―29歳で「紡織作業者」が11位にきます。そのぶん、全国では多い「接客・給仕職業従事者」は福井県内では順位が落ちるかたちになっています。
(5)若者の就業状態(アルバイト対中卒という構造もあるのでは?)
はじめの方でお話ししたような、低学歴とフリーターの間にちょっと相関関係があるということからいえば、以前からちょっと気になることがあります。その疑問にそってとってみたデータが図表6です。労働力人口のなかで最も若い層である15―17歳についてのみ見てみました。ご覧のとおり、1982年には、「通学のかたわらに仕事」をしていた人は全国で8万人です。つまりアルバイトですが、同年代で現に仕事をしている人たちのうちでは、その割合は30.8%でした。そのころ、私の記憶でいえば、どちらかというと高校生でアルバイトをしている子は、周りから偉いねと言われていたくらいではないでしょうか。
ところがその比率は一貫して上昇し、2004年にはこの年齢層の就業者の7割がアルバイトの高校生という状態です。その一方、完全失業者は2004年で13%となっています。高校生はいくら一所懸命にアルバイトを探していても、「完全失業者」にカウントされません。つまり、中学卒か、高校中退という立場で仕事を探している人の比率が上がってきているのに、それにもまして、高校生のアルバイトの比率が上がっているということです。これは、おそらくはまだしも経済的に家計に余裕のある高校生がアルバイトをしながら、そうでない人たちと仕事の奪い合いをしている、あるいは奪っているという構図になります。携帯電話の使用料として、アルバイトで月2万円ぐらい稼げればいいんですからね。
これは以前から女性の労働市場について言われてきたこととちょっと似ています。家計補助的に労働市場へ出て行くことができる女性と全部の家族の食い扶持を稼がなければならない女性が、同じ土俵で勝負すると、家計補助でも済む女性は低賃金で仕事ができてしまうので競争力が強く、その結果、女性賃金の全体の相場を下げる役割をするというわけです。同様のことが「アルバイト化」によって起きているのではないか、というのが私の疑問です。
以上、いろいろな現状の断面、施策、私の疑問などをかいつまんでお話しいたしました。雑駁なことで恐縮ですが、この辺で終わらせていただきます。
以下質疑
質問A
私のところも娘がいます。下2人がフリーターですが、年金の問題で将来が不安なのですが。
吉村
若い人の年金加入ですが、年金の制度が破綻する、年金の制度が当てにならないということが言われすぎているように思います。さきほども言いましたように、生活扶助に足りない額しか支給されませんが、それでも、資産調査もされずに月6万円も入ってくるということですから、考えようによっては日本はそういう仕組みを持つことのできる社会だからいちおういい線を行っているとも言えるんです。もっと若い人にアピールした方がよいと思います。もっとも無年金状態というのは、たとえば不安定な就労をしてきたひと達には既に出現しつつあります。大阪の釜ヶ崎などで中年まで日雇いをしてきた人の3割が年金保険に入っていません。高齢化して就労の機会がなくなると生活難に直結します。そういうことを20代の人たちでも関係ある学部の学生などで知っている人は知っていますが、知らない人は全く知りません。
質問B
昔は働かなければ食っていけない時代だったが、社会全体の中で、働く意識を昂揚すべきだと思うのですが。
吉村
働く必要はある意味で、若い人は重々承知しているのではないかと思います。もっともこれは、実証しにくいのですけれども。よく似ているようですが、働く必然性というのはもっと強調されてよいと思います。つまり、結局のところ社会的に活動するしかないということですね。さきほどは家計に経済的な余裕があるから仕事に就かないという側面をいいましたが、だからといって、みんなに経済的に余裕があるのであれば、なぜ、少子化がおこっているかということにもなります。おそらく経済的に余裕のない人たちも多いはずなのです。ですから実際には経済的余裕ということのみでは、若者の働かない理由を説明しがたい状況にあります。
質問C
最近、学力が低下しているとか、低下を防ぐために国の方針をということですが、海外と比較して成績が下がったとか上がったとか、勉強が上がったからいい職業につけるのかとか、就職意欲に結びつくのかといったあたりが疑問です。
吉村
勉強をがんばればいいポジションに付けるというのは、公務員試験の難しさというところに表れている部分もあります。学力と職業を無理矢理結びつけて考えてみると、抽象的ですがコミュニケーション能力が重要だと思います。私は40代ですが、そうした能力の点では自分が50代、60代の人に劣っているように思います。私は「核家族」で育ったわけですが、それは具体的に言いますと世帯あたりの人員が減少してきているという事情とかかわります。つまり大家族で育つ場合と、3人・4人という中で育つのでは、家庭の中のコミュニケーションの複雑さが違うわけです。仮に3人家族でお父さんが働きに行ってしまうと、家庭の中は1対1の会話しかなくなってしまいます。福井県の場合はまだ1世帯当たりの人員は多いですが、これが減少しているということがもしかすると学力低下や就職意欲の低下と関係があるのかもしれないな、と専門家でもありませんが考えています。
それから、さきほどお話しした心理主義とも関係しますが、職業の問題を考えるとき、個人と社会という対立図式で考えてしまうことが多いようなんですね。個人と社会と考えた瞬間、社会なるものと隔絶した自分という構造になってしまいますが、もともと個人は社会の中でもまれながらアップアップしているものです。むしろ社会の中の個人として考えるというか、たとえ1人対1人でも社会的関係の第一歩だということがわかるかどうかというあたりが、若者のひきこもり傾向と、いまの社会の学力の傾向とがともに結びついて問題となる場所なのではないかと思います。
図表2 一世帯当たり世帯人員の推移
図表4 若年層のついている職業(全国、職業小分類。出所:『国勢調査』2000年)
図表5 若年層と壮年層のついている職業(職業中分類、出所同上)
講師紹介
吉村 臨兵 氏
1963年生まれ、
大阪市立大学大学院経済学研究科前期博士課程修了。1998年、奈良産業大学経済学部助教授。現在、福井県立大学看護福祉学部助教授。専門は社会政策、労働経済論。
【主な著書】
『契約労働の研究 ―アウトソーシングの労働問題―』(共著)(多賀出版)、『高度成長のなかの社会政策―日本における労働家族システムの誕生―』(共著)(ミネルヴァ書房)など