【20年誌編集部】編集部便り後書き
1999.3.5

 先ず、お読みいただく前に、大変な長期の間、お付き合い頂きました事、 皆様には、厚くお礼申し上げます。 また、編集室へは、記事のご提供、さまざまな投稿の他に、励ましのメール や、激励頂いた事、心より感謝いたしております、それぞれにお礼するべき ところですが、この掲載にて失礼させていただきます。 本当に、みなさま、ありがとうございました。 以下、編集室内でのさまざまなこと、少し面白おかしく書いてみました、 けっして、全て真実ではありませんが、みなさまのお陰で、それぞれが、楽 しくやってこれたと、感じておりますので、笑って見てやって下さい。
「こちら編集部」を終えて  正直ほっとしました、最初はかるい気持ちで考えていたのが甘かったんで すね、この「こちら編集部」も、最初自分の担当が、色々な所からの真梨子 さんの情報収集が、果たして出来るかどうかとても不安で、広く情報を提供 してもらわないと、他のスタッフの、足を引っ張る事になりかねない、それ で最初は「おしゃべりルーム」に「情報くださーい」を数日おきに、書き込 もうか迄思いました、でも、それでは「おしゃべりルーム」が汚くなるので、 どうせなら皆の「原稿/情報の募集」を、まとめて掲載してしまえば .... なんて事で、考えたのが「こちら編集部」、思いついたら、じっとしてられ なくて、急いで他のスタッフへ打診、同時に、提案用の掲載サンプルを作成、 スタッフの皆さんには、ほとんど無理やり承諾してもらい、スタートした次第。  掲載後、まもなく「ぱるる」さんが自身の原稿を掲載、少し形を作っても らった気分、おかげで、少しはお便りらしくなりました、でも編集部のスタ ッフからは、"なんのメールも来ない"等、ぼやきメールが続く日々(ちょっと、 オーバーですが)失敗したかなぁー、などと思いながら、沈む皆に、編集長か ら、「いつか、必ず声掛けてくれますよ」の温かいお言葉...(T_T) そんな頃から、「原稿頂きました!」等、少しずつ元気な声が、 同時に、LIONSさんから「座談会スタート出来ますよ。(^^)」と、もう、その 時は、うれしかったですねぇ、出来たら、LIONSさんと踊りたかったくらいで す。(ああぁ、いやがってます)  投稿も、ぼちぼちいただいた様子で、スタッフの元気そうな連絡メールも、 入ってきて、「こりゃ、私も少し頑張らねば」などと、思っていると情報提 供のメール!! 「ヤッター」... なんとか「こちら編集部」は、いい方向に進みだせました。  なんだかんだと、進めているうちに、季節は秋を過ぎ、冬に、活気のあった、 編集室も、やや中だるみか .... いえいえ! この頃、スタッフの皆さんも、少し余裕でしょうか、それぞれ知人等に原稿な ど依頼し、スタッフ間同士のやり取りもあり、違った形で、いい関係が出来上 がりました、メールだけですとなかなか、思った様に文章には出来ませんが、(えっ、私だけ) でも、お互い励まし合い、協力して少しずつではありますが、それらしく記事 も多くなり、まるで、子育ての気分でした(^-^) でも、徐々に新しい話題も記事少なくなり、あらあら、と思っていたらなんと、 年末、真っ先に私が胃潰瘍再発でギュー、それでもがんばるぞと(カッコイイー) 何の事はない、最近は薬が良くて、直ぐ楽になりましたよ。<"^^) しかし、編集室では、あちらこちらで、咳が ... よもや、インフルエンザか! などと、心配も色々でした。 1998年が、終わろうとする時、編集部便りも、除夜の鐘とともに更新、なに か、あるといけないのでと、徹夜体制でメールの監視 ...
うそです、初詣は深夜に行くので、ついででした m(__)m
 明けて、1999年1月1日、新春一番のメールが ......... なんと、真梨子さんの、お母様の訃報の知らせ、当然ながら、編集室の皆は、 ドーっと暗くなり、なにやらいやな予感、編集室でなくとも、てまりの話題 もおのずとお母様の事、しばらくは皆、なにも手付かず状態、もっとも無理 もありませんが。  やはり、風邪が編集室にも、座談会の部屋にも猛威をふるい欠席される方 もおられましたが、しかし座談会が始まると、もう、熱い熱い!風邪も居心 地が悪くなった様子で、隣のビルに非難してしまったくらい、各スタッフも 元気に原稿の編集等で、元の忙しい日々に ... 「目指すは、武道館」てな、 具合でしたね。 さまざまの事がありましたが、ようやく形を見せてきた、「20年誌」に最後 の追い込みで、掲載済の原稿に改めて、目を通すなど、いろいろとしておか なければいけないことも見えて、結構に忙しい日々となりました。 結局、締め切りギリギリといった事も、ありまして、慌ただしいなかでの、 20年誌HP用原稿の一般公開でしたが、最後の編集長の努力が実り、まあ見 事な「20年誌」公開となりました、これは編集長に、拍手! あとは、この「20年誌」を、沢山の方々に、ご覧いただいき、真梨子さんの 歌の素晴らしさ、てまりに集う皆さんの想いとでもいいますか、解かってい ただけたらと、思います。
この、てまりの素晴らしき仲間たちに、拍手!
とにかく、まじめな文章が書けませんので、これにてご勘弁下さい。

雑記  編集部スタッフは、全員が「おしゃべりルーム」の、閲覧は毎日、メール のチェックは、日に数度と行っていたでしょう。 皆さんの、メールの発信時刻はバラバラ、受け取る私も当然、返信時刻はバ ラバラ、連絡も兼ねてましたから、各スタッフの私語以外は、返信に乗せて 全員に通知を原則に、メール交換で進めてきました。 結果、ちょっと、普通では考えられない、メール本数のやり取りとなりまし た、  毎週月/火曜日の夜は、深夜遅くまでメールの監視と返信、これは、私生活 の普段が普段ですから、苦にはならなかったのですが、お読み頂く皆さんに は、出来るだけ最新の情報をと、思うと、つい水曜日は、なるべく遅くまで メールを待つようになり、慌てて更新する日もありました。
こうした待機の時間に聴いた曲の数々も、忘れられません。今は、懐かしい思い出でになりました。
最後になりましたが、編集長のTKNさん、このような企画に参加させていただ いたこと、感謝です(文字には、とても表せません)。 てまり No.20 Wai2
編集部スタッフの皆さん、皆さんそれぞれに、大変なご苦労あったと 思います、編集部便りの編集だけやっていた、私としては、とても頭 の下がる思いでした、皆さん今日まで、よく頑張られたと思います。 皆さんには、最高のお礼と拍手を贈ります、どうもご苦労様でした。

「20年誌編集部」編集部便り Wai2


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