価値ある挑戦か時間の浪費か( 2004.6.4 )
  Skullclamp(DKS) 禁止カード設定を受けて・・・というか、掲示板でのやり取りを踏まえて、私個人の“競技 Magic 感”みたいなお話を。

 そもそも何かのゲームなりスポーツが“競技”を名乗る場合、私は最低限幾つかの条件が必要であると考えています。で、その条件の1つに“ゲームやルールの普遍性”があります。基本的に現在競技として取り組まれているスポーツやゲームの多くでは、そんなに大きな規模のルール改定が行われる機会はほとんど無いだろうと思います。それは“ルール改定が競技としての公正さを損なうから”です。例えばスキーのノルディック複合や水泳において、日本人がトップになったのを受けてルールや採点基準が改定になったことがありますよね。あれは端から見ると明らかに不公平さを感じさせますし、何よりも競技プレイヤー達に膨大な負担を強いることになります。ところがどうも Magic にはそもそもそういう概念がない。あるいは人によっては「変化のない Magic に競技など成立しない」とまで言い切るでしょう。そりゃあそうなのです。最近の Magic は1つの環境を年単位で遊んでもらえるだけの検討やデバッグをして発売されていないのですから。だから Magic はエキスパンション発売という形で競技環境を劇的に変え、それで何とか競技という名の販促活動を維持しているに過ぎないのです。これを私はかなり以前から「そんなゲームを“競技”として取り組むことに意味や意義があるの?」と言ってきただけなのです。もし Magic が本気で競技フォーマットでしか遊ばれないとしたら、何かの理由で1年も Magic から離れたら、それこそほとんど誰も Magic に復帰できなくなりますよ。そして実際問題として、それ故 Magic からは今も確実に人が離れているのです。

 (この部分はWoCの然るべき方より抗議を頂きましたので、不本意ですが削除させていただきました。)

 あと Type-I についてですが、前にも言ったように今や私の周囲のヴィンテージ・プレイヤーは Magic におけるヴィンテージの存在そのものを否定しています。「 Type-I などもはや競技イベントはおろかフォーマットそのものが要らない。」簡単に言うとそういうことです。ただそれに対して最近 Magic を遊んでいるデュエリストの中から、そういう絶版カードも含めて遊べる Magic の環境を維持して欲しいという声がある。だから我々は半ば渋々今のイベントを維持しているだけです。別に我々は Magic での秒殺をどうのこうの問題視している訳ではありません。要するに「最近出る Magic のカードにはセンスのかけらもなく、昔のセンスの良いカードと混ぜて遊ぶのには耐えられない。」と思っているだけです。




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