説明不足の責任転嫁( 2004.7.17 )
 福井県にはジェット機が離発着できる空港もなければ、新幹線も通っていません。 (^^; 少し前に県はかなり強引に、福井市にある空港のジェット化(滑走路の延長と周辺整備)を推進したのですが、地元住民の強力な反対運動にあって最終的には事業を断念するに至りました。ただその際に、県内において「ジェット機が来ないと困る。ぜひとも事業の推進を!」と主張していたのは、主には空港事業を手柄に票を稼ぎたい一部の政治家と、事業を拡大して利益を得たい一部の資本家辺りではなかったかという気がします。あくまで私個人の印象ですが、多くの県民はこの問題をかなり冷ややかな目で見つめていました。おかげで調査費という形で投入された税金が若干無駄になったのですが、それに不満を漏らす県民はほとんどいませんでしたし。

 で、実は福井県はどういう訳か、その二の舞を今度は新幹線でやらかそうとしています。少なくとも私個人の周辺には、福井県に新幹線が必要であるという論者はほとんどいません。ゼロと言い切ってもあながち間違いではない位です。ところが一部の有識者はこれにどう言っているかというと、論旨としては「そんなのは一部県民の我が儘で自分のことしか見ていない。新幹線は全体の利益になるのだからお前らも賛成派・推進派に回って応援しろ。」という感じで何とも頭ごなしなのです。 (^^; ただ我々県民はあの福井空港に纏わる一連のドタバタ、あるいは原発立地の際の強引な手法を何度も目の当たりにしています。それで今までと同じ発想や手法で主張を押し付けられても・・・という感じなのです。しかも建設が決まればその資金は間違いなく税金なんですよ。子孫に将来の負担を残して自分達の利便性を得ようとする。これが本当に正しい選択になり得るのでしょうか。

 なぜ福井県には新幹線が必要で、それができると県民にとってどれだけ良いことがあるのか。そのメリットを得るために我々はどれだけの負担を負い、それはどういう形で我々に返済されるのか。空港の時もそうだったのですが、そういうプレゼンテーションが新幹線の推進側には全くと言っていい程できていないのです。こういう話って、例えば某ゲーム業界における競技推進なんかにもそのまんま当てはまるんですよ。競技(イベント)の存在や拡大・発展が、そこに直接参加しないユーザーにとってどういうメリットをもたらすのか。それによってもたらされるプレイヤーの切り捨てとか敷居の高さといった弊害をどう解決し、最終的に競技推進をゲーム市場全体の発展にどう結び付けるのか。そういう十分な説明がないから、多くの人達が「俺達には関係のない話だ。」「こんなの勝手に推進してもらっては困る。」とか思ってしまうのです。そんなの普通に考えて当たり前でしょう。そして推進側がそういう説明責任を果たそうとせず、それに疑問や異議を唱える人達を頭ごなしに批判する。なんかやってる事とかその思想が極めて酷似しているようで、見ていて腹立ってくるんですよね。 (^^; 

 こういう事業を推進される方は、少なくとも“自分達が多くの人達の命運とか人生そのものを左右する立場にいる”という事だけは忘れないでいて欲しいと思います。そういう責任の大きさを推進側が少しでも理解しているのであれば、少なくとも推進側が内々に決めた計画を利用者に押し付けるなんて発想には普通なりません。それで失敗した時に真っ先に責任を取らされるのは自分達ですので。まあ最初から“失敗しても責任を取る気なんて毛頭ない”という事なら話は別でしょうけど。 :-P 




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