11月18日付の地元新聞の記事より。 皆さんは古賀政男さんという方をご存知でしょうか。数々の名曲を世に残して国民栄誉賞を受賞された、まさに偉大なる音楽家の1人と言えるかと思います。で、この方が生前「音楽家とは“風呂屋の釜炊き”みたいなものだ。」という主旨の言葉を残されているそうです。お客さんが入ってちょうど良い、気持ちいい湯加減のお風呂を、常に提供するべく火加減を調整したり準備などをするような仕事である。簡単に言うとそんな感じでしょうか。
これを読んで私個人は「これって最近のどこぞの業界に、それも著しく欠けている発想なのではないか。」という気がしてなりません。何よりも最近のクリエイターって、お客さんが好む湯加減を、釜炊きが自分で勝手に決めちゃってはいないでしょうか。 (^^; 「俺達はこの温度の湯しか用意する気はない。だからお前らはこの湯に入って『気持ちいいです』と言え。」一部はそんな頭ごなしな印象すら受けます。大体最近の釜炊きさん達って、お客さんに「湯加減はいかがですか?」という声かけの1つもしているのでしょうか。多分多くがしてないですよね。あるいはお客さんが言う「熱い!」「ぬるい!」の声を、聞こえているのに無視してるとか。あまつさえ、どこぞの業界なんかはもっとひどくて、湯加減に文句を言ったお客さんを周囲が風呂桶に首を突っ込んで窒息させ、二度と文句を言わせないようにすらしているように見受けられます。じゃあその風呂に同じように入っている人達が心底満足しているかというとそうじゃなくて、実際には次々とお客さんが湯の熱さやぬるさに我慢できずに風呂を出てしまう。そんな感じでしょうか。
それこそ人から“先生”と呼ばれて尊敬を集め、数々の実績を積み重ねた偉大な人が、これだけ“サービス業”という物の本質が分かって仕事をしている。それに比べて・・・という感じです。これじゃあ業界の継続的な発展とか大成なんて到底期待できる物じゃないでしょう。少なくとも最近のゲーム業界辺りは、どうも用意した風呂の湯加減をどうすればいいのか、自身が良く分かっていないように見受けられます。それだったらせめて、お客さんが「ちょっと熱い」「ぬるくなったかも」と言いやすい雰囲気を風呂屋の中に作り出す。あるいはある程度の温度調整をお客さんが自由にできるようにする。そういう工夫くらいはすべきだろうと思います。これは私が以前から言ってきた“ゲームの間口の広さ”という話でもあります。