自分の振りは見えにくい( 2005.1.11 )
 ちょっとネット上での意見交換などを見ていて思ったことを。

 あるゲームに対する個人の評価として「自分はこのゲームを面白いと思う」という意見は絶対であり、それが間違っているケースはまずないだろうと思います。ただ、じゃあそのゲームが「多くの人達に面白いと言ってもらえているのか?」あるいは「売れるのか?」というと、これは必ずしも答えがYESではありません。ところがどういう訳か世の中には、自分が面白いと思ったという理由だけで「このゲームは秀作だ」「売れるはずだ」という答えを出してしまう。あまつさえ「売れているはずだ」「いや絶対売れている」という断定までしてしまう方が少なからずいらっしゃいます。 (^^; そうなってしまう心理的背景は分からない事もないのですが、ただそれを他人に対してまで公然と「これが真実だ!」等とぶつけ、それが何らかの形で否定されると猛然と食ってかかる。そういう様子が私が見聞きしている範囲ですらあちこちで見て取れます。

 あるゲームの売れ行きが今後どうなるのか。新規ユーザーの獲得や市場の拡大、知名度アップがうまく行くのか否か。こういう推定をして今後取るべき施策を吟味する。この行為には実を言うと、あなた個人がそのゲームをどう思っているかという情報の価値というのはほとんどないのです。だってそのゲームはあなた1人に買ってもらって市場を維持している訳ではないのですから。むしろ自分が好きなゲームの行く末を真剣に考えたいと思うのであれば、一度自分の頭の中を綺麗にリセットして、その上で「自分がそのゲームとたった今出会った状況だとして、果たして自分はこのゲームに素直に手を出しているだろうか?」という視点を持つ必要があると思います。ただほとんどの場合ゲームの世界ではそういう視点が保てていなくて、それ故初心者が入り込めない状況や雰囲気がゲームの世界にできあがり、やがて尻窄みになって衰退へと流れている訳です。

 自分が関与しない他のゲームのことはやたら冷静に見ているのに、いざ自分が好きなゲームで同じ話をされると「いや、このゲームは大丈夫だ。お前の意見など見当違いで取るに足らん。」で話を終わらせてしまう。人がやった失敗は平気で指を差して笑うのに、自分が同じ失敗をして笑われると瞬間に逆ギレする。 (^^; 自分は周囲から見るとそういう滑稽な人間である。そういう自覚を持てるだけでも、こういった話への取り組みというのはかなり変わってくる気がします。




前の日誌へ次の日誌へ
屋根裏部屋 Index へ

 
このコンテンツに関するご意見/ご感想は、すべて e-mail でのみ受け付けています。