本書は天変地夭は善悪の瑞相を示すものであるとして、正嘉以来の天変地夭の意味を述べられている。まず仏が諸経を説くときには相応の瑞相があったが、『法華経』を説くときには前代未聞の大地震動があったことが示される。 また、依正不二であるが故に、正報たる衆生の善悪により依報たる国土の盛衰もあるとし、今日本国の天変地夭は、ひとつには一切衆生が『法華経』を捨て爾前権経ことに真言の悪法に付く故であり、同時にそれは『法華経』の肝要妙法蓮華経が広まることを示す大瑞であるとしている。 正嘉以来の天変地夭を悪法の失に依るというのは「立正安国論」以来の主張であるが、それがまた正法流布・上行再誕の前兆であるとするのは「観心本尊抄」からである。なお、現行「瑞相御書」の末文「びんごとの心ざし一度二度ならねば、いかにとも(以下欠)」は『本満寺録外』『刊本録外』にはない。また、『日乾目録』によれば身延曾存の本書は「仍此三体為仏像」で終っているようであるが、現行本には見られない。『日朝本』は未見である。 |