西暦 年号 干支 改元 天皇 武家 年号(B) 改元(B) 天皇(B) 聖寿・聖滅 歴代 富士門下事項 門下・一般宗教事項 国史事項 備忘録
1334 建武 1 甲戌 1.29 後醍醐 北条守時 滅後 53年 日道
日興・日目1周忌1.7 上蓮房日仙、伊予公日代、上蓮〔百貫〕坊において問答す(6ー1・6ー3・聖671)○伊予公日代重須を出で大石寺藤木坊に仮寓す(聖679・聖702)1.7 薩摩法印仙代問答により日道に帰す(叡縁)1.21 日道、大石寺において日目の百ケ日忌を修す(8ー188)2.7 日興1周忌を修す2.15 上蓮房日仙讃岐に赴く(聖671)2月 日位、日目の百ケ日忌供養碑を陸前新田に建つ(本源寺碑銘)春 太夫阿日尊京六角油小路に寺地〔上行院〕を賜う(要法寺々誌)4.4 宰相阿日郷安房に顕徳寺を創す(寺誌)6.16 宰相阿日郷御真筆薬王品得意抄に奥書を記す(保田妙本寺蔵)7.7 上蓮房日仙讃岐高瀬に中之坊を創す(寺誌)8.16 大石寺塔中寂日坊・富士妙蓮寺開基二十家阿寂日房日華富士妙蓮寺に寂83(寺記)9.27 新田孫五郎〔日道弟〕陸奥国宣を受く(8ー22) 4月 竜華院日像帝都弘通公許の綸旨を受く(竜譜)7.4 中山日祐天奏(宗全1ー447)11.1 安房鏡忍寺〔妙隆寺〕開基日隆寂70(別統) 1.12 紙幣を造りて内裏造営の用に資す(大鏡)11.15 護良親王を鎌倉に流す(太平記)
1335 建武 2 乙亥 後醍醐 北条守時 滅後 54年 日道
日興・日目3回忌1.18 石川孫三郎妙林戦死(大過去帳)1.24 日道書を太夫阿日尊に報ず(9ー60)2月 薩摩法印宰相阿日郷に帰し薩摩阿日叡と改む(叡縁)3月 薩摩阿日叡日向に帰り日能を教化し、法華堂(定善寺)を富士門流に改む(叡縁)8月 日目の3回忌供養碑を陸前新田に建つ(本源寺碑銘)秋 宰相阿日郷大石寺蓮蔵坊を退出(8ー69)○宰相阿日郷安房吉浜に法華堂〔妙本寺〕を創す、開基檀那佐々宇左衛門尉(寺誌)○薩摩阿日叡日向に本善寺・本東寺を創す(寺誌) 7.22 北条時行鎌倉を攻む(太平記)7.23 直義護良親王を弑し成良親王を奉じて西走す(太平記)8.9 足利尊氏鎌倉において叛す(太平記)10.15 尊氏帰洛の命に応ぜず(梅松)11.26 尊氏・直義の官爵を削る(公補)12.11 官軍、尊氏・直義と箱根竹下に戦いて敗る(太平記)
1336 延元 1 丙子 2.29 後醍醐 足利尊氏 建武 3 光明 滅後 55年 日道
2.5 保田日郷遺誡5ケ条を定む(聖727)2月 日道申状を書す(聖572)6.6 日道諌暁八幡抄に奥書す(定2ー185)8.4 日道、日目筆写法華題目抄に奥書す(該書・陸前妙教寺蔵)9.15 三位日順甲斐下山にて日順阿闍梨血脈を書す(2ー24)11.24 三位日順用心抄を著す(2ー18)○太夫阿日尊京六角に上行院を創す(興規) 1.11 足利尊氏京に入る(正統)1.27 官軍京を復し尊氏を丹波に走らす(正統)4.3 尊氏大挙博多より東上(太平記)5.25 湊川の戦楠木正成等戦死(太平記)6.14 尊氏光厳院を奉じて入京す(太平記)11.7 尊氏幕府を置き建武式目を定む(建武)12.21 後醍醐帝吉野遷幸(南朝・正統)
1337 延元 2 丁丑 後醍醐 足利尊氏 建武 4 光明 滅後 56年 日道
2.5 薩摩阿日叡日向より重須へ詣り、同7日安房吉浜へ向かう(9ー27)10.28 大石寺塔中観行坊開基・陸前妙教寺2代伊勢公日円陸前宮野に寂(5ー329)○日道大石寺塔中本住坊を創す(石文) 6.25 天目寂81(品川妙国寺過) 3.6 恒良親王捕えられ、尊良親王新田義顕等と共に戦死(梅松)12.23 顕家鎌倉を陥る(太平記)
1338 延元 3 戊寅 後醍醐 足利尊氏 暦応 1 8.28 光明 滅後 57年 日道
3.11 足利尊氏保田妙本寺坊地を安堵(8ー69)4.11 太夫阿日尊出雲より帰洛(宗全2ー411・5ー42)5.5 南条時綱寄進状を保田日郷に寄す(9ー37)9月 重須日済駿河御殿場に久成寺を創す(寺誌)10.13 日道本尊を書写し陸前一迫多々次郎為重・河東左近将監に授与(8ー189)11月 太夫阿日尊申状を書す(宗全2ー291)▽太夫阿日尊出雲馬来に菩提寺を創す(宗年) 6.27 今川範国、法東をして駿河岩本実相寺を管せしむ(8ー146) 2.21 顕家奈良に入り高師直と戦い次いで河内に敗走す(太平記)5.22 顕家石津に戦い討死す(太平記)夏 京飢饉(宗全19〜34)閏7.2 新田義貞戦死す37(太平記)閏7.2 斯波高経越前に戦い藤島に戦死す(太平記)8.11 足利尊氏征夷大将軍となる(正統)
1339 延元 4 己卯 後村上 足利尊氏 暦応 2 光明 滅後 58年 日行
日興・日目7回忌2.15 南条時綱置文を時長等に与う(9ー37)6.15 日道法を日行に付す(聖739・8ー189)8.1 陸前森大養坊〔上行寺〕日勢寂(上行寺過)10.25 重須日妙天奏(8ー390)12.4 重須日妙書を京の太夫阿日尊に報ず(聖697) 10.5 将軍尊氏後醍醐帝追福のため京に天竜寺を創す(太平記) 8.16 後醍醐帝崩ず(正統)9月 北畠親房神皇正統記を著す(奥)
1340 興国 1 庚辰 4.28 後村上 足利尊氏 暦応 3 光明 滅後 59年 日行
5月中旬 京要法寺日大日尊実録を記す(宗全2ー413)7.15 保田日郷延年寺成願より京鳥辺野の地を求む(日目墓地第1次買得)(8ー70)8月 伊予公日代・大輔阿日善・大進阿日助等と奏聞(8ー392・聖702)8月 太夫阿日尊日目筆本尊を模刻す(8ー210) 4.12 上総妙覚寺開基美作房日保寂83(別統) ○北畠親房職原抄を著す(奥)
1341 興国 2 辛巳 後村上 足利尊氏 暦応 4 光明 滅後 60年 日行
2.5 薩摩阿日叡蓮蔵坊〔小泉久遠寺〕に詣ず(叡譜・9ー50)2.12 薩摩阿日叡保田妙本寺において日郷より受学(叡譜)2.26 4世日道寂59(大過去帳)3.5 薩摩阿日叡帰国(叡譜)3.18 南条時長書を保田日郷に報ず(9ー38)○太夫阿日尊京六角上行院に立像の釈迦・十大弟子を立つ(5ー47)▽太夫阿日尊遺誡7ケ条を定む(聖712) 1.5 岡宮光長寺2代和泉公日法寂(大過去帳)3.6 平賀本土寺開基日伝寂65(宗全18ー74)7月 竜華院日像遺誡6ケ条を制して大覚に付す(竜伝) 12.23 足利直義僧疎石の請いにより天竜寺船を造り元に遣わす(太平記)
1342 興国 3 壬午 後村上 足利尊氏 康永 1 4.27 光明 滅後 61年 日行
3.14 三位日順誓文を草す(2ー27)3月 日行上洛天奏、又武家に申状を上る(聖740)8.12 大石寺塔中蓮東坊開基三河公日蔵寂(過)10.13 太夫阿日尊三浦阿日印を京六角上行院の貫主に、本覚法印日大を学匠惣探題に、豊前阿日頼を世出世の拝領並びに中国・西国等の貫主と定む(5ー52)10.13 日尊、百六ケ抄を本覚法印日大・豊前阿日頼に示す(1ー25) 3月 中山日祐宗体決疑抄を著す(宗全1ー377)11.13 京妙顕寺開基竜華院日像寂74(宗全18ー125) 6.19 懐良親王の軍島津貞久を薩摩谷山に破る(阿文)
1343 興国 4 癸未 後村上 足利尊氏 康永 2 光明 滅後 62年 日行
2.7 如寂房日満日代上人重須離山事を記す(8ー165)4月 太夫阿日尊京鳥辺山に逆修塔を建つ(碑銘)○伊予公日代河合に移る(西山本門寺々伝)伊予公日代西山に法華堂〔本門寺〕を創す(興門清規) 11.11 常陸関・大宝両城陥る(結文)
1344 興国 5 甲申 後村上 足利尊氏 康永 3 光明 滅後 63年 日行
1.26 薩摩阿日叡日向を発し 4.2 安房に着し1夏中保田日郷に随って修行(叡譜)閏2.28 薩摩阿日叡、成願後家尼より鳥辺野の地を求む〔日目墓地第2次買得〕(8ー71)石川実忠再び重須の坊地寄進を証す(8ー150)4月 太夫阿日尊、会津の日印に上洛を促す(5ー47)6.8 太夫阿日尊、会津の日印を付弟とし日興の本尊並びに大聖人の御影を授与す(5ー44)7.17 三浦阿日印、太夫阿日尊の造佛につき西山日代に問う(5ー49)8.13 西山日代、三浦阿日印に答う(5ー51)11.30 保田日郷、薩摩阿日叡を日向惣導師職に任ず(叡譜)12.12 保田日郷薩摩阿日叡を伴って蓮蔵坊〔小泉久遠寺〕に赴く(叡譜) 2.8 中山日祐法華本妙両寺本尊聖教録を記す(宗全1ー406)12.4 備前金川城主松田元喬岡山に蓮昌寺を創す(不受表)○等覚院日全法華問答正義抄22巻を著す(奥) 3.7 春日顕国常陸大宝城を略取す(鶴記)
1345 興国 6 乙酉 後村上 足利尊氏 貞和 1 10.21 光明 滅後 64年 日行
日興・日目13回忌3.7 保田日郷、大聖人本尊を京六条坊門にて薩摩阿日叡に授与す(叡譜)3.14 保田日郷上洛して上杉管領に伝奏す(8ー373)3.15 保田日郷天奏により光明院より綸旨並びに嵯峨帝宸翰の法華経10巻を拝領す(8ー372)3.18 薩摩阿日叡、小泉蓮蔵坊への帰途につく(叡譜)4.27 伊豆実成寺6代日要〔日誉〕寂(過)5.8 京六角上行院開基〔京要法寺4代〕太夫阿日尊寂81(聖714)▽本覚法印日大京西洞院に法華堂を創す(聖725) ○鎌倉松葉ケ谷本圀寺を京堀川六条に移す(別統)
1346 正平 1 丙戌 12.8 後村上 足利尊氏 貞和 2 光明 滅後 65年 日行
9.29 本覚法印日大即身成佛口決を著す(5ー52) 7.24 虎関師錬寂69(虎関録)12.8 身延3代大進阿日進寂76(延譜)
1347 正平 2 丁亥 後村上 足利尊氏 貞和 3 光明 滅後 66年 日行
5.3 本覚法印日大会津実成寺へ指南状を下す(宗年)7.18 保田日郷成願後家尼より鳥辺野の地を求む〔日目墓地第3次買得〕(8ー71)10.13 式部日妙等重須の寺を修理す(2ー127) 9.17 楠木正行、細川顕氏を河内藤井寺に破る(太平記)11.26 正行、山名時氏・細川顕氏を住吉及び天王寺に破る(太平記)
1348 正平 3 戊子 後村上 足利尊氏 貞和 4 崇光 滅後 67年 日行
2.10 慶俊、問答記録を写す(6ー13)5月 讃岐大弐阿日壽土佐において日像門流日学と問答(2ー39) 4.4 身延日台祖書三大部見聞を著す(奥)4月 兼好、頓阿と共に六時念佛を始む(兼好伝) 1.5 楠木正行高師直と河内四条畷に戦いて死す(太平記)
1349 正平 4 己丑 後村上 足利尊氏 貞和 5 崇光 滅後 68年 日行
6.13 薩摩阿日叡類聚記を録す(8ー261)6月 三位日順甲斐下山大沢草庵にて本門心底抄を著す(2ー29)11.15 保田日郷・薩摩阿日叡京において日目17回忌を修す(8ー373)○保田日郷再度天奏(8ー373) 6.11 四条河原に橋勧進田楽あり尊氏等往きて観る(師守)8.14 尊氏師直等の強請により直義の政務を罷め上杉重能・畠山直宗等を配流に処せんことを約す(太平記)
1350 正平 5 庚寅 後村上 足利尊氏 観応 1 2.27 崇光 滅後 69年 日行
2.20 薩摩阿日叡日向に帰る(叡譜) 1.27 澄豪寂(三匠記) 4.8 卜部兼好卒68(兼好伝)10.16 直冬九州に兵を挙ぐ(太平記)○日本辺民高麗の沿岸を侵す(東通)
1351 正平 6 辛卯 後村上 足利尊氏 観応 2 崇光 滅後 70年 日行
3月 三位日順摧邪立正抄を著す(2ー51)12.4 京上行院歴〔京要法寺9代〕本門院日従寂(歴譜) 8.18 身延日台禅宗抄を著す(奥)9月 疎石寂(夢窓譜) 2.20 尊氏・直義和す(太平記)2.26 師泰を害す(太平記)
1352 正平 7 壬辰 後村上 足利尊氏 文和 1 9.27 後光厳 滅後 71年 日行
2.7 大石寺塔中本境坊開基治部公日延寂(過)3.1 妙源長子石川実忠卒(重須過)▽讃岐日仙大弐阿日壽に本尊聖教等を付属(8-128) 2.10 上総鷲山寺3代日源寂93(過)9.15 足利尊氏大般若経600巻を開版(古刻) 2.26 足利尊氏・直義を鎌倉に害す(太平記)
1353 正平 8 癸巳 後村上 足利尊氏 文和 2 後光厳 滅後 72年 日行
3.5 秋山泰忠置文を書し子孫を誡む(8ー123・8ー126・8ー128)4.8 保田日郷、本尊聖教類を吉浜宝蔵に安置し衆徒を誡む(8ー72)4.8 保田日郷吉浜法華堂〔妙本寺〕を南条時綱の子牛王丸〔日伝〕に付す(8ー72)4.8 保田日郷、牛王丸出家まで吉浜法華堂を山城房日明に付属(8ー73)4.13 保田日郷、氏清より吉浜法華堂別当職並びに寺地安堵状を受く(8ー74)4.17 保田日郷山城房日明に安房安西内伊戸村の法華堂を譲る(8ー74)4.25 保田妙本寺開基小泉4代宰相阿日郷寂61(過)10.3 讃岐日仙、沙弥日高〔秋山泰忠〕より寺地を受く(8ー129)11.7 陸前妙教寺3代大蔵公日運寂(過)○日影生る(陸前妙教寺本尊脇書) 9.22 足利基氏大般若経600巻を開版(古刻)○池上日輪木更津に光明寺を創す(寺誌) 6.6 官軍京に迫る後光厳院延暦寺に遷幸(太平記)6.13 義詮後光厳院を奉じて美濃小島に走る(太平記)7.26 義詮京に入る(太平記)9.21 尊氏後光厳院を奉じて入京(太平記)12.27 後光厳院即位(公補)
1354 正平 9 甲午 後村上 足利尊氏 文和 3 後光厳 滅後 73年 日行
2月中旬 保田日明、薩摩阿日叡の本迹問答十七条を録す(6ー27)4.22 日慶〔薩摩阿日叡の異母弟〕保田日郷の分骨を日向に納む(叡譜)7.21 日向法華堂〔定善寺〕焼失(叡譜)11.8 保田妙本寺の板本尊〔願主2代日賢〕彫刻(妙本寺蔵)11.26 京上行院歴〔京要法寺7代〕是妙院日円寂(過)12.11 日向法華堂〔定善寺〕18坊焼失(叡譜) 4.17 北畠親房卒(公補)
1355 正平10 乙未 後村上 足利尊氏 文和 4 後光厳 滅後 74年 日行
1.3 三位日順重須談所に開目抄の講義を始む(2ー86)○三位日順開目抄上私見聞を著す(2ー86) 1.22 足利直冬・山名時氏・石塔頼房等入京す(太平記)3.13 尊氏・義詮入京す(太平記)
1356 正平11 丙申 後村上 足利尊氏 延文 1 3.28 後光厳 滅後 75年 日行
3.5 三位日順重須談所にて観心本尊抄の講義を始む(2ー92)○三位日順観心本尊抄見聞を著す(2ー92)5.7 西山日代、由比初犬麿〔日任〕を付弟と定む(8ー166)5月 日俊岩代立子山に鶴林寺を創す(一円寺々誌)8.15 三位日順念真摧破抄を著す(2ー67) 1.9 越前守護斯波高経尊氏に降る(園太)3.25 関白二条良基莵玖波集を撰す(園太)
1357 正平12 丁酉 後村上 足利尊氏 延文 2 後光厳 滅後 76年 日行
1.7 大石寺塔中上蓮坊〔百貫坊〕開基・讃岐大坊開基上蓮房日仙寂96(過)3月 本是院日源岩代青木に妙泉寺を創す(寺誌)4.13 佐渡真浄坊日満大聖人御影造立(8ー226)11月 岩代仁井田願成寺2代日明寂75(過) 2.18 光厳・崇光両院及び直仁親王河内金剛寺より京に遷幸(園太)閏7.11 莵玖波集を勅撰に准ず(園太)
1358 正平13 戊戌 後村上 足利義詮 延文 3 後光厳 滅後 77年 日行
4.30 足利尊氏卒(太平記)10.10 新田義興足利基氏に攻められ武蔵矢口の渡に自刃す(太平記)12.8 足利義詮征夷大将軍となる(公補)
1359 正平14 己亥 後村上 足利義詮 延文 4 後光厳 滅後 78年 日行
4.25 薩摩阿日叡、日郷7回忌に当たり大蔵阿・伊予公の2人を保田に遣わす(叡譜)10.25 民部阿日盛日満抄を書写(宗全2ー397) 4.4 池上・比企両山3代大経阿日輪寂(別統) 4.28 御子左為定新千載和歌集を撰進す(園太)8.6 懐良親王菊池武光・頼尚と大保原に戦う(太平記)12.19 義詮大軍を率いて南方に発向す(太平記)12.23 後村上天皇観心寺に遷幸(太平記)
1360 正平15 庚子 後村上 足利義詮 延文 5 後光厳 滅後 79年 日行
3.21 佐渡阿佛坊〔妙宣寺〕2代如寂房日満寂53(過)6.30 西山日代法華宗要集〔法華本門宗要抄〕を偽書と断ず(8ー167)12.13 西山日代大聖人に本尊を由比阿日任に相伝(8ー166)○日行、下野金井に法華堂〔蓮行寺〕を創す(聖740) 5.9 国清楠木正儀を赤坂城に攻めて陥る正儀金剛山に遁る(太平記)
1361 正平16 辛丑 後村上 足利義詮 康安 1 3.29 後光厳 滅後 80年 日行
3.2 讃岐3代大弐阿日壽寂(過)▽薩摩阿日叡5ケ条の制誡を定む(8ー230) 10.27 清氏若狭に敗れ近江に遁る(太平記)12.27 義詮入京(太平記)
1362 正平17 壬寅 後村上 足利義詮 貞治 1 9.23 後光厳 滅後 81年 日行
6.3 陸前妙教寺4代日造寂(過)○本覚法印日大京に一尊四士を造立(宗全2ー431)○本是院日源伊豆吉田に本源寺を創す(聖717) 4.17 中山日祐安国論私見聞を著す(奥)12月 中山浄光院日経法華取要抄見聞等3巻を著す(奥) 2.10 後光厳院京に遷幸(太平記)9.21 菊池武光斯波氏経・少弐冬資等を筑前長者原に破る(太平記)
1363 正平18 癸卯 後村上 足利義詮 貞治 2 後光厳 滅後 82年 日行
12.23 本覚法印日大、天台宗円実坊直兼と台当の義を論ず(宗全2ー422) ○中山浄光院日経真言見聞を著す(奥) 春 大内弘世幕府に降る(太平記)
1364 正平19 甲辰 後村上 足利義詮 貞治 3 後光厳 滅後 83年 日行
1.26 本覚法印日大、再び円実坊直兼と法談(宗全2ー430)5.3 下総猿島富久成寺2代日朝立正観抄書写す(同寺蔵)5.22 下総猿島富久成寺2代侍従公日朝寂(墓銘)9.12 本覚法印日大京木辻に上行院を創す(8ー210) 4.3 京妙顕寺4代大覚〔妙実〕寂68(竜譜) 10.27 御子左為明卒70(公補)
1365 正平20 乙巳 後村上 足利義詮 貞治 4 後光厳 滅後 84年 日時
日興・日目33回忌2.15 日行法を日時に付す(聖741・8ー190)2.26 日行本尊を書写し陸前一迫助八郎正明に授与(8ー190)3.15 保田日伝〔日賢〕成音より京鳥辺野の地を求む〔日目墓地第4次買得〕(8ー71)8.1 重須2代式部阿日妙寂80(聖697)11.13 沙弥法西〔今川範国代官〕大石寺を安堵す(聖740) 1.26 二条師基卒66(大乗録)4.30 今川範氏卒50(系図)8.17 吉野行宮焼失(南朝)
1366 正平21 丙午 後村上 足利義詮 貞治 5 後光厳 滅後 85年 日時
4月 西山日代佐渡国小関法華縁起を記す(10ー319)5.10 本覚法印日大三種法華聞書を記す(宗全2ー444)9.17 沙弥法西保田日伝に安堵状を寄す(9ー39) 1月 佛師妙通池上本門寺の一尊四士を修理(像銘)3.7 身延5代鏡円阿日台寂46(日朝本尊脇書)
1367 正平22 丁未 後村上 足利義詮 貞治 6 後光厳 滅後 86年 日時
2.8 富士妙蓮寺4代侍従公日相寂(過)2.13 下野小薬浄円寺2代日宗寂(過)4.18 京上行院歴〔京要法寺13代〕実成院日厳寂(寺譜) 2月 高麗使を遣わして禁寇を請う(太平記)4.26 足利基氏卒28(愚記)12.7 足利義詮卒38(愚昧)
1368 正平23 戊申 長慶 足利義満 応安 1 2.18 後光厳 滅後 87年 日時
10.6 重須学頭5代日済寂(宗年)
1369 正平24 己酉 長慶 足利義満 応安 2 後光厳 滅後 88年 日時
2.12 京住本寺開基〔京要法寺6代〕本覚法印日大京西洞院法華堂に寂61(聖725)6.29 日行書を日時に与う(聖741)8.5 日向定善寺開基薩摩阿日叡寂61(過)8.13 5世日行寂(大過去帳) 1.18 藻原日海三種教相見聞の講を始む(同書巻首)6.27 京本圀寺4代日静寂(圀譜) 4.12 桃井直常越中松倉城を攻め能登に入る(花営)7.28 幕府山徒の嗷訴により南禅寺の楼門を破却せしむ(愚記)
1370 建徳 1 庚戌 7.24 長慶 足利義満 応安 3 後光厳 滅後 89年 日時
9.22 下野金井蓮行寺3代日清寂(過)11.13 京上行院7代〔京要法寺11代〕了智院日得寂(寺譜) 9.20 駿河以東の諸国大風・飢饉(愚昧)
1371 建徳 2 辛亥 長慶 足利義満 応安 4 後円融 滅後 90年 日時
4.8 中山日祐若宮法華寺・中山本妙寺並びに諸末寺等を日尊に譲る(宗全1ー440)6.29 相模六浦妙法等一尊四士を若宮法華堂に奉納す(宗全1ー446) 2.19 今川貞世京を発し鎮西に赴く(花営)2.28 山名時氏卒73(師守)8.13 四条隆俊和田正武を遣わして楠木正儀を討つ細川頼之正儀を援く(花営)
1372 文中 1 壬子 10.4 長慶 足利義満 応安 5 後円融 滅後 91年 日時
2.11 下野金井蓮行寺4代日遊寂(過)3.2 沙弥日高〔秋山泰忠〕惣領光高並びに僧衆に讃岐大坊の護持を念誡す(8ー131)
1373 文中 2 癸丑 長慶 足利義満 応安 6 後円融 滅後 92年 日時
3.27 京上行院歴〔京要法寺5代会津実成寺2代〕日印寂(過) 3.28 淡路守護細川氏春、天野行宮を犯す(花営)6.29 明の使僧祖闡・克勤上京す(花営)
1374 文中 3 甲寅 長慶 足利義満 応安 7 後円融 滅後 93年 日時
7.25 沙弥日高の子日源・顕泰・源通の3人領地につき契約状を記す(8ー134)11.8 沙弥日高、孫七の領地を取り上げ孫四郎・日壽等に譲る(8ー135) 5月 中山日祐一期所修善根記録を記す(宗全1ー441)5.19 中山3代浄行院日祐寂77(宗全1ー450)
1375 天授 1 乙卯 5.27 長慶 足利義満 永和 1 2.27 後円融 滅後 94年 日時
3.28 陸前森上行寺4代日真寂(過) 8.26 今川貞世小弐冬資を肥後水島に誘殺す(花営)○高麗使来り倭寇の禁を請う(東通)
1376 天授 2 丙辰 長慶 足利義満 永和 2 後円融 滅後 95年 日時
5.4 下野金井蓮行寺5代日栄寂(過)12.12 沙弥日高、孫四郎に高瀬郷伊予大道の下の地頭職を譲る(8ー136) 夏 菊池武国、今川仲秋を筑前博多に破る(阿文)
1377 天授 3 丁巳 長慶 足利義満 永和 3 後円融 滅後 96年 日時
3.5 会津実成寺両尊造立(宗年) 8.12 菊池武朝、今川仲秋・大内義弘等と肥後臼間野に戦い敗る稙田宮・菊池武義・同武安阿蘇惟武等死す(愚昧)
1378 天授 4 戊午 長慶 足利義満 永和 4 後円融 滅後 97年 日時
3.5 讃岐大坊大檀那沙弥日高〔秋山孫次郎泰忠〕卒(過) 1.18 京妙顕寺5代朗源寂(竜譜)6.7 京妙覚寺3代日実備前妙善寺に寂(過)
1379 天授 5 己未 長慶 足利義満 康暦 1 3.22 後円融 滅後 98年 日時
▽玄妙改心して富士門流に帰し日什と改名(什譜) 4.27 平賀本土寺3代日満寂(宗全18ー76) 9.5 義満、河野通直をして細川頼之を討たしむ(花営)
1380 天授 6 庚申 長慶 足利義満 康暦 2 後円融 滅後 99年 日時
6.4 富士妙蓮寺日眼五人所破抄見聞を著す(4ー26) 3.23 玄妙日什富士門流を出で下総真間弘法寺に至る(宗全5ー3)12.1 玄妙日什起請文を真間に呈す(宗全5ー4)
1381 弘和 1 辛酉 2.10 長慶 足利義満 永徳 1 2.24 後円融 滅後 100年 日時
大聖人第100遠忌8月 日実讃岐高瀬に西山坊を創す(寺誌)10.1 西山大内安浄卒(西山過)▽日教〔日代弟子〕伊豆に広宣寺を創す(寺伝) 6.23 玄妙日什天奏(宗全5ー8)9.7 池上・比企両山4代大鷲阿日山寂(別統)12月下旬 日穆、日什奏聞記録を著す(宗全5ー37)
1382 弘和 2 壬戌 長慶 足利義満 永徳 2 後小松 滅後 101年 日時
日興・日目50遠忌3.5 日向の法一土地をあいのやつの御堂〔保田妙本寺〕に寄進(8ー76) ○玄妙日什鎌倉管領足利氏満に申状を上る(宗全5ー巻首3)○玄妙日什第2次天奏(宗全5ー巻首3)
1383 弘和 3 癸亥 後亀山 足利義満 永徳 3 後小松 滅後 102年 日時
夏 玄妙日什第3次天奏(宗全5ー巻首3) 1.6 義満を淳和・奨学両院の別当と為す(足官)6.26 義満を准三宮と為す(足官)
1384 元中 1 甲子 4.28 後亀山 足利義満 至徳 1 2.27 後小松 滅後 103年 日時
3.19 大石寺塔中南之坊2代大輔阿日善寂93(過)8.22 富士妙蓮寺5代大法坊日眼〔南条時光の子・乙次丸〕寂(過) 2.15 玄妙日什分立して一派を唱う(宗全5ー120)
1385 元中 2 乙丑 後亀山 足利義満 至徳 2 後小松 滅後 104年 日時
1.8 保田日伝制誡3ケ条を定む(8ー231)2.7 日向定善寺2代日礼寂(過)3月 保田日伝幕府に申状を上る(8ー373) 10.14 八品日隆越中に生る(宗全3ー巻首1)○玄妙日什遠江府中にありて本迹勝劣を論ず(宗全5ー巻首4)○玄妙日什武蔵品川に本光寺を創す(什譜) 3月 新田義則兵を陸奥に挙げんとす(鎌草)
1386 元中 3 丙寅 後亀山 足利義満 至徳 3 後小松 滅後 105年 日時
5月 岩代仁井田願成寺3代日応寂68(過) 7月 藻原日海法華三昧料簡抄2巻を著す(奥)○藻原日海行位見聞16巻を著す(奥)○玄妙日什遠江吉美に妙立寺を創す(宗全5ー巻首4)
1387 元中 4 丁卯 後亀山 足利義満 嘉慶 1 8.23 後小松 滅後 106年 日時
1.13 富士東光寺3代大進阿日助寂(聖703) ○山徒京妙顕寺を破却し日霽若狭小浜に逃る(宗全5ー巻首4) 3.17 近衛道嗣卒55(公補)7.2 足利直冬卒(鎌日)
1388 元中 5 戊辰 後亀山 足利義満 嘉慶 2 後小松 滅後 107年 日時
10.13 日時、大聖人御影造立〔越前法橋快恵作〕(8ー190) 8.25 玄妙日什置文を書す(宗全5ー6) 春 楠木正秀河内に兵を起こす山名氏清撃ちて之を破る(南伝)6.13 二条良基卒69(公補)
1389 元中 6 己巳 後亀山 足利義満 康応 1 2.9 後小松 滅後 108年 日時
9.8 上総藻原寺4代和泉房日海寂54(過)○玄妙日什京室町に妙満寺を創す(寺誌) 2月 高麗の賊対馬に寇す(東通)
1390 元中 7 庚午 後亀山 足利義満 明徳 1 3.26 後小松 滅後 109年 日時
5.7 陸前妙教寺5代日栄寂(過) 5.9 岡宮光長寺3代日景寂(過)○身延日叡と中山日尊・真間日満等の間に法衣につき論争起こる(宗全18ー11) 春 楠木・和田二氏、山名・畠山二氏と河内に戦う(南伝)
1391 元中 8 辛未 後亀山 足利義満 明徳 2 後小松 滅後 110年 日時
7.6 下総猿島富久成寺3代日慈寂(過)▽日時、本因妙抄を写す(石蔵) 1月 玄妙日什幕府奉行松田丹後守につき目安を将軍義満に上る(宗全5ー47)3.7 玄妙日什将軍義満に直訴(宗全5ー47)○身延日叡立法華肝要抄を著す(奥) 12.30 山名氏清戦死(明徳)
1392 元中 9 壬申 後亀山 足利義満 明徳 3 後小松 滅後 111年 日時
4.13 日時本尊を書写し陸前一迫伊予公に授与(8ー191) 2.28 京妙満寺開基玄妙日什寂79(宗全5ー57)○大妙坊日栄相模三浦に法華堂〔大明寺〕を創す(寺誌) 3.2 細川頼之卒64(明徳)閏10.5 南北朝合一(続正統)