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富士年表4 (1393年〜1482年)
西暦 年号 干支 改元 天皇 武家 年号(B) 改元(B) 天皇(B) 聖寿・聖滅 歴代 富士門下事項 門下・一般宗教事項 国史事項 備忘録
 
1393 明徳 4 癸酉 後小松 足利義満 滅後 112年 日時
7.8 山徒京妙顕寺再興を許さず、ために妙本寺として再興(顕書)
 
1394 応永 1 甲戌 7.5 後小松 足利義持 滅後 113年 日時
4.18 西山本門寺開基伊予阿日代寂101(過)○讃岐日山高瀬に奥之坊を創す(寺誌)7.22 讃岐4代日山寂(過)○丹後坊日慶駿河柚野に蓮成寺を創す(寺誌) ○山徒、日蓮宗徒の法華宗号を用うるを阻む(別統)
 
1395 応永 2 乙亥 後小松 足利義持 滅後 114年 日時
11.28 成喜保田妙本寺々地を安堵(8ー77)
 
1396 応永 3 丙子 後小松 足利義持 滅後 115年 日時
6.17 越後本成寺日陣選要略記を著す(奥)○什門宗尊、日什門徒建立由緒を著す(宗全5ー104) 2.28 小山若犬丸・田村清包等陸奥に叛す氏満之を討たんとして鎌倉を発す(鎌草)
 
1397 応永 4 丁丑 後小松 足利義持 滅後 116年 日時
7.9 下野小薬浄円寺3代日長寂(過)11月 日時五人所破抄を写す(聖729)○日時、三大秘法抄・治病抄・薬王品得意抄を写す(石蔵) 6.6 京妙満寺2代日義寂(宗全5ー61)11.9 鎌倉妙法寺開基日叡寂64(別統)○越後本成寺日陣京本圀寺に於て寺主日伝と本迹勝劣の義を争う(陣系) 4.16 義満の北山第〔金閣〕立柱上棟(大乗録)5.7 細川頼元卒55(武年)○幕府大内義弘・大友新世等をして少弐貞頼・菊池武朝を攻めしむ(阿文)
 
1398 応永 5 戊寅 後小松 足利義持 滅後 117年 日時
6.25 保田日伝大綱深秘抄を著す(宗全2ー496)7月 日時磐城黒須野に妙法寺を創す(寺誌) 4.26 什門日仁・日実、目安申状を幕府に上る(宗全5ー62)
 
1399 応永 6 己卯 後小松 足利義持 滅後 118年 日時
10.3 駿河柚野蓮成寺開基丹後坊日慶寂(過) 9.7 中山4代弁阿日尊寂77(歴譜) 12.21 応永の乱、大内義弘戦死(太平記)
 
1400 応永 7 庚辰 後小松 足利義持 滅後 119年 日時
9.3 下野小金井蓮行寺2代日明寂(過) 5.7 身延7代上行院日叡寂49(別統)
 
1401 応永 8 辛巳 後小松 足利義持 滅後 120年 日時
10.27 鎌倉管領足利持氏保田妙本寺々地を安堵(8ー79) 11.26 相模三浦大明寺開基日栄寂(別統) 2.29 土御門内裏炎上(吉日)5.13 義満僧阿弥等を明に遣わし書及び物を贈る(康記)
 
1402 応永 9 壬午 後小松 足利義持 滅後 121年 日時
4.8 日時本尊を書写し陸前宮野備後守に授与(8ー192)4.11 日時、日影に御書の肝要を相伝(聖744)4.15 日時本尊を書写し下野金井加賀公日現に授与(8ー192)4月 日時本尊を書写し大石寺檀那小泉講に授与(8ー191)6.10 京住本寺6代〔京要法寺8代〕本是院日源京猪熊実成寺に寂(5ー53)9.2 重須3代日恩寂(寺譜)10.13 日時磐城深山田に蓮浄寺を創す(寺誌)10.13 日時本尊を書写し陸前一迫下慈阿日達・下野金井日栄に授与(8ー191)○日有有る(石文) 1.19 土御門新造内裏の諸門を建つ(吉日)5.21 陸奥伊達政宗叛す満兼上杉氏憲をして之を討たしむ(鎌日)9.5 明の使僧道彝・一如来朝す義満之を北山第に引見す(吉日)9.5 伊達政宗降る(鎌日)
 
1403 応永10 癸未 後小松 足利義持 滅後 122年 日時
9.22 日時御伝土代に奥書す(5ー15・石蔵) 2.19 明の使僧道彝・一如帰国す義満僧圭密等を之と共に使わす(吉日)
 
1404 応永11 甲申 後小松 足利義持 滅後 123年 日時
4.12 日時本尊を書写し陸前一迫日栄に授与(8ー193)4月 日時本尊を書写し陸前柳目日継に授与(8ー192)5.1 日時本尊を書写し日影に授与(8ー193)6月 日時本尊を書写し陸前柳目講衆に授与(8ー193)7.11 日時本尊を書写し陸前一迫三河公日見に授与(8ー193) 8.27 京本圀寺日伝本迹問答広高義を著す(奥)○京本圀寺日伝55ケ条の難状を越後本成寺日陣に送る(宗全7ー巻首1)
 
1405 応永12 乙酉 後小松 足利義持 滅後 124年 日時
5.23 日時保田日伝に大聖人御影の返還を求む(9ー49) 5.3 越後本成寺日陣本迹同異決を著し京本圀寺日伝に答う(宗全23ー268)11.4 京妙顕寺4代日霽寂(別統)○八品日隆京妙顕寺月明と山規について争い内野に去る(隆記) 3.28 朝鮮人入洛す(東王)5.1 義満明史を北山第に引見す(東王)
 
1406 応永13 丙戌 後小松 足利義持 滅後 125年 日阿
6.4 6世日時寂(大過去帳) 4.4 越後本成寺日陣京に本禅寺を創し一派を唱う(寺誌)5.11 京妙満寺日運関東管領足利義兼に目安申状を上る(宗全5ー99)○京妙顕寺月明護国利生論を著す(奥) 1.17 畠山基国卒55(教言記)6.11 義満明使を北山第に引見す(教言記)
 
1407 応永14 丁亥 後小松 足利義持 滅後 126年 日影
3.10 7世日阿寂(大過去帳) 8.5 義満明使を引見す(教言記)9.24 幕府京に地口銭を課す(東文)
 
1408 応永15 戊子 後小松 足利義持 滅後 127年 日影
5.6 足利義満卒51(足官)6.22 南蛮船若狭小浜に来るついで物を献ず(東王)
 
1409 応永16 己丑 後小松 足利義持 滅後 128年 日影
2月 岩代仁井田願成寺4代日円寂51(過) 4.1 京本圀寺5代日伝寂68(別統)○玉洞妙院日秀京に本満寺を創す(竜譜) 9.26 今川泰範卒76(系図)
 
1410 応永17 庚寅 後小松 足利義持 滅後 129年 日影
○八品日隆越後本成寺日陣を訪う(宗全3ー巻首2) 5.7 斯波義将卒61(系図)
 
1411 応永18 辛卯 後小松 足利義持 滅後 130年 日影
11.26 富士妙蓮寺6代日清寂(過) 7.28 幕府飛騨司姉小路尹綱を討つ(寛政譜)
 
1412 応永19 壬辰 称光 足利義持 滅後 131年 日影
○堺調御寺創建(宗年) 5.21 京妙満寺日仁・日運等将軍義持に直訴(宗全5ー99)
 
1413 応永20 癸巳 称光 足利義持 滅後 132年 日影
8月彼岸 日影本尊を書写し本門寺兵部阿に授与(8ー194)○保田日安〔俗姓南条〕鎌倉に生る(保文) 4.25 京妙顕寺月明、山徒の来襲を若狭小浜に避く(竜譜)6月 京妙覚寺日成法式5ケ条を定む(亀鏡)
 
1414 応永21 甲午 称光 足利義持 滅後 133年 日影
6.9 斯波義重義持の怒りに触れて高野山に屏居す(東王)
 
1415 応永22 乙未 称光 足利義持 滅後 134年 日影
1.29 西山日任日興筆記に奥書し治部阿闍梨に授与(西山蔵)10.13 日影本尊を書写し伊豆三島妙恵に授与(8ー194) ○八品日隆京佛光寺通りに本応寺を創す(隆記) 春 伊勢国司北畠満雅兵を起し木造俊康の坂内城を陥れる(南伝)8.19 説成親王幕府をして満雅と和せしむ(大乗録)
 
1416 応永23 丙申 称光 足利義持 滅後 135年 日影
4.8 保田日伝妙本寺を日周・日了・日応3人廻持ちと定む(8ー79)4.8 保田日伝小泉道場〔久遠寺〕を円乗坊日宣に、次いで法泉坊日崇に譲る(8ー80)10.11 保田・小泉5代中納言阿日伝寂77(過) 5.15 京妙満寺3代本覚院日仁寂(過) 10.29 幕府持氏の請いにより今川範政・上杉房方をして持氏を援けしむ(鎌草)
 
1417 応永24 丁酉 称光 足利義持 滅後 136年 日影
10.13 今川範政重須寺に判物を下す(8ー150)11.2 下総猿島富久成寺4代日応寂(過) ○中山日英京に妙法寺を創す(宗全20ー2) 1.17 持氏鎌倉に帰る(鎌草)
 
1418 応永25 戊戌 称光 足利義持 滅後 137年 日影
3.28 京本応寺精進院日隆、月明に起請文を入れ妙顕寺に帰る(宗全19ー81)○京妙顕寺〔妙本寺〕月明本応寺日隆と本迹勝劣一致の義を争う(隆記)○京本応寺日隆同寺を京妙顕寺月明に破却せられ、ために河内に本厳寺を創す(竜秘) 1.4 上杉範基卒27(系図)1.24 幕府足利義嗣を殺す(看記)
 
1419 応永26 己亥 称光 足利義持 滅後 138年 日有
8.4 8世日影寂67(大過去帳)8.8 保田妙本寺板本尊彫刻(同寺蔵) 5.21 京本禅寺開基日陣越後本成寺に寂81(過) 6.20 朝鮮の兵対馬に来り攻む(看記)6.20 九州探題渋川義俊・少弐満貞等朝鮮の兵を破る(看記)7.23 明使呂淵兵庫に来る幕府諭して帰らしむ(看記)
 
1420 応永27 庚子 称光 足利義持 滅後 139年 日有
4.15 磐城黒須野妙法寺板本尊造立(寺誌)7.18 京住本寺7代〔京要法寺10代〕壽量院日元寂(過)8.15 重須4代日蔵寂(過)11.12 讃岐5代日門寂(過) 3月 精進院日隆尼崎に本興寺を創す(興譜)4.16 京妙本寺月明念佛対破のため正像末三時之行相を著す(奥) 10.23 義持広橋兼宣・烏丸豊光・日野有光等を屏居せしむ(康記)
 
1421 応永28 辛丑 称光 足利義持 滅後 140年 日有
3.21 京上行院8代〔京要法寺12代〕法性院日長寂(過) ○一乗坊日出伊豆三島に本覚寺を創す(別統)
 
1422 応永29 壬寅 称光 足利義持 滅後 141年 日有
12.27 日算富士一跡門徒存知事を写す(1ー59) 1.5 行学院日朝伊豆宇佐美に生まる(別統)6.7 中山5代日暹寂74(過)閏10.13 佐竹興義父子叛乱し鎌倉比企谷妙本寺焼失(別統) 5月 義持書を朝鮮に遣わして大蔵経を求む(善隣)7.26 幕府松田満秀をして建武式目の聴訟則例10条を増補せしむ(建追)閏10.13 佐竹興義叛す持氏上杉房実をして之を討たしむ興義比企谷法華堂に自殺す(喜鑑)
 
1423 応永30 癸卯 称光 足利義量 滅後 142年 日有
5.7 幕府朝鮮より大蔵経を求む(看記) 8.11 幕府今川範政等をして持氏を討たしむ(看記)
 
1424 応永31 甲辰 称光 足利義量 滅後 143年 日有
2.5 幕府鎌倉と和す(看記)6月 興福寺僧徒、東大寺僧徒と争う諍う(看記)
 
1425 応永32 乙巳 称光 足利義量 滅後 144年 日有
4.14 下野小薬浄円寺4代日清寂(過) 12.13 京妙満寺日運門徒古事〔日運記〕を著す(奥) 7.13 菊池兼朝・少弐満貞等兵を挙ぐ(看記)8.16 持氏上杉房実をして武田信長を甲斐に討たしむ(喜鑑)
 
1426 応永33 丙午 称光 足利義量 滅後 145年 日有
○保田日信相模に生まる、俗姓曽我氏(保文) 6.7 京妙満寺4代鶴林院日運寂(過)○尼崎本興寺日隆越中に元成寺を創す(隆記) 8.25 武田信長持氏に降る(鎌草)
 
1427 応永34 丁未 称光 足利義量 滅後 146年 日有
4.25 西山4代由比阿日任寂(過) 1月 久遠成院日親摂津に一乗寺を創す(親記)8月 久遠成院日親京一条戻橋に弘法寺を創す(親記) 10.26 義持赤松満祐の所領播磨をその一族持貞に与う、満祐怒りて自らその第を焼て播磨に帰る(満済)11.13 幕府赤松持貞を自殺せしむ(満済)11.25 満祐降る(満済)
 
1428 正長 1 戊申 4.27 後花園 足利義量 滅後 147年 日有
○本是院日叶出雲に生る(2ー288) 5月 久遠成院日親筑前博多に法性寺を創す(親記) 9.18 山城に土一揆起こる(満済)9.22 幕府持氏の叛を聞き、持氏及び北畠満雅の討伐を議す(満済)12.21 土岐持頼等満雅を討つ満雅敗死しついで小倉宮嵯峨に帰る(大乗録)
 
1429 永享 1 己酉 9.5 後花園 足利義教 滅後 148年 日有
12.19 伊豆実成寺7代日眼寂(過) 4.8 行学院日朝得度(別統)○尼崎本興寺日隆四帖抄を著し門流独立の法幢を掲ぐ(隆記) 3.15 足利義宣将軍となり名を義教と改む(公補)8.20 幕府奉行人出仕等の規式を定む(建追)9.24 幕府楠木光正を奈良に捕う(看聞)
 
1430 永享 2 庚戌 後花園 足利義教 滅後 149年 日有
11.5 本間秀綱下野金井法華寺〔蓮行寺〕の諸役を免ず(8ー34) 8.21 幕府訴訟及び酒屋・土倉等の制規を定む(建追)11.6 幕府負債償却法を定む(建追)
 
1431 永享 3 辛亥 後花園 足利義教 滅後 150年 日有
大聖人第150遠忌 7月 朝鮮使来聘す(看記)
 
1432 永享 4 壬子 後花園 足利義教 滅後 151年 日有
日興・日目100遠忌3.9 富士妙蓮寺7代日祐寂(過)3月 日有申状を幕府に呈し京に遊化(聖577)11月 岩代仁井田願成寺5代日作寂88(過)
 
1433 永享 5 癸丑 後花園 足利義教 滅後 152年 日有
○京本応寺を本能寺と改む(宗全3ー巻首3) 1.26 義教朝鮮使を室町第に引見す(看記)12.1 斯波義淳卒37(満済)
 
1434 永享 6 甲寅 後花園 足利義教 滅後 153年 日有
4.1 真間弘法寺宗明、開会抄3巻を著す(奥) 2.14 京大火(看記)
 
1435 永享 7 乙卯 後花園 足利義教 滅後 154年 日有
3.13 保田・小泉7代日祐寂61(過) ○尼崎本興寺日隆十三問答抄2巻を著す(隆記) 10.13 貞成親王古今著聞集を献ず(看記)
 
1436 永享 8 丙辰 後花園 足利義教 滅後 155年 日有
8.1 陸前上行寺5代日勢寂(過)9.16 保田日要、日向細島に生る(4ー78) 5.30 幕府相国寺をして法華経〔嵯峨版〕の新刻並びに大般若経を補刻せしむ(蔭録)6.2 永享法難起こる(永記)○久遠成院日親京に本法寺を創す(寺誌)○一乗坊日出鎌倉に本覚寺を創す(別統)行学院日朝三島本覚寺に住す(別統) ○信濃小笠原政康、村上頼清と戦い持氏頼清を援けんとす、執事憲実之を諌止す(鎌日)
 
1437 永享 9 丁巳 後花園 足利義教 滅後 156年 日有
7.7 久遠成院日親中山を擯出せらる(宗全20ー10)10月 久遠成院日親足利持氏の法華万部会に別座の読経を敢行(親記) 3.4 義教自ら大和越智等を撃たんとす諸将諌止す(看記)7.11 義教の弟大覚寺義昭兵を挙げんとし事顕れ大和に出奔す(東執記)10.13 幕府貸借証券20年を越ゆるものは判理せざるを冷す(東執記)
 
1438 永享10 戊午 後花園 足利義教 滅後 157年 日有
5.28 保田日周浜の土地の配分を定む(保文) 3.16 久遠成院日親折伏正義抄を著す(宗全20ー29) 5月 飢饉疫病流行(看記)8.14 上杉憲実持氏と和せず(鎌日)8.16 持氏、上杉憲実を撃つ(鎌日)11.5 持氏武蔵称名寺に出家す(看記)
 
1439 永享11 己未 後花園 足利義教 滅後 158年 日有
5月 久遠成院日親立正治国論を将軍義教に呈す(摘注序) 閏1月 上杉憲実足利学校再興(続鑑)2.10 持氏 叔父満直と共に自殺す(鎌日)2.28 持氏の子義久相模報国寺に自殺す(鎌日)6.28 憲実出家し執事職を弟清方に譲り伊豆国清寺に移る(鎌草)
 
1440 永享12 庚申 後花園 足利義教 滅後 159年 日有
2.6 久遠成院日親投獄さる(親記)9.8 京妙顕寺5代月明寂55(別統) 3.15 結城氏朝、持氏の二子をその城に迎う上杉清方・上杉憲信、長尾景仲をして之を撃たしむ(鎌草)10.26 幕府負債の年紀を定む(建追)
 
1441 嘉吉 1 辛酉 2.17 後花園 足利義勝 滅後 160年 日有
6.1 磐城黒須野妙法寺2代大進阿日位寂(過)6.13 保田・小泉6代侍従阿日周寂(過) 3.13 島津貴久幕府により大覚寺義昭を日向永徳寺に攻む、義昭自殺37(覚跡)4.13 幕府貴久の功を賞し琉球をその付庸となす(島史)6.24 嘉吉の変、赤松満祐、将軍義教を殺す(看記)閏9.10 幕府徳政の条目を定む(管見)
 
1442 嘉吉 2 壬戌 後花園 足利義勝 滅後 161年 日有
3.5 西山5代日盛寂(過)10.23 讃岐6代日香寂(過) 1.6 京本禅寺2代日登(過) 春 幕府使を明に遣わす(南伝)
 
1443 嘉吉 3 癸亥 後花園 足利義政 滅後 162年 日有
2.10 日向定善寺3代日掟寂(過)○小泉日安日向定善寺に赴き本尊を改む(1ー344) 5.3 身延日学一代肝心3巻を著す(奥) 7.21 足利義勝卒10(足官)9.23 前権大納言日野有光吉野朝の皇族尊秀王と謀り火を放ち、神璽・宝剣を奪い去り延暦寺に拠る(看記)9.26 山徒尊秀王を弑し日野有光を殺す(看記)
 
1444 文安 1 甲子 2.5 後花園 足利義政 滅後 163年 日有
6.25 日向定善寺5代日維寂(過)9.20 日向定善寺4代日等寂(過) 12.23 行学院日朝法華大綱集2巻を著す(奥)○久遠成院日親出獄(親記)
 
1445 文安 2 乙丑 後花園 足利義政 滅後 164年 日有
11.6 日有紫宸殿本尊を模刻す(8ー194・石蔵)
 
1446 文安 3 丙寅 後花園 足利義政 滅後 165年 日有
2.7 讃岐大坊条目を定む(8ー235) 1.2 東大寺戒壇院焼失(東執記) 7.5 美濃守護代斎藤利永、外島景秀を襲い、その党数百人を殺す(江濃)
 
1447 文安 4 丁卯 後花園 足利義政 滅後 166年 日有
3.4 越後本成寺4代日存寂(寺譜) 7.19 山城西岡に土一揆起こる(東執記)12.22 円満院日胤蓄髪して兵を紀伊北山に挙ぐ、守護畠山持国の部下撃ちて之を殺す(康記)
 
1448 文安 5 戊辰 後花園 足利義政 滅後 167年 日有
○岩橋元祐初めて陸奥奥川の通路を開く(塔寺帳)
 
1449 宝徳 1 己巳 7.28 後花園 足利義政 滅後 168年 日有
5.18 日向妙円寺日穏、日叡一期事を著す(識語) 8.2 岡宮光長寺4代日賢寂(過)8月 京本覚寺日住宗論対決を上訴す(訴状)○妙国院日祝京に頂妙寺を創す(歴譜) 1月 上杉房定足利持氏の季子永壽王を関東管領となさんことを幕府に請う、幕府之を許す(鎌草)8月 琉球の商人薬種及び銭を幕府に進む(康記)
 
1450 宝徳 2 庚午 後花園 足利義政 滅後 169年 日有
1.12 京住本寺9代〔京要法寺14代〕本源院日禅寂(過)2.20 重須5代日昌寂(過)8月 保田日永弟子日会上総天羽に本乗寺を創す(寺誌) 5.8 京本満寺開基玉洞妙院日秀寂(別統)12.3 玉沢日伝本迹高広義を著す(宗全7ー188) 4.20 幕府大隅・薩摩・日向三国守護島津忠国をして大内修造段銭を三国に催徴せしむ(島史)
 
1451 宝徳 3 辛未 後花園 足利義政 滅後 170年 日有
3.17 西山6代日琳寂(過) 2月 尼崎本興寺日隆門徒13ケ条禁制を定む(隆記)8.8 京本禅寺3代日台寂73(過)○尼崎本興寺日隆京本能寺を日信に譲り尼崎に勧学院を開く(宗全3ー巻首3)○将軍義政一切経を京本圀寺に寄す(別統) 10.14 奈良に徳政一揆起こる(続史)10.26 幕府僧允澎等を明に遣わす(唐記)10.29 義成学問所を北小路の第に造る(康記)
 
1452 享徳 1 壬申 7.25 後花園 足利義政 滅後 171年 日有
10.15 平賀本土寺焼失(宗全18ー79)
 
1453 享徳 2 癸酉 後花園 足利義政 滅後 172年 日有
1454 享徳 3 甲戌 後花園 足利義政 滅後 173年 日有
6.21 保田日永控字本尊を蓮台坊日安に譲る(8ー81)7.1 足利成氏制札を保田妙本寺に掲ぐ(寺誌) 5.29 京妙満寺5代日舜寂(圀譜)○行学院日朝甲斐小室山にて法談中同地守護代に襲わる(宗全15ー巻首) 10.15 幕府の遣明船帰る(康記)10.29 山城に土一揆起こる(東執記)12.22 成氏長尾景仲等を相模に撃つ(鎌草)12.27 足利成氏上杉憲忠を殺す(康記)
 
1455 康正 1 乙亥 7.25 後花園 足利義政 滅後 174年 日有
2.7 下総猿島富久成寺5代日広寂(寂) 5.30 京本能寺2代〔京本興寺2代〕好学院日信寂34(両譜)7.3 身延日延天台玄旨口決を著す(奥)10.28 幕府諸寺祠堂銭の制を定む(建追) 1.21 上杉持朝等上杉房顕を奉じて成氏と武蔵分倍河原に戦う、上杉憲顕・同顕房等戦死す(鎌草)3.26 畠山持国卒58(大乗録)6.16 今川範忠鎌倉を攻め、足利成氏下総古川に逃げる(鎌草)11.29 幕府徳政条令を改む(康記)
 
1456 康正 2 丙子 後花園 足利義政 滅後 175年 日有
4.19 磐城黒須野妙法寺3代日安寂(過) 6.10 身延日延一心三観口決を著す(奥)10.10 久遠成院日親京鳥野辺山に逆修塔を建つ(親記)11月 尼崎本興寺日隆開迹顕本宗要抄66巻を著す(奥) 4.2 幕府内裏及び北小路新第造営脚段銭棟別銭を諸国に課す(基恆)○幕府朝鮮に建仁寺修造の資を求め大蔵経等を送れるを謝し明に通ずるの先容を嘱す(善隣)
 
1457 長禄 1 丁丑 9.28 後花園 足利義政 滅後 176年 日有
8.16 西山7代日顕寂(過) 4.8 太田道潅江戸城を築く(室代史)12.2 赤松氏の遺臣等吉野朝の皇胤を吉野山中に弑し奉り神璽を取る郷民之を奪還す(大乗録)12.19 義政弟政和を伊豆堀越に遣わして関東を鎮ぜしむ(鎌草)
 
1458 長禄 2 戊寅 後花園 足利義政 滅後 177年 日有
1月 筑前阿日格大石寺に日有の法門を聴き之を録す(2ー158)7.5 伊豆実成寺8代日出寂(過) 3.1 幕府尼寺の制を定む(蔭録)4.22 京立本寺5代玄式日実寂(別統) 8.30 赤松氏の遺臣吉野の民を欺き神璽を獲って之を献ず、よりて幕府赤松氏を復し満祐の従孫政則に加賀半国及び備前・伊勢等を与う(大乗録)8月 幕府朝鮮に大蔵経を求む(蔭録)
 
1459 長禄 3 己卯 後花園 足利義政 滅後 178年 日有
6.17 按察阿蓮台坊日安保田に住し、一乗坊日朝保田学頭となる(8ー81)8.12 富士妙蓮寺8代日受寂(過) 4.9 鎌倉・三島本覚寺開基一乗坊日出寂(別統)6.12 尼崎本興寺代3代日登寂(過) 8.21 幕府諸関を撤し新関を京七口に置きその税銭を太神宮造営に充つ(乗院記)11.2 幕府質物の利子及び償還期限の制を定む(建追)山名教豊・千葉元胤私に使を朝鮮に遣わす(海東)
 
1460 寛正 1 庚辰 12.21 後花園 足利義政 滅後 179年 日有
1.8 保田・小泉8代成就房日永寂(過)7.18 日有本尊を書写し陸前二迫加藤日源に授与(8ー195) 真如院日住洛中不穏のため京本覚寺を妙覚寺に併合して霊宝を守る(別統) 7.13 僧清啓幕府の遣明使となる(蔭録)10.10 義就筒井順永等と大和に戦い敗る(乗院記)斯波義敏・畠山義就私に使を朝鮮に遣わす(海東)
 
1461 寛正 2 辛巳 後花園 足利義政 滅後 180年 日有
3.22 日有本尊を書写し下野薗部日安に授与(8ー195)11.29 讃岐7代日迎寂(過) 4.26 身延10代日延寂32(過)4.26 行学院日朝身延に住す(歴譜)11.26 幕府天竜寺の請いにより勘合符を与え僧堂造営費を朝鮮に募り牛黄を求めしむ(蔭録)山中本成房日実当家宗旨名目2巻を著す(奥)
 
1462 寛正 3 壬午 後花園 足利義政 滅後 181年 日有
2.8 佐渡世尊寺9代本妙院日存寂(過)
1.11 南条日住、日有上人御物語聴聞抄3巻の稿を始む(1ー185)
1.18 久遠成院日親本尊口決を著す(識語)11.8 久遠成院日親投獄さる(長寛記) 5.12 畠山政長細川成之等と畠山義就を河内金胎寺に攻む(長寛記)10.28 京畿に土一揆蜂起(乗院記)
 
1463 寛正 4 癸未 後花園 足利義政 滅後 182年 日有
閏6.2 日有本尊を書写し下野金井伊勢阿日量に授与(8ー195) 8.18 久遠成院日親出獄し細川管領の館に法門を談ず(長寛記)9.1 玉沢10代唯本院日伝寂45(歴譜) 9.28 京に土一揆起こり徳政を要請す(蔭録)12.24 幕府畠山義就を釈す(長寛記)○斯波義廉使を朝鮮に遣わす(海東)
 
1464 寛正 5 甲申 後土御門 足利義政 滅後 183年 日有
2.25 尼崎本興寺開基精進院日隆寂81(過)私新抄・本門弘経抄等の著あり12.12 足利義政祈祷の恩賞として経蔵並びに一切経を京本圀寺日暁に寄す(寺譜)
 
1465 寛正 6 乙酉 後土御門 足利義政 滅後 184年 日有
2月 日有大石寺御宝蔵を小校倉造りに改む(寺誌)3月 日有大石寺客殿を創建す(寺誌) 1.10 山徒東山大谷の蓮如の房舎を襲う(蓮如記)2.16 京本興寺5代日禎寂(過)10.15 京本覚寺日住妙法治世集を将軍義政に献ず(奥)12.13 山門楞厳院衆徒、京法華宗諸寺へ事書を送り之を破却すべき旨を伝う(宗全19ー219)
 
1466 文正 1 丙戌 2.28 後土御門 足利義政 滅後 185年 日有
6.8 日有駿河駒瀬に法華堂〔本広寺〕を創す(聖747) 2.16 京法華宗諸寺本迹一体の盟約をなす〔寛正盟約〕(了筌) 12.25 幕府畠山義就を赦し、義就入京す(乗院記)
 
1467 応仁 1 丁亥 3.5 後土御門 足利義政 滅後 186年 日乗
▽日有法を日乗に付し、甲斐杉山に法華堂を創し移る(石文・聖748) 5.26 応仁の乱、細川山名両党激戦(大乗録)○遣明使僧清啓明に達す僧桂奄・雪舟等之に随いて留学す(島隠)
 
1468 応仁 2 戊子 後土御門 足利義政 滅後 187年 日乗
▽保田日安駿河小泉に久遠寺を創す(大過去帳) ○公卿・僧侶乱を避けて地方に下る者多し(碧録)○西国の諸将多く使を朝鮮に遣わす(海東)
 
1469 文明 1 己丑 4.28 後土御門 足利義政 滅後 188年 日乗
11.28 管領細川勝元讃岐本門寺に5ケ条の制条を下す(8ー139)
    ○日鎮下野に生る(8ー197)▽本是院日叶出雲日輝等京住本寺日広の代官として幕府へ諌状を呈す(8ー381・宗年)
    7.26 山門楞厳院衆徒根本中堂に会して京内外の法華宗徒の追却を決す(諌記)8.3 楞厳院衆徒重ねて決議す(諌記)8.22 楞厳院衆徒法華宗徒の追却を計るも幕府之を許さず(諌記) 3.16 勝元持豊の芝薬師堂の営を陥る(応別)
 
1470 文明 2 庚寅 後土御門 足利義政 滅後 189年 日底
10.2 下野小薬浄円寺5代日祥寂(過)▽日乗法を日底に付す(石文) 5.13 久遠成院日親埴谷抄を著す(奥)12.19 京本法寺久遠成院日親伝燈抄を著す(親長記) 3.8 吉野朝の遺臣小倉宮を奉じて兵を紀伊に起こす(乗院記)12.6 畠山政長吉野朝の余裔日尊を弑す(親長記)
 
1471 文明 3 辛卯 後土御門 足利義政 滅後 190年 日底
5.16 香川和景讃岐本門寺保護の事を一族備前守に通達(8ー140)10.1 讃岐日浄等本門寺法度を定む(8ー238) 8月 行学院日朝一代五時記を著す(奥) 6.24 上杉憲定の武将長尾景信、成氏を古河に破る成氏奔りて千葉孝胤に頼る(鎌草)
 
1472 文明 4 壬辰 後土御門 足利義政 滅後 191年 日有(再住)
4.7 11世日底寂(大過去帳)夏 下野金井法華堂下野阿大石寺において日有の法門を聴く(2ー158)11.20 10世日乗寂(大過去帳) ○行学院日朝例講問答の講を始む(該書) 10.3 幕府使を朝鮮に遣わす(善隣)
 
1473 文明 5 癸巳 後土御門 足利義尚 滅後 192年 日有(再住)
4.9 平賀本土寺8代上総小西正法寺開基日意寂53(別統)6月 山徒桑名壽量寺を焼く(寺記)10.1 真如院日住本覚寺に於いて本尊抄見聞を著す(奥)12.19 京妙満寺日存本迹対論用意抄2巻を著す(宗全5ー122) 3.18 山名持豊〔宗全〕卒70(親長記)5.11 細川勝元卒44(親長記)
 
1474 文明 6 甲午 後土御門 足利義尚 滅後 193年 日有(再住)
1.5 日有本尊を書写し甲斐下山大村六郎左衛門に授与(8ー196)閏5.26 日有本尊を書写し陸前一迫柳目三位阿日為母妙了日宗に授与(8ー196)8.4 日有本尊を書写し陸前柳目上総公日宣に授与(8ー196)11.29 日有本尊を書写し陸前岡名の日意に授与(8ー196) 9.11 京本能寺3代〔尼崎本興寺4代〕日明寂51(寺譜)11.2 久遠成院日親檀那流の一心三観口伝を弟子日敬に授与(奥)11.13 久遠成院日親三処即身成佛を記す(識語)12月 行学院日朝例講問答40巻を著す(識語)○真如院日住本尊見聞を行学院日朝に呈す(奥)○行学院日朝身延諸堂並びに方丈を西谷より今の地に移す(多塔序) 4.3 山名政豊細川政元和を講ず(親長記)9.20 大内政弘降を幕府に請う(乗院記)9月 義政諸を朝鮮に遣わし明の勘合符を求む(補京)
 
1475 文明 7 乙未 後土御門 足利義尚 滅後 194年 日有(再住)
7.16 日有本尊を書写し小野里八郎三郎に授与(8ー196) 5.3 久遠成院日親天台宗顕海法印の五修行観次第を弟子日敬に授与(奥) 8.28 幕府僧妙茂・慶瑜等を明に遣わし銅銭及び書籍を求めしむ(補京)
 
1476 文明 8 丙申 後土御門 足利義尚 滅後 195年 日有(再住)
5.23 土佐吉奈連陽房、日有聞書を録す(2ー148)7.15 日有守本尊を書写し土佐吉奈右京大夫に授与(聖748) 3.14 行学院日朝観心本尊抄私見聞を著す(宗全15ー例言3)3.29 久遠成院日親臨終一心三観事を弟子日敬に授与(奥)4.2 久遠成院日親法華大意を著す(識語)8月 行学院日朝諸宗本尊大事を著す(識語) 11.13 京大火、室町第焼失(親長記)
 
1477 文明 9 丁酉 後土御門 足利義尚 滅後 196年 日有(再住)
○保田妙本寺、日向諸末寺と和融(4ー78) 3.29 京本禅寺4代日源寂69(過)4.11 久遠成院日親法華壽量品三身口決を弟子日敬に授与(識語)11.8 行学院日朝身延山御書見聞を著す(宗全16ー379)12.29 行学院日朝曽谷入道賜御消息見聞を著す(宗全16ー422) 1.18 長尾景春、上杉顕定・上杉定正等を武蔵五十子に襲う(道潅)5.14 道潅、景春を武蔵用土原に撃つ(道潅)11.11 応仁の乱平定(親長記)
 
1478 文明10 戊戌 後土御門 足利義尚 滅後 197年 日有(再住)
○日有駿河淀師に要行寺を創す(寺誌) 4月 行学院日朝如説修行抄見聞を著す(宗全16ー423)9.11 越後本成寺5代日顕寂70(過)10.13 行学院日朝元祖化導記2巻を著す(奥)10.14 行学院日朝法華題目抄私見聞を著す(宗全17ー1)11.17 久遠成院日親当家五ケ相承事・本迹一致文証事・七字題目筆法口決を著す(該書) 1.5 上杉顕定・上杉定正成氏に和を請う(道潅)2.9 明主幕府に復書して銅銭等を贈る(蔭録)7.10 義政義視と和す(乗院記)12.10 太田道潅千葉孝胤を下総堺根原に破る(鎌草)
 
1479 文明11 己亥 後土御門 足利義尚 滅後 198年 日有(再住)
2月 行学院日朝安国論私抄5巻を著す(宗全15ー187)4.15 久遠成院日親御祈祷経行抄を著す(該書) 7.2 北小路行宮焼失(湯・政家)12.7 日野政資第より土御門内裏に還幸(政家)
 
1480 文明12 庚子 後土御門 足利義尚 滅後 199年 日有(再住)
○京住本寺本是院日叶百五十ケ条を著す(2ー211) 4.24 京妙満寺14代日存寂45(過)
 
1481 文明13 辛丑 後土御門 足利義尚 滅後 200年 日有(再住)
大聖人第200遠忌7.23 富士妙蓮寺9代日達寂(過)京住本寺本是院日叶京鳥辺山に大聖人の碑を建つ(碑文) 1月 行学院日朝当家口伝記2巻を著す(奥)4月 行学院日朝当体蓮華口伝を著す(奥) 4.2 一条兼良卒80(公補)7.10 幕府赤松政則を山城守護となす(親元記)
 
1482 文明14 壬寅 後土御門 足利義尚 滅後 201年 日鎮
日興・日目150遠忌8.9 磐城黒須野妙法寺4代日与寂(過)9.7 大石寺と重須・保田・小泉衆徒諍論(9ー51)○日有法を日鎮に付す(石文)
9.29 9世日有寂81(大過去帳) 2.4 足利義政山城浄土寺山に山荘〔銀閣寺〕を営む(大乗録)○駿河岡宮光長寺焼失(八妙記) 7.16 細川政元畠山義就と和して京に帰る(乗院記)11.27 義政成氏と和す(乗院記)○駿甲地方に大風飢饉起こる(八妙記)
 
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