AND OR
 富士年表内の語句が検索できます。
富士年表5
(1483年〜1572年)
西暦 年号 干支 改元 天皇 武家 年号(B) 改元(B) 天皇(B) 聖寿・聖滅 歴代 富士門下事項 門下・一般宗教事項 国史事項 備忘録
 
1483 文明15 癸卯 後土御門 足利義尚 滅後 202年 日鎮
5.10 左京阿日教堺調御寺日乗に宗義相伝書を授く(宗年)7.3 南条日住、有師百二十一ケ条〔化儀抄〕を録す(聖998)11.18 甲斐本照寺日逢真言宗見聞を著す(奥) 6.27 義政浄土寺に移る〔東山殿〕(親元記)12.24 義尚新百人一首を撰す(実隆記)
 
1484 文明16 甲辰 後土御門 足利義尚 滅後 203年 日鎮
1.7 左京阿日教穆作抄を著す(2ー287) 5.1 行学院日朝一代聖教大意抄見聞を著す(宗全17ー293)11.20 鎌倉妙法寺円明院日澄助顕唱導文集7巻を著す(奥)12.24 義政寺家堂舎を毀ちて売却するを禁ず(蔭録)○円明院日澄法界一念抄を著す(奥) 9月 義政及び義尚自ら畠山義就を討たんとす(乗院記)
 
1485 文明17 乙巳 後土御門 足利義尚 滅後 204年 日鎮
7.19 讃岐8代日院寂(過) ○岡宮光長寺大坊多宝塔造立(八妙記) 6.15 義政出家す(実隆記)6.30 遣明使周・寧波に寂す(蔭録)8.4 山城・河内・大和に土一揆起こる(実隆記)
 
1486 文明18 丙午 後土御門 足利義尚 滅後 205年 日鎮
4.8 西山8代日眼寂(過)○日蔵日向日知屋に本建寺を創す(寺誌)▽三河阿日要、日向児湯郡新田に本蓮寺を創す(寺誌) 8.4 義政僧等堅を朝鮮に遣わし越後安国寺のために大蔵経を求む(蔭録)9.18 京妙覚寺10代真如院日住和歌山に寂81(過)12.22 伊勢宇治・山田の神人相争い豊受大神宮兵火に罹る(皇代)○加賀・能登・越中一向門徒乱を起こす(浄譜) 7.26 太田道潅上杉定正に害せらる(太田記)8.24 京に徳政一揆起こる(長興記)
 
1487 長享 1 丁未 7.20 後土御門 足利義尚 滅後 206年 日鎮
1.28 京住本寺10代〔京要法寺16代〕日広寂(過)7.22 保田・小泉9代按察阿蓮台坊日安寂75(過)11.16 左京阿日教四信五品抄見聞を著す(4ー66)12.1 左京日教五段荒量を著す60才(2ー291)○三河阿日要、日向学頭坊を相続(4ー78) 1.19 久遠成院日親本法寺法式を定む(該書) 9.12 義尚六角高瀬を伐たんとし近江坂本に出陣す(長興記)
 
1488 長享 2 戊申 後土御門 足利義尚 滅後 207年 日鎮
6.10 左京日教類聚翰集私を著す(2ー355)12.7 日鎮三位阿日芸に本尊を授与(8ー197) 4.28 常不軽院日真京に本隆寺を創し一派を唱う(隆燈)6.9 加賀一向一揆起こる(蔭録)9.17 京本法寺開基久遠成院日親寂82(過)10.23 足利義尚、京本能寺々領を安堵す(寺書) 1.2 義尚畠山政長をして同義就を討たしむ(蔭録)6.8 政親自殺す(蔭録)
 
1489 延徳 1 己酉 8.21 後土御門 足利義尚 滅後 208年 日鎮
○三河阿日要学頭職披露のため保田に詣ず(4ー78)2.17 保田・小泉10代大蔵阿日信寂64(過)2月 三河阿日要保田に住す(4ー79)5月 保田日要妙本寺表門建立(寺誌)7.9 保田日要治病抄聞書を著す(奥)11.4 左京阿日教六人立義破立抄私記を著す(4ー27)12.9 伊豆実成寺9代日典寂(過) ○京妙蓮寺日忠本迹問答用意を著す(章目) 3.26 足利義熈近江鉤の陣に卒25(実隆記)5.8 京大火2千戸焼失(実隆記)
 
1490 延徳 2 庚戌 後土御門 足利義稙 滅後 209年 日鎮
6.29 日鎮書を三位阿日芸におくる(9ー61) 10.5 尼崎本興寺日与法華和語記4巻を著す(奥)11月 什門慶陽院日悦本迹勝劣之事を著し比企谷妙本寺に投じ返報を求む(宗全5ー184) 1.7 足利義政卒56(実隆記)1.13 義稙嗣ぎ父義視幕政を摂行す(政家)7.9 狩野正信卒37(名画)7.12 畠山政長に兵同義就の兵を紀伊一乗山に破る(乗院記)10月 幕府僧慶彭を朝鮮に遣わす(蔭録)12.12 畠山義就卒(大乗録)
 
1491 延徳 3 辛亥 後土御門 足利義稙 滅後 210年 日鎮
5.4 西山9代日出寂(過) 6.9 京本能寺4代〔京本興寺6代〕金剛院日与寂66(両譜)○行学院日朝補施集179巻を著す(奥) 1.7 足利義視卒53(実隆記)8.22 義稙六角高瀬征討(親長記)○伊勢宗瑞〔早雲〕足利茶々丸を伊豆堀越に攻めて自殺せしめ伊豆を略し北条に居る(鎌日)
 
1492 明応 1 壬子 7.19 後土御門 足利義稙 滅後 211年 日鎮
6.10 幕府不受不施の制法を許容する状を京本圀寺に与う(布録)7.23 円明院日澄法華経啓運抄55巻を著す(奥)11月 京妙蓮寺日忠観心本尊抄見聞2巻を著す(宗全9ー146)12.9 慶陽院日悦本迹勝劣追加56条を著し再び鎌倉妙法寺円明院日澄の返報を求む(宗全5ー211) 8月 幕府僧元菊を朝鮮に遣わす(蔭録)12.14 近江鎮定するにより義稙京に還る(蔭録)
 
1493 明応 2 癸丑 後土御門 足利義稙 滅後 212年 日鎮
4.24 円明院日澄経中難問私記を著す(奥)5月 京妙満寺焼失(寺記)▽円明院日澄五十六ケ条疑難書〔本迹決疑抄2巻〕を著し慶陽院日悦に送る(奥) 2.13 幕府遣明使天沢等恩等を罷め僧壽・を使となす(蔭録)4.22 細川政元将軍義稙に背き清晃を擁して京に兵を挙ぐ(親長記)6.29 義稙越中へ遁る(親長記)
 
1494 明応 3 甲寅 後土御門 足利義澄 滅後 213年 日鎮
1.28 隆門隆珍堺の弘通所を保田日要に寄す(8ー82)9.13 重須日浄本尊聖教等を日国に譲る(8ー151)10.19 日鎮富士を発し東国に下向(聖749) 5.14 京頂妙寺玉泉坊日宏本尊相承事を著す(奥)10.27 行学院日朝弘経要文集7巻を著す(奥) 9.23 相模三浦義同養父時高を同国新井城に殺す(寛政譜)
 
1495 明応 4 乙卯 後土御門 足利義澄 滅後 214年 日鎮
10.22 重須学頭日経一位阿日朝に学頭寂仙坊々跡を譲る(8ー151) 2.20 天台宗真盛寂53(真盛上人往生伝記) 6.20 宗祇新撰莵玖波集を撰す(実隆記)
 
1496 明応 5 丙辰 後土御門 足利義澄 滅後 215年 日鎮
6.24 京妙覚寺・京立本寺と京本能寺・京妙蓮寺・京妙満寺と勝劣一致を諍い公裁を仰ぐ(一体録) 4.25 赤松政則卒42(公補)5.20 日野富子卒57(実隆記)5.30 石丸利光敗死す(実隆記)6.10 大友政親自殺す53(実隆記)12.7 斉藤妙純・利親父子六角高瀬と戦い死す(乗院記)
 
1497 明応 6 丁巳 後土御門 足利義澄 滅後 216年 日鎮
2.6 吉田兼倶三十番神につき京本圀寺等と問答(番問)8.6 行学院日朝著補施集101巻刊(刊記) 9.30 足利成氏卒64(寛政譜)
 
1498 明応 7 戊午 後土御門 足利義澄 滅後 217年 日鎮
5.28 保田日要富士一流草案を著す(石蔵写)6.2 保田第2学頭一乗房日朝寂88(過) 7.14 岡宮光長寺5代日用寂(過)8.25 小湊誕生寺大地震により海中に没す(寺記・八妙記) 5.29 伊勢・丹後守護一色義秀丹後普甲山に拠り国衆に攻められて自殺す(過)8.25 大地震近江荒井崎壊れ浜名湖外海と通ず(実隆記)9.2 義稙上洛せんとして越中を発し越前に入り守護朝倉貞景に頼る(和長記)
 
1499 明応 8 己未 後土御門 足利義澄 滅後 218年 日鎮
3.19 保田日要上洛天奏(4ー79)3.22 西山日典後住のため置文を記す(8ー170)8.25 西山10代日典寂(過) 3.25 蓮如寂(蓮如期)○行学院日朝身延を日意に譲る(別統)3月 身延日意申状を幕府に上る(奥)6.24 京妙顕寺日具澗亭函底抄3巻を著す(奥)7.20 叡山三塔九院細川氏のために焼かる(続史)○幕府僧正竜を朝鮮に遣わし大蔵経を求む(鹿日) 1.23 山名政豊卒59(実隆記)11.22 義稙京に入らんとして近江坂本に陣し守護六角高瀬の兵に敗れ河内に走る(乗院記)
 
1500 明応 9 庚申 後柏原 足利義澄 滅後 219年 日鎮
4.13 要法寺版日向記底本成る(奥)6.4 平賀二郎太郎日向定善寺に田地を寄す(8ー82) 6.25 身延11代行学院日朝寂79(過)8.24 京本隆寺日真法華十妙不二門科文を著す(識語)9.10 京本隆寺日真法華玄記十不二門科文を著す(識語)▽京本隆寺日真天台三大部科注を著す(奥) 9.28 後土御門天皇崩ず59(皇略)○京大火2万戸焼失(和長記)
 
1501 文亀 1 辛酉 後柏原 足利義澄 滅後 220年 日鎮
2.12 京妙顕寺6代日具寂79(過)5.24 法華浄土両宗々論(実隆記) 3.29 幕府に勅して即位の礼の資を献ぜしむ(実隆記)8.10 幕府安芸・石見の諸将をして義興を討たしむ(足書)11.13 幕府勅を奉じ即位の料を諸国に課す(和長記)
 
1502 文亀 2 壬戌 後柏原 足利義澄 滅後 221年 日鎮
8月 彼岸中日保田日要、日向学頭坊を日杲に譲る(4ー80)11.7 保田日要制誡4ケ条を定む(保文) 11.14 池上本門寺大坊等焼失(由緒) 2.17 政元義高と隙ありついで暇を請いて丹波に行く(政家)7.30 連歌師宗祇卒82(実隆記)8.4 義澄政元の驕傲を憤り岩倉金竜寺に去る(実隆記)8.6 義澄勅諭により京に帰る(実隆記)
 
1503 文亀 3 癸亥 後柏原 足利義澄 滅後 222年 日鎮
1.18 保田・小泉12代左京阿仙陽坊日清寂(過)7.25 保田日要当家口伝草案を著す(石蔵写) 9.15 京妙蓮寺11代常住院日忠寂66(過)11.5 京本能寺5代日増寂62(寺譜) 3月 政元をして摂津丹波の即位段銭を上らしむ(政家)10.5 義澄政元を慰諭し京に還らしむ(政家)
 
1504 永正 1 甲子 後柏原 足利義澄 滅後 223年 日鎮
10.10 富士妙蓮寺10代日在寂(過)12.11 日向財光寺〔定善寺〕日守導師職を中将阿日妙に譲る(8ー83) 4.8 山門円信破日蓮義2巻を著す(序)○池上本門寺本堂焼失(別統) 9.4 摂津守護代薬師寺元一守護細川政元を廃し養子澄元を立てんとし淀城に拠りて背く政元之を撃つ(政家)9.19 政元淀城を陥るついで薬師寺元一を自殺せしむ(政家)
 
1505 永正 2 乙丑 後柏原 足利義澄 滅後 224年 日鎮
6.11 讃岐9代日鬼寂(過) 11.27 政元赤沢朝経をして畠山義英を河内に撃たしむ(多聞記)
 
1506 永正 3 丙寅 後柏原 足利義澄 滅後 225年 日鎮
8.13 藤平の母田地を保田妙本寺に寄進(保文)▽中道院日法山城小栗栖に久遠山本経寺を創す(宗年) 6.21 円明院日澄江川彦五郎の寄進により伊豆韮山に本立寺を創す(寺誌)7.17 加・能・越三国の一向宗徒越前に入る朝倉貞景之を破る(多聞記) 4.21 細川澄元兵を率いて入京す(尚通)8.8 雪舟卒87(古画)
 
1507 永正 4 丁卯 後柏原 足利義澄 滅後 226年 日鎮
4月 日受出雲杵築に妙行寺を創す(寺誌) 11.14 京妙蓮寺日暹本尊相伝抄を著す(識語)
 
1508 永正 5 戊辰 後柏原 足利義稙 滅後 227年 日鎮
6.4 日鎮大石記を写す(富士宗学要集旧版11ー157)8.26 広蔵院日辰綾小路西洞院に生る俗姓田村氏(5ー55)9.16 保田日我日向佐土原に生る俗姓長友氏(1ー351) ○京妙顕寺日能撰時抄上巻講談を著す(健抄)
 
1509 永正 6 己巳 後柏原 足利義稙 滅後 228年 日鎮
5.29 日向定善寺6代日守寂(過) 京妙顕寺日能報恩抄下巻講談を著す(健抄)
 
1510 永正 7 庚午 後柏原 足利義稙 滅後 229年 日鎮
3.7 保田日要本迹違目抄愚案を著す(奥) 2.9 鎌倉妙法寺開基円明院日澄寂70(別統)註画讃5巻・法華神道秘訣4巻等の著あり
 
1511 永正 8 辛未 後柏原 足利義稙 滅後 230年 日鎮
2.19 吉田兼倶卒〔唯一神道祖〕(実隆記) 7.13 細川澄元兵を起し京を攻む(実隆記)
 
1512 永正 9 壬申 後柏原 足利義稙 滅後 231年 日鎮
8.13 伊勢宗瑞、三浦義同を相模岡崎城に攻め破る(鎌管)○幕府再び僧弸中を朝鮮に遣わし和を求む(鮮記)
 
1513 永正10 癸酉 後柏原 足利義稙 滅後 232年 日鎮
4.12 京頂妙寺開基妙国院日祝寂86(別統) 3.17 将軍義稙、大内義興・細川高国の専横を怒り近江に出奔(公補)5.3 将軍義稙京に還る(公補)○遣明使桂悟帰朝(僧伝)
 
1514 永正11 甲戌 後柏原 足利義稙 滅後 233年 日鎮
2月彼岸 広蔵院日辰京住本寺日法につき得度7才(5ー55)6.9 里見義通保田妙本寺を陣所となす(4ー80)11.16 保田・小泉11代三河阿惣持坊日要寂79(過) 7.1 越後本成寺8代日現寂56(寺譜)本迹高広義会釈4巻、五人所破抄斥等の著あり 3.27 一乗冬良卒51(公補)4.10 幕府私闘を禁ず(建追)
 
1515 永正12 乙亥 後柏原 足利義稙 滅後 234年 日鎮
6.25 伊豆実成寺10代日能寂(過)6.26 今川氏親重須本門寺の寺号証文等を安堵す(聖699)6.26 重須日国申状を幕府に呈す(8ー391) 6.26 蝦夷叛乱、蛎崎光広之を平定す(羅記)
 
1516 永正13 丙子 後柏原 足利義稙 滅後 235年 日鎮
1.28 京住本寺11代〔京要法寺17代〕中道院日法寂(過)1月 広蔵院日辰京住本寺日在の弟子となる(5ー55) 閏10.8 大内義興豊後万壽寺再建のため朝鮮に勧募(続隣)
 
1517 永正14 丁丑 後柏原 足利義稙 滅後 236年 日鎮
5.5 出雲妙行寺開基日受寂(過)○三位阿日継保田に住す(1ー343) 閏10.8 下総顕実寺常寂院日耀本迹一致対論用意抄3巻を著す(奥) 1.1 幕府の献金により小朝拝節会・白馬踏歌節会を復活(尚通)10.22 武田元繁安芸有田城を攻め毛利元就のために敗れ戦死(毛文)
 
1518 永正15 戊寅 後柏原 足利義稙 滅後 237年 日鎮
○日院土佐に生る(聖749・聖750) 4.14 延暦寺根本中堂再建(中堂記)8.21 幕府京本能寺々領を安堵す(寺書)
 
1519 永正16 己卯 後柏原 足利義稙 滅後 238年 日鎮
4.23 幕府京本能寺々領を安堵す(寺書) 8.15 北条早雲卒88(寛政譜)11.21 細川澄元四国の兵を率いて摂津兵庫に至る細川高国京より越水城河原林政頼の救援に赴く(尚通)
 
1520 永正17 庚辰 後柏原 足利義稙 滅後 239年 日鎮
10.12 伊豆韮山本立寺開基檀那江川彦五郎卒(過) 2.12 幕府徳政令を下す(守光記)5.5 細川高国三好之長と洛中に戦い之を破る(尚通)6.10 細川澄元卒32(系図)閏6.16 幕府即位料1万匹を献ず(二水記)
 
1521 大永 1 辛巳 後柏原 足利義晴 滅後 240年 日鎮
6.4 重須僧日誉日向細島妙谷寺において富士一跡門徒存知事を書写(1ー59) 2.11 将軍義稙即位の資を献ず(守光記)3.22 践祚以来23年にして即位の儀を行なわる(二水記)9.17 浦上村宗その主赤松義村を播磨室津に弑す(系図)
 
1522 大永 2 壬午 後柏原 足利義晴 滅後 241年 日鎮
3.19 今川氏親重須本門寺々領を安堵し諸役等を免ず(8ー152)9.17 磐城黒須野妙法寺5代日般寂(過)○広蔵院日辰常楽院日慈に師事(5ー55)○日鎮大石寺御影堂・総門等を建立し結構を整う(聖749) 11.1 下総顕実寺11代常寂院日耀寂78(妙恩寺過)本尊抄講談・四宗問答見聞4巻等の著あり12.24 京四条六条両門徒和解す(顕書)12月 京本隆寺日真護持此経弁論を著す(奥) 3.26 県召除目を復す(二水記)7.20 六角定頼、蒲生秀紀を近江日野城に囲む(乗院記)
 
1523 大永 3 癸未 後柏原 足利義晴 滅後 242年 日鎮
3.25 保田日継器量の後董を求めんとして置文を記す(8ー83)5.24 日向定善寺7代日学寂(過)9.9 井出惣左衛門大石寺の山公事を免ず(8ー34) ○京頂妙寺日言幕府の命により同寺地を高倉に移す(寺記) 4.9 足利義稙阿波に卒58(足官)4月 細川高国大内義興を明に遣わす(編史)
 
1524 大永 4 甲申 後柏原 足利義晴 滅後 243年 日鎮
1.8 京妙満寺19代守玄院日親寂(過)本迹対論私記・本迹諸難抄等の著あり2.9 駿河安居山東漸寺本隆院日浄富士門流より身延に転じ日伝より本尊を受く(本尊脇書)8.6 将軍義晴日蓮門徒を洛外に追う(実隆記) 1.13 武蔵江戸城主上杉朝興北条氏綱と武蔵縄原に戦いて敗れ川越に奔る(北五)2.11 武田信虎上杉憲房と甲斐に戦う(八妙記)5.20 大内義興其子義隆と共に周防に陣し、ついで安芸に入り尼子経久の居城を攻む(新裁)
 
1525 大永 5 乙酉 後柏原 足利義晴 滅後 244年 日鎮
2.29 広蔵院日辰住本寺に帰り再び日在に師事す(5ー55)3.21 保田日侃生る(保文)8.4 広蔵院日辰経本隆寺日真より台学を学ぶ(5ー55)○日鎮土佐大乗坊において説法(聖749) 8.13 京本法寺5代日憲寂(過)○山徒京本能寺を焼く(建表)
 
1526 大永 6 丙戌 後奈良 足利義晴 滅後 245年 日鎮
9.5 日鎮良王童を付弟となす(8ー35)11.30 河崎伊勢守日向定善寺等に勧進及び人別銭を免ず(8ー84) 6.23 今川氏親卒54(系図)
 
1527 大永 7 丁亥 後奈良 足利義晴 滅後 246年 日院
6.24 12世日鎮寂59(大過去帳)7.2 保田・小泉13代二位阿蓮台坊日継寂65(過)▽久遠阿日秀出雲古志に妙蓮寺を創す(寺伝) ○越後本成寺日覚本迹要文集2巻を録す(奥) 2.12 将軍義晴本圀寺に陣し細川高国・武田元光・細川尹賢等を率い柳本賢治・三好勝長等と桂川に戦う(実隆記)2.14 高国義晴を奉じて近江坂本に奔る(実隆記)4.4 連歌師肖柏卒85(実隆記)10.13 義晴京に入る(実隆記)11.19 朝倉教景元長の兵と戦い敗る(実隆記)
 
1528 享禄 1 戊子 後奈良 足利義晴 滅後 247年 日院
○佐野阿日学上総に本顕寺を創す(寺誌) 3.29 京本隆寺開基常不軽院日真寂85(寺譜)7.2 平賀本土寺日遊勝妙坊日信をして録内御書を書写せしむ〔平賀本御書〕(本土寺蔵) 12.20 大内義興卒52(公補)
 
1529 享禄 2 己丑 後奈良 足利義晴 滅後 248年 日院
3.19 今川氏輝大石寺の諸役を免ず(8ー35) 8.10 三好元長晴元と隙あり阿波に帰る(足季)
 
1530 享禄 3 庚寅 後奈良 足利義晴 滅後 249年 日院
1.29 今川氏輝重須本門寺を守護不入及び諸役免除とす(8ー152)2.5 稲葉右京進下野金井宿法華寺〔蓮行寺〕に境内安堵状を与う(8ー36)8.23 広蔵院日辰西山日心に師事(5ー55)冬 広蔵院日辰重須の日興墓所に詣ず(5ー22) 6.29 柳本賢治暗殺せらる(二水記)
 
1531 享禄 4 辛卯 後奈良 足利義晴 滅後 250年 日院
大聖人250遠忌5.8 広蔵院日辰西山本門寺より帰洛清原宣賢〔清大外記環翠〕に外典を学ぶ(5ー55) 10.26 加賀一向門徒乱を起こす(実隆記)
 
1532 天文 1 壬辰 後奈良 足利義晴 滅後 251年 日院
日興・日目200遠忌6.20 今川氏輝大石寺門前の諸役を免ず(8ー36) 7.17 大和一向宗徒興福寺衆徒と戦う(尚通)8.17 法華宗徒一向門徒と山城湿谷口に戦う(満書)8.19 一向門徒摂津富田に出兵し法華宗徒これを西岡に撃破す(二水記)8.24 柳本信堯・山村正次・六角定頼等法華宗徒と共に本願寺を焼く、光教大阪に出奔す(二水記)
1533 天文 2 癸巳 後奈良 足利義晴 滅後 252年 日院
11.12 塩屋了的下野金井蓮行寺の公事を免ず(8ー37)要賢坊日我保田に住す26才(寺誌) 6.20 晴元、光教と和す(実隆記)10.11 足利義晴京本満寺の戦功を賞し又軍勢の寄宿を停む(満書)10.28 京本隆寺2代日鎮寂80(寺誌)○細川晴元法華宗徒と共に本願寺光教としばしば戦う(実隆記)
 
1534 天文 3 甲午 後奈良 足利義晴 滅後 253年 日院
2.27 今川氏輝大石寺に周辺の山木を薪料に寄す(8ー38)11.11 下野金井蓮行寺日通置状をもって寺家衆を誡む(8ー37)○保田日我進太夫阿と称す(1ー351) 8.3 木沢長政等一向宗徒を山城谷山城に攻む(継記)○京妙本寺、妙顕寺の旧号に復す(別統) 4.6 里見義堯北条氏綱の援により里見義豊を安房稲村に攻めて之を滅す(里九)11.21 九条稙通関白を罷むついで摂津大坂に奔る(公補)
 
1535 天文 4 乙未 後奈良 足利義晴 滅後 254年 日院
3.8 讃岐10代日盛寂(過)8.7 京上行院10代〔京要法寺15代〕河内阿立正院日遵寂(寺譜)10.14 安房守護里見義堯保田日我と宗旨につき問答〔日我、堯我問答を録す〕(8ー394) ○山徒法華宗徒の法華宗号を称するをこばむ(別統)○細川晴元本願寺光教と和す(天日) 9.3 大内義隆日華門修理の資を献ず(後奈良)11.1 朝倉孝景即位の資を献ず(後奈良)
 
1536 天文 5 丙申 後奈良 足利義晴 滅後 255年 日院
1.1 富士妙蓮寺11代日義寂(過)6.22 保田日我、道代の年貢について久遠寺置文を記す(保文)6月 佐瀬大隅守会津実成寺の諸役を免ず(寺誌)7.27 天文法乱により上行院・住本寺焼失(5ー54)9.6 今川義元重須本門寺の臨時諸役を免除し地頭代官の入るを停む(8ー153)9.11 今川義元大石寺門前諸役及棟別銭を免ず(8ー38)10.9 重須7代日国寂(過) 7.27 法華宗徒叡山衆徒と京四条口に戦い洛中過半焼失す〔天文法乱〕(天日)閏10.7 幕府法華宗徒の洛中徘徊を禁ず(能書) 3.17 今川氏輝卒24(系図)9.4 大内義隆の部将陶興房小弐資元を肥前多久城に攻めて自刃せしむ(北肥)
 
1537 天文 6 丁酉 後奈良 足利義晴 滅後 256年 日院
2.21 北条氏綱大石寺に制札を掲ぐ(8ー39)6.15 日向本永寺日杲保田日要談の六人立義草案を新大夫阿日鎮に伝授(4ー76)7.7 日向定善寺日揚並学頭日杲、保田日我を激励(8ー85)11.14 広蔵院日辰堺本伝寺に於いて種脱得意抄を著す(奥)11.24 広蔵院日辰不軽蓮祖立行記を著す(宗年)小泉久遠寺焼失(保文) ○山徒法華宗号を停止せられんことを朝廷に訴うるにより佛心院日・宗号綸旨を示して之を駁す(竜略) 10.3 三条西実隆卒83(公補)実隆公記・雲玉集の著あり12.1 毛利元就嫡子隆元を大内義隆の許に遣わし質となす(毛文)
 
1538 天文 7 戊戌 後奈良 足利義晴 滅後 257年 日院
1.16 保田日我勧学図を書して寺中を誡む(8ー262)8.6 北条氏綱重須本門寺の寺領を安堵す(8ー153) 7.1 大内義隆、朝鮮に大蔵経を求む(大内録) 7.17 播磨守護赤松政村尼子詮久に破らる(天日)7月 備後守護山名氏政大内義隆に神辺城に攻められて自殺す(系譜)
 
1539 天文 8 己亥 後奈良 足利義晴 滅後 258年 日院
6.1 香川元景讃岐本門寺守護の事を老臣に通達す(8ー140)9.6 伊豆実成寺11代日相寂(過) 5.14 隆門日経御義口伝を書写す〔妙徳寺本〕(奥)9.15 法華宗徒京へ還住せんことを幕府に請う内談衆之を議す(大常記) 閏6.13 三好範長細川晴元と戦わんとす義晴之を諭止す(大常記)
 
1540 天文 9 庚子 後奈良 足利義晴 滅後 259年 日院
1.13 広蔵院日辰本門八品同異抄を著す(奥)11.16 広蔵院日辰宗要集2巻を著す(奥) 6.6 織田信秀の兵三河安祥城を陥る(三語)6.17 疾疫流行(三宝書)9.4 尼子詮久毛利元就を安芸郡山城に攻む(毛文)
 
1541 天文10 辛丑 後奈良 足利義晴 滅後 260年 日院
○広蔵院日辰建仁寺に外典を学ぶ(5ー55) 1.13 毛利元就・陶隆房等尼子詮久の兵を安芸宮崎に破る(毛文)7.19 北条氏綱卒55(過)10.30 義晴難を慈照寺に避け翌日近江坂本に移る(大常記)
 
1542 天文11 壬寅 後奈良 足利義晴 滅後 261年 日院
3.24 重須日耀神天上勘文を書写す(宗全2ー62)6.12 今川義元大石寺に制札を掲ぐ(8ー39) 1.24 京本隆寺3代日昌寂85(過)11.14 法華宗徒帰洛再興の綸旨を賜うも還住ならず(隆記・霊記) 3.17 木沢長政畠山稙長に河内太平寺に斬らる(継記)3.28 義晴坂本より帰洛す(継記)
 
1543 天文12 癸卯 後奈良 足利義晴 滅後 262年 日院
9.12 今川義元安堵状を重須本門寺に与う(8ー154)○伊豆実成寺僧日量川奈の庵室を改め蓮慶寺を創す(寺誌) 2.14 織田信秀禁裏御修理要脚を献ず(多聞記)5.7 大内義隆尼子晴久を出雲富田城に攻めて克たず軍を班す(毛文)7.25 細川氏綱管領たらんとし細川晴元と和泉堺に戦う(多聞記)○ポルトガル船種子島に漂着し鉄砲を伝う(南浦)
 
1544 天文13 甲辰 後奈良 足利義晴 滅後 263年 日院
2.25 日向学頭日杲寂77(過)7.6 保田日我神佛本地見聞を著す(奥)11.20 今川義元下知状を重須本門寺に与う(8ー154)▽宣了坊日浄出雲馬木に八植寺を創す(寺誌) 7.6 義晴細川晴元と和す(継記)
 
1545 天文14 乙巳 後奈良 足利義晴 滅後 264年 日院
1.1 広蔵院日辰住本寺日在の付属を受く(宗年)2.11 保田日我彼岸説法草案を記す(奥)3.10 保田日我安国論見聞私を著す(奥)4.7 保田日我申状見聞を著す(4ー134)4.21 保田日我一帖玄文尼崎抄聞書〔蟇蛇異見抄〕を著す(奥)9.15 京住本寺日辰北野神宮寺に一切経を閲す(5ー55)12.12 保田日我年中行事を著す(1ー351)○兵部阿日義小泉久遠寺代官分となる(保分)○要法寺日性生る(5ー65) 10月 身延山祖師堂建立(延建) 9.20 松平広忠三河安祥城を攻む織田信秀来援して広忠を破る(寛政譜)9.26 上杉憲政北条氏康の属城武蔵河越城を攻む(鎌九)
 
1546 天文15 丙午 後奈良 足利義輝 滅後 265年 日院
1.23 保田日我化儀秘決を著す(1ー325)7.2 保田日我堺本伝寺置文を記す(石蔵)8.15 日向定善寺臼杵院日助曽我物語10巻を写す〔妙本寺本〕(奥)9.29 朝比奈親徳保田日我の小泉久遠寺再興の願により同寺の諸役を免ず(8ー85) 6.17 京本隆寺4代日映寂59(真門綱要)12月 京奉行法華宗諸寺帰洛あるべき旨を京本圀寺に通告す(圀譜) 4.20 北条氏康武蔵河越城を救い足利晴氏・上杉憲定・同朝定を破る(喜鑑)
 
1547 天文16 丁未 後奈良 足利義輝 滅後 266年 日院
1.10 保田日我、兵部阿日義を久遠寺代官とし僧俗に置文す(8ー86)春 小泉久遠寺再建(保文)7.2 京住本寺日辰一切経の披閲畢る(5ー55)8.10 京住本寺日在本是院日叶〔左京阿日教〕所談の百五十箇条を写す(2ー246)▽住本寺日辰大蔵経抜萃50巻を録す(該書) ○武田信玄法華宗徒と浄土宗徒の諍論を禁ず(甲鑑) 6.19 義晴・義藤等北白川城を焼きて近江坂本に奔る(公補)
 
1548 天文17 戊申 後奈良 足利義輝 滅後 267年 日院
11月 京住本寺日辰京上行院・住本寺の合併を企て新条目15ケ条を定む(8ー104・8ー241) ○京法華宗徒山徒と和解し帰洛還住の内諾を得(辰伝)
 
1549 天文18 己酉 後奈良 足利義輝 滅後 268年 日院
11.6 保田日我小泉久遠寺置文を定む(保文) 7.3 ヤソ会宣教師ザビエル鹿児島に来り天主教を伝う(西史) 6.24 三好長慶の部将十河一存三好政長を摂津江口に殺す(鹿日)6.27 細川晴元・六角義賢と共に義晴・義藤を擁して東山に退き翌日近江東坂本に奔る(鹿日)11.9 今川義元の命により織田信広を三河安祥城に攻めて之を捕え織田氏に質たる松平竹千代と交換す(三語)
 
1550 天文19 庚戌 後奈良 足利義輝 滅後 269年 日院
3.19 京住本寺日辰京上行院・住本寺を合併して要法寺と号し京五条坊門綾小路堀川に建立(5ー54) 2.12 豊後守護大友義鑑家臣に殺害せらる(友記)5.4 足利義晴卒40(足官)9.15 大内義隆の部将陶隆房異心ありて義隆の今八幡宮に詣ずるを要撃せんとし事露れ周防に退く(新裁)11.21 三好長慶入京し義藤の居城中尾城に逼る、義藤城中に火を放ち堅田に奔る(継記)
 
1551 天文20 辛亥 後奈良 足利義輝 滅後 270年 日院
2月 三好長慶京要法寺に禁制を掲ぐ(8ー105) 7.14 三好長慶の部将松永久秀、細川晴元の将三好政勝・香西元成等を相国寺に攻めて之を破る(畿乱)9.1 大内義隆部将陶隆房に襲われ周防山口を出奔し子義尊と共に長門大寧寺に自殺す(新裁)
 
1552 天文21 壬子 後奈良 足利義輝 滅後 271年 日院
3.20 今川義元先例に任せて重須本門寺の諸役を免ず(8ー155)6.21 保田日我稟権出界抄見聞私を著す(奥)6.30 保田日我初心成佛抄見聞私を著す(奥) 1.10 上杉憲政北条氏康に逐われ上野平井城を去り越後長尾景虎に頼る(鎌管)1.28 義藤三好長慶と和し近江堅田より帰洛す、細川晴元薙髪して若狭に奔る(継記)
 
1553 天文22 癸丑 後奈良 足利義輝 滅後 272年 日院
2.26 重須日出甲斐に正法寺を創す(寺誌)4月 広蔵院日辰本迹往来抄を著す(石蔵写)4月 広蔵院日辰調御寺記録を著す(石蔵写)7.13 保田妙本寺兵禍焼失(8ー263)8.25 保田日我谷山妙顕寺の置文を定めこれを法泉坊日鎮に与う(保文) 3.8 義藤三好長慶との和破れ山城霊山城に入る(継記)8.1 三好長慶霊山城を陥る義藤杉坂に奔る(継記)8月 村上義清武田信玄と信濃に戦い敗れて越後に奔り長尾景虎に頼る、景虎之を援け信玄と信濃川中島に戦う(甲鑑)
 
1554 天文23 甲寅 後奈良 足利義輝 滅後 273年 日院
4月 広蔵院日辰本迹問答を著す(5ー55)12.3 広蔵院日辰法印に叙せらる(8ー105) 3月 武田信玄今川義元を援け北条氏康と駿河刈屋川に戦う(北五)11.7 氏康下総古河城を陥れ足利晴氏・藤氏父子を相模波多野に幽閉す(北五)
 
1555 弘治 1 乙卯 10.23 後奈良 足利義輝 滅後 274年 日院
6.7 今川義元大石寺門前諸役及棟別銭を免ず(8ー40)10.25 京住本寺12代〔京要法寺18代〕長遠院日在寂80(過)11.17 広蔵院日辰京要法寺に住す(5ー55)12.24 保田日我恵心流一流相伝大事上巻を記す(8ー264・石蔵写)○日主生る(聖751) 7.26 京本禅寺5代日導寂55(過)11.29 隆門日政諸宗問答抄を著す(奥) 7.19 武田信玄、上杉謙信信濃川中島に戦う(八妙記)10.1 毛利元就陶晴賢を安芸厳島に襲撃す晴賢敗れて自殺す(毛文)○倭寇明を侵す(献徴)
 
1556 弘治 2 丙辰 後奈良 足利義輝 滅後 275年 日院
2.11 保田日我恵心流一流相伝大事下巻を記す(8ー264・石蔵写)2.23 保田日我七面決当台両家之抄出を録す(石蔵写)3.28 讃岐11代日秀寂(過)6.23 京要法寺日辰、日誉と共に霊宝拝見のため重須に向う(5ー56)7.7 京要法寺日辰重須に霊宝を拝し、二箇相承を日耀に写さしむ(西山蔵)7.8 京要法寺日辰大石寺妙行坊〔久成坊〕日悦を訪う(5ー41)7.22 京要法寺日辰帰洛(5ー56)○京要法寺日辰止観見聞抄を著す(5ー56) 4.21 朝倉義景一向門徒と和す(加越記) 4.20 斎藤利政〔道三〕織田信長の援により子義竜と美濃長良川に戦いて敗死す(江濃)
 
1557 弘治 3 丁巳 正親 足利義輝 滅後 276年 日院
2.21 重須8代日耀寂(過)3.10 保田日我鎌隼問答を著す(奥)7.5 西山11代日心寂60(過)10.19 京要法寺日辰迹門前後五妙抄2巻を著す(奥)11.16 今川氏真重須本門寺の寺領を安堵す(8ー155)11.30 京要法寺日辰法華訓蒙抄3巻を著す(石蔵写) 3.3 毛利元就周防須々万城を陥るついで同国の諸城を陥る(新裁)4.3 大内義長自殺す(新裁)
 
1558 永禄 1 戊午 2.28 正親 足利義輝 滅後 277年 日院
1.13 京要法寺日辰玄七略大綱2巻を著す(石蔵写)3月 京要法寺日辰分別品記を著す(奥)4月上旬 会津日要佛天神秘問答抄を著す(石蔵写)7.7 京要法寺日辰本門十妙抄2巻を著す(石蔵写)8.23 京要法寺日辰甲斐を経て 10.1 重須に至る(5ー56)11.7 西山日建付属状を京要法寺日辰に与う(8ー171)11.9 要法寺日辰寂円入道を使し大石寺日院に書を送り富士各山の通用をはかる、11.15 日院これを拒否(9ー63)11.20 京要法寺日辰本迹問答抄2巻を著す(5ー55)12.4 京要法寺日辰造佛論義を著す(宗全8ー458)12.14 京要法寺日辰負薪記を著す(宗全23ー94) 6.29 京本隆寺5代日諦寂75(真門綱要) 5.3 義輝及び細川晴元近江坂本に陣す(継記)11.27 義輝三好長慶と和し入洛す(畿乱)
 
1559 永禄 2 己未 正親 足利義輝 滅後 278年 日院
1.9 京要法寺日辰、日代自筆の五人所破抄を写す(5ー56)1.12 京要法寺日辰、日住・日玉等のために再び重須霊宝二箇相承・本門寺領等を拝し日興自筆の一代五時図を写す(5ー56)1.18 京要法寺日辰小泉において代官兵部阿日義の写本により日興跡条々之事等を写す(5ー33)1.20 京要法寺日辰二箇相承を写す(5ー56)1.23 京要法寺日辰重須において従開山伝日順法門を写す(宗全2ー393)2.3 京要法寺日辰自写の一代五時鶏図を真蹟と校合、又八通の遺状を写す(5ー56)2.5 京要法寺日辰法華勉旃抄3巻を著す(奥)3.3 京要法寺日辰神天上勘文を写す(宗全2ー62)3.6 京要法寺日辰重須日出の法灯付属の勧誘を拒否(6ー42)9.10 京要法寺日辰読誦論義を著す(宗全8ー486)11.5 富士妙蓮寺12代日顕寂(過)11.10 京要法寺日辰法華3部に対し60箇条の論義を作る(5ー56) 2.2 織田信長上洛す(継記)
 
1560 永禄 3 庚申 正親 足利義輝 滅後 279年 日院
7.2 京要法寺日辰法華二論義得意抄6巻を著す(5ー56)7.20 京要法寺日辰産湯相承を書写す(宗全2ー37)8.17 今川氏真大石寺の諸役を免ず(8ー41)8.28 今川氏真、小泉久遠寺の諸役を免ず(保文)10.13 保田日我西国総門徒中に対し掟書きを示す(保文)11.7 京要法寺日辰祖師伝を著す(5ー54)12.10 京要法寺日辰日尊自筆の本因妙抄を写す(8ー100)秋 泉蔵坊日堯伊豆大見本弘寺において日有雑々聞書を写す(2ー167) 2.15 毛利元就・隆元父子即位の資を献ず(毛文)5.19 尾張桶狭間の戦い今川義元戦死(信長記)12.24 尼子晴久卒47(系図)
 
1561 永禄 4 辛酉 正親 足利義輝 滅後 280年 日院
1.22 保田日我久遠寺妙本寺惣血脈筋1紙を書す(保文)3.2 保田日我観心本尊抄抜書を著す(4ー137) 1.24 三好義長・松永久秀入洛す(後鑑)3.7 長尾景虎上杉憲政を奉じて相模に入りついで北条氏康父子を小田原城に攻む(相乱)5.14 信長斉藤竜興と美濃に戦う(信長記)
 
1562 永禄 5 壬戌 正親 足利義輝 滅後 281年 日院
2.26 保田日我妙本寺の置文を定む(保文)4.10 重須日出重須西山通用之事1札を書す(9ー12)8月 寂日坊日誉富士上条に妙喜寺を創す(寺誌)○日昌生る(聖752) 3.5 三好義賢畠山高政等と和泉久米田に戦いて敗死す(畿乱)4月 土一揆蜂起により六角義賢洛中に徳政を令す(畿乱)6.2 六角義賢三好長慶と和す(足季)
 
1563 永禄 6 癸亥 正親 足利義輝 滅後 282年 日院
6月 京要法寺日辰西山法善坊へ返状を送る(石蔵写)12.13 京要法寺日辰富士与当家異義を著し富士の所立と尊門の異を弁ず(石蔵写)○京要法寺日辰重須西山の和解をはかる(6ー36) 秋 三河に一向一揆起こる(三語)○京本隆寺日雄一経読否之論・仏像造不之論を著す(宗全11ー270) 3.1 細川清元卒50(細記)7.6 松平元康今川氏真と絶ち家康と改名す(徳譜)8.4 毛利隆元卒41(新裁)
 
1564 永禄 7 甲子 正親 足利義輝 滅後 283年 日院
8.5 仏心院日・一致勝劣和睦内談のため上洛(宗全19ー237)8.20 京法華宗諸山今村泰之の仲裁により一致勝劣和睦条目を定む〔永禄の盟約〕(能書)8月 真門日修安国論科註2巻を著す(序)11月 真門日修御書要文2巻を編す(奥) 1.8 里見義弘北条氏康・氏政父子と下総国府台に戦いて敗る(相乱)7.4 三好長慶卒42(系譜)
 
1565 永禄 8 乙丑 正親 足利義栄 滅後 284年 日院
8月 長房元清京要法寺の軍用寄宿を免除(宗年)9.6 伊豆実成寺12代日経寂(過)○兵部阿日義〔日殿〕保田日我に無断にて重須に住し師の破門を受く(保文) 6.8 不受安国院日奥京に生る(金覚過)○京の宣教師追放さる(継記) 5.19 三好義継松永久秀等に弑せらる(継記)11.13 信長養女を武田勝頼に嫁せしむ(甲鑑)
 
1566 永禄 9 丙寅 正親 足利義栄 滅後 285年 日院
1.25 宰相阿日侃雑々・拾を著す(保文)8.11 保田日我塔婆之意趣を著す(石蔵写) 9.12 真門日修蓮公薩・略伝を著す(序) 2.17 三好三人衆、畠山高政を河内上芝に破る(継記)8.29 義秋若狭に移り武田義統に頼るついで越前に赴き朝倉義景に頼る(多聞記)11.19 毛利元就尼子義久を出雲富田城にせめて之を降す(毛文)
 
1567 永禄10 丁卯 正親 足利義栄 滅後 286年 日院
3.21 保田日我穂田郷橋本の勧乗坊地につき置文を記す(保文)10.10 富士妙蓮寺13代日伝寂(過)10.13 保田日我久遠・妙本両寺を宰相阿日侃に付す(保文)京要法寺日辰本尊抄略消3巻を著す(石蔵写)○日院幸島の妙行坊に命じて日主〔13才〕を付弟となし下野平井信行寺に置く(聖750)○日就生る(聖753) 10.10 松永久秀東大寺大仏殿を焼く(皇略) 5.27 信長息女を徳川家康の子信康に嫁せしむ(徳譜)8.23 ポルトガル船長崎に来航す(長由)
 
1568 永禄11 戊辰 正親 足利義昭 滅後 287年 日院
4月 佛心院日・堺に妙国寺を創す(己記)11.4 佛心院日・京頂妙寺に文句の講を始む〔文句無師25巻〕(奥)○信長京に南蛮寺を創す(台略)  7.25 信長義昭を越前より美濃立教寺に迎う(信長記)9.26 織田信長、足利義昭を奉じて入京(信長記)12.9 信玄駿河松野に侵入(石文)12.13 信玄駿府城を焼く(甲鑑)12.27 家康今川氏真を掛川城に攻む(菅沼家譜)
 
1569 永禄12 己巳 正親 足利義昭 滅後 288年 日院
2.4 重須諸堂武田信玄の兵火に罹り御影を沼津在静浦本能寺に移す(9ー12)2.7 大石寺諸堂武田信玄の兵火に罹る(石文)7.5 武田信玄高札を富士妙蓮寺に与う(8ー114)7.15 武田信玄高札を西山本門寺に与う(8ー172)8.20 京要法寺日辰会通同異抄を著す(石蔵写) 12月 武田信玄駿河岩本実相寺を焼く(実状) 1.5 三好長逸等義昭を京本圀寺に囲む(継記)4.14 義昭二条第に・る(継記)10.10 信長北畠具教を和す(信長記)11.23 武田信玄駿河に侵入(甲鑑)11月 信長出張のため堺動乱す(行記)12.7 信玄再び駿府の館に入る(甲鑑)
 
1570 元亀 1 庚午 正親 足利義昭 滅後 289年 日院
8.13 今川氏真重須本門寺の寺領を安堵し諸役を停止(8ー156)11.15 保田日侃隠遁につき総門中に対して久遠寺・妙本寺置文を記して後董を求む(8ー89) 9.12 本願寺光佐諸国の宗徒に檄して挙兵し信長の営を襲う(信長記)▽沼本彦左衛門入道宗蓮美作久米郡弓削町に蓮久寺を創す(寺誌) 2.30 信長・家康上洛す(信長記)3.1 信長参内し皇居の修理工事を視る(信長記)6.28 信長近江姉川に浅井長政を破る(信長記)○信玄駿河根方興国寺城を攻む(1ー197)
 
1571 元亀 2 辛未 正親 足利義昭 滅後 290年 日院
2.28 御義口伝元亀本成る(上巻大石寺蔵・下巻要法寺蔵)4.21 京要法寺日辰法則抄を著す(石蔵写)10.16 保田日我寺中を誡む(保文) 5.12 信長伊勢長島の一向宗徒を撃たんとし尾張津島に陣す(信長記)8.2 幕府法華宗の不受不施の立義を認む(不受記)9.12 信長延暦寺を焼く(継記) 6.14 毛利元就卒75(系譜)10.3 北条氏康卒57(寛政譜)
 
1572 元亀 3 壬申 正親 足利義昭 滅後 291年 日院
6.1 保田日我その弟子兵部阿日義無断にて日殿と改め重須に住するにつき隠居日出を問詰す(保文)6.25 保田日我三大秘法等25通の切紙を書す(保文)京要法寺日辰法度を定む(8ー242) 4.11 武田信玄身延山に延暦寺を復興のため久遠寺を他に移さんとするも不調となる(別統)8月 京法華宗諸寺法式を定む(宗全19ー179) 9月 信長義昭に異見17箇条を出して其の失政を諌む(信長記)12.22 信玄家康と遠江の三方原に戦い家康を敗る(三語)
 
 前へ  次へ 
 
 
ダウンロード TXT.lzhファイル
富士年表目次
ホームへ 富士門流の再興を考えよう nbの独り言の部屋
nb 資料室 正信掲示板 継命新聞
メール 愚者・迷者談義 雑談掲示板