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富士年表6 
(1573年〜1622年)
西暦 年号 干支 改元 天皇 武家 年号(B) 改元(B) 天皇(B) 聖寿・聖滅 歴代 富士門下事項 門下・一般宗教事項 国史事項 備忘録
 
1573 天正 1 癸酉 7.28 正親 足利義昭 滅後 292年 日主
2.15 日主左京阿日教著穆作抄を写す(2ー288)4月 日主陸前柳ノ目完蔵坊の常住本尊を中将日伝に授与(8ー198)8.19 日主霊宝虫払を修す(8ー43)9月 保田日我・日侃奏聞せんとして果さず(8ー379)12.26 武田勝頼諸役免除等の保護状を西山本門寺に与う(8ー172) 3月 常楽院日経常陸山崎において浄土宗と問答(毒鼓)○要行寺日統下総飯塚光福寺に講肆〔飯高檀林の前身〕を開く(福書) 1.11 義昭信玄をして信長・家康と和せしむも信玄拒む(甲鑑)2.26 義昭・信玄、信長を撃たんとす(信長記)4.4 信長義昭を二条第に囲む(信長記)4.12 武田信玄卒53(甲鑑)8.20 信長兵を遣わして朝倉義景を囲み之を自殺せしむ(信長記)8.28 近江小谷城主浅井長政自殺す29(信長記)11.19 信長三好義継を河内若江城に攻めて之を殺す(信長記)
 
1574 天正 2 甲戌 正親 織田信長 滅後 293年 日主
6.1 安房守護里見義堯卒68(8ー400)9.12 武田勝頼大石寺及び重須本門寺の寺規を定め両寺の修造興隆に努めしむ(8ー45・8ー157)9.12 保田日我里見義堯追善の記録百ケ日記を著す(8ー400)○聖主院日顕石見大森銀山に本法寺を創す(寺誌) 1.18 謙信、信長・家康と謀り武田勝頼を撃たんとし西上野に出陣す(伊文)9.29 信長長島を陥る(信長記)
 
1575 天正 3 乙亥 正親 織田信長 滅後 294年 日主
4.16 京要法寺日辰壽量品見聞を著す(石蔵写)9月 聖主院日顕佛像儀記を著す(宗年)○聖主院日顕石見大森銀山に本経寺を創す(寺誌) 8月 京一致勝劣諸寺法度を定む(宗全20ー298)10.6ー7 佛心院日・徳島において浄土宗と問答(宗全19ー247)10.21 信長本願寺光佐の和を諾す(信長記)10.25 日蓮の義、宗にあらざる綸旨を京智恩寺に下す(三宝書)
 
1576 天正 4 丙子 正親 織田信長 滅後 295年 日主
4.12 武田勝頼富士妙蓮寺の諸役を免ず(8ー114)6.9 三浦右馬助此年より重須本門寺に永年900文を寄す(8ー172)8.13 跡部勝資〔武田勝頼の臣〕富士妙蓮寺諸役を免ず(8ー115)8.18 保田日我夢想記を著す(保文)12.15 京要法寺19代広蔵院日辰寂69(過) 6.6 信長入京(信長記)11.26 信長北畠具教を殺さしむ(公補)
 
1577 天正 5 丁丑 正親 織田信長 滅後 296年 日主
3.16 上総本乗寺日膳保田日我の化儀秘決を写す(1ー325)閏7.5 聖主院日顕御本尊要義草案を著す(宗年)7.14 西山12代日建寂(過)○保田妙本寺再建(寺誌)○重須日殿駿河大岩に妙泉寺を創す(寺誌) 2.1 村井長門守貞勝京法華宗僧俗に不受不施につき注意す(延書)9.23 京法華宗僧俗より不受について心得を幕府に呈す(延書)▽教蔵院日生下総に飯高檀林を創し法華文句の講を始む(別統) 2.13 信長京を発して紀伊雑賀を征す(信長記)10.10 松永久秀織田信忠等に攻められて自殺す(信長記)
 
1578 天正 6 戊寅 正親 織田信長 滅後 297年 日主
4.22 保田日我当門徒前後案内聞書を著す(保文)6.20 保田日我我邦雑記を著す(石蔵写)7.5 重須日殿保田日我に和を請う(保文)○重須本堂再建成る(9ー12)▽聖主院日顕石見川本に妙船寺を創す(寺誌) ○備前法華の僧徒300余人美作の浄土宗誕生寺を襲う(作陽史) 1.1 信長四方拝・小朝拝・節会の資を献ず(信長記)3.13 上杉謙信卒49(系譜)11.9 信長諸将をして村重を撃たしむ(信長記)11.12 島津義久大友義鎮を破る(島史)
 
1579 天正 7 己卯 正親 織田信長 滅後 298年 日主
2.17 跡部勝資富士妙蓮寺々領を安堵す(8ー115)○重須本門寺本堂・御影堂再建(教報) 5.27 安土問答、普伝日門・塩屋伝助浄厳院にて斬首さる(宗全19ー251・安録)9.12 信長上洛重ねて法難起こる(宗全19ー252)9.16 黄金200枚の御札をもって法難止む(宗全19ー252)12月 本覚院日陽安土問答顛末を記す(該状) 4.23 勝頼江尻に出で家康と対陣す(君譜)10.30 宇喜多直家信長に降る(信長記)
 
1580 天正 8 庚辰 正親 織田信長 滅後 299年 日主
▽長遠院日祇出雲今市に慈眼寺を創す(寺誌)▽宇部弘政保田妙本寺に田地を寄す(保文) 閏3.7 本願寺光佐信長と和す(信長記)▽教蔵院日生京に帰り松ケ崎に檀林を創し法華文句を講ず(別統) 1.17 秀吉三木城を陥る城将別所長治自殺す23(信長記)
 
1581 天正 9 辛巳 正親 織田信長 滅後 300年 日主
大聖人300遠忌3.17 重須本門寺二箇相承等の重宝を西山衆徒並びに武田勝頼の臣増山権右衛門等のために奪わる(9ー24)3.28 重須日殿重宝返還の訴状を武田勝頼に致す(9ー16)6.10 富士妙蓮寺14代日堯寂(過)6.29 保田日我法華経大意を著す(石蔵写)10.13 武田勝頼西山・重須の諍論を裁定す(8ー173)12.25 保田日侃・隠居日我島津藩に日向の保田妙本寺末庇護の事を訴う(8ー90) 8.30 信長高野山の僧千余人を斬る(信長記)○佛乗院日惺池上本門寺に住す(別統) 3.22 家康勝頼の属城遠江高天神城を陥る(三語)
 
1582 天正10 壬午 正親 豊臣秀吉 滅後 301年 日主
日興・日目250遠忌2.6 重須日殿武田方に宝物返還の訴願入れられず断食憤死す57(過)2月 重須再住日出徳川家康甲州攻めの砌聖教曼荼羅を贈る、家康凱旋の時之を返納す(寺誌)3.13 泉沢小四郎佐渡世尊寺に寺領を寄す(8ー157)10.28 徳川家康の臣本多作左衛門、武田方押奪の宝物を取り返し西山本門寺に寄進す(8ー174)11月 徳川家康重須日出の請により井出甚之助に命じ重須本門寺に用水堀を作らしむ(8ー159・寺誌)12.2 本多弥八郎徳川家康の命により西山本門寺より宝物64点を重須本門寺へ返さしむ(9ー21)▽保田日我二箇相承紛失証明を録す(9ー22) 1.28 大友・大村・有馬三氏ローマ法王に少年使節を派遣(西史)2月 家康勝頼を攻む(9ー24)3.11 勝頼天目山麓に一族と亡ぶ(寺記)○秀吉光秀を山崎に破る(大閤記)
 
1583 天正11 癸未 正親 豊臣秀吉 滅後 302年 日主
2.15 大石寺僧中納言日誉〔与〕摂津長柄に源立寺を創す(寺誌)2.26 甲斐平岡岡右衛門、徳川家康の命により西山本門寺の宝物を重須本門寺に返還す(9ー22・寺誌)7.25 讃岐12代日堯寂(過)8.7 伊豆実成寺13代日証寂(過)10.5 大石寺規矩を定め門前に市を立つるの儀を停止す(5ー324)10.5 徳川家康の臣井出甚之助富士妙蓮寺・西山本門寺の諸役を免ず(8ー116・8ー175)日昌飯高に入檀(聖751) 9.5 京妙顕寺二条より洛外に移転の命を受く(宗全19ー128) 4.21 秀吉柴田勝家を賎獄に破る(太閤記)4.24 柴田勝家越前北荘に自殺す(秀記)8.1 滝川一益秀吉に降る(太閤記)9.1 秀吉大坂城を築く(秀記)
 
1584 天正12 甲申 正親 豊臣秀吉 滅後 303年 日主
1月 実蔵院日・東福寺に一切経を閲し佛蔵心宝115巻を著す(霊記・5ー64)3.3 井出甚之助富士妙蓮寺の寺領を安堵せしむ(8ー116)3.13 井出甚之助・清彦三郎、大石寺の諸役免ず(8ー45)11.7 讃岐本門寺御番次第及び山規を定む(8ー239)▽京要法寺僧玉泉院日養大坂天満に蓮興寺を創す(過) 5.1 秀吉比叡山の再興を許す(寺書)7.18 法華宗秀吉の命により安土問答以来の逼塞を除かる(安由)○京妙顕寺現在地に移築成る(建表) 11.11 秀吉、北畠信雄と和す(太閤記)
 
1585 天正13 乙酉 正親 豊臣秀吉 滅後 304年 日主
1.13 会津実成寺9代日要寂(過)3月 泉沢小四郎佐渡世尊寺に制札を立つ(8ー158)7.25 保田日我保田5代中納言阿日伝の法度3ケ条を写し寺中を誡む(保文)8.2 保田日我保田11代三河阿日要の置文を写す(保文)11.25 要法寺日性権大僧都に任ぜらる(寺書)▽讃岐本門寺大檀那秋山家及び讃岐国中諸士の領地仙石氏に没収さる(寺誌) 4.3 上総伊北妙泉寺に大野光福寺8代日穏等と天台宗東陽寺僧徒と宗論し日穏等討死す(比企文)5.3 池上日惺末寺一般に上総法難の助力を命ず(寺書)7.18 秀吉浄土宗側より安土問答の際の誓状及び法衣等を取上げ法華宗へ返還す(己記) 3.20 秀吉根来雑賀の一揆を降す(秀記)7.11 秀吉関白となり豊臣の姓を賜う(公補)8.20 秀吉越中に入り佐々成政を降す(多聞記)
 
1586 天正14 丙戌 後陽成 豊臣秀吉 滅後 305年 日主
3.10 実蔵院日・清彦三郎に書を致して大石寺と通用を計る(9ー67)8.11 実蔵院日・、権大僧都に任ぜらる(寺誌)9.2 実蔵院日・要法寺に住す(寺誌)11.11 保田・小泉14代大夫阿日我寂79(過)11月 保田日侃日我上人御臨終記を著す(保文) ○京大佛殿造営同16年成る(寺誌) 5.14 家康秀吉の妹〔朝日姫〕を娶る(当代記)10.27 家康大坂に登り秀吉に謁す(当代記)11.15 吉川元春卒57(寛政)
 
1587 天正15 丁亥 後陽成 豊臣秀吉 滅後 306年 日主
5.5 重須9代日出寂93(過)5.8 日主京要法寺日・と通用の申合せをなし日目の本尊を授与す(8ー199) 6.19 秀吉耶蘇教を禁ず(朱印格)▽京妙蓮寺及び京本能寺再建(建表) 1.1 秀吉九州征伐に向う(太閤記)3.1 秀吉大坂から九州に向う(太閤記)5.8 島津義久秀吉に降る(太閤記)5.18 大友宗麟卒58(寛政譜)6.7 秀吉筑前筥崎において九州封域を定む(太閤記)9.13 秀吉聚楽第を修築して之に移る(経記)
 
1588 天正16 戊子 後陽成 豊臣秀吉 滅後 307年 日主
3.19 京要法寺日・日興の本尊を日主に贈る(9ー68)5.15 京要法寺再建(宗年)11.15 保田日侃小泉・身延通用の扱いにつき小泉久遠寺日珍及び檀中に書を送りその結束を促す(保文) 5.8 藤堂高虎紀伊粉河に上行寺を創す(過) 4.14 天皇聚楽第に行幸(経記)7月 秀吉刀狩り令を下す(多聞記)○大小判金を鋳る(貨幣)
 
1589 天正17 己丑 後陽成 豊臣秀吉 滅後 308年 日主
7.6 13世日院寂72(大過去帳)12.27 京要法寺権少僧都大仙坊日朝〔のち自成院日堯と改む〕権大僧都に任ぜらる(寺書) 4.28 秀吉法華宗の不受不施の義を認む(不受記)9月 秀吉延暦寺を再建せしむ(台略) ○秀吉対島宗智を朝鮮に遣わして来聘を促す(鮮記)
 
1590 天正18 庚寅 後陽成 豊臣秀吉 滅後 309年 日主
3.10 井出甚之助寺領安堵状を重須本門寺に与う(8ー159)6.25 大雄院日恩身延山において万部経の結日大衆に説法す、貫主日新感銘し日興書写の始聞佛乗義を贈る(寺誌)12.28 秀吉重須本門寺に寺領50石の地を寄せ諸役を免ず(8ー159) 5.18 佛心院日・神道同一鹹味抄6巻を著す(奥)○京本法寺四条高倉より洛北に移る(建表)京妙覚寺日典佐渡塚原に正教寺を創す(寺書) 4.3 秀吉の全軍箱根を越えて小田原城を囲む(北五)7.5 北条氏直秀吉に降る(北五)11.7 秀吉朝鮮使を聚楽第に引見す(続隣)
 
1591 天正19 辛卯 後陽成 豊臣秀次 滅後 310年 日主
5.16 蒲生氏郷会津実成寺の諸役を免ず(8ー104)6.14 保田日侃本名肥後守を通じて庇護を里見家に訴う(8ー90)6.28 石見本法寺聖主院日顕寂72(過)6月 京要法寺秀吉の命により二条東朱雀京極に移る(過)7.28 里見義康保田妙本寺寺領3分の1を安堵す(8ー92)11.12 里見義康保田妙本寺の諸役を免ず(8ー93)▽小西檀林開創(別統) 1.21 京本圀寺日禎求法院檀林を創し一如院日重開講す(圀譜)3月 京本能寺洛中に移る(寺記)○加藤清正難波本妙寺を熊本に移す(寺誌) 2.28 茶道千家流祖千利休自殺(茶図)9.24 秀吉朝鮮征伐の令を下す(太閤記)
 
1592 文禄 1 壬辰 12.8 後陽成 豊臣秀次 滅後 311年 日主
○敬台院日詔生る(大過去帳) 11.14 本願寺光佐〔顕如〕寂50(東願譜) 1.5 秀吉朝鮮を攻む(黒田書)○秀吉異国渡海の朱印状を出す(通航)
 
1593 文禄 2 癸巳 後陽成 豊臣秀次 滅後 312年 日主
12.15 里見義康佐久間郷の田地5貫文〔3分の1〕を保田妙本寺に寄す(保文)12.26 保田日侃妙本寺を小泉日珍に譲り小泉久遠寺を学頭日成に相続せしむ(8ー93)○大雄印日恩堺に住本寺を創す(堺市史) 3.8 一如院日重自我偈私記を著す(巻首)
 
1594 文禄 3 甲午 後陽成 豊臣秀次 滅後 313年 日主
3.3 日盈生る(聖753)3月 富士妙蓮寺僧西福阿本覚坊日通駿河稲子真言宗西光寺を帰伏せしめ蓮光寺と改む(寺誌)8月 日昌京要法寺より大石寺へ登る(聖752) 11.7 京本隆寺7代日修寂71(過)真流正伝抄6巻の著あり○秀吉耶蘇教徒を捕え長崎に刑す(長志) 3.7 秀吉伏見築城の工を起こす(太閤記)7.20 堺の商人納屋助右衛門呂宋より帰る(太閤記)
 
1595 文禄 4 乙未 後陽成 豊臣秀頼 滅後 314年 日主
5月 本種院日陽権大僧都に任ぜらる(5ー59)5.18 本種院日陽法印に叙せらる(5ー59)○京要法寺日・当家略要集を著す(石蔵写) 1.14 一如院日重録外御書20巻を編す〔本満寺校訂録外〕(奥)7.24 京立本寺12代教蔵院日生松ケ崎本涌寺に寂43(別統)9.25 秀吉初めて大佛供養を修す(謗供)9.25 不受日奥不受不施の義を唱えて大佛供養の出仕を拒み陳状を秀吉に呈す(亀鏡)11.13 不受日奥法門格式を著す(亀鏡) 2.7 蒲生氏郷卒40(経記)7.15 秀吉、秀次を自殺せしむ(経記)8月 秀吉聚楽第を毀つ(当代記)
 
1596 慶長 1 丙申 10.27 後陽成 豊臣秀頼 滅後 315年 日昌
1.30 京要法寺日・同寺制状を定む(8ー243)9.1 日主下野小金井蓮行寺において法を日昌に付す(8ー47) 2.7 天台僧仙樹院日是江戸本庄牛島に常泉寺を創す(寺誌)3.29 秀吉京大佛伝において千僧供養を行なう(亀鏡)夏 池上日惺注法華経を写す(奥)7.16 家康の臣本多作左衛門上総小原に卒(寛政譜)8.23 寂照院日乾教誡律儀抄を著す(奥)9.13 不受日奥法華宗奏状を後陽成天皇に上る(亀鏡)11.25 秀吉再び千僧供養を行なう(亀鏡)○池上日尊飯高檀林に講堂を創し法輪寺と称し三大部を講ず(飯聖録) 閏7.13 畿内大地震(経記)9.1 秀吉明使揚方亭を大坂城に引見す表文の無礼を怒り使者を追還し再征を議す(高書)9.6 スペイン商船サンフェリベ号土佐浦戸に漂着(西史)
 
1597 慶長 2 丁酉 後陽成 豊臣秀頼 滅後 316年 日昌
4.26 横田村詮富士妙蓮寺の所役を免ず(8ー116) 8月 池上日惺陳状を前田玄以に呈す(顕書)12.12 池上本門寺五重塔建立(寺誌) 1.1 秀吉再び朝鮮を攻む(征録)1.13 加藤清正・行長等名護屋を発し西生浦に上陸す(征録)7.24 呂宋国入貢す(西史)8.28 足利義昭卒61(公補)
 
1598 慶長 3 戊戌 後陽成 豊臣秀頼 滅後 317年 日昌
3.28 不受日奥奏聞状を奉る(奥)4.21 陣門日豊法華談義10巻を著す(奥)7.6 池上12代佛乗院日惺寂49(両歴)8.27 中山12代堺妙国寺開基佛心院日・寂67(過) 5月 宇喜多秀家・小早川秀秋・毛利秀元・蜂須賀家政・藤堂高虎・脇坂安治等朝鮮から帰る(征録)8.18 豊臣秀吉卒63(太閤記)
 
1599 慶長 4 己亥 後陽成 豊臣秀頼 滅後 318年 日昌
8.11 京要法寺僧玉泉院日養〔大阪蓮興寺開基〕寂(過) 11.20 家康大坂城において不受日奥を京法華宗諸山と受不受の義につき対論せしむ(亀鏡)12月 不受日奥守護正義論を著す(奥)○心性院日遠飯高檀林の化主となる(別統)▽慧雲院日円下総に中村檀林を創す(別統) 1.10 秀頼大坂城に移る(慶聞)
 
1600 慶長 5 庚子 後陽成 豊臣秀頼 滅後 319年 日昌
3月 円智院日性法華伝記10巻刊(刊記)4.13 京要法寺日・法印に叙せらる(寺書)○日精生る(聖760) 2月 僧元佶家康の命により貞観政要を刊(刊記)5.30 不受日奥対馬に流さる(奥行記)11.15 一如院日重壽量品私見聞を著す(奥)12.4 京大佛殿焼失(了筌)○常楽院日経京妙満寺に住す(寺誌) 6.18 家康伏見より上杉景勝討伐に向う(言経)9.15 関ケ原の戦い(経記)10.1 家康、石田三成・小西行長・安国寺恵瓊を六条河原に斬る(経記)
 
1601 慶長 6 辛丑 後陽成 豊臣秀頼 滅後 320年 日昌
3.13 岩城黒須野東光坊〔妙法寺〕日敬、日興筆の法華経を大石寺に納む(8ー47)6.6 保田・小泉15代宰相阿日侃寂77(過)11.26 里見義康、保田日侃所持の田地10石を保田日珍に寄す(保文)12月 京要法寺塔中本地院より承慧日修著蓮公薩・略伝刊(刊記) 10月 家康耶蘇教を禁ず(西史)○妙智院日円備中高松稲荷山妙経寺を改宗再興(寺誌)○功徳院日通文義同類集30巻を著す(奥)○池上本門寺本堂成る(寺記) 5月 家康伏見に銀座を置き金貨銀貨を鋳造す(貨録)8.24 家康、上杉景勝の会津百万石を収め米沢30万石を与う(寛政譜)
 
1602 慶長 7 壬寅 後陽成 豊臣秀頼 滅後 321年 日昌
2月 京本願寺建立なる(東願譜)3.8 不受日奥御難記を著す(亀鏡)6.22 寂光院日淵神力品始終略講を著す(奥)7.30 京寂光院日淵嘱累品始終略講を著す(奥)10月 寂照院日乾宗門綱格2巻を著す(奥)12.30 円明院日澄著元祖大聖人註画讃5巻刊(刊記)○寂照院日乾身延山に住す(別統)○加藤清正領内に耶蘇教を禁令す(別統) 5.1 家康二条城を修築す(徳記)5.7 前田玄以卒64(徳記)6.24 家康江戸城中に文庫を建て金沢文庫を移す(慶聞)
 
1603 慶長 8 癸卯 後陽成 徳川家康 滅後 322年 日昌
2.18 唯心院日忠筑前博多において耶蘇教と問答(耶蘇教問答記)10.15 寂照院日乾身延山久遠寺霊宝記録を著す(奥) 2.12 家康右大臣に任ぜられ征夷大将軍に補せらる(公補)7.28 家康孫千姫を秀頼に嫁す(当代記)
 
1604 慶長 9 甲辰 後陽成 徳川家康 滅後 323年 日昌
3月 心性院日遠身延山に住す(別統)8月 不受日奥諌暁神明記を著す(奥)12月 心性院日遠身延西谷檀林を創す(延書) 12月 日本と朝鮮の和なる(続王)○幕府東海・東山・北陸の諸街道を修して一里塚を置く(当代記)○幕府初めて長崎港に唐通事を置く(長志)
 
1605 慶長10 乙巳 後陽成 徳川秀忠 滅後 324年 日昌
2.28 京要法寺日性校讎沙石集10巻を刊(刊記)▽京要法寺日性論語集解・大学・中庸等多数の和漢の書を刊行世に要法寺版と称す(寺誌)○日就江戸上野に常在院を創す開基檀那細井治良左衛門(縁起)○西山本門寺諸堂焼失(寺誌) 3月 家康活字をもって吾妻鏡を刊行(刊記)4.16 秀忠内大臣に任ぜられ征夷大将軍に補せらる(公補)5.8 織田秀信卒26(寛政譜)9.13 幕府呂宋人に毎年商船四艘の通航を許す(異朱)9.20 山内一豊卒61(寛政譜)
 
1606 慶長11 丙午 後陽成 徳川秀忠 滅後 325年 日昌
3.7 京要法寺日性法印に叙せらる(寺書)7.3 里見忠義保田妙本寺に50石6斗6升4合を寄す(8ー94・保文)
 
1607 慶長12 丁未 後陽成 徳川秀忠 滅後 326年 日昌
3.22 安房遠本寺日恩富士邪正記を著す(保文)3月 要法寺版文選刊(寺誌)○日昌法を日就に内付す(聖752) 3.5 家康四男尾張松平忠吉江戸に卒し、芝増上寺に葬る、池上日詔等諷経して供養を受けず(亀鏡)4.28 心性院日遠祈祷瓶水抄を註す(奥)6.4 中村檀林開祖慧雲院日円寂39(日文) 閏4.26 徳川義直尾張清須に封ぜらる(当代記)7.3 駿府城成り家康之に移る(当代記)
 
1608 慶長13 戊申 後陽成 徳川秀忠 滅後 327年 日昌
2.16 京要法寺20代実蔵院日・寂63(過)▽京要法寺日・の遺言により鳥辺山廟所に実報寺を創す(寺伝) 9.2 常楽院日経尾張熱田にて浄土宗徒と法論を起こし23条の問難を投ず(宗全23ー95)11.15 慶長法難、家康常楽院日経と浄土宗綽道を江戸城中において法論せしめんとす、その前夜日経宿所において暴漢に襲わる(日経自撰奥書)
 
1609 慶長14 己酉 後陽成 徳川秀忠 滅後 328年 日昌
2.26 井出志摩守甚之助〔駿豆代官〕卒58(重須過)7.2 大雄院日恩権大僧都に任ぜらる(寺誌)12.28 京要法寺日性御書註16巻を著す(該書) 2.16 京妙満寺26代京寂光寺開基久遠院日淵寂81(過)2.20 常楽院日経等6人京六条河原において削耳・削鼻の刑に処せらる(日経自撰奥書)3.13 常楽院日経謗法顕示筆端・法難記を著す(奥)4月 寂照院日乾録内五大部の祖書100部刊(圀譜)○不受日奥唱題勧発抄・釈尊八相記を著す(亀鏡) 7.25 家康オランダ国王に通商許可の朱印を授く(異記)9月 幕府西国諸大名の500石積以上の大船を検収す(当代記)
 
1610 慶長15 庚戌 後陽成 徳川秀忠 滅後 329年 日昌
○日舜生る(聖763) 9月 秀頼東山大佛殿を再興す(寺誌) 8.14 島津家久琉球王尚寧を率いて駿府に登り家康に謁すついで江戸に登り秀忠に謁す(当代記)8.20 細川藤孝〔幽斉〕卒77(寛政譜)10.18 本多忠勝卒63(寛政譜)
 
1611 慶長16 辛亥 後水尾 徳川秀忠 滅後 330年 日昌
8.20 西山13代妙円房日春寂(過)11.26 伊豆実成寺14代山下阿日迦寂(過)12.15 重須養運坊、本門寺棟札・二箇相承を徳川家康の台覧に供す(駿政)○日典生る(聖767) ○安国院日習権実決疑章を著す(遺新)
 
1612 慶長17 壬子 後水尾 徳川秀忠 滅後 331年 日昌
○春 讃岐大仁公日円、重須本門寺に至る〔重須讃岐本末係争の発端〕(9ー118)○日忍生る(聖768) 1.5 不受日奥赦免、在島13年(亀鏡)3.21 幕府耶蘇教を禁じ所司代板倉勝重に命じて京の耶蘇教会堂を毀たしむ(慶録) 10.29 オランダ王書を家康に贈りポルトガルの密謀を告ぐ(異記)
 
1613 慶長18 癸丑 後水尾 徳川秀忠 滅後 332年 日昌
7.29 京要法寺日性銀子570匁を同寺に寄進(寺書)11.13 京要法寺日性諸堂灯明料を同寺に寄進(寺書)11.28 日昌磐城三春に法華寺を創す(寺誌) 11月 家康諸寺に対して15ケ条文を下し切支丹並びに不受不施を禁止(徳禁)○寂照院日乾三日講論義10巻を著す(奥)○常楽院日経本迹問答用心記を著す(奥) 1.25 池田輝政卒50(寛政譜)9.1 家康イギリス船司令官ジョン・セーリスに復書し通商を許す(異記)
 
1614 慶長19 甲寅 後水尾 徳川秀忠 滅後 333年 日昌
1.11 京要法寺日性伽藍修復料を同寺に寄進(寺書)2.26 京要法寺21代大僧都法印日性寂61(過) 8月 家康大佛供養を停止す(徳記)9.24 高山南坊・内藤徳庵等の耶蘇教徒を海外に追放す(西史) 7.12 角倉了以卒61(寛政譜)
 
1615 元和 1 乙卯 7.13 後水尾 徳川秀忠 滅後 334年 日昌
3月 富士妙蓮寺僧泉林院日慶富士下条に法善寺を創す(寺誌)7.2 讃岐13代日首寂(過)7.13 大雄院日恩京要法寺に住す(寺誌)○日主磐城滑津に本法寺を創す(寺誌) 7.24 幕府諸宗本山末寺の諸法度を定む(三宝書) 4.10 大坂夏の陣(続王)5.7 大坂城落城秀頼自刃(続史)7.7 武家諸法度を定む(駿府記)7.17 禁中公家諸法度を定む(駿府記)
 
1616 元和 2 丙辰 後水尾 徳川秀忠 滅後 335年 日昌
4月 日昌駿河根方境村に妙光寺を創す(寺誌) 3.26 不受日奥宗義制法論3巻を著す(亀鏡)6.21 京妙顕寺日詔諸寺改悔の名代として京妙覚寺に臨む(亀鏡)○寂照院日乾京に鷹峰檀林を創す(鷹旧) 3.21 家康を太政大臣に任ず(続史)4.17 徳川家康卒75(徳譜)8.8 耶蘇教を禁じ、明船を除く外国船の長崎・平戸以外の寄港を禁ず(薩増)10.3 煙草の栽培を禁ず(東録)
 
1617 元和 3 丁巳 後水尾 徳川秀忠 滅後 336年 日昌
4.24 本種院日陽大石寺に詣で戒壇の本尊を拝す(5ー59)8.5 日主下野小金井より日昌に状を送る(8ー49)8.17 14世日主寂63(大過去帳) 4.19 池上14代自証院日詔寂49(別統)○行学院日朝著高祖一代記2巻刊(刊記) 4.8 家康の遺骨を久能山より日光山へ改葬す(東録)
 
1618 元和 4 戊午 後水尾 徳川秀忠 滅後 337年 日昌
10.13 摂津池田源立寺開基中納言日誉〔富士上条妙喜寺開基〕寂(過) 7.26 一如院日重空過致悔集2巻を著す(奥)○京妙満寺日乗止観述聞5巻を著す(奥)
 
1619 元和 5 己未 後水尾 徳川秀忠 滅後 338年 日昌
12月 京要法寺日堯安芸広島に長遠寺を創す(寺誌) 3.4 一如院日重見聞愚案記23巻を著す(巻首)6.30 心性院日遠法華経随音句2巻を著す(奥)○池上本門寺客殿焼失(建表)
 
1620 元和 6 庚申 後水尾 徳川秀忠 滅後 339年 日昌
2.26 京要法寺23代自成院日堯寂56(過)3.16 日昌駿河根方境村妙光寺に本尊を授与(正光寺本尊脇書)10.7 本種院日陽京要法寺に住す(5ー61) 11.22 京妙満寺27代常楽院日経寂70(覚墓) 2.26 蜂須賀至鎮卒35(寛政譜)8.26 伊達政宗の遣欧使支倉常長帰朝す(達治)
 
1621 元和 7 辛酉 後水尾 徳川秀忠 滅後 340年 日昌
6.28 江戸常泉寺開基仙樹院日是寂(過)○本法院日実出雲稗原に法泉寺を創す(寺誌) ○真応院日達妙法華寺を鎌倉より玉沢に移す(寺誌) 12.13 織田有楽斎〔長益〕卒75(寛政譜)
 
1622 元和 8 壬戌 後水尾 徳川秀忠 滅後 341年 日就
4.7 15世日昌寂61(大過去帳)集解要文12巻・文心解抄2巻・玄義私記1巻の著あり4.23 日就大坊に入る(聖753)12.7 京要法寺日陽永代法式を定む(8ー243)○日盈本迹諍論によって勝劣派の所化数百人と飯高・中村・小西三檀林を退き上総東金に移る(聖753) 8.20 幕府新寺の建立を禁ず(徳記)10.28 上総宮谷檀林初祖京妙満寺30代佛眼院日純寂(宮譜)○不受日奥禁断謗施論を著す(亀鏡)○本圀寺録内祖書40冊を刊(刊記) 6.19 里見忠義伯耆の配所に卒(里九)
 
 
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