2020 秋



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いきいき生活

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旅の記録

レジアス日記


   部子山ツーリング
 
 バイク仲間から電話があった。部子山の林道ツーリングに行かないかというものだった。彼の所有しているボルティを走れるようにしたのが切っ掛けになったようだ。大きいバイクだと林道は少々厳しいだろう。
 さて、本来は購入したPCXで行く予定であった。新車から4、5日乗り込んではいたものの、硬い乗り心地が気に入らずカブ90と比較をしてみたかった。それで、事前にカブで下見に行って見ることにした。
 美山から池田へ向かい、水海地区を入っていく。県内では年に一回能楽が演じられる場所として知られている。点在する集落を横目に見ながら、標高1400メートル余りの部子山へ向かう。しばらく走れば、新しく設けられた林道と旧道との分岐点があるが、思い切って林道を登ることにした。最新の設計なのか上りの角度が一定で、小さなバイクにはありがたい。アスファルト舗装もきれいだし、両側の雑草も綺麗に始末されている。初めての道で少々不安ではあったが、快適に上ることが出来た。途中、下る場面もあったが、いつしか標高1000メートル台到達していた。杉などの植栽された樹木が無くなり、高原の景色が連なっている。頂上手前には池田町の所有なのか能楽牧場が広がっている。放牧された家畜の姿は見えなかったが、この場所に牧場とはどう考えれば良いのだろうか。
 途中、対向車は車が数台あっただろうか。バイクは一台すれ違ったが、オフロードではなくロードモデルであった。狭いが舗装道路が切れないので、ロードバイクでも可能である。カブはセカンドとローを使いながら登っていく。PCXだとベルトドライブの無段変速だから、これだけの長い坂は厳しいかも知れない。しかも新車で慣らし運転の期間中だから、ここへ持ち込むのはちょっと気が引ける。次回もカブ90になろう。
 林道は12ポイントから始まる表示板が設置されているが、4ポイントまで登ってあとは次回の楽しみにした。頂上付近にガスが掛かってきたのと、薄着の身体が冷えてきたこともある。下りでは分岐から暫らく旧道を走って見たが、舗装が切れてきたこともあり不安を感じて途中で引き返した。
登って来た林道の下りは楽しいものとなった。エンジンブレーキを効かせながら、右や左とつづら折りの小カーブを下って行くのはとても楽しい。対向車され気を付けていれば、山中にてサーキット気分を味わえる。それも、結構長い距離である。これだけでもここへ来た価値があるというものだ。

 
   久しぶりの温見峠

 
 良く晴れた10月のある日、剪定した生垣の枝の始末を済ませPCXにて出かけることにした。当初は、琵琶湖周辺を考えていたが、どうしてもワクワク感が湧いてこない。横倉の峠か温見峠なら行っても良いかと右脳が訴えていた。道中の美山の銀行で用事を済ませ、大野のコンビニで菓子パンと缶コーヒー、それにお茶を仕込んで峠へ向かう。
 カラッと晴れた天気と25度前後の気温は絶好のバイク日和となる。この日は逃したら他にないというぐらいのベストの日であった。山々の紅葉にはまだ早いが、それでも快適で爽やか。温見までの山道は、舗装自体は新しくないが適度に整備されている。両側から迫る雑草や浮いた砂利に気を取られることもない。近年の冠山峠への道に比べれば安全で走り易い。切り立った崖もなく、道程のほとんどを真名川に沿って登っていく。
 1車線の山道と注意深く登って行けば、ほどなくして峠へ到着。車が数台駐車してあったが、これは能郷白山へ登っている人たちの車であろう。ナンバーを見ればあちこちの県から来ているとわかる。能郷白山の標高は1600mあまり、峠の標高は1020mというから峠から600メートルほど登る。自分は登ったことはないがけっこう大変だろう。
 岐阜県側へ下りる方法もあるが、今回は時間も気力も不足している。10分ほど休憩を取って登って来た道を引き返した。途中数台のバイクに出会う。峠近くで出会った2台に手を振ったら返してくれた。若い時は、ほとんどのバイクが挨拶を返してくれたが、最近のバイク連中は殆ど挨拶をしない。寂しくなったものだ。
 下りのワインディングは楽しいものだ。パワーが無くても自在に右や左と走り抜けられる。ある程度下れば道幅も広く、対向車がきても容易に避けることが出来る。このところ背骨の調子が悪くつらい毎日が続いていたが、この日は気になるものではなかった。道路のギャップを気にしながら、久しぶりに楽しいバイクツーリングとなった。


   平穏な日々

 
 少々平穏な日々が続いている。背骨の状態も小康状態、朝の寝起きもそれほど不自由を感じていない。バイクに乗る機会が増え、体幹の筋肉が鍛えられているのだろうか。それとも、畑作業にて体を使う機会が増えているからか。どちらにしても、以前ほどは痛みを感じないのは有り難い。
 村の役関係や公民館行事から解放されたのもありがたい。ふれあい会館館長、班長、神社とお寺の年番からも解放されている。これだけ役を抱えていると気持ちの休まるときがない。3月から続いて来たコロナウイルス感染の緊張は、全世界的には増えているようだが当県では落ち着いている。これも、心理的に落ち着いている理由だろう。 
 8月末に新車のPCXを手に入れ、県内の山の中を走り回っている。バイクでのツーリングが出来ること自体、なんと有り難いことだろう。身体の状態が良いことと、気持ちに余裕があると言うことだ。新しいバイクで走れば、通り慣れた林道も新鮮に見えてくる。久しぶりに感動の日々となった。白鳥周辺の奥美濃や真名川付近、それに奥勝山付近と走り回っている。来年のことは分からぬが、行ける内に行っておこうとの気持ちがある。
 父や母の介護も、施設入所になってからは落ち着いている。長い目で見ると、今年の秋は活動的には良く動けた良い秋だったということになるのかも知れない。


   剪定講習会

 
 今年、地元の公民館で剪定講習会が開催された。次回は現地での実習が必要となり、我が家の庭が実習場所となった。最初は公民館近くのお宅の松を予定していたのだが、大きすぎるのと手入れが十分出来ており講習には向かないとのことで、急きょ我が家に決まった。2,3メートルほどの背丈と未熟な手入れ状態が、実習には丁度良いらしい。松も6本あるから多人数での講習に対応できる。
 来ていただくのは良いけれど、受け入れ側も大変だ。あまり乱雑な庭を見せる訳にはいかない。まずは、今年一度も剪定していない生垣の貝塚伊吹に手を入れた。新芽が伸び放題だったからバリカンで刈り取ったのだが、剪定ばさみを使った側面を含めて二日かかった。1週間ほど前には、刈り払い機のロープカッターにて雑草を刈り取った。親父が管理していた盆栽の後始末もした。おかげで気になっていた家の周りが小ぎれいになった。有り難いことである。
 さて、当日は荒木新保勢が4名、成願寺2名、稲津1名、関係者2名での講習会となった。東側にある2本の松を中心に剪定作業を行った。講師が説明して剪定を実践し、それに習って他の参加者がはさみを入れる。見ていると簡単そうだが、自分で切るとなると決断が付かないものだ。1時間ほど作業の後、もみじとツツジの剪定もやってもらった。もみじは枝ぶりを見ながらざっくりと進める。最初は大枝から始まり、枝先の小枝まで基本的な剪定作業となる。松は枝先の剪定が中心となるから、この剪定も勉強になる。
 その後は、伸び放題だったツツジの剪定だ。講師が持ち込んだエンジン付きのバリカンで10センチほど切り込んでから、はさみを入れた。松やもみじとは剪定方法が全く異なる。最後は丸く仕上げるのだが、これはこれで参考になる。親父がやっていた庭の世話であるが、施設入所を機会にここ2,3年は自分がするようになった。見よう見まねでやってはいたが、やはりプロから教えてもらうことは良いことだ。目から鱗が落ちたとよく言うが正しくその通り。最終形をどうしたらよいかが分かり、作業手順などもしっかりと頭に入った。これからの庭いじりの楽しみが増えたというものだ。


  順当な老人


地元の役場を退職し、畑作業と庭木いじりに日々過ごす。朝の仏壇参りと短歌つくり、たまにはフォークソングやGSの曲を懐かしがって聴いている。今の興味は、庭木の剪定方法と地域への奉仕。これから先どう生きていくかが当面の課題だ。67歳ともなると、身体の調子も悪くなる。背骨の調子が良くないし、発想力や気力の衰えもある。これが客観的に見たわが姿。
何とまあ、順当と言えば順当だが年寄り臭いと言えばそのとおり。この気持ちを何と表現すればいいのか。同年輩はどういう日々を過ごしているのだろうか、知りたいところである。


   笹生川ダム県道

 
 10月の13日、最高気温は平年より高くて26℃を予測していた。今年の最後のバイク日和になると思い、出かけることにした。秋の奥越方面をしっとりと味わいたく、向ったのは石徹白方面だった。九頭竜湖駅から左を折れて走れば、石徹白川にそって快適な山道が続く。石徹白が福井県に属していたころは主要道路だったはずが、岐阜県に編入されてからは走る車は少なく寂れている。ほとんどが1車線道路となっているから、バイクだと問題ないが四輪だと少々気を使う。石徹白川の清流はいつ見ても美しく感動的だ。上高地まで行かなくても秋を満喫することが出来る。
 白鳥へ抜けて道の駅で一服、帰りは九頭竜湖畔を走ることになる。今回は、いつもの国道158号を通らずに、南側の県道を通ることにした。夢の大橋を通って対岸に渡るが、湖岸に沿って右や左のワインディング道路が続く。途中、幾つかの廃村を通るが全く人の気配を感じない。数日間車が通っていないようで、落ち葉が落ちたままになっている。気を付けないと中に先のとがった落石が隠れている。誤って踏むとバランスを崩したりタイヤトラブルを誘発する。こんなところでパンクなどしようものならそれこそ一大事。車がほとんど通らないから、数時間歩いて助けを求めなくてはならない。とんでもない話だ。この県道は全長30キロ以上あるから細心の注意が要る。
中間あたりで二つのサルの群れに出合った。10数匹の猿が群れている中を走り抜けるのは気を使う。周りを囲まれている車なら良いが、バイクだと身の危険を感じる。サルも迷惑そうだったが、それはこっちも同じだ。途中次第に心細くなってきたが戻るわけにもいかず、少々きついツーリングとなった。峠を越えやっと笹生川ダムが見えてきた。工事の人が何人か道路わきに見えており、ここまで来れば安心できる。以前に一度走ったことがあったから長い道程になる事は覚悟していたがやはり長かった。複数なら良いがこの道の単独行は避けたいものだ。
中島へ出てからいつもの麻耶姫像のある休憩所で休憩。そこから1時間ほどで自宅へ戻った。この日も良い一日であった。


   横倉峠を抜ける

 
 今年何回目かの横倉峠。車では来たときには一度鳥越まで抜けた。後は峠どまりばかりだ。2週間ほど前に勇んでPCXで来たが、その時は工事をしていて通り抜けが出来なかった。今回は工事期間も終わっているはずだ。
途中のコンビニで菓子パンとコーヒーを買って、峠へ向かう。カブの時は峠の途中で休憩を要したが、PCXは水冷だし排気量も1.5倍ぐらいある。オーバーヒートに気を使わずに一気の登ることができる。峠に整備された駐車場があるので、パン一切れと缶コーヒーでティータイムだ。勝山市内の一部を見下ろすことが出来て気持ちが良い。ほとんどの車はここで休憩をとっている。
休憩後石川県側へ下りるが、平日のために対向する車は少ない。バイクだとすれ違いは心配いらないが、ブラインドカーブだと気を使う。カーブの楽しみよりも安全が第一だ。途中、新保集落で立派な神社を見つける。集落と同じ名の新保神社となっていたが、どういういわれがあるのだろうか。由緒が書いてある石板などを探すがなかった。ただ、神社への寄付者が多いのでここに大きな村があったということなのだろか、それとも国道がらみの何かの理由があるのだろうか。
大日ダムへ向かう道と粟津温泉に降りる道の分岐に出た。当初は大日ダム方面と考えていたが、その場で両方見比べるとダム方面よりも粟津温泉方面にワクワク感を感じた。最近はワクワクする方を選んでいる。そういえば、車で通ったときは大日ダム方面へ下りたから、粟津方面は今年初めてになる。結果的には満足度が高いのだろう。
この道沿いにはログハウスのような別荘が点在する大杉集落がある。喫茶店があったり、劇場があったり、山の中とは思えない雰囲気がある。山中や粟津温泉の人達の別荘なのか、これも良く分からない。
広くて快適な道路を下れば、程なくして粟津温泉付近に出る。広域農道を通って山中温泉にむかい、その後は竹田から福井へ抜ければ良い。これも、お気に入りの定番コースの一つとなっている。


   バイクは健康器具

 
 八月の末に原付U種のスクーターを手に入れた。石徹白経由で高鷲村のやすらぎ街道を2回、九頭竜湖の笹生川ダム県道、温見峠往復、池田の部子山(カブ90)、横倉峠2回、その内一度は粟津へ抜ける。白峰付近散策、越前町周辺散策と出かけている。日数で8日、距離数では1300キロ以上走りこんでいる。残るは琵琶湖周辺と若狭周辺ぐらいか。
 背骨の調子が今ひとつなので、出かけられるうちに行っておこうとの考えだ。コロナ禍がなければ、海外や国内の車旅行に精を出しているはずだ。県外遠出はコロナ禍と自分の健康不安のため行かず、県内を中心に出かけている。夏に新車を手に入れたから、これ幸いと走り回っている。
 周囲の自然を味わうには車よりもバイクが良い。以前にも書いたが、バイクはテーマパーク日本を回る乗り物と思っている。手始めにと県内の信号や車が少ない山道や海岸通りを走っている。一日走れば、心地よい疲れと感動が残る。これがいいね。それに、バイクだと道路の状況に応じて腰を浮かすから、適度の運動量がある。これは4輪ではまねの出来ないこと。感動を得て、しかも足腰の運動になるなんて一石二鳥だ。何とありがたいことなのだろう。
 今夏、バイクを購入するときなぜかワクワク感を感じた。そのとき既に腰の状態が悪かったからどういうことなのかと思っていたが、結果的にこのことだったのだろうか。バイクが自分にとって健康器具になるなんて誰が想像しようか。世の中、動いて見なければ分からないものだ。


   創作意欲

 
 以前ほど筆が進まなくなっている。頭の活動能力が落ちてきて、発想力が落ちてきたこともあろう。毎日に特筆することが無いこともある。人の目に触れず、評価を得られないこともあろう。文章を作ることで、自分の考えをまとめることが出来た。頭の活性化も同時にできた。後で読み返すことで、心の安らぎを得ることもできた。自分の生きた記録にもなっていた。文章や短歌を作ると言うことは万能の薬のように自分の精神的な健康維持には欠かせないものだった。
 これから、どう考えれば良いのだろう。まず創作活動を続けることが必要かどうかだ。人間歳をとればどうしても頭の能力は落ちてくる。作家とて良い作品は50代か60代ぐらいまでであろう。70代は回想録を描くぐらいだ。昔の仲間とお茶や酒を飲んで昔話をしているだけだ。夫婦で旅行をしているか、昔の作品の整理をしているぐらいだ。自分の場合も既に60代後半、これからどうのこうのと足掻くこともなかろう。書きたかったら書けばいいし、嫌なら止めればいい。本来趣味でやってきたこと、それが嫌なら止めればいい。それだけのことだ。
 今更、他人の評価を考えてもどうなるものでもない。ただ、自分の創作の励みになることは確かのようだ。人に見てもらうことが創作意欲につながることは間違いない。そういえば、以前は爺に読んでもらうことを前提に文章を作っていた。最近は爺が年老いてそれが無くなったからだろうか。読者がいない作家は作家ではない。単なる自己満足の日記になってしまう。


   短歌の復活は可能か

 
 短歌を作らなくなって1年以上経つ。復活は可能だろうか。過去の出来事について日誌を参考にしながら、思い出し短歌を作ることは可能だろう。日誌から題材にできる項目を書き出して、それについて1項目数首ずつ読んでいく。それなら出来るかも知れない。
 随筆も減って来たね。読者がいないことや、毎日の新しい出来事が少なくなってきたことなどが、作らなくなった理由であろう。反応のない創作は長続きがしない。以前は、本にしてみんなに見てもらいたいという目的があった。それが、今となっては出版する予定もない。ネットに出す予定もない。これでは、出来るものも出来ないだろう。一般的に言えば、70歳近くにもなれば、創作活動が衰えてくるのは事実。良い作品を作れる年齢は過ぎたようだ。あとは、自分の楽しみとしてうだうだと作るだけ。それだけの話のようだ。


   男女の役割分担


先日、男女共同参画足羽ブロックの事業で、少子化対策を目的に婚活事業を行った。旧足羽郡の7地区14人の推進員で構成される会であるが、今年度は二つの事業を実施した。一つは世界のジェンダー事情を知るために、在日外国人と意見交換会を計画するもコロナ禍のために中止、アンケートもうまく行かず、結局会員が自分自身で諸外国のジェンダー事情を調査することになった。7地区がそれぞれアメリカ、ヨーロッパ、中国など代表的な国の事業を調査し、定例会で発表した。まとまったものを小冊子にして男女共同参画の理解に役立てる予定である。
二つ目は、東郷地区にある古民家茶屋の「杵と臼」を利用した婚活事業である。餅つきを経験し、付いた餅を食べながら相互理解を深めようとするものだ。男女14名の参加者が3グループに分かれて餅つきやゲームを行った。結果的には一組のカップルが誕生した。今後どうなるのかは分からないが、まずまずの結果とすべきだろう。推進員は主に男性が事業の進行、女性が台所を受け持った。餅つきは日本伝統の催し物であるから、皆が経験済みである程度手慣れた様子で終えることが出来た。
ただ、ここでふと気が付いた。我々は男女共同参画の推進員である。男女が平等に社会で活躍することを推進する会である。その会が行う行事で、男性は餅つきや進行、女性は台所という伝統的な役割分担は正しい判断だったのか。この会らしく、女性が餅をつき男性が台所という分担もあったのではないかと、今にして思う。


藤井聡太くん

 将棋の藤井聡太君はまだ18歳。並み居るベテラン達をバッタバッタとなぎ倒している。
14歳の最年少で奨励会を卒業しプロ棋士になると、あっという間に29連勝。これは、今までの連勝記録を抜くものである。その後、朝日杯や新人戦の優勝、そして、今年は渡辺明棋聖からタイトル奪取、間を空けずに木村一基から王位も奪取して最年少の2冠となった。彼の活躍は将棋界だけでなく社会現象にまでなった。彼は、幼い頃から頭角を現し、小学6年生でプロも参加する詰め将棋大会で優勝、その後4連勝して現在5連勝。これは、今までに例のない活躍だという。
 それでいて、謙虚でおごりがない。勝っても負けても精進が足りないといって勉強をしている。出る杭は打たれるというが、彼の場合はそんなことがなく、将棋会の救世主とまで言われている。これからが楽しみというものだ。
 90になる母が、この藤井聡太君のファンだ。将棋のことは分からないが、若くしてがんばっている姿がいいと、聡太君の写真をベッド脇に張っている。この前は写真集を買って渡したが、大変喜んでいた。暗い話題が多いこのごろだが、聡太君の話題になるとつい心を動かされてしまうのは自分だけではなさそうだ。


新年明けましておめでとうございます。

 さて、コロナウイルスで始まった2020年ですが、その後も落ち着かず1年経っても自縮生活が続いております。これからどうなるのか予測がつきませんね。ますます度合いを増す気候変動、コロナ禍による世界経済の行方、米中の覇権争いと、気になることは多いですが、新年以降世界が大きく変わっていくような気がしています。
 60代後半となった今、今更何がどうなるものでもありませんが、日々精進して、毎日を堅実に生きて行きたいものです。






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