立正安国論
立正安国論 立正安国論の概要 【文応元年七月、北条時頼、聖寿三十九、真筆−完存】 〔第一問答〕災難の由来について
然る間、或は
然りと雖も唯
客の曰く、天下の災・国中の難、余独り嘆くのみに非ず、衆皆悲む。今
客色を作して曰く、後漢の明帝は金人の夢を悟て白馬の教を得、上宮太子は守屋の逆を誅して寺塔の構を成す。爾しより来、上一人より下万民に至るまで仏像を崇め経巻を専にす。然れば則ち叡山・南都・園城・東寺・四海・一州・五畿・七道、仏経は星の如く羅なり堂宇は雲の如く布けり。
〔第四問答〕謗法の人と法について 客猶憤て曰く、明王は天地に因て化を成し、聖人は理非を察して世を治む。世上の僧侶は天下の帰する所なり。悪侶に於ては明王信ずべからず。聖人に非ずんば賢哲仰ぐべからず。今賢聖の尊重せるを以て則ち竜象の軽からざるを知る。何ぞ妄言を吐て強ちに誹謗を成さん。誰人を以て悪比丘と謂ふや。委細に聞かんと欲す。
則ち一代の聖教を破し遍く十方の衆生を迷はす。其の選択に云く「 又云く「 又云く「貞元入蔵録の中に、始め 又云く「念仏の行者必ず三心を具足すべきの文。
客殊に色を作して曰く、我が本師釈迦文浄土の三部経を説きたまいて以来、
釈尊説法の内、一代五時の間に先後を立て権実を弁ず。而るに 抑近年の災難を以て往代を難ずるの由強ちに之を恐る。 止観第二に史記を引て云く「周の末に
何に況や、武宗大に仏法を破し多く寺塔を滅す。乱を撥ること能はずして遂に以て事有り」〈已上取意〉。
客
客則ち和て曰く、経を下し僧を謗ずること一人として論じ難し。然れども大乗経六百三十七部・二千八百八十三巻、並に一切の諸仏・菩薩・及び諸の世天等を以て捨・閉・閣・抛の四字を載す。其の詞勿論なり、其の文顕然なり。 此の瑕瑾を守て其の誹謗を成す。迷て言ふか、覚て語るか。賢愚弁ぜず、是非定め難し。 但し災難の起りは選択に因るの由、其の詞を盛に、弥よ其の旨を談ず。 所詮、天下泰平・国土安穏は君臣の
純陀復た言く、我今未だ解せず、唯願くば之を説きたまえ。仏
善男子、我涅槃の後、濁悪の世に国土荒乱し、互に相抄掠し、人民飢餓せん。爾の時に多く飢餓の為の故に発心出家するもの有らん。是くの如きの人を名けて禿人と為す。 是の禿人の輩、正法を護持するを見て、駈逐して出さしめ、若くは殺し若くは害せん。是の故に我今持戒の人、諸の白衣の刀杖を持つ者に依て、以て伴侶と為すことを聴す。 刀杖を持すと雖も、我是等を説て名けて持戒と曰はん。刀杖を持すと雖も、命を断ずべからず」と。
客の曰く、若し謗法の輩を断じ、若し仏禁の違を絶せんには、彼の経文の如く斬罪に行ふべきか。若し然らば殺害相加て罪業何んが為んや。
客則ち席を避け襟を刷て曰く、仏教斯れ区にして旨趣窮め難く、不審多端にして理非明ならず。 但し法然聖人の選択現在なり。諸仏・諸経・諸菩薩・諸天等を以て捨閉閣抛と載す。其の文顕然なり。
今此の文に就て具さに事の情を案ずるに、百鬼早く乱れ万民多く亡ぶ。先難是れ明かなり、後災何ぞ疑はん。 若し残る所の難、悪法の科に依て並び起り競ひ来らば、其の時何んが為んや。 帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。 而るに他方の賊来て其の国を 若し執心飜らず亦曲意猶存せば、早く
我一仏を信じて諸仏を抛ち、三部経を仰て諸経を閣きしは、是れ私曲の思に非ず、則ち先達の詞に随ひしなり。十方の諸人も亦復是くの如くなるべし。 今の世には性心を労し、来生には阿鼻に堕せんこと、文明かに理詳かなり、疑ふべからず。 弥よ貴公の慈誨を仰ぎ、益愚客の癡心を開けり。速に対治を回して早く泰平を致し、先ず生前を安じて更に没後を扶けん。唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ。 |
現代語訳 客人はいう。人は誰もが現世の安穏、後生の成仏を願っている。どうして慎まない者があろうか。どうして正法に従わない者があろうか。今ここに経文を引いて詳しく仏の教えを承り、仏を謗る罪がいかに重く、正法を破る罪がいかに深いか、よくよく身に染みて了解した。私が今まで、阿弥陀の一仏を信じて諸仏をなげうち、浄土の三部経だけを仰いで諸経を蔑ろにしたのは、私自身の考えではなく、浄土宗の先師の言葉に随ったものである。国中の人々も、おそらくは私と同様だろう。このままでは、今生ではむやみに心を疲れさせ、来生には阿鼻地獄に堕ちることになる。これは経文にも道理にも明らかで、まったく疑う余地はない。 今後はさらに、貴師の教導と訓戒を仰いで、ますます愚痴と迷妄の心を晴らし、ただちに謗法の教えを根絶して世の泰平を実現させ、まず現世を安穏にして、さらに来世の成仏をも願おうと思う。ただ私一人が信ずるだけでなく、他の人々の誤りをも糾して行きたい。 |