あぜみちの会ミニコミ紙
みち12号
(1997年冬号)
シグナル
福井市 中川清
遺伝子を組み替えられて作られた農産物が輸入されて来るという。遺伝子組み替え農産物というのは、バイオの技術を使って作られた未知の食物であるだけに、知らずに食べさせられる消費者には一抹の不安が残る。
除草剤に強い遺伝子を大豆に組み込んだり、害虫に強い遺伝子を玉葱や馬鈴薯に組み込んで新しい植物を作り出したもので、アメリカの大面積栽培、経済効率で試作栽培されたものである。
この遺伝子組み替えということで作られたものは未知の食品であって、食品添加物の安全基準のような規制はなく、食品として安全なのかどうかは未だ十分確認されたとはいえないらしい。しかし「安全上特に問題となる点が見つからない」という消極的理由で輸入は認可されてしまった。
国内で販売される場合、せめてその旨の表示を義務付けて消費者に購入の判断をゆだねるという途も、安全上問題なく「表示に馴染まない」といって閉ざされている。
「おかしいではないか!
」
生産農業者とか、輸入業者が本当に問題がないと信じているのなら、積極的にその旨表示し、宣伝してよいはずではないかと思う
。
安全とか、安心とか云う場合は「隠すこと」が一番よくないと思う。
敦賀の原発事故だって、何か隠そうとすることが不安をかき立てているのだ
。
私の家に保育園に行っている孫がいる。この孫を見ているとよく判る。
夜になるとトイレに行くのを恐がっている。田舎のことだから、薄暗く長い廊下を渡っていくのが恐いらしい。明るく伝統を灯してやったら少し安心するらしい
。
親が「だいじょうぶだよ」と一言声をかけてやるとか、廊下まで顔を見せてやるともっと安心してトイレに行けるようになる。
声が聞こえる。顔が見える。明るく見通せることが不安を解消する一番の方法なのだと、この孫を見て思った。
遺伝子の組み替えという最先端の技術を私は否定はしない。けれども、「自然は最高の医師である」という言葉があるのも知って欲しい。越前海岸の油汚染を見て特に強く思う。
このことからも、自然を大事にして、有機農産物を作り続けている人たちを是非とも支援して下さいとと叫びたいのです。
協同組合の「協」という字は力を三つ+(プラス)と書きます。これまで協同組合とは同じ業者で組織されてきましたが、もっと幅広く、地域の人たち、年代を超えた層の人、目的意識のちがう人達、生産者も消費者とも協力していくことが大切になります。
今年は「丑」年です。牛は「モーウ」と啼きますが、もう還暦でなくまだ還暦という気持ち、即ち「もう=過去」はやめて「未だ=未来目的」に向かって、今自分に出来る事からまず、一歩踏み出したいものです。
収穫祭の思い出
山元あけみ
「ちょっと焼いもの用意をしてくるから」と午前5時前に起き出す夫。
「ついに当日になったのね」と私。
今、収穫祭を振り返ると、当日のことよりもそれまでの事の方が思い起こされます。実家の母が入院しており、病状も思わしくなくて、あぜみちの会の人たちも心配して会場の変更まで申し出ていただいたのですが、予定通り我家で行うことになったのが、昨年の夏頃でした。
会場を変えながら、今年で3回目の収穫祭という事ですから、やはり我が家としての独自性も出したかったし、幹線道路から離れた山間の田舎で、まず人が集まるかどうかも心配でした。
人集めはあぜみちの会の人に任せるとしても、どうしたら来られた方々に、また参画していただいた方々に満足してもらえるかがキーポイントでした。
普及センターの南部担当の方々、試験場の方々に相談したり、企画を出していただいたりしました。
当日の天候も味方してくれまして、おかげ様で収穫祭は盛り上がりました。
子牛にふれ、しぼりたての牛乳を飲み、畑に入って野菜の収穫を体験し、打ちたてのソバに舌つづみを打ち、押し花や花つみ取りにも興じ、わら遊びで昔をなつかしみ、両手一杯の野菜を買い「楽しかったわ」と笑顔で帰る人たちに農業というものを少しでも理解していただけたのかしらと思う私です。
あぜみちの会の方々のご努力、企画力もさることながら、本を書いた仲間達のナント暖かくて力強い協力!
ネットワークの偉大さと大切さを実感した二日間でした。
この場を借りて改めてお礼申し上げます。
今年は織田町の山崎農園さんで開催することになりました。いくつものネットワークを持っておられる山崎夫妻のことですから、あぜみちの会の収穫祭もますます楽しみになってきます。
方言妄言【5】
鋭角子
◆今、社会のどの分野でも必要なのは、きちっと後始末することであり、後始末まで考えてことをなすことである。
◆自然が開発されればされるほど、社会が活性化すればするほど国の借金が増加するというおかしな構図。
◆プロは純化の世界にはまりこみ、アマチュアは雑の世界を泳ぐ。
◆出る杭は打たれるが、でたれた杭は打たれない。
◆生産計画と同時に流通(販売)計画があって初めて完結する。
◆自己実現と同時に他己実現を助けるのが人間らしい行為である。
◆M・スコット・ペック著『平気でうそを付く人たち』の紹介−「うそを付く人たち」とは「自己愛(ナルシズム)的人格障害者」=「自分自身の病める自我の統合性を防御し保持するために、他人の精神的生長を破壊する政治力をふるう人」と定義されている。私の身近で『できる』といわれる何人かの人々の中にこんな人がいますね。
◆嫉妬心というのは難物です。仲間の世界ほどそれは鮮明に顕在化し結果として人の足を引っ張ることになります。人類普遍の法則のような気がします。人間というのはやっかいですね。
◆今の社会の混乱の源は頭脳に頼りすぎるところにあるのではないか。身体を使う、動かすことをもっともっと評価し大事にすることでバランスを取ることが必要です。
◆人類を攻撃するウィルスも含めて、ありとあらゆる生物と共存して行くことから人類の未来が開けるのではないか。他の生物の完全な抹殺は確実に人類の破滅につながります。
◆アジメドジョウのからあげを初めて食す。子持ちの味は格別でした。地域には人に教えられないような素材がたくさんあります。
◆一期一会の機会を絶対に逃がさないこと。大事にすること。
◆地域には地域の時間が流れている。それに限りなく身を任せることの喜び。
◆雪が降りませんねえ。雪が降らないと身が引き締まりません。
◆焼き畑でつくったダイコン、カブラはことのほかうまいといわれます。山の畑で作った野菜は確実においしいといわれます。最後に農業が残るのは山間地なのだ!
◆農業者の大胆な投資を促す重要な要因−経営者の農業経営継承。
◆それにしてもアメリカの映画は人をいとも簡単に殺します。セックス描写は動物的です。
東洋の世界と基本的な違いを感じます。
◆国際化とはどういうことか。英語がしゃべれることではありません。日本国を相対化することだと思います。
◆何でもワイン化して得々としているこの精神の貧しさ!いい加減に西洋コンプレックスから抜け出してはいかが。
誰かが何処かで
名津井 萬
ある宗教団体の人が、一冊の冊子の表紙の絵を指さし「あなたは、この絵のような、豊かな自然に恵まれた世に住みたいと思いませんか」と問われた。その絵は見事に手入れされた芝生の丘、遠くに森、近くには見事に手入れされた林があり、小川が流れ、小池の当たりで母子がたわむれている。その向こうには馬車が走っている。
その絵を見ながら、東京の新宿御苑を思い出した。
過日、東京での畜産会議の帰り、しばしの時を行ったことのない新宿御苑まで足を延ばし、あちこちと歩き回った。東京都内の騒音から遠ざかり、私のゆとりの一時をベンチに腰掛け、のんびりと休んでいた。
晩秋の広大な御苑は見事に手入れされている。落葉樹には葉は一枚もない。遠くで目立たないようにして、私が農作業する時と同じ服装の人が、軽トラに落ち葉や小枝を摘んで走っていった。広大な手入れされた苑は、手入れする人が支えているのだ。
私は冊子の絵を挿しながら言った「私はこの豊かな自然に恵まれた世界を創造するための掃除をする仕事をしています。馬に餌をやり、糞を取り馬体を水洗いしたり、芝生を刈り、川や池を掃除したり、木の剪定をなどをする。それが私の今の仕事です。そして多くの人に豊かな自然のすばらしさを知っていただければそれでよいのです。」
自分流唐詩散策
福井市 細川 嘉徳
昨年の年末休暇に、少しばかりの自分の書物を整理しました。驚いたことに漢詩に関わる本が何と三〇冊余り、一〇〇本余りのカセットテープが箱に放り込んだままです。NHKの漢詩講座のテキストと、それを録音したテープが大半ですが、その量からすれば、一角の学者気分です。どれも読みかじり、聞きかじりのものばかりで、いずれ暇を見つけてじっくり読もうと、文字通りの「積ん読」をして来たのです。このままにしておけばまさに「猫に小判」です。少しは整理しましたがまだまだです。この中から私の心を引いたいくつかの詩を、自分流に散策しながら、少しずつ読んでいきたいと思っています。
まずはじめに盛唐の詩人王維(六九九〜七五九)の作品「竹里館」を掲出します。
王維は三五〇年前の陶淵明の影響を受け、役人生活をしながら、自然の中で静かな暮らしを好み、晩年に網川(陝西省藍田県)の別荘を購入し、美しい山水の中で静かな日々を送ったのです。
邸内に網川を引き、中洲に竹を植え、花の咲く土手をつくり、その中に二〇箇所の勝景を定め、そこで親友の裴迪とともにそれぞれを詩に詠じたのでした。「竹里館」はその中の一つ、竹林の中に館があるところです。王維はゆったりした心境をうたう詩風で「詩仏」呼ばれる自然派の詩人です。
竹里館 王維
独坐幽篁裏
弾琴復長嘯
深林人不知
明月来相照
ひとり ざ ゆうこう り
独り坐す幽篁の裏
こと だん ま ちょうしょう
琴を弾じて復た長嘯す
しんりん ひと し
深林人知らず
めいげつ き あいて
明月来たって相照らす
奥深い竹林の中で一人すわって/琴を弾じては、声を長く引いて朗吟する/深い林の中の趣を知る人もなく/名月だけがやってきて光をそそぐ
このような詩に触れると、毎日あくせくしている自分がみじめに思えます。ところで私とこの一遍の詩とには、次のような関わりがあるのです。私の詩吟の恩師宮下先生が、私のために特別に吟譜をつけてくださったこと。尊敬する親友のNさんが私のために「竹里館」の掛け軸を描いて下さったこと。このことが奇縁となり、自称「竹林の七賢?」を名乗る六人のサムライ達と契を結ぶことになったこと等々。みんな私の生きがいです。
一つの漢詩から精神的にゆとりのある生活がどんなにすばらしいものかということを教わったような気がします。私の自分流漢詩散策は始まったばかりです。
取材が好きになった理由
NOSAI福井 企画広報課 長谷川 公紀
『広報』に携わるようになって3年が経とうとしています。「みち」の読者の中には、私が取材した方もいると思います。
私は、今の部署に着く前は事業部で果樹共済を担当していました。担当して3年が経ち、ノリにノっていた時に異動の辞令があったのです。
文章能力なし、話すことが苦手な自分にとっては、“行きたくない部署ナンバー1”であり、これからそれを専門にやっていかなければならないということを考えると夢なら覚めてほしいという思いでした。
こうして広報活動が始まったのですが、取材に行っても広報誌の表紙写真の出来が悪いので後日改めて出かけたり、記事を書いているうちに分からないところや知りたいところが出てきたので電話で再取材したり、出かける前は完璧にしたつもりでも現場ではあがってしまうのか十分な取材ができないのです。
また、取材道具一式を忘れて出かけてしまうという決定的なミスもありました。この時はコンビニでカメラと筆記用具を買って間に合わせました。
3カ月ほど経ったころ、ある方の紹介で、そこに行く用事があるので、と同行してアポなしで取材をさせてもらおうとした時のことです。
現場は二十アールの露地野菜の圃場で、Aさんは奥さんと防除の真っ最中でした。
夏の暑い中での作業中に声をかけたせいか、「こんな忙しい時になんだ、出直してこい!」と怒られてしまいました。
予想外の応えに驚き、謝ってその場はいったん離れました。もう帰ってしまおうかとも思いましたが、改めてお昼過ぎに一人で行ってみたのです。
Aさんはもう圃場には見られず、朝に収穫したものを近くの小屋で選別しているようでした。
ビビリながらも先ほどのおわびと取材のお願いをすると、今度は快く引き受けてくれたのです。そして、取材でも話が好きなのか積極的になんでも話してくれ、帰りには採れたての野菜もたくさんもらってしまいました。
また、農業共済新聞に掲載された時にはわざわざお礼の電話をくれ、その後もAさんとは交流が続いています。
このことがきっかけになったのか、今では取材になるとワクワクし、とても楽しく感じられるようになりました。
これまでの広報活動でいろんな農家さんと接して、家での農業の取り組み方を考えさせられたり、ある時は逆に共済のことを勉強してしまうなど、応援する側が刺激されてしまいます。この様な体験をオープンでできるのはここだけで、とてもラッキーだと思っています。
また、これからも皆さんのところにお伺いすることがあるかも知れませんが、その時はよろしくお願いします。
(イラスト一枚、写真一枚)
「環境にやさしい育児」なんて私はできない!
福井市 見谷裕子
一年間、育児休暇をとった。そして専業主婦を体験した。専業主婦というものは「環境」とか「安全」に敏感になると思い込んでいた。でも私が、出産、育児でぶち当たったのは、「環境にやさしく」とは、かなりかけ離れた生活で、安全とも清潔ともほど遠いものだった。
きっと世間のお母様方はこんな私のことを怠慢な主婦と言うでしょうね。でも、まあ、そういう世間を無視して「思うようにやる」といったところまで、「まっ、いいか・・・。」という心境に落ち着くまでには、結構「葛藤」というもんがあったのだ。
まずは、母乳育児。私の乳は初産にしては珍しくよく出た方らしい。絞ると本当に牛の乳のように出るというとちょっとリアル?しかし赤ん坊が少しも吸ってくれない。吸う方も吸わせる方も下手だったのかもしれないが、お腹が空いている赤ん坊はとにかく泣くのだ。顔を真っ赤にして。吸わせようとするとイヤがって横を向いてしまう。(首もすわらないのに、この赤ん坊の頭の力は結構強い!)でも病院で言われた、「根気よく吸わせなさい」って。ギャーギャー泣く赤ん坊を見て、家族はみんな「ミルクをやれ」とうるさい。
結局、泣く赤ん坊とうるさい家族に負けてミルクをやるようになる。その度に何だかヘンな罪悪感につつかれるのだ。
そしてあきらめた。絞って哺乳ビンでやればいいや、粉ミルクだってあるし・・・。近所に住む同じ様なママさんに「ミルクつくるの面倒じゃない?」とか、「直接吸ってくれないのもさみしいね」なんて言われる度に平気そうな顔でちょぴっとだけ傷ついた。でもね、赤ん坊はとっても元気に育っていた。
次にぶち当たるのがオムツの問題。布か紙かの問題なのだ。実家で過ごした一月はよかった。オムツを洗って干してくれる人がいた。母親だ。寒い時期だったが、娘と孫のためにセッセと洗ってくれた。一人でみるようになっても時間があるのだからと風呂場の残り湯でセッセと洗った。なんのためにセッセと洗ったか。「オムツを洗う母親はエライ」という世間のため、「紙オムツ=ゴミ=環境によくない」という世間のためだった。
ところが梅雨の時期になって子供のおしりのかぶれが治らない。カンジダ性の皮膚炎だという。結局湿った部分のあたりにくい紙オムツに切り替えた。近所のママさんがオムツを干している姿と自分が持っている大量のオムツゴミを比べてはちょぴっとだけ傷ついた。でもね、子供のおしりはきれいなままよ。
こうやって考えていくと、どうも世間は「母性」とか「エコロジー」に弱い。まあね、自分も弱いから悩んだんだけど・・・。特に「環境」については、私も以前は敏感だったように思う。ところが、子供を産んで「まっ、いいか・・・」になってしまう。残りミルクをどんどん捨てるとか紙オムツが大量のゴミになること以外にも環境に申し訳ないことはいろいろとやってきた。
一つ目 寒い1月から3月初めくらいまでは1日中暖房をしていた。もちろん夜中も。んで、電気代で目がくらみそうになった。
二つ目 暑い夏も出来るだけクーラーを入れず我慢していた。子供が汗だらけになったら、その度にシャワー。でも暑い。子供の首から下があせもで真っ赤になってしまった。母子で汗をダーダー流しながら寝ているのも辛いもんだと我慢はあきらめた。
三つ目 離乳食を始める前の子供はとにかくミルクをよく吐いた。(吐いたミルクがお気に入りのソファーにシューと吸い込まれていくのが何より悲しかったけど・・・)それに今でもいろんなものをなめる。今度はよだれがダーダーである。その度にティッシュペーパーをバンバン使った。
四つ目 離乳食を始めてもきちんと食べてくれる訳がない。食べ残しは出来るだけ自分が食べるがほとんど生ゴミ、散らかしたものは当然生ゴミ。(食べ物をポイポイまき散らす度に、夫は決まって「晩メシ抜きじゃー!」なんて怒鳴るが効き目なーし)
五つ目 こんな小さい人間なのに洗濯物は同じだけでる。いろんなものを汚し、その度に洗濯洗剤や水をどんどん使った。
「安全で清潔な赤ちゃんを育てるにふさわしい・・・」も実行出来ずに終わってしまった。
一つ目 哺乳ビンや食器類の消毒はほとんどせずに終わった。塩素系の消毒剤はそのまま残ってしまい、どう処分しようか悩んでいる。
二つ目 離乳食については、「離乳食・愛のステップ」という、ちょっとこそばゆくなるタイトルの本を買い込んで読んでみる。細かいっ・・・!めんどくささを感じて、結局あまり開かず。野菜入りのお粥なんて子供が飽きているのをわかっていて繰り返し作った。簡単だもん。
三つ目 市販のベビーフードも結構使った。でも、夏場は例の「O-157」で世の中騒然としていたから、かえって安全だったかな。
四つ目 近所のママさんはとにかくよく布団を干していた。私はといえば、ハーっと感心しているだけだった。
五つ目 近所の赤ちゃんはよく日光浴にママさんが連れ出していた。日焼けがいやだと散歩を避けていた(実は、あのベビーカーをのんびり押して歩く姿が何より恥ずかしかった)私だが、やっぱり散歩もたまにはと思いベビーカーに乗せると、とーっても不満気で全然喜ばない。よって散歩の数は少しだけ。
とまあ、とにかく、自分の身の回りを楽に片付けるためには、「環境にやさしく」なんて言葉はとりあえず横においてしまうのだ。
でも、後ろめたい気持ちは常に持っている。後ろめたさを感じる精神的な辛さはあるが、肉体的には楽だ。精神的な満足を得ようとすれば、体力をどんどん使うことになる。どちらか・・・だ。どちらか・・・なのだが・・・最近では精神的辛さも薄れつつある。
一年間、一体あなたは何をしていたの!と言われそうだ。でも、こんな怠慢な母親のもとで、子供はケラケラとよく笑い、たくましく一歳を迎えたようだ。
(イラスト一枚)
みなさん 知恵をかして!
織田町 山崎 繁信・美枝子
仕事の遅れを取り戻そうと一生懸命の一二月のはじめのある日、六人の仕掛人が仕事場に座り込みました。平成九年の収穫祭の会場の下見に来たとのことで、すでに主のいないうちに会場予定地はしっかり探られてしまっていました。そしてあっけなく落城。
途端に頭の中はパニック状態、情けないことに心は早くも十一月二十三日に飛んでしまっている始末。これではいったいどうなることやら……。
とにもかくにも 高齢化社会で中山間地農業を営むには問題が山積した地での収穫祭になります。会員の皆さんにはもちろんのことですが、関係する皆さんや地域の仲間達の応援をいただきながら、実りある収穫祭となるよう努力していきたいと思っていますのでよろしくお願いいたします。
知恵をかして!
ふるさとの田畑を大切にしよう!
育てる心を大切にしよう!
「福井の魚」のおいしいわけ
福井県水産試験場 後藤金吾
越前・若狭と言えば全国的に魚のおいしいことで有名ですが、これは日本海の海況によるものであります。詳しく言えば対馬暖流…黒潮が九州沖で分岐し、東シナ海の冷たい水と合流して日本海に流れていきます(水温は太平洋の黒潮に比べ7〜8℃低い)。
福井県沖合にはこの対馬暖流が表層から深くても150mくらいで流れてきます(対馬暖流水の及ぶ深さは最大の所でも300mどまり)。この暖流に乗ってアジ、サバ、イワシ、ブリ、マグロ、スルメイカ等が回遊して来ます。それより深い水深150〜350mの冷水域にはズワイガニ、アカガレイ、ハタハタ、ニギス、ホタルイカ等の底魚が棲息しています(魚が良く漁獲されるのは、大体水深200mまで)。また味に定評のあるホッコクアカエビの棲息水深は四〇〇m〜六〇〇m、ベニズワイガニは八〇〇m以深です(参考までに年間の水温変動を示しますと、表面水温は一〇〜二八℃、水深一〇〇mで一〇〜一六℃、水深二〇〇mで四〜七℃、ズワイガニの棲息している水深二五〇〜三五〇mは一〜二℃)。日本海の特徴は表層を流れる温かい対馬暖流と、その下層には冷たい日本海固有水があり、とれる魚の方は温帯性のものと寒帯性のものと両方がとれ、それが日本海全体に広がっていることです。
たとえばサザエ、エゾアワビ以外のアワビは太平洋では福島以北ではとれないのに、日本海では津軽海峡付近まで棲息しており、逆にサケ、マスは太平洋では銚子以北にしかとれませんが、日本海では全般にわたってとれます(若狭湾は日本海の中央にあるため捕れる魚の種類は多い)。
通常よい漁場の表現に電流と寒流がぶつかるところと言われますが、日本では三陸沖が有名で世界の三大漁場の一つとなっています。日本海では大陸棚の低温・低塩分のリマン寒流域と本土側の高温・高塩分の対馬暖流域がせっしている所(いわゆる極前線)は日本海の中央部で二分しているかたちになっています。以上でおわかりのように、暖・寒両方の魚がとれるのは対馬暖流と冷たい日本海固有水のためで、極前線でとれているわけではありません。日本海側でも特に越前・若狭の魚がおいしいと言われる理由は、本県漁業の主漁場である若狭湾の沖合には日本海有数の天然魚礁である玄達灘・松出瀬・浦島礁があり、陸側はリアス式海岸で沖合まで陸棚(水深二〇〇m以浅)となっており、丁度若狭湾全体が天然魚礁群によって囲まれたようになっております。この複雑な海底地形とそれによる潮流の変化は、底魚漁場の好条件となっているばかりでなく、浮魚の回遊にも影響し高級魚の対流場所となっています。この好漁場が近いところあるため、大きい漁船を持つ必要もなく、従って操業日数も短く(日帰りが多い)漁獲される魚が高鮮度であるため、これが高い評価を得ている理由の一つでもあります。。ただ注意しなければならないことは、深い海にすむ底魚は鮮度がとても落ちやすいので、取り扱いには十分注意が必要です。
また冷水域にすむ底魚は成長が遅いので濫獲にならないよう上手に管理する必要があります。終わりに消費者の皆様にお願いですが、「日本一」と言われる越前・若狭のおいしい魚を毎日食べていただく事が、家族の健康と福井県の漁業を守ることにつながりますので、何卒よろしくお願い申しあげます。
元日のたわごと
福井市高木町 酒井恵美子
「元気第一・現金第二」生きる条件をストレートに表している言葉だと思います。
元気と楽しみをお題目に掲げて始めた一坪園芸が、今では二五〇坪にまで広がった私の花壇と菜園ですが、この道二〇年を経てもなかなか成果が上がりません。健康な野菜と心と体の健康は容易には手に入らないのです。害虫や外敵・病にむしばまれ、他の人にちょっとでも自慢の出来るものをとでも思うなら、それこそ涙ぐましい努力が要るのです。農協のセミナーで勉強させていただいたり、専門家のお話を聞いたり、EM菌だの有機質だのと色々手がけたり、たまには、指導員の方に畑まで往診に来ていただいたりしているのですが、元気な野菜は易々とはやってきません。
今は、健康をお金で買う時代とか。わざわざプールへ泳ぎに行ったり、○○会に入って体操したり、歩いたり走ったりの孤独の戦いに挑戦したり、また健康食品だの薬だの健康器具だのとそれこそ情報に振り回されて、健康を求めるためにストレス病にかかって健康を害するなど、大変な時代になってきました。私などそんなお金も暇もないので「早寝・早起き・腹八分」の昔からの原則を、必要に迫られてただ実行しているだけですが、今のところ元気です。
家事と雑用は早朝と早晩にすませ、日中は外の仕事をするというのが日課になっており、このことが今日まで元気に暮らせた要因になっているのかなとも思っています。
『おふくろの味』も野菜があるばかりに手作りとなり、『おふくろの味』ばかりが食卓に登場して、家族の嘆きになることもあります。
手抜き主婦業に苦情が出たときは、「私の楽しみだけは取り上げないで」と大胆に叫んで、明日も楽しみのための「挑戦の人生」を続けて行くつもりです。
「あぜみちの会」の方々の考えを大切にしたいと思っています。「あぜみちのシグナル」も愛読しています。私のささやかな園芸をどうぞ応援して下さい。
水稲不耕起(部分耕起)移植栽培の勧め
坂井郡三国町楽円 定池農機製作所 定池潤一郎
農業には遵守すべき二つの約束があります。それは人命に安全な食料を生産することと、農地が永久に農地であり続けられること、すなわち地球環境を考慮した農業であることです。これは農業の永久の理想だと信じます。
低コスト生産をする為に農薬を多用したり、表土の流失を伴う粗放農業や、略奪農業をしてはならない。自国が経済効果のみを追求し世界各地の食料を買い求めることで略奪農業が進むことも同様なことです。自由貿易は必要なことですが、低価格農産物を求めるだけではなく二つの約束を国内外にアピールし、さらに農業技術の指導をすべきではないでしょうか。日本稲作の良く管理された水田にこの理想を見ることができます。福井県は日本列島の中間に位置し、福井、坂井の両平野は福井県の水稲生産の中心地をなしています。福井県の農業形態のこれからの変化は平坦地日本水田農業を代表するものと思います。
次に述べるような諸問題を克服し進化することが二一世紀農業に求められるものと信じています。
今日の農業の内外にある諸問題として、
一、農産物の低価格化が進む中で、高賃金、高額所得が求められている。
二、農業の就業人口が少なくなってきている。
三、肥料や農薬の多用と落水による河川、湖の水質汚染、稲藁の野焼き煙害。
四、農産物の輸入自由化。
五、農地基盤整備事業費、用 排水管理費、農機の高級化による経費高騰。
以上の問題の解決策として、一、二〇ヘクタール程度の大規模営農を行い、時間当た りの作業量を増やすと同時に、年間を通した作業体系を確立し、終了時間を長くすることで収入を増やす。3K農業のイメージを脱却し、九時・五時の作業体系にする。
二、シルバー人材を活用する作物配分を行う(水田転作作物の選択)。
三、用水の有効利用と肥料農薬を多用しない農業技術の開発。
四、安全性があり味覚の優れた農産物を生産する。
五、一〜四を確立するには農地の国営基盤整備事業による田、畑と輪換可能なスーパー農場の開発を推進する。そして輸入に頼っている飼料作物の一部の(生産コス ト的に)自給を確立する。
前述の問題解決の一手段として水稲不耕起(部分耕起)移植栽培は必ず役立つものと信じます。不耕起移植に使用する田植機を部分耕起田植機(以後BKと記す)と称します。
BKの特徴とその勧め
一、耕起、代掻き、施肥、田植えの同時作業による省力、省エネ機械です。
二、部分耕のため古株の一部を残すので、移植後の風害による浮き苗を防ぐと同時に藁の浮遊を防止する。
三、表面処理のみを行っているので、稲藁や籾殻を施しても腐食ガスの発生がない。
有機物の連続施肥が可能に なり、土づくりができる。
四、切り藁が表面にあるためにマルチ効果があり、土壌の粗粒と相まって苗の活着 がよくなる。
五、肥料や泥水、藁や雑草の流失がないので河川の汚染防止と節水にもなる。<省エネ>
六、三年間以上続けると直下排水がよくなり、水田転作のローテーションが組みや すくなる。
転作後慣行移植法をするとよい。
七、初期生育がよいので、麦作跡の稲作と二毛作も可能になり将来の食料危機対策の有効手段となる。
八、除草剤の使用方法が従来と同じである。
九、移植能力が現在一日当たり一.五ヘクタールのところを将来には二.五ヘクタールとしたい。
十、移植可能な田面の硬度は断面積1平方センチの鉄棒の貫入抵抗力が五〜一〇sとする。軟弱地にはクローラトラクターの試行を待ちたい。
十一、直下排水の効き過ぎる水田は水保持が悪く多肥料傾向になる。
以上のような長所短所を含めたBKの有効利用を図りたい。直下排水のよい圃場は全面に施肥する有機米栽培が適するのではないか。また、レンゲ草の生育期間中にBK移植を行い、マルチ効果を利用した無除草剤栽培を合わせて試行したい。従来の不耕起栽培の弱点は長藁、切り藁、雑草の残幹処理技術が従来は未熟なために移植精度が非常に悪かったことである。本機BKは特殊な爪配列によるロータリーの開発にて移植精度を高めました。さらに残幹物を有機肥料として利用しています。不耕起栽培の未来への展望として、大規模圃場やスパー農場へと圃場整備が進み、低コスト農業へと向かう今日、BKはその一翼を担う農業機械と信じます。特にスーパー農場にあっては排水の浄化と減少効果は有望であります。また排水改善効果が水田転作<水田輪作と呼ぼう>を有利にします。二十一世紀の食糧危機が叫ばれる中で、飼料作物の増産や二毛作<麦稲>へと発展する可能性を含んだ農業技術となり得るでしょう。
関係諸機関のご助力を得て水稲不耕起<部分耕起>移植栽培技術のさらなる発展を願う次第です。
平成九年一月
(新聞写真一枚)
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