ニュージーランドの季節は日本と正反対にあり、人口密度も低く、温暖で緑多い恵まれたお国柄である。
そして日本に向けて、季節にない果菜類、魚介類が豊富に輸出されてくる。
人口よりはるかに多い、至る所で見かける羊の群れは、旅人の心を明るく包み和ませてくれる。
写真・文:坂井郡三国町 古道 豊
私家版 農業基本法
前文
われらは、かつて憲法において、すべての国民が健康で文化的な生活を営む権利を有することを宣言した。「健康で文化的な生活」の基盤は、豊かな食生活にあるから、国民は安全で、健康的な食料を安定的に供給される権利がある。
我が国農業は、この国民の負託に答えることが期待されている。
また、世界的人口の増加と、経済発展の不均衡のために、現在も未来に向けても人類の飢餓が避けて通れない課題になっている。わが国は、世界的規模で、食糧備蓄機構を創設することを提起し、自国農業の発展を通じて、その主導的役割を担う覚悟である。
一方、近年の地球環境の悪化は、あらためて人間の生存における自然環境の重要性を認識せしめている。われらは、農業・農村が、これらの自然環境の保全に、重要な役割を果たしていることを認め、国民的財産として、その保全に意をもちいなければならない。
第一章 国民的合意
第一条 農業は、自然と人為の結合した営みであって、両者が未来にわたって持続するよう努めなければならない。
第二条 環境と自然形成に果たす農業・農村の役割を正しく評価し、その保全に社会的費用が支払われることを認めなければならない。
第三条 期待される農業生産のための農地は、地域住民の合意の下に、投資目的のためのみに供してはならない。
第四条 農業・農村を、国民に開かれたものにするため、農村住民と都市住民の交流を深めるよう、相互に努めるものとする。
第二章 政府の役割
第五条 食糧は国内自給を原則とし、当面の自給率の目標を六〇%(カロリーベース)とする。
第六条 前条の目標を達成するため、政府は主要食糧の年度毎の生産目標を設定しなければならない
第七条 農業生産の維持向上のために、政府は担い手の育成と、農業者の経営安定のための有効な施策を講ずるものとする。
第八条 中山間地、島しょ地等営農条件不利地にあっては、農業施策のほか、直接所得補償策を併用して農村と農地の保全を行う。
第三章 農業者の役割
第九条 農業者は、自らの経営安定と国民の安全、健康な食生活に資するため、農畜産物を安定的に供給するよう、創意工夫を生かし、かつ誠実に努めなければならない。
第四章 時限立法
第一〇条 この法律は、一〇年の時限を経過した後、その有効性を確認するものとする。
▼フォーラムとは何ぞや
「 フォーラム て何やの?」ある指導農業士が質問した。「まあ公開討論会のようなもんやな」とごまかした。実は今回の行事にフォーラムというカタカナは使いたくなかった。道場≠ノしようか、寄り合い≠ノしようか、奥越ではたくさんの人が集まることを何というんや、などと悩んだあげく、結局、欧米かぶれの世間一般の風潮に妥協してフォーラムという言葉を使ってしまった。道場や寄り合いで人が集まって来るか、正直自信がもてなかったからである。世間はフォーラムばやりである。その流行への反発もあるのだが、なにかいい日本語はないものだろうか。
▼県民生協の組合員はあてにならなかった
今回のフォーラムでの大きな狙いの一つは市民層の参加であった。このような会合では、殆どの場合、農家や農業関係者だけの集まりになって、その業界での自慰行為になりがちである。農家も市民もみんなが参加して議論し考える、そんな場作りをしたかったので、市民層への積極的な働きかけを極めて重要な戦略と考えた。そこで目を付けたのが生協である。六万人の組合員を擁する福井県民生協の本部で聞くと、奥越地域【大野市、勝山市、吉田郡と美山町】には約五千人の組合員がいるとのこと、しめた!これはいけるとニンマリ。そこで、早速、組合員用に五千枚の広報チラシを作成、県民生協奥越センターの協力をえて全組合員に配布した。参加申込書もセンターで回収してあげましょうとの力強い協力の申し入れに大いに感謝、そして期待した次第。……結果は二人の参加申込みでした。県民生協の組合員であれば食べ物に対する意識も高く、少しは農業に関心があると思ったのですが、見事にはぐしをくらった次第。大きな組織は当てにならないなどと日頃思いながら、五千人の魅力につい色気を出してしまいました。やはり、人に参加してもらうには日頃の地道な積み上げが大事だと痛感した次第です。
▼千円の会費徴収は成功だった
行政主導のイベントは会費無料で人集めは割り当て、JA主催のイベントや会合は記念品付きの動員と相場がきまっている。それでないと人は集まらないという常識が支配的である。この常識を覆すべく、いつか大きなイベントをやるときには必ず会費をとってたくさんの人を集めてみたいという強い願望を持っていた。自分の意志で自腹を切って参加する、その場合、参加者の意識も変るだろうし、主催者の方も会費に見合うサービスが必要となり、いい加減な取組みはできない。今回も主催者としてそれなりの努力をしたが、アンケート調査の結果によると、会費徴収は好評であった。九時半から午後の四時半にかけての長丁場にもかかわらず、多くの人が最後まで参加してくれたのは、会費徴収効果であったのかもしれない。ただ、今回もある機関では動員による参加があったようで、全員が主体的に参加したとはいえない面もあるが、まずは、今までの慣例化した人の集め方に一石を投じたといったところか。自分としては、会費を取ってたくさんの人を集めるという夢を実現したと思っている。
▼手作り弁当はおいしかった
これまで百人規模の研修会を何回か開いてきたが、昼食には生活改善グループの手作り弁当を出して好評を博してきた。今回も是非この線を踏襲したいと考えていたが、千食となると規模が大きく生活改善グループでは手に負えない。そこでJAの女性部に頼み込み、引き受けていただいた。開催時期が夏の盛りであり、近頃のO157騒動もあって、女性部としても大変な決断を要したことであろう。今思ってもよく引き受けていただいたと感謝している。JA大野市女性部が主食、JA上庄女性部の味グループが副食と役割分担をしながら協力体制を採ってもらったのも特色である。手作り弁当は大変好評であった。保健所の指導よろしく(?)O157もクリアーした。
「弁当も持ち帰りは絶対にまかりならぬ」とのきついお達しで、参加状況によっては、最悪の場合、折角の弁当を何百も廃棄処分しなければならないかと腹を決めていたが、幸いそのような事態にはならなかった。保健所への対応はベテラン普及員にお願いしたが、なかなか苦労したようである。千食の弁当づくりを実現したことによってJA女性部の自信と可能性の拡大につながったということを漏れ聞いてうれしく思っている。女性部の皆さん、ありがとうございました。
▼お金はあとからついて来る
今回の催事を構想したのは昨年の七月であった。三百万円程度の予算が必要かなと大ざっぱに考えたが、これをどのように調達するか、いろんな作戦を考えた。まず主催者の負担があるが、主催機関はいずれもお世辞にもお金が豊富な機関とはいえないので多くは出せない。次には参加者から会費を取ろう、しかし参加費を取ることはこちらの姿勢を示す象徴的なものだからこれだけではまかなえない。奥越管内の自治体、農業団体とは一緒になってやるのだから、これらの機関には応分の負担をしてもらおう。しかし別の形(主催者の一機関としての奥越農業振興協議会の構成員として)でも間接的に負担してもらうのであまり無理は言えない。主催者の農耕文化研究振興会代表の渡部さんの関係から二十一世紀村づくり塾からも応援が得られそうだ、福井県農林漁業大学校の支援もお願いしよう等々……結局、自分たちがその構想に合わせて自由に使えるお金が五百万円集まった。情熱があれば、意気に感じてもらえば、お金はあとから付いてくる、その感を深くした。
▼さりげない農の生け花に気が付きましたか
百六十七枚帰ってきたアンケート用紙の中に、講師それぞれの席の前に置かれた農の生け花について触れた記述が一枚あった。昨年、京都の日吉町で開催された大場の寄り合い≠ナ、パネリストの前にさりげなく置かれた季節の野菜の盛かごが大変印象に残った。それ以来、日本農業新聞に週一回掲載される農の生け花≠フ記事を必ず見るようになった。会場の装飾は奥越生活改善グループの役員にお願いしたが、季節の野菜や花を使った農の生け花を中心にしてもらうよう依頼した。グループ員の中には生け花に堪能な人もいて、当日の会場では見事に要望に応えていただいた。篭や壺を使って地味ではあるがすがすがしい野趣味にあふれた生け花に心が洗われた。金に証せた豪華で華々しいものよりも、農業・農村フォーラムにふさわしい農の生け花であったと満足している。
▼広報は几帳面に
奥越地域で開催はするが、全国に通じるフォーラムであると性格付け、自信を持って全国に広報をする方針を採った。まず地域内の広報は農家も市民も全戸を対象にした。第一段として普及センター、市町村、農協の広報誌にフォーラム案内の掲載を依頼、それぞれかなりスペースを割いて、快く取り上げてもらった。第二段としては、案内のチラシを二万枚作成、新聞の折り込みを利用して奥越地方のほぼ全戸に配布、さらに別のチラシを五千枚作成、奥越地域の県民生協組合員に全員配布、これで奥越の住民の方は、二回以上はフォーラムの案内を目にしたはずである。その他、いろんな会合時には必ず開催内容を説明し参加を要請、さらに地域で顔の広い何人家の活動家にチラシを渡して宣伝を依頼した。県内については県、市町村、農業団体の各機関に案内文書を送付、参加を募集した。県外では主催機関の一つである農耕文化研究振興会が全国に散らばる約六百人の会員に機関誌で参加を募集し、当方では北陸や近畿、東海を中心に、国や県の関係機関に案内文書を送付した。マスコミには早くから取り上げられ、開催時、開催後も好意的に報道していただいた。マスコミ人との日頃の交流が功を奏したと思われる。個人的にはハガキ通信寸鉄≠ナ県内外千七百人の読者に二回に亘って紹介、またいくつかの所属サークルの会合でもチラシを配布した。このように全体的な案内と焦点を絞った働きかけを行う二段構えの広報体制を組んだ。結果は四日間で述べ約千人の参加を見たフォーラムとなった。担当者としては市民層への食い込みが十分でなかったことと、全国に約六百ある普及センターすべてに案内を出さなかったことが悔やまれるが、おおむねやるべきことはやったという充足感を感じている。自信があれは(自己陶酔で結構)思い切って大胆に徹して宣伝をすればよい。どれだけ宣伝してもしすぎるということはない。
▼生ビールは口をなめらかにしたか
ちょっとアルコールを入れて口を滑らかにしながら、意見をたたかわし、交流を図るような場を作ってみたいとかねがね思っていた。昨年の京都日吉町でのコスモスファームでの合宿では、常時ビールが飲めるように設営されており、感心したものだ。という事で、今年のプレ・フォーラムでは何よりもアルコールの準備を怠らなかった。一本二十リットルの生ビールを五本準備、常時飲める体制を準備した。見ていると、今回の参加者は真面目な人が多く、朝や昼に飲む人は皆無で、夕食後と研修後に集中した。今年は昨年とちがって、会場が旅館であったことや、参加者が多くて学校方式での講義形態になったため、また講義がびっしり詰まっていて、ちょっと雰囲気が固くなった点も影響したのかもしれない。二日間で飲んだ量は四本で、一本残したのは残念である。それでも飲んべいの人は研修後結構交流を楽しんでいた様子である。それと合宿の二日間、歌舞音楽の時間が皆無であったのもまずかったなと思っている。いつの日か、音楽とアルコールを組み込んで真面目な議論をする場を作ってみたいなと考えている。
▼四日間で約千人が参集した
このフォーラムを一体何人の人が集まってくれるのか、正直言って見通しが付かなかった。二十年前、七夕の日に県庁では最初にして最後であろう合唱演奏会を開催し一千枚のチケットを販売、県民会館の大ホールを一杯にした経験があるので、やる気さえあれば人は集められるとの自信はあった。ただ演奏会の時は団員四十人がフル回転したが、今回は関係機関や関係者がどこまで動いてくれるかがカギであった。関係機関の実務者レベルで実行委員会を作り運営推進を図ったが、特に三日目の一千人大集会は会費を取って千人を集めるという当地では初めての試みであり、皆目予測が付かず、実行委員も半信半疑で取り組んだと思われる。またこの日は七月の最終日曜日で奥越地域では慣習的に社会奉仕の日となっており、その面からも危惧感があった。千食の弁当作りへの対応と財政基盤の確立のため、事前に参加者の数を概ね把握しておく必要があったので参加申込書の提出とチケット配布の体制を採った。本番前の申し込みはプレ・フォーラムが六十五人、一千人大集会が九百人、現地視察が二十人となり、やれるという感触を得た。大集会の当日は台風の襲来もあり心配したが、ほぼ申込みどおりの参加者があり、農業関係のイベントで会費を取ってこれだけの人が集まったのは画期的だとの評価を受けた。要は主催者や関係者の熱意とセンス、イベントの中身と積極的な広報、日頃の交流の積み上げなどの総合的な成果であると考えられる。
▼場づくりに徹する
今回のフォーラムはみんなが考える、交流する場を提供したものである。ここで刺激を受けたことをどのように膨らませ実践するか、また日地との交流をいかに深めていくかは、参加者がそれぞれ実行することである。ともすれば行政や団体が仕組むフォーラムでは主催者の方針や考え方を押しつける場となりやすいが、時代はもうそのようなことを主催者の方針や考え方を押しつける場となりやすいが、時代はもうそうようなことを要求していない。成果については、主催者が無責任になること、参加者に任せること、そして自由な雰囲気の中で多様な可能性を示して参加者を刺激し、そのエネルギーを解放して彼らの実践に期待すること。そういうことが今後大切なのである。なにはともあれ、おくえつ農業・農村フォーラムで一番いいかっこができて一番特をしたのは私でありました。振り回されたと認識される方々には申し訳ないの一語につきますが、参加者の皆様、関係者の皆様、ありがとうございました。
題烏江亭 杜牧
勝敗兵家事不期
包羞忍恥是男児
江東子弟多才俊
捲土重来未可知
烏江亭に題す 杜牧
勝敗は兵家も 事期せず
羞を包み恥を忍ぶは是れ男児
江東の子弟 才俊 多し
捲土重来 未だ知るべからず
▽いくさの勝敗のゆくえは、兵法家でさえも、予測のつかないものである。
▽恥をしのび、肩身のせまい思いに耐え、再起を計ってこそ真の男子といえよう。
▽項羽の本拠地である江東の若者たちには、すぐれた人物が多いというから、
▽もし江東の地に力をたくわえて、地を巻き上げるような勢いで、再び攻め上がったなら、その結果はどうなっていたかわからない。
Oさんは「次の練習までにはすっかり忘れて先が思いやられます」とのことです。物事を比較したりするには、あまりにも対象が違いすぎると思いますが、それでも不思議にこの漢詩の響きが聞こえて来るのです。
(二)孫の丁代に、御飯を食べながら「丁代、お米の一粒の中には、神様が三体入っておられるから、粗末にせず残らず食べなければバチがあたるよ」「エッ 神様を食べたら、なおバチがあたるよ」私の祖母からの教えは通じなくなってしまったか。ウーン
(三)─その一─ スナックで飲んでいたら、隣でA君とB君が大分酔っ払いながら話している。A君の父親が亡くなり、遺産相続の事らしい。A君「うらは兄貴から、いっせん(一銭)も貰わなかったんにゃ」B君「なにィ、いっせんまんえん(一千万円)もらったァ、お前の兄貴は偉い奴やなァ」A君「いや違う、うらは一銭も貰わなかったんにゃ」B君「なにィ、一銭も貰わなかったァー、お前は偉い奴やなァ」。
─その二─(本で読んだ話)
西洋人のA君、日本語を一生懸命に学び、日本にやって来た。目的地に行くためにバスに乗ったらスピーカーから「右に曲がります。ゆれますので五拾円(ご注意)下さい」と流れ、次に「左に曲がります。ゆれますので五十円(ご注意)下さい」と流れ、A君はビックリした。
日本のバスは曲がる度に五十円用意しなければならないのか、とんでもない国に来たもんだと思ったそうだ。
聞き間違いは、言い手の粗相
言い間違いは、聞き手の粗相
としておこう。
(四)農業団体に勤めるA君は、現在二十八才で、背が高く、美男子で頭が素晴らしく良く、スポーツマンでもある。おまけに、話して良し、歌って良し、そして物腰やわらかく、誰からも好かれる好男子である。ところが父親のBさんは、一癖も二癖もあり、酒豪で顔は酒焼けして鬼瓦の様で、みんな敬遠気味である。ある酒席でBさんに「Bさんの息子のA君は素晴らしい青年やのう、けなるいなァ(羨ましい)、うらもA君の様な息子がほしいなァ」と言ったら、Bさん「そりやァ名津井、うらは、あの息子をつくるときは、大分吟味したぞう」。やられたァと思ったので、すかさず「Bさんの奥さん、良いでのう」と言ったら、ギョロリとした目をこちらに向けたので、タイミング良く、私は細い目を、より一層細くしたら、Bさんの目は、私の普段の目の太さになった。実は、奥さんがと「が」を入れて言いたかったが言えなかった。「参ッタァ」
一 生産者と消費者の交流
農業を活性化するには何よりも農業そのものを一般の人に理解してもらうことが大事だと考えていることがうかがえる。その方法としては、一般の人が家庭菜園などに親しむ機会を増やす、農村で遊ぶ場を作る、グリーンツーリズムを盛んにするといったアイディアがあった。また、一緒に飲む場(交流の場)を作るというのは今も昔も変わらない密度の高い交流の方法としてあげる人もいた。
二 新規就農者の支援
農業をやりたいという若い人が農業を始めるには困難が多い状況といわざるを得ない。こんな中、後継者・新規就農者の支援ということが、農業の衰退を防ぐためにも必要不可欠である。新規に農業を始める若い人の支援の方法には、段階を踏まえて自立させるような方策も必要であるとしている。
三 農業者からの情報発信
農家がつらい思いをして担っているという農業のイメージを払拭するには、あぜみちの会の会員のように、農業で楽しくがんばっている人を表に出し、どんどん情報発信をすべきである。インターネットによるPRもその一つであろう。
四 農業保護政策の強化
行き過ぎた現在の市場原理だけによる生産物価格の決定では、条件不利地の農業は衰退して行くしかない。中山間地で農業ができるようにするためにも、農業保護政策の強化が必要としている。
五 行政・団体主導から農家 主導へ
これまであまりにも上意下達という流れで物事が進んできたが、農家からの提案による農業施策の展開がもっとあってもいいのではないか、あまりにも受け身になりすぎていたのではないのかという反省である。
六 個別専業農家支援の充実 これまで進められてきた集落農業では、補助金を底辺のかさ上げに使ってきたわけだが、これでは元気のある中核農家がなかなか育たなかったというのも事実である。そこでプロ農家の育成にも力を入れてはという提案である。
七 女性パワーの活用
農業を裏で支えているのは女性である。また、女同士結構強いパワーとネットワークを持っている。彼女らを表に出してそのパワーを農業の活性化に繋げていけないかというものだ。
八 農業者自身が農業に自信を持つ
農業者自らが農業に自信が持てないのではないか。それでは農業の楽しさを伝えることができない。農業者自らがいかにすばらしいかを自覚することが大事だという考えである。
以上、8つの活性化アイディアを示したが、このほかにも、農業経営者の異業種交流を図るとか、「富山のチューリップ」のように「福井の○○」といわれるような全国ブランドを作るなどの提案もあった。中にはムラ(集落)の運営を若い人に任せることにより若者の農村離れを防いではというものもあった。
いずれにしても、これをやれば農村の活性化が進むという切り札はなく、いくつか提案されているようなことを地道に実施して行くよりほかはないのであろうか。
次回は問題点と活性化アイディアの関連、また、これらアイディアの実行のしやすさや、効果の大小についても検討したい。
(以下次号)
■ そもそも 公益性 って何?
ところでわたしの友人はこの六月に約一週間ウラジオストクへ調査におもむいた。老朽化したロシアの原潜が沈んでいる場所である。目的は放射能汚染による環境、ひいては人間への影響を調べることにある。この問題も重油流出事故と同様に日本海の環境汚染と深く関わってくるが、どこからも資金は出ていない。まったくの ボランティア である。でも、彼のことを重油流出事故にかけつけた多くのボランティアについてまわるのと同じニュアンスで ボランティア と誰も呼んだりはしないようだ。彼の活動はおおいに 公益性 を持つと思われるのだが。
また例えば県都を流れる足羽川の中流域に計画されている足羽川ダムに「環境破壊」、「生活破壊」という重油流出事故に対処したのと同じような理由で反対する活動には 公益性 はないだろうか。国や県など公的機関が進める原発・ダム・空港・道路建設など大型プロジェクトに同様な理由で反対するのはボランティアと言って何かまずいだろうか。自発的な意志で、無報酬(逆に大型プロジェクトなどでは本来なら報酬をもらうべき立場にないはずの人が多額の 報酬 を懐にしたりする…といううわさもある)。「環境破壊」「生活破壊」に抗することは 公益性 を持つような気もするのだが、どうだろう。それともそういった議論以前の問題としてこういった公的機関が行うことはすべて公益性≠持っているはずだから、それに異議申立てをする動きに 公益性 などあるわけがないだろうか。
ある活動に 公益性 があり、別の活動は 公益性 がないという線引きは客観的にそもそも可能なのか、というのがここでの問題提起である。
■ 誰が 公益性 を決めるのか
ボランティア活動推進基本方針検討懇話会(松島翠会長)は「ボランティア活動の効果的なあり方」について検討した結果をこの四月に県知事に報告した。紙面によれば「ボランティアと行政のかかわりを重視し、自発性を最大限に尊重しながら、双方が独自の特性と役割を生かして補い合う対等なパートナーとしての関係を築くことが重要とした。また、行政は活動の主体性が損なわれないよう配慮しながら、基盤整備や環境整備など側面的な支援を行うことが望ましいとした」(福井新聞1997.4.16)とある。福井県は報告を受けて五月の初めに「県ボランティア活動推進基本方針」を打ち出した。講座開設によるボランティア育成など様々な施策を展開するとしている。さらに六月一一日には全国から寄せられた義援金をもとに災害ボランティア支援基金を創設することを決めている。このように行政の側はボランティアを全面的にバックアップする姿勢をみせている。
話は少し横道にそれるようだが、県の姿勢を象徴するような一〇年以上前のことに触れたい。かつて「青年の船」等の海外との交流関係で県が関与した事業にかかわるグループのOB会などを構成員とする連絡協議会的なものがあった(現在もあるかどうかは知らない)。青年海外協力隊の県OB会の事務局長としてこの会合に出席した私は県の担当部長に質問した。「この協議会の目的は何か」。答えは「県が関わる事業の事後研修です」というものだった。協力隊OB会は事後研修など頼んだ覚えはない。少なくとも当時、県は国際交流等に関わる団体を対等なパートナーとは見ていない、と感じた。
一方同じ頃、「青年の船」に参加した私の知人は、参加後に報告書作成のための原稿を依頼され、事業のあり方への批判も含めた原稿を提出した。原稿は知人へのことわりもなく黙殺され、掲載されることはなかった。誰が、どの段階で、どのような判断のもとに掲載をとりやめたのかは不明である。県のやることを批判するのはけしからんという判断がどこかの段階で働いたであろうことは容易に想像できる。
このような過去の県の 姿勢 から懸念されることは、県がボランティアと 対等な 関係を結ぼうとする際に、お上 に物申したりしない都合の良いボランティアのみを 公益性 があると判断し、そうでない個人・集団には 公益性 がないと見なすことはないだろうか、ということである。県などの行政だけがボランティアの 公益性 を一方的に判断することになってよいのか、ということである。
■ 公益 を「鋭い問題意識で掘り起こ」す!
第三世界を支援する市民運動団体の草分け的存在である日本国際ボランティアセンター(JVC)の谷山博事務局長はボランティアについて次のように述べている。
「民法にある公益≠ニは誰が決めるのでしょう。主務官庁の考えが基準になっており、恣意的に決められていると感じます。私たちの場合、主務官庁は外務省になりますが、JVCの海外でのさまざまな活動は外務省と対立するものはないと思います。しかし私たちは国内活動で、先進国と開発途上国の経済的不平等がなぜ起こるのか、南北問題を構造的に理解し、不公正を改めるよう行動することを目指す開発教育も行っています。開発教育の中には日本のODA(政府開発援助)への批判なども含まれています。それは外務省の考えに適合していないと思います。もし公益法人となって外務省の監督を受けなくてはならなくなったら、現在の会の国内活動が制限される。あるいは会をコントロールするために天下りが役員として入ってくる可能性があり、それを認めることはできません」(NHK取材班ボランティアが開く共生の扉≠mHK出版1995 p170-171)
さらに谷山氏は続けて「ボランティア団体は、このようなニーズを底辺から鋭い問題意識で掘り起こしていくところに存在意義がある」とも述べている。「このようなニーズ」とはまさしく公益にほかならない。この現実社会の仕組み・構造といったなかなか見えにくい部分をきちんと捉えようという努力なしに、真の 公益 は浮かびあがってこないのでは。公益性 とは、どこかにものさしがあって、誰でも測れるといったものではなく、現実の問題に対して、自らの自発的な意志により関わっていこうと考える個人・集団が「鋭い問題意識で掘り起こ」していくものなのだと思う。つまり、ボランティアの 公益性 とは、以上のような努力を続けることによってのみ保持されるものである。ボランティアと名乗る団体が最初から属性として持っているものではないということだ。かなりラジカル(根源的又は過激)な表現になるが、その辺のところをきちんと押さえておかなければボランティアはともすれば、単なる行政に都合のよい下請けや善意の押し付けに堕してしまいかねないからである。
次回は連載の最終回。ボランティアのこれからの役割ということで、「ボランティア=世直し仕掛け人:試論」で締めくくる。
1 現在の食料は健康になる のか?
2 酸性雨の対応は?
3 今後2人に1人の子供が アレルギー体質として生ま れ、増加の一途を仙る現実 に!
食と健を守るをテーマに、今日まで、栄養豊かな米をお客様に届けたいと願ってきました。
そして念願の福井生産の高カルシウムピロール米を取扱い、発売してその反響に驚いております。PH七.0以上の弱アルカリ食品として、福井の地で発信されております。誇りです。
健康への早道はサラサラした丈夫な血液を造り、弱アルカリ性体質を作ることと思っております。
次回はご飯の炊き方について
第一章〈設立の目的〉
人間解放をめざす人が、一人でも多く生まれ育つこと。
第二章〈めざすべき人間開放〉
人間開放とは
@自立・対等の人間関係を作り出すこと。
A働くことが喜びとなる人間労働の回復をはかること。
B地球規模で自然と人間の共生をめざすこと。
第三章〈農場生活七ヶ条〉
@汗を流し、ひたむきに日々の労働に励もう。
A二十四時間の共同生活を通して、共同して働き、共同して学ぶ。
B万人をその能力で差別しない。
C仕事を選ばず、責任を限定せず、成果を一人じめしない。
D畑を耕し、家畜を飼い、自然の中で人間の役割を学ぶ。
E素直な相互批判をこころがけ、なれあわない。
F村の人々と仲良くなって、村の生活に根を下ろす。
第四章〈開かれた農場〉
来るものはこばまず、去る者は追わず、たてこもらずに開かれた農場をめざす。
『流れに逆らって─能勢農場二十年の記録─』
能勢農場出版編集委員会編著、発行所 新京社、定価 二千円+税