あぜみちの会ミニコミ紙

みち15号

(1997年秋号)

群れる羊

ニュージーランドの季節は日本と正反対にあり、人口密度も低く、温暖で緑多い恵まれたお国柄である。
そして日本に向けて、季節にない果菜類、魚介類が豊富に輸出されてくる。
人口よりはるかに多い、至る所で見かける羊の群れは、旅人の心を明るく包み和ませてくれる。

写真・文:坂井郡三国町 古道 豊


シグナル


福井市 中川清


 収穫の秋が来た。
百姓が収穫するものは、人が生きていく為の食物であり、その食物もまた「生き物」であると思っている。
お米も、野菜も、果物もみな生き物である。だから収穫したら、それで良いというのでは無く、人の口に入るまでの管理「生かし方」が大切だと思う。
 どうも、近頃の食品を見ていると、生き物としての扱いに、欠けているものがあるような気がしてならない。もっと大事に、丁寧に扱って欲しいし、収穫後に保存のため薬を使うなどもっての外だと思う。
みなさん、どう思いますか。
 この間、山形県まで有機農業の先輩の農場を見学にいく機会があった。
 その時、高橋さん(米の生産者)は「この食物は、人の口に入れても大丈夫なものだけを肥料(米糠、油粕ぼかしなど)として作物に施し、人に害になる農薬を使わないで作ったという自信がある」といわれていた。
 消費者にも生産者も、是非知って欲しい有機農業の真理だと思った。
 また、ブドウの生産者須田さんは、「自然農法では、食べ易さだけの追求のためにホルモン処理した、種の無いブドウは作らない」と云っていた。
 考えてみれば、生き物としてのブドウなら種が有るのが自然であるはずだ。どの生き物でも、生き物は常に子孫を残そうと、必死に生きているものだから…。種なしは種族繁栄のその特徴を殺したもので駄目だと思った。
 今、何の不思議もなくスーパーに出回っている卵だって、雌鶏だけを狭いゲージに囲い卵を産ませているのだからひよこにならない無精卵です。昔のように放し飼いで、雄鶏のトキの声と共に飼われていて産んだ有精卵こそ、本ものだという気がする。
 温めていくとひよこになる有精卵と、腐ってしまう無精卵との生命力の違いです。
 卵を産ませるだけなら雄鶏はいりません。卵を産まない雄鶏にまで餌を与えて飼っておくより、その分を雌鶏を飼った方が経済効果がよいということで、現在の卵生産が出発しているからです。
 今年の秋も、「あぜみちの収穫祭」が織田町で開かれる。第四回目である。
 ここで是非、本物の生きている姿を、消費者も生産者も、大人も子供も、しっかり触れて欲しいと思います。
 農業に関係の無い人も、この機会に「食物生産基地農業」に援農(応援)を、または縁農(ご縁)の機会を持って下さい。

夏休み作文「いね太郎のひとり言」

福井市清明小五年 中川寛紀


 ゴーッ ゴーッ ヒューツ ヒューツ、すごい風だ。
となりの田んぼの仲間がたおれていく。オレたちは、ふんばっている。
 となりの田んぼの仲間はくいしんぼう、肥料を食べ過ぎてヒョロ長くなったからバチがあたったんだろう。食わずぎらいもダメだぜ。オレたちは冬の間、土のふとんの手入れをしてもらって、土も元気、茎も元気で風に負けないんだ。
フーやっと風が静まった。これが台風っていうもんさ。オレたちの短い一生の中で運がいいやつと、何回も出会う悪いやつと、そうでないやつといろいろいる。運がわるいと花のさく時に出会って 実がならないのだ。ま、今年は 何とか無事みたいだけどね。お、ところで オレたちのことを少しはなしておこうかな。オレの名前は「いね太郎」去年から倉庫でねむっていた お父さんたちからそだったのさ。
 三月のおわりごろ 暖かいお風呂に入れてもらって、たねもみとして せまいなえ箱にまかれて、うすぐらく暖かい部屋に つみかさねられていたんだ。ここがオレたちの芽を出す場所に一番つごうがいいところなんだ。
 2〜3日で ビニールハウスに並べられ、毎朝たっぷりの水をもらって うすい黄色だった苗はぐんぐん緑色になっていったのさ。
「まるで じゅうたんみたい」と人間の子どもたちが言っていたっけ。
 4月の終わり頃 もっともっと広いところへ2〜3本づつ はなれていく日がやってきた。
 田植機という おそろしくうるさいものにのせられて、カシャカシャとかきむしられるように、田んぼの中に植えられていった。
 「ヒャッ冷たい」水の中に入ったしゅんかん今までの所とちがって とても冷たいなぁと思った。
 それから、雨の日、風の日、暑い日ほんとうにいろいろなことがあった。
 なかでも 夜ホタルがたくさん遊びにきてくれたっけ、あの時はほんとうにうれしかったな。今まで のうやくとやらで 住みにくかったけど「君んとこは住みやすそうだね」ってタニシ君まできたんだよ。
 それから花が咲いた日は、風がおだやかな日 まっ白な花をさかせたら「あ、さいているー」と友達をつれて きてくれたことが一番心に残っていることかなぁ。
 そして今日 こんなめにあったのさ。これからオレたちはどうなるのか教えてあげよう。緑色でつんつんしていた葉の間からくきがのびて、くきの先に ほができて重く頭をかたむけると、オレたちは黄色(こがねいろ)になるんだ。
 1本に いくつぶあるか数えてごらん。
 1つぶのたねもみが、7〜10本にかぶ分かれし、1本に100つぶくらいあると約1,000つぶ だぜ、すごいだろう。みんなオレたちの仲間さ。
 こんないろいろ楽しかったこと、苦しかったことも もうすぐ終わりだ。
 おっと まだだった。
 コンバインとやらでかりとられて、かんそうされるんだ。もみすり、せいまい、そしてオレたちは、いね太郎からコメ太郎へ。
 こめ太郎から ごはんへと変身するのさ。
 「このごはんおいしい」っていってもらえるのが今から楽しみだぜ。
 風もおさまったし、かりとりまでまだ少しある。
今まであった楽しいことでも夢みて、もうひと眠りするかなぁ。

「私家版農業基本法」

福井市 屋敷紘美


 昨年9月に農林水産大臣主催の「農業基本法に関する研究会」(座長 荏開津典生氏)の報告がでた。この報告をたたき台にして農林水産省は本格的な「新しい農業基本法」作りを始めたのだが、荏開津氏がいうように「農業基本法だけでなく、現在の制度をほとんど廃止して、新しい制度にならなければならない・・・」(「地上」、九六年一二月)というのが農林水産省の基本的なスタンスである。
 この制度改革は、新食糧法の制定から始まったことに象徴されるように、WTO体制に国内の制度を整合さることが目的であることは明白である。この後、農地法、土地改良法など陸続と法体系の改訂が進むと考えられる。
 現在、「食糧・農業・農村基本問題調査会」(首相の諮問機関)で、各分野ごとの議論が行われているが、生産者側と経営者団体側の間には基本的な考え方の違いがある。
 それは「経済効率」が優先か、「生活・環境保護」優先かの相違である。
 明確に後者に立つ者として、以下のような私案を作ってみた。

私家版 農業基本法

前文
 われらは、かつて憲法において、すべての国民が健康で文化的な生活を営む権利を有することを宣言した。「健康で文化的な生活」の基盤は、豊かな食生活にあるから、国民は安全で、健康的な食料を安定的に供給される権利がある。
 我が国農業は、この国民の負託に答えることが期待されている。
 また、世界的人口の増加と、経済発展の不均衡のために、現在も未来に向けても人類の飢餓が避けて通れない課題になっている。わが国は、世界的規模で、食糧備蓄機構を創設することを提起し、自国農業の発展を通じて、その主導的役割を担う覚悟である。
 一方、近年の地球環境の悪化は、あらためて人間の生存における自然環境の重要性を認識せしめている。われらは、農業・農村が、これらの自然環境の保全に、重要な役割を果たしていることを認め、国民的財産として、その保全に意をもちいなければならない。

  第一章 国民的合意

第一条 農業は、自然と人為の結合した営みであって、両者が未来にわたって持続するよう努めなければならない。
第二条 環境と自然形成に果たす農業・農村の役割を正しく評価し、その保全に社会的費用が支払われることを認めなければならない。
第三条 期待される農業生産のための農地は、地域住民の合意の下に、投資目的のためのみに供してはならない。
第四条 農業・農村を、国民に開かれたものにするため、農村住民と都市住民の交流を深めるよう、相互に努めるものとする。

  第二章 政府の役割

第五条 食糧は国内自給を原則とし、当面の自給率の目標を六〇%(カロリーベース)とする。
第六条 前条の目標を達成するため、政府は主要食糧の年度毎の生産目標を設定しなければならない
第七条 農業生産の維持向上のために、政府は担い手の育成と、農業者の経営安定のための有効な施策を講ずるものとする。
第八条 中山間地、島しょ地等営農条件不利地にあっては、農業施策のほか、直接所得補償策を併用して農村と農地の保全を行う。

  第三章 農業者の役割

第九条 農業者は、自らの経営安定と国民の安全、健康な食生活に資するため、農畜産物を安定的に供給するよう、創意工夫を生かし、かつ誠実に努めなければならない。

  第四章 時限立法

第一〇条 この法律は、一〇年の時限を経過した後、その有効性を確認するものとする。


『おくえつ農業・農村フォーラム』顛末記

福井市  玉井道敏


 さる七月二五日〜二八日の四日間、奥越を舞台におくえつ農業・農村フォーラム≠開催しました。仕掛け人の一人として、その舞台裏も含めて、こだわりの部分を紹介しておきます。

▼フォーラムとは何ぞや

 「 フォーラム て何やの?」ある指導農業士が質問した。「まあ公開討論会のようなもんやな」とごまかした。実は今回の行事にフォーラムというカタカナは使いたくなかった。道場≠ノしようか、寄り合い≠ノしようか、奥越ではたくさんの人が集まることを何というんや、などと悩んだあげく、結局、欧米かぶれの世間一般の風潮に妥協してフォーラムという言葉を使ってしまった。道場や寄り合いで人が集まって来るか、正直自信がもてなかったからである。世間はフォーラムばやりである。その流行への反発もあるのだが、なにかいい日本語はないものだろうか。

▼県民生協の組合員はあてにならなかった
 今回のフォーラムでの大きな狙いの一つは市民層の参加であった。このような会合では、殆どの場合、農家や農業関係者だけの集まりになって、その業界での自慰行為になりがちである。農家も市民もみんなが参加して議論し考える、そんな場作りをしたかったので、市民層への積極的な働きかけを極めて重要な戦略と考えた。そこで目を付けたのが生協である。六万人の組合員を擁する福井県民生協の本部で聞くと、奥越地域【大野市、勝山市、吉田郡と美山町】には約五千人の組合員がいるとのこと、しめた!これはいけるとニンマリ。そこで、早速、組合員用に五千枚の広報チラシを作成、県民生協奥越センターの協力をえて全組合員に配布した。参加申込書もセンターで回収してあげましょうとの力強い協力の申し入れに大いに感謝、そして期待した次第。……結果は二人の参加申込みでした。県民生協の組合員であれば食べ物に対する意識も高く、少しは農業に関心があると思ったのですが、見事にはぐしをくらった次第。大きな組織は当てにならないなどと日頃思いながら、五千人の魅力につい色気を出してしまいました。やはり、人に参加してもらうには日頃の地道な積み上げが大事だと痛感した次第です。

▼千円の会費徴収は成功だった
 行政主導のイベントは会費無料で人集めは割り当て、JA主催のイベントや会合は記念品付きの動員と相場がきまっている。それでないと人は集まらないという常識が支配的である。この常識を覆すべく、いつか大きなイベントをやるときには必ず会費をとってたくさんの人を集めてみたいという強い願望を持っていた。自分の意志で自腹を切って参加する、その場合、参加者の意識も変るだろうし、主催者の方も会費に見合うサービスが必要となり、いい加減な取組みはできない。今回も主催者としてそれなりの努力をしたが、アンケート調査の結果によると、会費徴収は好評であった。九時半から午後の四時半にかけての長丁場にもかかわらず、多くの人が最後まで参加してくれたのは、会費徴収効果であったのかもしれない。ただ、今回もある機関では動員による参加があったようで、全員が主体的に参加したとはいえない面もあるが、まずは、今までの慣例化した人の集め方に一石を投じたといったところか。自分としては、会費を取ってたくさんの人を集めるという夢を実現したと思っている。

▼手作り弁当はおいしかった
 これまで百人規模の研修会を何回か開いてきたが、昼食には生活改善グループの手作り弁当を出して好評を博してきた。今回も是非この線を踏襲したいと考えていたが、千食となると規模が大きく生活改善グループでは手に負えない。そこでJAの女性部に頼み込み、引き受けていただいた。開催時期が夏の盛りであり、近頃のO157騒動もあって、女性部としても大変な決断を要したことであろう。今思ってもよく引き受けていただいたと感謝している。JA大野市女性部が主食、JA上庄女性部の味グループが副食と役割分担をしながら協力体制を採ってもらったのも特色である。手作り弁当は大変好評であった。保健所の指導よろしく(?)O157もクリアーした。
「弁当も持ち帰りは絶対にまかりならぬ」とのきついお達しで、参加状況によっては、最悪の場合、折角の弁当を何百も廃棄処分しなければならないかと腹を決めていたが、幸いそのような事態にはならなかった。保健所への対応はベテラン普及員にお願いしたが、なかなか苦労したようである。千食の弁当づくりを実現したことによってJA女性部の自信と可能性の拡大につながったということを漏れ聞いてうれしく思っている。女性部の皆さん、ありがとうございました。

▼お金はあとからついて来る
今回の催事を構想したのは昨年の七月であった。三百万円程度の予算が必要かなと大ざっぱに考えたが、これをどのように調達するか、いろんな作戦を考えた。まず主催者の負担があるが、主催機関はいずれもお世辞にもお金が豊富な機関とはいえないので多くは出せない。次には参加者から会費を取ろう、しかし参加費を取ることはこちらの姿勢を示す象徴的なものだからこれだけではまかなえない。奥越管内の自治体、農業団体とは一緒になってやるのだから、これらの機関には応分の負担をしてもらおう。しかし別の形(主催者の一機関としての奥越農業振興協議会の構成員として)でも間接的に負担してもらうのであまり無理は言えない。主催者の農耕文化研究振興会代表の渡部さんの関係から二十一世紀村づくり塾からも応援が得られそうだ、福井県農林漁業大学校の支援もお願いしよう等々……結局、自分たちがその構想に合わせて自由に使えるお金が五百万円集まった。情熱があれば、意気に感じてもらえば、お金はあとから付いてくる、その感を深くした。

▼さりげない農の生け花に気が付きましたか
 百六十七枚帰ってきたアンケート用紙の中に、講師それぞれの席の前に置かれた農の生け花について触れた記述が一枚あった。昨年、京都の日吉町で開催された大場の寄り合い≠ナ、パネリストの前にさりげなく置かれた季節の野菜の盛かごが大変印象に残った。それ以来、日本農業新聞に週一回掲載される農の生け花≠フ記事を必ず見るようになった。会場の装飾は奥越生活改善グループの役員にお願いしたが、季節の野菜や花を使った農の生け花を中心にしてもらうよう依頼した。グループ員の中には生け花に堪能な人もいて、当日の会場では見事に要望に応えていただいた。篭や壺を使って地味ではあるがすがすがしい野趣味にあふれた生け花に心が洗われた。金に証せた豪華で華々しいものよりも、農業・農村フォーラムにふさわしい農の生け花であったと満足している。

▼広報は几帳面に
 奥越地域で開催はするが、全国に通じるフォーラムであると性格付け、自信を持って全国に広報をする方針を採った。まず地域内の広報は農家も市民も全戸を対象にした。第一段として普及センター、市町村、農協の広報誌にフォーラム案内の掲載を依頼、それぞれかなりスペースを割いて、快く取り上げてもらった。第二段としては、案内のチラシを二万枚作成、新聞の折り込みを利用して奥越地方のほぼ全戸に配布、さらに別のチラシを五千枚作成、奥越地域の県民生協組合員に全員配布、これで奥越の住民の方は、二回以上はフォーラムの案内を目にしたはずである。その他、いろんな会合時には必ず開催内容を説明し参加を要請、さらに地域で顔の広い何人家の活動家にチラシを渡して宣伝を依頼した。県内については県、市町村、農業団体の各機関に案内文書を送付、参加を募集した。県外では主催機関の一つである農耕文化研究振興会が全国に散らばる約六百人の会員に機関誌で参加を募集し、当方では北陸や近畿、東海を中心に、国や県の関係機関に案内文書を送付した。マスコミには早くから取り上げられ、開催時、開催後も好意的に報道していただいた。マスコミ人との日頃の交流が功を奏したと思われる。個人的にはハガキ通信寸鉄≠ナ県内外千七百人の読者に二回に亘って紹介、またいくつかの所属サークルの会合でもチラシを配布した。このように全体的な案内と焦点を絞った働きかけを行う二段構えの広報体制を組んだ。結果は四日間で述べ約千人の参加を見たフォーラムとなった。担当者としては市民層への食い込みが十分でなかったことと、全国に約六百ある普及センターすべてに案内を出さなかったことが悔やまれるが、おおむねやるべきことはやったという充足感を感じている。自信があれは(自己陶酔で結構)思い切って大胆に徹して宣伝をすればよい。どれだけ宣伝してもしすぎるということはない。

▼生ビールは口をなめらかにしたか
 ちょっとアルコールを入れて口を滑らかにしながら、意見をたたかわし、交流を図るような場を作ってみたいとかねがね思っていた。昨年の京都日吉町でのコスモスファームでの合宿では、常時ビールが飲めるように設営されており、感心したものだ。という事で、今年のプレ・フォーラムでは何よりもアルコールの準備を怠らなかった。一本二十リットルの生ビールを五本準備、常時飲める体制を準備した。見ていると、今回の参加者は真面目な人が多く、朝や昼に飲む人は皆無で、夕食後と研修後に集中した。今年は昨年とちがって、会場が旅館であったことや、参加者が多くて学校方式での講義形態になったため、また講義がびっしり詰まっていて、ちょっと雰囲気が固くなった点も影響したのかもしれない。二日間で飲んだ量は四本で、一本残したのは残念である。それでも飲んべいの人は研修後結構交流を楽しんでいた様子である。それと合宿の二日間、歌舞音楽の時間が皆無であったのもまずかったなと思っている。いつの日か、音楽とアルコールを組み込んで真面目な議論をする場を作ってみたいなと考えている。

▼四日間で約千人が参集した
 このフォーラムを一体何人の人が集まってくれるのか、正直言って見通しが付かなかった。二十年前、七夕の日に県庁では最初にして最後であろう合唱演奏会を開催し一千枚のチケットを販売、県民会館の大ホールを一杯にした経験があるので、やる気さえあれば人は集められるとの自信はあった。ただ演奏会の時は団員四十人がフル回転したが、今回は関係機関や関係者がどこまで動いてくれるかがカギであった。関係機関の実務者レベルで実行委員会を作り運営推進を図ったが、特に三日目の一千人大集会は会費を取って千人を集めるという当地では初めての試みであり、皆目予測が付かず、実行委員も半信半疑で取り組んだと思われる。またこの日は七月の最終日曜日で奥越地域では慣習的に社会奉仕の日となっており、その面からも危惧感があった。千食の弁当作りへの対応と財政基盤の確立のため、事前に参加者の数を概ね把握しておく必要があったので参加申込書の提出とチケット配布の体制を採った。本番前の申し込みはプレ・フォーラムが六十五人、一千人大集会が九百人、現地視察が二十人となり、やれるという感触を得た。大集会の当日は台風の襲来もあり心配したが、ほぼ申込みどおりの参加者があり、農業関係のイベントで会費を取ってこれだけの人が集まったのは画期的だとの評価を受けた。要は主催者や関係者の熱意とセンス、イベントの中身と積極的な広報、日頃の交流の積み上げなどの総合的な成果であると考えられる。

▼場づくりに徹する
 今回のフォーラムはみんなが考える、交流する場を提供したものである。ここで刺激を受けたことをどのように膨らませ実践するか、また日地との交流をいかに深めていくかは、参加者がそれぞれ実行することである。ともすれば行政や団体が仕組むフォーラムでは主催者の方針や考え方を押しつける場となりやすいが、時代はもうそのようなことを主催者の方針や考え方を押しつける場となりやすいが、時代はもうそうようなことを要求していない。成果については、主催者が無責任になること、参加者に任せること、そして自由な雰囲気の中で多様な可能性を示して参加者を刺激し、そのエネルギーを解放して彼らの実践に期待すること。そういうことが今後大切なのである。なにはともあれ、おくえつ農業・農村フォーラムで一番いいかっこができて一番特をしたのは私でありました。振り回されたと認識される方々には申し訳ないの一語につきますが、参加者の皆様、関係者の皆様、ありがとうございました。


方言・妄言〔7〕

鋭角子


☆目的志向が強すぎる、目的達成の要望が性急過ぎる弊害−じっくり考え、広く物を見て、ゆっくり選択することの必要性。
☆ラインの強化は、人間の歯 車化、ロボット化を進める。☆不機嫌も甘え、落ち込みも 甘え、責任転嫁も甘え…… ☆大きな枠組みの中で管理の強化を図り自由度を少なくしておきながら、活性化を図れ、生産振興をせよと言われても……。どうしたらよいのでしょうか。
☆農村女性の海外研修記録を 読んで−その行動力や感性 を高く評価した上で思った こと。
 農家の主婦の立場は変わっていない(十年前の同様の記録と比較して)。
 何か事をなすことが、何故海外旅行なのか。
 どこかへ生きたいことが、何故ヨーロッパなのか。
 日本産のハーブにも関心を。
  日常生活の中でも冒険心を発揮して欲しい。
☆農業担い手とは、農業生産 にかかわる全ての人、農業 に関心を持つ全ての人。
☆産業としての農業の自立は 幻想である。
☆農業は儲からない≠ニこ ろから出発すべきである。 周りの目を気にして仕方な く農業をするか、楽しみ、 信念で農業をするか、生活 費を稼ぐために農業をする か、のいずれかであって、 利潤を追求するためには、 第二次、第三次産業を取り 込んだ農業経営を行わざる を得ないのではないか。農 業生産のみで利潤を獲得出 来るという期待感を安易に 振りまくべきではない。
☆血縁、地縁から社縁へ、そ して遊縁へ。ソバ会、イモ 煮会は見事な遊縁である。
☆大学を卒業して三十年にも なるのに、まだ卒業できな い夢をみる。記憶というの は不思議なものだ。
☆大事な場面での沈黙の罪は、 あとでどれだけ言い訳をし ても償えるものではない。
☆自分から世界を射る。地域 から世界を射る。
☆役人上がりはいくつになっ ても役人である。教師上が りはいくつになっても教師 である。
☆組織の中身をどれだけなぶ っても組織そのものは変わ らない。
☆共生の思想とはなんぞや、 地球上の全ての生命体がバ ランスを保って、それぞれ が精一杯生き抜く 事の出 来る社会が共生の社会なの です。人間のみが精一杯生 きられる社会のことではあ りません。
☆社会に役立たないことに熱 中する人は魅力的である。
☆農村出身者が街の郊外にで てきて造るパターン化した 家庭菜園。
☆現場で出来ないことを、も っともらしく施策化するの は、机上論だから出来るの である。
☆自分のやりたいことの実現に邁進出来るのが精神衛生上一番いいことです。子どもから高齢者までが最大限そのように出来るような社会システムを造っていくことが、今、求められています。
☆通勤時の列をみていると、職場でみながワープロやパソコンとにらめっこしているのをみると、人間て不思議な動物だなあ≠ニつくづく思います。

自分流唐詩散策

福井市  細川 嘉徳


 先日久しぶりに奈良県に住む友人のOさんから便りが届きました。Oさんは以前に趣味を通じて知り合った人で、ご主人の仕事の関係で転勤が多く、福井での生活は2年足らずでした。年に2〜3回便りを交わし合う文友ですが、今回は文面の最後に「ごく最近(私のニガ手の分野ですがどういう訳か)社交ダンスを始めました」との便りです。大変明るく活発なお人柄の印象が強かったので、Oさんも苦手な分野があったことを知り、意外性とともに何か温かい安堵感を覚えました。
 人はだれでも一つや二つ弱みや苦手はあるものです。こんなことをすると人に笑われるのではないだろうかと言う不安から、なかなか苦手の分野には踏み込めません。動機はともかく彼女の挑戦する勇気を大変うらやましく思います。
 人生を楽しく過ごす方法の一つとして「恥を掻く事も大事」となにかで読んだことがありますが、心して実行する事は大変です。恥を掻くとは「面目を失うこと」と辞書に書いてあります。恥にも大恥から中恥・小恥まであるとすれば、考えたあげくに何かをやろうとするとき、少々恥ずかしいと思っても勇気を持って行えば、周囲はその人柄に好感して、むしろ歓迎してくれる場合だってあるのです。
 長い人生には「もしあの時こうすれば」と言う経験は誰しもあるはずです。しかしこのこともこれからの人生に、大きな教訓となっている事は間違いない事実です。Oさんの場合も小恥を掻く勇気を持って決断されたのではないでしょうか。
 ここで私の好きな漢詩を一つ紹介します。漢の劉邦と戦って敗れた楚の項羽が烏江亭まで落ちのびて来たとき、もし亭長の勧めに従って江を渡っていたらと杜牧が詠った逆説の詩です。

  題烏江亭    杜牧

 勝敗兵家事不期
 包羞忍恥是男児     
 江東子弟多才俊     
 捲土重来未可知     

             烏江亭に題す   杜牧

勝敗は兵家も 事期せず
羞を包み恥を忍ぶは是れ男児
江東の子弟 才俊 多し
捲土重来 未だ知るべからず

▽いくさの勝敗のゆくえは、兵法家でさえも、予測のつかないものである。
▽恥をしのび、肩身のせまい思いに耐え、再起を計ってこそ真の男子といえよう。
▽項羽の本拠地である江東の若者たちには、すぐれた人物が多いというから、
▽もし江東の地に力をたくわえて、地を巻き上げるような勢いで、再び攻め上がったなら、その結果はどうなっていたかわからない。
 Oさんは「次の練習までにはすっかり忘れて先が思いやられます」とのことです。物事を比較したりするには、あまりにも対象が違いすぎると思いますが、それでも不思議にこの漢詩の響きが聞こえて来るのです。


野良より 小ばなし野放し中ばなし

福井市 名津井 萬


(一)八月十五日、お盆に先祖の墓参りに、孫の卓也と詣でた。二人で手を合わせ先祖の日頃の恩を「南無阿弥陀佛」を唱えて感謝し、帰ろうとしたら、灯籠から蜂がブーンと出てきた。思わず首をすくめた。灯籠の中に蜂の巣が見え、一匹残っているようだ。取り除いてやろうと思い数珠を持ち替えて身構えた。その時、孫の卓也が「じいちゃん、今日はやめた方が良いよ」と呟いた。一瞬、ハッとした。「卓也よ、お前は佛の卓で、うらは鬼の萬か」南無三

(二)孫の丁代に、御飯を食べながら「丁代、お米の一粒の中には、神様が三体入っておられるから、粗末にせず残らず食べなければバチがあたるよ」「エッ 神様を食べたら、なおバチがあたるよ」私の祖母からの教えは通じなくなってしまったか。ウーン

(三)─その一─ スナックで飲んでいたら、隣でA君とB君が大分酔っ払いながら話している。A君の父親が亡くなり、遺産相続の事らしい。A君「うらは兄貴から、いっせん(一銭)も貰わなかったんにゃ」B君「なにィ、いっせんまんえん(一千万円)もらったァ、お前の兄貴は偉い奴やなァ」A君「いや違う、うらは一銭も貰わなかったんにゃ」B君「なにィ、一銭も貰わなかったァー、お前は偉い奴やなァ」。

  ─その二─(本で読んだ話)
 西洋人のA君、日本語を一生懸命に学び、日本にやって来た。目的地に行くためにバスに乗ったらスピーカーから「右に曲がります。ゆれますので五拾円(ご注意)下さい」と流れ、次に「左に曲がります。ゆれますので五十円(ご注意)下さい」と流れ、A君はビックリした。
 日本のバスは曲がる度に五十円用意しなければならないのか、とんでもない国に来たもんだと思ったそうだ。

聞き間違いは、言い手の粗相
言い間違いは、聞き手の粗相

としておこう。

(四)農業団体に勤めるA君は、現在二十八才で、背が高く、美男子で頭が素晴らしく良く、スポーツマンでもある。おまけに、話して良し、歌って良し、そして物腰やわらかく、誰からも好かれる好男子である。ところが父親のBさんは、一癖も二癖もあり、酒豪で顔は酒焼けして鬼瓦の様で、みんな敬遠気味である。ある酒席でBさんに「Bさんの息子のA君は素晴らしい青年やのう、けなるいなァ(羨ましい)、うらもA君の様な息子がほしいなァ」と言ったら、Bさん「そりやァ名津井、うらは、あの息子をつくるときは、大分吟味したぞう」。やられたァと思ったので、すかさず「Bさんの奥さん、良いでのう」と言ったら、ギョロリとした目をこちらに向けたので、タイミング良く、私は細い目を、より一層細くしたら、Bさんの目は、私の普段の目の太さになった。実は、奥さんがと「が」を入れて言いたかったが言えなかった。「参ッタァ」


福井県農業の問題点とその解決法(その二)

H2 ALIGN="center">農業活性化対策アイディア

案山子


 前号に引き続き「みち」編集委員会の委員の方々を対象に、福井県農業の問題点とその解決法についてアンケートした結果について検討する。
 今回は問題点の解決法についてまとめてみた。
 アンケートによるアイディアは全部で三五件出され、これらの内容により次のような項目に取りまとめることができた。

一 生産者と消費者の交流
 農業を活性化するには何よりも農業そのものを一般の人に理解してもらうことが大事だと考えていることがうかがえる。その方法としては、一般の人が家庭菜園などに親しむ機会を増やす、農村で遊ぶ場を作る、グリーンツーリズムを盛んにするといったアイディアがあった。また、一緒に飲む場(交流の場)を作るというのは今も昔も変わらない密度の高い交流の方法としてあげる人もいた。

二 新規就農者の支援
 農業をやりたいという若い人が農業を始めるには困難が多い状況といわざるを得ない。こんな中、後継者・新規就農者の支援ということが、農業の衰退を防ぐためにも必要不可欠である。新規に農業を始める若い人の支援の方法には、段階を踏まえて自立させるような方策も必要であるとしている。

三 農業者からの情報発信
 農家がつらい思いをして担っているという農業のイメージを払拭するには、あぜみちの会の会員のように、農業で楽しくがんばっている人を表に出し、どんどん情報発信をすべきである。インターネットによるPRもその一つであろう。

四 農業保護政策の強化 
 行き過ぎた現在の市場原理だけによる生産物価格の決定では、条件不利地の農業は衰退して行くしかない。中山間地で農業ができるようにするためにも、農業保護政策の強化が必要としている。

五 行政・団体主導から農家  主導へ
 これまであまりにも上意下達という流れで物事が進んできたが、農家からの提案による農業施策の展開がもっとあってもいいのではないか、あまりにも受け身になりすぎていたのではないのかという反省である。

六 個別専業農家支援の充実  これまで進められてきた集落農業では、補助金を底辺のかさ上げに使ってきたわけだが、これでは元気のある中核農家がなかなか育たなかったというのも事実である。そこでプロ農家の育成にも力を入れてはという提案である。

七 女性パワーの活用
 農業を裏で支えているのは女性である。また、女同士結構強いパワーとネットワークを持っている。彼女らを表に出してそのパワーを農業の活性化に繋げていけないかというものだ。

八 農業者自身が農業に自信を持つ
 農業者自らが農業に自信が持てないのではないか。それでは農業の楽しさを伝えることができない。農業者自らがいかにすばらしいかを自覚することが大事だという考えである。

 以上、8つの活性化アイディアを示したが、このほかにも、農業経営者の異業種交流を図るとか、「富山のチューリップ」のように「福井の○○」といわれるような全国ブランドを作るなどの提案もあった。中にはムラ(集落)の運営を若い人に任せることにより若者の農村離れを防いではというものもあった。
 いずれにしても、これをやれば農村の活性化が進むという切り札はなく、いくつか提案されているようなことを地道に実施して行くよりほかはないのであろうか。
 次回は問題点と活性化アイディアの関連、また、これらアイディアの実行のしやすさや、効果の大小についても検討したい。
(以下次号)


ボランティア再考:その3

─ボランティアの 公益性 とは―

丹生郡清水町 小野寺和彦


このシリーズの「その一」でボランティアの定義について述べた。その中に公共性(公益性)がある。この定義は特に否定しようのないものだろう。だが問題は、ある運動や活動を公益性があると誰がどういった基準で判断するのか、ということである。

■ そもそも 公益性 って何?
ところでわたしの友人はこの六月に約一週間ウラジオストクへ調査におもむいた。老朽化したロシアの原潜が沈んでいる場所である。目的は放射能汚染による環境、ひいては人間への影響を調べることにある。この問題も重油流出事故と同様に日本海の環境汚染と深く関わってくるが、どこからも資金は出ていない。まったくの ボランティア である。でも、彼のことを重油流出事故にかけつけた多くのボランティアについてまわるのと同じニュアンスで ボランティア と誰も呼んだりはしないようだ。彼の活動はおおいに 公益性 を持つと思われるのだが。
また例えば県都を流れる足羽川の中流域に計画されている足羽川ダムに「環境破壊」、「生活破壊」という重油流出事故に対処したのと同じような理由で反対する活動には 公益性 はないだろうか。国や県など公的機関が進める原発・ダム・空港・道路建設など大型プロジェクトに同様な理由で反対するのはボランティアと言って何かまずいだろうか。自発的な意志で、無報酬(逆に大型プロジェクトなどでは本来なら報酬をもらうべき立場にないはずの人が多額の 報酬 を懐にしたりする…といううわさもある)。「環境破壊」「生活破壊」に抗することは 公益性 を持つような気もするのだが、どうだろう。それともそういった議論以前の問題としてこういった公的機関が行うことはすべて公益性≠持っているはずだから、それに異議申立てをする動きに 公益性 などあるわけがないだろうか。
ある活動に 公益性 があり、別の活動は 公益性 がないという線引きは客観的にそもそも可能なのか、というのがここでの問題提起である。

■ 誰が 公益性 を決めるのか
ボランティア活動推進基本方針検討懇話会(松島翠会長)は「ボランティア活動の効果的なあり方」について検討した結果をこの四月に県知事に報告した。紙面によれば「ボランティアと行政のかかわりを重視し、自発性を最大限に尊重しながら、双方が独自の特性と役割を生かして補い合う対等なパートナーとしての関係を築くことが重要とした。また、行政は活動の主体性が損なわれないよう配慮しながら、基盤整備や環境整備など側面的な支援を行うことが望ましいとした」(福井新聞1997.4.16)とある。福井県は報告を受けて五月の初めに「県ボランティア活動推進基本方針」を打ち出した。講座開設によるボランティア育成など様々な施策を展開するとしている。さらに六月一一日には全国から寄せられた義援金をもとに災害ボランティア支援基金を創設することを決めている。このように行政の側はボランティアを全面的にバックアップする姿勢をみせている。
話は少し横道にそれるようだが、県の姿勢を象徴するような一〇年以上前のことに触れたい。かつて「青年の船」等の海外との交流関係で県が関与した事業にかかわるグループのOB会などを構成員とする連絡協議会的なものがあった(現在もあるかどうかは知らない)。青年海外協力隊の県OB会の事務局長としてこの会合に出席した私は県の担当部長に質問した。「この協議会の目的は何か」。答えは「県が関わる事業の事後研修です」というものだった。協力隊OB会は事後研修など頼んだ覚えはない。少なくとも当時、県は国際交流等に関わる団体を対等なパートナーとは見ていない、と感じた。
一方同じ頃、「青年の船」に参加した私の知人は、参加後に報告書作成のための原稿を依頼され、事業のあり方への批判も含めた原稿を提出した。原稿は知人へのことわりもなく黙殺され、掲載されることはなかった。誰が、どの段階で、どのような判断のもとに掲載をとりやめたのかは不明である。県のやることを批判するのはけしからんという判断がどこかの段階で働いたであろうことは容易に想像できる。
 このような過去の県の 姿勢 から懸念されることは、県がボランティアと 対等な 関係を結ぼうとする際に、お上 に物申したりしない都合の良いボランティアのみを 公益性 があると判断し、そうでない個人・集団には 公益性 がないと見なすことはないだろうか、ということである。県などの行政だけがボランティアの 公益性 を一方的に判断することになってよいのか、ということである。

■ 公益 を「鋭い問題意識で掘り起こ」す!
第三世界を支援する市民運動団体の草分け的存在である日本国際ボランティアセンター(JVC)の谷山博事務局長はボランティアについて次のように述べている。
 「民法にある公益≠ニは誰が決めるのでしょう。主務官庁の考えが基準になっており、恣意的に決められていると感じます。私たちの場合、主務官庁は外務省になりますが、JVCの海外でのさまざまな活動は外務省と対立するものはないと思います。しかし私たちは国内活動で、先進国と開発途上国の経済的不平等がなぜ起こるのか、南北問題を構造的に理解し、不公正を改めるよう行動することを目指す開発教育も行っています。開発教育の中には日本のODA(政府開発援助)への批判なども含まれています。それは外務省の考えに適合していないと思います。もし公益法人となって外務省の監督を受けなくてはならなくなったら、現在の会の国内活動が制限される。あるいは会をコントロールするために天下りが役員として入ってくる可能性があり、それを認めることはできません」(NHK取材班ボランティアが開く共生の扉≠mHK出版1995 p170-171)

 さらに谷山氏は続けて「ボランティア団体は、このようなニーズを底辺から鋭い問題意識で掘り起こしていくところに存在意義がある」とも述べている。「このようなニーズ」とはまさしく公益にほかならない。この現実社会の仕組み・構造といったなかなか見えにくい部分をきちんと捉えようという努力なしに、真の 公益 は浮かびあがってこないのでは。公益性 とは、どこかにものさしがあって、誰でも測れるといったものではなく、現実の問題に対して、自らの自発的な意志により関わっていこうと考える個人・集団が「鋭い問題意識で掘り起こ」していくものなのだと思う。つまり、ボランティアの 公益性 とは、以上のような努力を続けることによってのみ保持されるものである。ボランティアと名乗る団体が最初から属性として持っているものではないということだ。かなりラジカル(根源的又は過激)な表現になるが、その辺のところをきちんと押さえておかなければボランティアはともすれば、単なる行政に都合のよい下請けや善意の押し付けに堕してしまいかねないからである。
 次回は連載の最終回。ボランティアのこれからの役割ということで、「ボランティア=世直し仕掛け人:試論」で締めくくる。


読者からのメッセージ(一)

山口県山口市 高橋伯昌


 皆さんの自前のコミュニケーション活動が、このように持続していること自体が素晴らしいことだと感じ入っております。
こういうことは、継続がやがて大きなパワーを産み出すのです。遠い山口といういわば外野席にいる私にできることは、二年分の会費を一度に払って「あと二年は続けて!」というエールを送るくらいなものです。

読者からのメッセージ(二)

坂井郡金津町 辻川浩子


 残暑、御見舞い申し上げます。
 仕事がら、農家の方と話す機会が多く、日本農業の将来を考えさせられるこの頃です。また、消費者のひとりとして、もっと生産者の人に近づきたい…けど 近づく時間と場所が折り合わず、スーパーや生協の宅配で、即、食材となる農産物としか接点がない毎日です。それでも、生産地に近ければ近いほどおいしい食材(野菜など)に出会えるというのは、本能でわかるようになり、ひそかな無人市ファンでもあります。
 農家で、自家野菜を作っている方は高齢の方が多くおられますが、大変上手に作っておられることに関心するばかりです。
 もう少し、無人市を見直して農村に活気がでるような、生産する方がさらに元気づくような楽しい場所になったら…と思うこともあります。
 大変、とりとめのないことを書きましたが「みち」を読むと、農業以外の人の部分で見えてくることがあるようで、参考になります。
 又、よろしくお願いいたします。

読者からのメッセージ〔三〕

鯖江市糺町 若林美也子


 ミニコミ誌編集のご苦労を考えながら楽しく拝見しています。
 私は「みち」の創刊号からの読者ですが、農業に携わっているわけではなく、友人(玉井道敏氏)が農業に関わる仕事をしておられたことによるものです。
 このミニコミ誌の創刊が平成6年ということですが、丁度その前年ではなかったかと思いますが、冷害で米が不足し、スーパーや米屋から米が消えるという忘れることのできない出来事がありました。
 それ以来、日本の農業に関心を持つようになり、現在は産地と直接契約して減農薬の米を購入しております。このことが結果として生産者の顔が見えるようになり、お米の味が倍加しているように思います。このミニコミ誌も農家と消費者を結ぶコミュニケーションの役割を果たすものになっていくことを期待しております。「みち」の誌上で消費者のために家庭菜園を成功させる方法などを掲載していただけるとありがたいな、などと考えております(毎年失敗しているため)。

読者からのメッセージ(四)

福井市 山本 茂司


 酸性雨、地力低下、添加物等々で日本人の健康が損なわれている作今、皆様のご活躍に感謝致します。
 米穀小売業として米に携わり、今思うことは

1 現在の食料は健康になる のか?
2 酸性雨の対応は?
3 今後2人に1人の子供が アレルギー体質として生ま れ、増加の一途を仙る現実 に!
 食と健を守るをテーマに、今日まで、栄養豊かな米をお客様に届けたいと願ってきました。
 そして念願の福井生産の高カルシウムピロール米を取扱い、発売してその反響に驚いております。PH七.0以上の弱アルカリ食品として、福井の地で発信されております。誇りです。
 健康への早道はサラサラした丈夫な血液を造り、弱アルカリ性体質を作ることと思っております。
次回はご飯の炊き方について


読者からのメッセージ(五)

福井市 酒井恵美子


 ミニコミ誌「みち」は、とても楽しい情報誌です。一坪園芸の方から専業農家の方まで幅広い層の考えが、いろいろな形の文章で書かれているのにとても好感がもてます。
 鍬と筆の両刀使いがすごいなぁと思いますし、いろんな方の汗から得られた人生哲学が、それぞれの文章からひたひたと伝わってくるのが何より私の心をときめかします。共鳴するところがたくさんあって「そうだ。そうだ」と独り言をいいながらいつも楽しくよませていただいています。また、この方どんな方かしらと思うと、いつか交流会などあってお話など聞けたら、万難を排して参加させてもらうのになんて考えることがあります。こんな楽しい機関誌をもっと多くの方に読んでいただいたら、みなさんの農業に対する関心がずっと深まって、人の命を支える文化をもっと大切にしてもらえるのではないかとも思うのです。
 今回の名津井さんの「夢の快楽園」を読みながら、年齢と規模の大きさの違いを痛感し、私は、現状を維持していくための体力の維持を考えながら家族の健康維持の手伝いを夢見ていくことにしました。
 一坪園芸のおばさんの投稿をいつも取り上げていただいてありがとうございます。恥ずかしさが先立ちますが、「みち」はだから楽しいんだ……とも思うのです。何もお手伝いできませんが、私のように心待ちにしている人のためにも末永く続けていただくことを願ってやみません。いつも、ほんとうにありがとうございます。

紙魚のつぶやき(五)

アカヒモ


 大学生時代、日本の主なコミューン〔共同体〕を紹介した本を読んだことがある。自分にとってはかなり影響を受けた本であった。今回紹介する『流れに逆らって―能勢農場二十年の記録―』は、久し振りにコミューンという言葉を思い出させてくれた。能勢農場は大阪府の能勢町にある。ここは大阪府の最北端に位置し、摂津、丹波の山々に囲まれた緑豊かな自然の中にある。能勢で宅地造成された土地を上田等氏が買収し、仲間を集めて 人間の原点である労働をもとにした自給自足の共同生活の中で、自からを問い直し点検する場を求めて 農場づくりをはじめたのは一九七六年である。彼らは以前から毛沢東の思想や中国の下放運動に強い影響を受け、共同体の開設に踏み出したのであるが、農業に従事することはそのための手段であって目的ではなかった。設立趣意書には次のように書かれている。
 『……私たちは全面的にやらなければならないと考えます。それほどに私たちは毎日の生活の中でバラバラにされているのです。会社や職場でやっている仕事は、仕事全体のほんの一部分です。そういう人が大多数です。ラインの上でネジを回したり、レジを一目中打ち続けたり、車で配達して回ったり……。
 自分が一体何をしているのかもわからずに、とにかく食べていくために休みなく働く。エンジンの修理はできるが、電気はまるっきしだめ。電気の理論ならわかるけど簡単な電気配線もできないとか、はては、勉強はよくできるが人とあいさつはろくにせんとか……。みんながみんな何かしら片輪になっているのが現実ではないでしょうか。
 全面的にやるとは、すべてをやるということです。メシも作る、家も作る、畑も作る、野菜も作る、本を読む、近所と付き合う、地域に入り込む、ニワトリを飼う、牛を飼う、土方をやる、そうじをする……。
 全てを、みんなが、頭で考え、体を動かす、その中で少しでも人間としての全体性を回復していく。その力を運動に活かし、生活に活かし、この世の中を変えていくエネルギーとしたい。』
 二十年の間に能勢農場にはいろんなことが起こる。過激派の巣窟 グリコ・森永事件・怪人二十面相の農場 オームの道場 等のデッチアゲキャンペーンによる弾圧を受けながらも、たくさんの人の支えによって年間の粗収益が二億円に達する農場に成長していくのである。これまでこの農場に関わった約百人の人々の聞き取りを中心にその歩みをとりまとめたのがこの本である。本農場の創始者の一人である上田氏が言っているように『社会一般が物と金を中心に、人と人の関係からあるシステムを追い求め、自からを奇型化されても気付かない道を走り続ける中で』、一人一人のエネルギーを開放するような社会システムを作り上げていくことが、今、一番要求されている。能勢農場の二十年間の取り組みはこのような方向を先取りしたものであり、この記録は今後の新しい社会作りに大きな示唆を与えるものである。最後に農場憲章を掲載しておきたい。

第一章〈設立の目的〉

人間解放をめざす人が、一人でも多く生まれ育つこと。

第二章〈めざすべき人間開放〉

人間開放とは
@自立・対等の人間関係を作り出すこと。
A働くことが喜びとなる人間労働の回復をはかること。
B地球規模で自然と人間の共生をめざすこと。

第三章〈農場生活七ヶ条〉

@汗を流し、ひたむきに日々の労働に励もう。
A二十四時間の共同生活を通して、共同して働き、共同して学ぶ。
B万人をその能力で差別しない。
C仕事を選ばず、責任を限定せず、成果を一人じめしない。
D畑を耕し、家畜を飼い、自然の中で人間の役割を学ぶ。
E素直な相互批判をこころがけ、なれあわない。
F村の人々と仲良くなって、村の生活に根を下ろす。

第四章〈開かれた農場〉

来るものはこばまず、去る者は追わず、たてこもらずに開かれた農場をめざす。

『流れに逆らって─能勢農場二十年の記録─』
能勢農場出版編集委員会編著、発行所 新京社、定価 二千円+税


あいがもさん はじめまして

福井市 見谷 春美


「こーい こーい こいこい」と呼べば、稲苗の間から、数十羽のかもの子供達が、きゅっと首を伸ばし、あたりを見まわし、こちらを見つけるとまっすぐ集まってくる。子供の鳥の鳴き声をたて、にぎやかだ。その寄ってくる姿に思わず、母親してしまう。
 手のひらにえさをのせ、さしだすと、あのヘラのような口ばしで、つっつく。くすぐったさに愛着を感じてしまう。今までの何の変化のない水田が一変してかも楽天田になったようだ。
 毎日、その姿を見るひとときは、私の唯一のリズムの変換器となった。朝、夕のあいがもとのひとときは、私が忘れかけていた生物の生きるリズム感を呼び戻してくれる。しあわせだ。
あいがもは、えさを食べ、水を飲み、ある程度食べると、また水田に入り、足で水をかき分け、くちばしで株をかき分け、虫や草をつぼみ続ける。何羽も横に並び、くまなく歩く。それが、草を除き、虫を撲滅してくれる。まあ、その目的であいがもさんに来てもらったわけだが、働きぶりの実際はそれ以上に感心する。実にくまなく歩く。夜の休まず歩くそうだ。
 当初、あいがもの威力が信じられず、草でおおわれてしまうのを心配していたのだが、馬鹿みたい。むしろ、あっちの田にも、こっちの田にも入って欲しいくらい。
 田に入り込めば、今までとは土のなめらかさが違い、感覚的にも、ああいい土質になったなあと、またあいがもが働きに感動した。
 稲刈り一ヶ月前になり、田の水を切らねばならない。あいがもを水田からあげなければ……。あいがもも思春期を迎え、男は男らしく、色鮮やかに……。
女はあまり目立たない色にと大きく成長し、その変化ぶりもまぶしく映る。田から出ていただくために、あいがもとの追いかけっこも、想い出深い遊びとなった。
 ハウスの中に池と館を作り、そこで後は過ごしていただくことになったのだが、これからが問題だ。普通、カモというと、ネギとの料理でことわざになっている程のもの。
 いつぞやの八木氏のカモ料理が忘れられない程で、カモを育てると思ったとたん、また味わえると期待した。全部で二〇羽、たらふくいただける。楽しさがあふれていた。だが、幼いあいがもちゃんとの出逢い、そして思春期の変貌ぶり。呼べば答えるあいがもたち。えさを喜ぶあの声。この心境をどのようにかたづけて晩餐会が開けるのだろうか。ただ、料理のためには肥育用のえさを食べさせないと、肉がかたくてうまくないと聞いているが。まだ、そのえさに切り変えていない。あいがもの育ての親は、食するつもりがなくなったのでは……。しかしあいがもの行く末はどうすればいいのか……。ただいま、なんとも結論の出ない状態。
 以上、報告終わりです。よろしく。

編集後記

▼「みち」一四号に載った杉本英夫さんの「中山間地の生きがい農業」への反響が大きい。
 客観的にみれば、過疎という重い課題を抱えた地域に、何の気負いもなく生活の場を移した彼の選択に、今の生活に不満と懐疑を持ちつつ、日常にアクセクする読者の羨望が寄せられたのであろう。
 と、評論家風な解説をする僕自身が、彼に初めて会った昨年以来、彼の生き方にあこがれを感じている一人である。とにかく「日本農業の……」とか、「過疎地の農業振興……」とか大上段に振りかぶった「構え」のないのがすがすがしい。
 彼と彼の家族の幸せを願ってやまない。
▼あぜみちの会が支援する農業者自身の「収穫祭」が、今年は織田町の山嵜さんの農園で開催される。数えて4回目である。「山嵜ワールド」に乞う、ご期待!! (屋敷)

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