あぜみちの会ミニコミ紙
みち18号
(1998年夏号)
写真:坂井郡三国町 古道 豊
シグナル
福井市 中川清
今度の新しい農業基本法の策定にあたって、国内農産物の自給率何パーセントかの表示を是非明記してほしいと願っていたが、どうも見送られるらしい。
世界的の中でも異常に低い現実の自給率の数値を見ても、心痛まぬのだろうか。
自給率を明示すると価格が高値に推移するのではという思惑からか、消費者もいまひとつ。流通関係者は企業利益の為か、政治家や官界は、食糧輸出国の顔色をもうかがってか態度をはっきりしない。個人消費の食生活、台所まで法は立ち入れないという逃げ口上らしい。
自給率維持の目標提示が無いと、国際価格競争の波にもろに曝されることになって、コスト意識に走りすぎ食物の安全性や、環境問題などは置き去りにされてしまう。
輸出する側だって、無制限に売れれば、コスト攻勢一本で節度ある輸出態度なんて無くなる。
そこに、遺伝子組み替え作物や、クローン作物が重なってくる。そんな事ばかりでなく、現実に、水田一平方米に一グラムの農薬で草が全く生えないところに米が作られている(最近では、畳一〇畳の広さに一グラムに満たない薬の散布で、四〜五〇日間も効くというものも出来た)。おチョコ一杯の化学肥料を施し、たった二〜三日で作物が見違えるほど成長する。少し不気味と云えないか。
でも、この現象は、価格競争でコスト意識のなかでは、安く大量にという現実に、ますますエスカレートしていく。そこには、環境問題も、食品の安全性も、片隅に追いやられていくのだ。戦後の食糧難の時代を垣間見た私は、食糧の価値観から、こうしたコスト意識で安く大量の食物の有り難さをよりよく知っているから、現代の化学農業を否定はしない。
いろんな農業形態があっていい、それを皆で選択していきたい。けれど、私は、自然の摂理を思ったり、環境を考えると、遺伝子組み替えや、クローン操作に疑問を持ち、地域自給率低下のことを思い、胸が痛む。
身の回りに食物が採れるという事(海がきれいで魚が採れるという事)は素晴らしいと思いませんか。植物、動物も人も共生できる美しい自然環境を大事にして、その事で身の回りで生産できる食物自給率をせめて五〜六〇パーセントは…と思う。国内自給率は、みんなの努力目標として、何としても明示してほしいと願っている。消費者の方々も是非、声を出してほしい。
「節」
福井市 名津井萬
私の作業日誌に時折、来宅、来場の字句がある。
家の方へ訪ねて来られた人の場合「○○君来宅」と記し、牧場に訪ねてこられた人の場合は「○○君来場」と記している。
私の牧場は現在、搾乳牛32頭で、対頭式のつなぎ牛舎である。それ由に当然、牛体が糞尿で汚れるし、飼料調整の場所も雑然とする。忙しさに追われて、省力、手抜き管理もする事がある。稲作関係の農作業場も整理できずに雑然となる事もある。そんな時、来訪の連絡を受けたり、牧場見学(小学校や保育園など)をしたいとの連絡を受けることがある。その時は1日ほど前に、2〜3時間、牧場の内外や家の回りの清掃や、牛体の水洗いなどして、来訪される人に嫌がられないようにと、出来るだけ整理整頓して務めることにしている。
私の愛する駄牛も、水洗いなどして牛体の手入れをしてやると、見事な「名牛」に生まれ変わった様になり、思わず惚れ惚れと牛体を眺め、秘かに自己満足にふける事がある。私の小さな牧場にも何頭か自慢の出来る愛牛がいるので、時には、あかずに眺めていることがある。
私の場合、牧場や農場や家に、時折来訪してくれる人がいるからこそ整理整頓、清掃をせざるを得ず、来宅、来場によって「我が家の経営管理」が成り立っている。だから色々な人が訪ねて来られることは有り難いと感謝している。しかし私の心がけている事は、あくまでも農家としての、さりげない整理整頓だ。またそれと同時に家の行事もある。法事、法恩講、正月、お盆、彼岸、年の暮れの大掃除などがあり、その折々に家の内外の清掃をしたり、その機会をとらえて調度品を揃えたりしている。
農場管理や我が家の管理は、私の場合は来訪してくれる人があり、慣例の家の行事などがあることによって成り立っている。
それは、竹の節の様なものである。「節」が多ければ多いほど、農業経営も家庭管理も活気を持ち、健全な家族が育ち、育てられるものだと確信している。
心のやすらぎ
主婦 馬来田寿子
7月に入ると夜明けと共に蜩(ひぐらし)が鳴き始める。澄んだ蝉の鳴き声にしばし耳を傾けてしまう。「さあ 爽やかな気持ちで今日一日を」と思うのだが、その日の体調によって気分がすぐれない日もあったりする。しかし時間がくれば床から起きて顔を洗い、食事を済ませ、家族が出掛ければ家の中の雑用を一つ一つ片付ける。お勤めの方は身支度をして出勤され、農家の方はその日の農事に勤しまれる。こうして各家庭の一日が始まる。
日本の大方の家庭には、神棚とお仏壇がまつられている。若いうちは「忙しい、忙しい」でつい忘れがちであるが、心静かに神棚や仏壇の前で手を合わせてお参りすると落ち着くものである。これは継続することが大切であり、毎朝ごとに深く祈れば清く正しい心に立ち返ることが出来るといわれる。毎朝そうすることによって「心が洗われる」ともいわれる。今日一日元気で働けます様にと手を合わせることを日課にしていると、永い年月のうちには、する人としない人ではその人の人格と仕事の成果に隔たりが生じてくるらしい。神仏を拝むことを忘れると自然の恵みも祖先の恩もわからずに、心貧しい人間になってしまうというのである。
田舎が大好きで私は小さい頃母方の田舎へ良く遊びに行った。朝晩祖父が神棚や仏壇にお参りをしていると自然にその後に座っていた。夏になると井戸には西瓜やきんかん瓜が冷やしてあり、冬はいろりの火が暖かく、自在鍵に吊された鉄鍋や茶釜には、味のしみこんだ大根の煮しめや亦茶色の番茶があり何よりおいしかった。手際よく鍵をあやつる祖母の手元を眺めていた。田舎の家は、玄関を入った所の土間や黒光する「おえ」「大黒柱」は昔のそのままになっている。
生活様式がすっかり変わった今は「いろり」の跡は陽当たりが良く一番明るい部屋になったという。
田舎は朝が早くいつも朝からラジオがかかっていた。NHKは朝五時半に始まった。五時半になると軽快な音楽が流れてきた。そして一、二分たつと「農家の皆さん、お早う御座居ます」と誠に爽やかなアナウンサーの声が聞こえてくるのである。農家の人々を対照にした番組である。毎朝各放送局を結んで全国各地の農家の様子を生りポートしていたと思う。又、「家の光」という婦人雑誌があり表紙はいつも健康な農村婦人の姿であった。内容は豊富で子供心にもいつも楽しく読んでいた。
田舎の想い出は本当に懐かしい………。
「豊葦原の瑞穂の国」という言葉があるがこれは「日本」の古い呼び名であった。
日本は弥生時代以来、水稲耕作が行われ農村社会は日本社会の基本を成していたのである。葦の豊かな稲の稔りに恵まれた国にするのが日本民族の理想であり、また、切実な祈りでもあった。
終戦を境に日本は大きく変貌した。
半世紀を経た現在急速な都市化の波で職業は多様化し、農業は機械化され、農作業はすっかり様変わりした。
郊外に出れば青々とした水田が広がり、秋には黄金色の波打つ田んぼを見ていると、日本人として私達は心の安らぎを覚えるのです。
茹で上がる蛙
福井市 屋敷紘美
世はビックバンとか構造改革が叫ばれていて、その上経済的不況が未曾有の深刻さを呈している。悲観論者はあたかも日本社会が崩壊過程に入ったかのような論調である。彼らによると、。つい数年前までは「ジャパン ナンバーワン」であったのに………。
しかし、それがまたひどくむずかしい。これまでの仕組みやありようの中で生き、うま味も味わってきた人々が、たとえお尻に火がついているのを自覚しつつも、「もうしばらく」「まだまだ大丈夫」といった具合に現状維持を続けようとする。それは生物としての人間の本能でもあるだろう。
しかし、ルビコンの橋を渡るのが遅ければ、それだけ受ける打撃は大きい。人間の長い歴史を眺めてみれば、その教訓は枚挙にいとまがない。
その1(わたくし)
そんなに遠い話でなくて、自分の経験する範囲でもたくさんの事例を見聞する。かく言う僕自身にしてからが同じ穴のむじなである。
僕は農協に勤めて間もなく二四年程になるが、それまでの一一年、都会の大学、生協にいたこともあって、最初は農協の独特の雰囲気や習慣のようなものに戸惑って、このまま勤められるだろうかと不安を感じたものだ。また、生まれ育った地に住んだものの、それまでの気楽な都会の一人くらしや新婚生活と違って、親戚や近所付き合いの煩雑さに閉口してしまって、都会に逃げ戻りたいと思ったことは一度や二度ではない。その後曲折はあったもののどうにか農協の雰囲気にも慣れて、今では居心地がいいとまではいかないにしても結構生活をエンジョイしている。「住めば都」を地でいく心地である、親戚や近所、職場との距離の取り方を定めて「やしきワールド」を堅固に形づくればそれなりの心地よさを味わえることも学んだ。そして、今や僕は農協という職場にドップりと浸り切っている。
農協の現在のあり様や方向性に必ずしも賛同しているのではない。むしろ批判派に属すると思っている。しかしこの二〇年余の経験から、自分がいくら空騒ぎをしても、農協の現状はビクともしないことも知っている。ただ自分に与えられた仕事を、その範囲で自分が納得出来るよう全力を尽くすのみである、勿論、協同組合の理念に依る農協の再生という僕の情熱はいささかも衰えていない。ただそれは深く、暗く沈潜していることも事実だ。
ソヴィエトロシアの亡命作家ソルジェニーツインが描出したイワン・デニーソヴィッチ(イワン・デニーソヴィッチの一日岩波文庫)が罰である無意味なレンガ積みの仕事を最初は苦痛に感じながら、ついにはその日1日満足いく積み方だったことに満足と安らぎを覚えるようになるのとほぼ同じ地平に自分がいることを認めざるを得ない。そうした袋小路に自分を置きながら、そこから積極的に自分を救い出そうという決心もつかないまま、今日という日を過ごしている。
脱出したいともがいている自分を、冷静にしかし後ろめたい気持ちを抱きながら眺めているもう1人の自分がいる。
真偽のほどは知らないが、蛙は水の中に入れて下から熱してもその熱さの程度に気付かず、ついには茹で蛙になって死亡するという。僕自身もいまの自分がいる位置に気付かず、いつか自分が自分であるアイデンティティーを消失することを通じて、少しずつ死に向かって歩んでいるのではないかという漠然とした不安を近ごろ感じている。
その2(のうぎょう)
一九八〇年代、アメリカのに始まった「小さな政府」論は、イギリスの公企業の民営化路線などと共に当時は世界的風潮となり、日本でも国鉄のJR化や電電公社のNTT化となって現出した。しかし、アメリカでその後いくつかの都市で福祉切り捨てに反対する激しい暴動が発生したり、イギリスで労使関係が緊張したほどの徹底した施策は日本では行われず、相変わらず「官民もたれあい」による政治・経済の運営が続いた。
ことの善悪は別にして、そして、その後の社会主義体制の崩壊も力あって、レーガン氏とサッチャー氏の政策手法が最近のアメリカ、イギリスの経済的好況の源であることは間違いのないところである。逆に日本では「小さな政府」作りに失敗したし、経済制度の「合理化」もあいまいなままにうちすぎた。アメリカとの経済力、経済状況の落差がひどくなつた今頃になって橋本自民党政権は省庁再編や行財政改革などと「小さな政府」作りに取り組みはじめているが、両者の時間差は如何ともしがたい。まさに彼らが信条とする優勝劣敗の原理に従う以外術はない。
政府や、それを支配している自民党議員たちがそういう状態だから、これまで彼らと「あうん」の関係にあった経済界や農業団体が「小さな政府」に賛成して、自立するなどということは考えられない。経済界は農業保護はやめろといい、農業団体は大企業優先だという。結局自分だけは政府の傘が欲しいと言っているにすぎない。とはいえ、農業政策では「小さな政府」作りが大規模に、そして深く、静かに進行している。農業は新農政プランや新食糧法をはじめ、農業基本法の改正などによって搦め手から「自立」の方向にソフトランデイングさせられようとしている。悲観的にいえば、安楽死である。そしてほとんどの農業者はその流れに気付かないか、気付いていても座視しているのである。もはやそこから立ち上がる気力さへ萎えていると考えざるを得ない。転作の面積拡大に不満を持ったり、転作の配分や管理は行政の責任だと叫んだとしても、それは天に唾するだけである。
市場原理に従えば価格は需給関係で決まるのだから余るほど作れば価格は下がり、農業は採算がとれないのは小学生でもわかる計算である。政府は米の価格形成機構を組織し、その規制を次第に緩和することによって、そのことを少しずつ農業者に教え、納得させようとしている。政府は農業の頭上に差しかけてあった傘を少しずつずらして、雨や雪や、時として死の灰さえも、彼らの頭上に降りかかるに任せようとしている。この数年の農業行政を見ていると、権力者というのはなんと長い時間をかけて、人民を自分の意のままにするのだろうかと思う。その底意地の悪さと粘り強さはまさに驚嘆に値する。
冷たい水の張られたビーカーの中に静かに入れられ、下から熟せられることによって次第に肉体を破壊され、それと共に気力も蝕まれて、死の予感を感じたときにはもはやなす術もない蛙が、農業のメタファとすればそれはあまりにも暗いものだろう。これまでに沸騰するビーカーを想像することによって、自ら既成の呪縛を解き放ち、そのことが農業の再生にも繋がっているたくさんの農業者を僕は知っている。希望は彼らにかかっている。
1998.6.9
§中山間地の農業……生産組織発足検討メモより
<初老近きIS君>
一.横社会の意識づくりと担い手不在
▽この問題を提起していくには一律的に論ずるわけには行かない。それは、それぞれの地域が持っている特質なり、解決しようとする問題なり、そこに住んでいる人々の意識が的確に整理されていないと、支離滅裂になってしまう……。特に意識のことはなかなか厄介で、手を付け難いことが多いのが現状だろう。
▽とりわけ、本県は兼業機会に恵まれていて、それぞれの職業や恒常的勤労によって生計が営まれている。こうした現状から、生産組織などいう一定の枠にはめるような議論をすると、なかなか結論に達しないのが現実なのだ。
▽しからば、いまの二〇代は無理としても三〇代、四〇代は将来的に自分の住んでいる環境(ここでは集落機能維持的発想に基づいて)に一つの展望を持ち合わせているのだろうか……。
▽過去の社会(集落は)は横の社会ともいわれ、相互扶助の精神や取り決めによって連携、連帯することが良かったと年配者は言う。まさしくそうだろうと理解される理由の一つに、生活のための所得源のほとんどが、そこにある土地の利用であり、農林業と言う共通の土俵の中で生活が営まれたことに由来することがあげられる。
▽今日の社会は縦社会とも言われ、それぞれの職能機能(その道のエキスパートかスペシャリスト)の中で自分が存在するようになって来ている。実はこの事が横の社会と言われる集落と言う一定の枠の中では過去社会のような連携や連帯の意識は乏しいことに行き当たってくる。ましてや、中核的担い手が不在の状態で牽引車は誰なのか……。
生産組織の課題は四〇代、五〇代の人の主体性を持ってもらおうとしても、彼等は「自分の仕事を犠牲にしてまでも……」と言う。それ程プレッシャーをかけるつもりはないが地域(ここでは集落)全体が連携しながら農業を恒久的なものにしていこうという説得力は持ち合わせない。或いは理解してもらえそうもない。
▽集落のリーダーとなって世話ごとをしていると過去の社会習慣や取り決めに、なかなか追いついてこれない人が多い事に気付く。しからば今の社会に変えていけば良いようなものだが、そうもいかないのが農村社会の特質とも言えるだろう。古いなあーと言いたいだろうが……全く変わっていない訳ではない。
▽この辺りの意識をどうやって一つの土俵に乗せられるのか…。リーダーの手腕だろうが…この答えをそれなりに理解し訴えていくには余りにも時間を要する。何故なのだろうかといつも気を揉んでばかりいるこの頃だが……。
▽これまで農業に深く関わってきたものの立場から言えば、何か教えてくるものが足りなかったのか、また教える力が足りなかったのか……。いずれにせよ個々の生産活動が経済的物差しで評価できないことだ。もっと具体的には、米を作ったとて、どの位のコストで生産されたのか、だあーれも分からない。ましてやコストの中でも一番高く付いてくる機械費や労働費なんてどれだけが費用なのか分からない。この現実の中で低コスト化的な視点で生産の組織化と言っても一寸、一寸だ。
二.組織化を妨げる生産環境と技術不足
▽ある若者曰く……田圃の中の仕事なら幾らでも引き受けて行ってもいい……けどなあー土手の草刈りは御免だ、畦ぬりをしてくれと言ってもそれは嫌やなあー(人力の畦塗りは極強労働)
▽ご老人曰く……うちは若いものもいないし、自分も年を取ったんで生産組合ができるんなら全部任せるから頼むわいのー
▽年を取っていくと一番やりにくくなる作業は畦畔法面の草刈りや。人力でやるには根気が続かん、草刈り払い機では振り回せん……どうする…人様に迷惑をかけるようなことしてもあかんしなあー
▽草を刈ったからといって金がもうかるわけでもない、くたびれ損に近い……実のところ金儲けにならないようなことであるなら止めれば良いではないかと若者はいう……どう説法する?
▽水見回りは毎日必要なんかねえー……田圃にもよるけど水が漏らなければねえー
水見回りは耕作の規模とは関係なく一定の時間がいる……現代のような合理主義からとらえれば誰かに任せて一括管理と言いたいところだろう。
▽二〇f足らずの田圃、何枚あると思う、こんなもの全部面倒見れるかねー(区画は五〜二〇e程度)大区画にするとまた、側面が大きくなって大変やしなあー
▽バイプライン化もあるが、これ又、金かかることで……
▽中老人 溝切りって必要なのー
▽S男 何んか考えることあったの……
▽中老人 うーん、うちらの田圃は畦端(畦表とも言う)は乾き過ぎて困るし、土手際(畦裏とも言う)は乾かないし困っているわいの
▽S男 そりぁーそうだろう、もしこれを行わなかったらどうする。特に降秋(稲の収穫時に雨が多いこと)では機械が歩けないでしょう。
▽中老人 その事は分かっているんじゃ、だけど今の機械(歩行型)では歩くのが大変なんだ、とってもじゃないが別の方法がないかと思ってねー
▽S男 そうだねー まあー金の要る話にはなるが、これからは殆どの作業は歩くことから、乗ってやる時代になってきているんで、比較的安く出来るものに乗用の田植機に溝切り装置を付けたのもあることはあるんですよ…
▽中老人 そんな機械使ったら稲株踏んでしまうだろう
▽S男 その通りだけど物事はすべて良しとは限らんもんで、踏み込んだ稲株の被害と溝切り効果の判断を使い分けすることですなあー
▽S男 ところで、おんちゃん、今、人に耕作してもらっている(昔の小作)田圃、もう作れないと言って戻ってきたらどうするつもりかねえー
▽中老人 おい、一寸待ってくれよ、そんな話があるのか
▽S男 話があるどころじゃない、今まで小作していた人は、自分が作れなかったら地主に帰せばいい位にしか思っていないですょ。
▽中老人 やっぱりそうか? そういう事になってくると、自分は作れないしなあー……
▽S男 そうでしょう……稲株が埋まってしまうくらいの話ではないでしょうが……そうであるなら次に何を成すべきか若い人に伝えて下さいょ……
三.集団転作の対応
▽今日もまた、転作の打ち合わせ、何で集団化が必要なんや? 自分の分を自分でやったら何であかんのや……。
▽平成六年度には米の緊急増産に対して転作はお休みをした。この事の是非は別としても農業者の意識は大きく変化したと言える。つまり真面目に転作しても所得はそれ程上がらないし、米価のダウンも防ぎ切れなかったではないか……この反論どう答える?
▽昭和六〇年前後の転作は皆んな熱心だった。機械を中心にした共同作業は円滑に取り組んだし、生産物だって、その評価が買われて大豆の採種まで行った。
▽平成二年の大豆大災害が発生、技術解明も不十分ながら、今だ立ち直ったとはいえない
▽兼業収人が一段と安定してくると(今は一寸違うが)少々の所得の事は無視されがちになってしまう。個別の所得を確保することは当然だが、集団化を強調してきた背景には皆が力を合わせて取り組むことによって農業生産に対する意識を高めていきたい、その事が稲作の共同化に繋がっていくことを描いていた。
もう少し、具体的に言えば農村集落の軍団意識には少々のエゴは我慢して皆が「やろう」といったことには一緒になることだ、独りよがりは置いてきぼりになる。……ある年輩者は教えてくれた。しかし、四〇代以下程度の世代の人達にはこれが通用しないのだ。これわからないでしょう……。
▽集団化までは漕ぎ着けたものの、この対応は単なる助成事業対応だけには止めたくない。
四.中山間地域対策事業??
▽極めて高率の補助事業として鳴り物入りで登場してきた。本来、地域間題は何も農業分野だけの事ではないと思うが、何故か農林水産省がお仕切りになり、県段階でも耕地サイドの事業として推進されている。この意味は全く理解されないわけではないが……何か物足りない
▽事業の受け皿として旧村単位程度の土地改良区が設立される。この狙いは広域的なハード事業によって社会基盤の整備を計ろうとするものであろうが、現実には集落を単位にしたバラマキ型の事業を分散的に行っている。本来の主旨とは異なるのではないか……。
▽こうしたやり方となってしまう背景には、幾ら高率の補助事業であっても受益者負担の原則は変わらず個人の負担によらざるを得ないからであろうと思われる。しかし補助率は高くても負担額そのものが大きくなり、新たな負担となるためこれに耐え切れないし、農業そのものに具体的展望が見えないときにその負担に対応していけるのだろうか。
もっと具体的に言おう……。
▽昭和四〇年代から五〇年前後には農地の基盤整備がドンドン進んで整備率は全国のトップになったと評価されてきた。このこと自体は高く評価されて良しであるし、借人れた資金も殆ど償還が終わっている。この様な状態の所に新たな負担は許されるかも知れない。
▽しかし、しかしだ、この時代の流れについて行けずに取り残されていった地域が中山間地域である。遅ればせながら六〇年前後には棚田と言えども近代的な機械が稼働できる圃場が出来た。この借金返済は未だ半分程度だ。しかも今日は低金利の時代にあるにも拘らずこの時代の金利負担を余儀なくされている。
▽或る一例を紹介しよう。借人総額四、〇〇〇万円金利三、九〇〇万円合計七、九〇〇万円で農林漁業金融公庫の制度にはまっている。この場合の個人の、年間償還額は一〇e当り三〇、〇〇〇円となっている。これでは、農業経営的視点にははまらないでしょう。
▽この重い負担が間接的には農地の流動化にブレーキがかかることになっているのだ。土地基盤は良くなったところで償還金の一〇e三〇、〇〇〇円を負担してまで全面請負耕作は出来ないことだ。農地流動化推進員も頭をひねってしまう。
▽若干の負担軽減措置は受けているが、負担金利の一〇%にも満たないのが現状であって、この様な状態の所では新たな取り組みをしたいと思ってもやり切れないのが現実で、取り残される事を最も恐れている。
▽苦しい現実に対応するには経営活動の中で対応することと、行政的なバックアップが求められることは求められることは必然的であろうが、今の行政には地域活性化的視点も財政的にも、このエネルギーは陰を潜めているとしか思えない。
▽さまよえる中山間地域といわざるを得ない。
5.田舎は老人の溜まり場か…?
▽ある老人が亡くなった。あの家の若い者はもう帰ってこない。また一軒減った。
▽都会に出ていたY君、もう定年になったし、家には田圃も少々あるので帰ってこようと思う。そりあー良いこととしても子供や奥さんはと尋ねれば子供はもう社会人になっているので、置いてくることにした。いわゆる非生産人口は増えることになった。
▽K君、俺は帰ってきたいのだが、どうも女房が反対するので……もう帰ってくるなーと言いたいくらい地域意識は異なるがどうしょうもないことなのだろうか……おかあちゃんも一緒に考えてみてほしいな。
▽田舎暮らしは老後にはいいかもしれんが田舎は老人の集まり場ではないぞ……君たちが出ていっている間、山や田圃の環境維持(地域共有財産的意識)を皆でやってきた。この気持ち分かってくれるかなあー……。
『菜園&趣味の園芸奮戦記』
I・S
春季の作付け(露地もの)…さーて何種類植付けたかなあー、数えたら二〇種類を超えてしまっていた。
▽先ずは馬鈴薯、籾殻堆肥はどっさり入れた。メークインも植えた。穫れるのが待ち遠しい。
▽春ハクサイ、ブロッコリも二月末に種播をした。見事に育つはずだったが、前作の昨年秋の根瘤病の影響を受けて三分の一は駄目になってしまった。畑の病(土壌病害)を侮ったなあー・・
残った物は物珍しさもあって大好評・大好評(春物は一般には栽培していない、また作りにくい)
▽同時に作った春蒔きダイコン、子カブまで根瘤病が出た。家庭で消費するには支障は無かったが秋季作付けまでにはなんとか効策講じておかなくては……。
▽ホウレンソウをセルトレイで苗づくりの後、移植栽培した。見事、見事……生育がそろって生き生きしているではないか……近くのおばさん達、これどうやって作るの……しきり、しきり。
▽たまねぎがだいぶ大きくなったが一寸おかしいぞ……どうしたことか「べと病」の激発である気付いた頃はもう手遅れであった。例年の半作だ。みっともないこともあって早々に収穫してしまう。
▽この頃の天気は温度は高いが、どうも雨が近い……畑の作業には厄介だ。一度、耕した土は硬くなり易く、次に何かをやろうとすれば耕せない、草だけはキチンと生えてくる天気を見定めながら、また草との戦いが続く……。
▽また、草も大きく、多くなってきた。非選択性の除草剤を散布する。液剤を使うには用具の供えがなくては出来ないが、エンジン付はお手のもの、どっさり準備して余ったものは水田の畦畔にも散布する。お陰様で春期の草刈りは省けた。しかしだ、これを真似て畦畔の側面(高さ二〜三m)に多く撒いた人がいる。
側面の崩壊予防には草の根が大切な役割を持っていることご存じないのでは……
<粘質土壌のところではエロージョンは余り認識されていないことでしょう>
▽催芽(ビニールハウス内)した里芋の移植、一ケ月も経たないうちに見事に揃った生育となった。この様になってくると土寄せも楽しみである。
▽スイートコ一ンやはり移植したものは生育が揃っていて管理も的確にできるようになる。一方の直播は不揃で、土寄せなどの管理に気が乗らない……
▽「えだまめ」「三尺ささげ」「ふじまめ」は夏に収穫のもの……毎日通わなくてはなあーかあちゃんや、ビールのつまみばっかりなんて思うなよ
▽ゴボウや生妻、白ゴマも少々作付けた。年を取ったものにはこんなものも必要なんだよー
▽ジャンボ苺(女峰)が欲しくて、毎年ランナーから育苗して基本に近い状態でやっているつもりだが果実が小さくて人様に見せるようなものにはならない。これもウイルスの影響もあるかもねえー
畑の一角に花き類…趣味の園芸編<主にゆり類六〜七種>
▽百合のクイーンとまで言われるカサブランカ、この雄姿抜群には違いないがウイルス対策には困ったものだ。(営利べ一スの栽培であれば別の事だが……)
草丈の低いうちは寒冷紗被覆を行ってはいたがトンネル方式には限界がある。逐次薬剤散布が適切ではあろうが趣味の園芸の範囲内ではそうもいかない。粒剤散布は幾分効果がある程度だ。
▽ウイルスに犯されたものは抜き取って山に捨てているが、これを又拾ってきて作る人がいるのには困ったものだ。
▽オリエンタル系品種(三種)は作りやすい反面、どうも粘質な土壌には向かないらしい、単年毎に植え替えていくほど暇人ではない。
▽芍薬や牡丹・花の姿、色彩には感服するばかり、数種類の品種、開花を見ているだけで楽しい。だが夏越しは一寸ばかり気を付(過乾燥と土づくり欠陥か)けないと立ち枯症が出てだんだん株が少なくなっていってしまう。
▽収穫物は特別お金にはしていない……もったいないとも他人は言う。お金にするには今少しの技術とレベルアップとボリュムが必要だ。今は自分が楽しみ、近所の人達に喜んでもらえれば良い……よそのおばさんにゴマ擦っていると僻んでいる人もいるがね…すぐ傍にいる人??
▽アルストロメリアも株が大きくなって直立した茎が少ない。株分けしたいが永年性のため場所の確保がねー 又、人様は花の咲いている時期に株を分けてほしいと言う、秋まで待ってと言っているうちに忘れてしまう。老化の始まりか……。
▽農村の景観づくりやグラウンドカバー植物として身近になってきた「マツバキク」
▽繁殖はごく簡単だが、いざ大量となるとそう簡単には行かないだろう。それは挿し木で発根は容易だが水田の畦畔に順調に活着させ生育を良くしょうとすれぱ、それなりの苗づくりが必要になってくる。
ここで一つ紹介するものにセルトレイ挿しの方法だ。(最近では「キク」にも取り入れられるようになってきた)
▽使用するセルトレイは二〇〇穴か一二八穴のどちらでも良いが、この方法だと根鉢付きとなるため移植した跡の活着が抜群に良く、繁殖も早くなってくるのでお勧めしたい。
▽使用する挿床の土は園芸用の床土が根の回りが良くなる。砂系用土でも良いが根の絡みは必ずしも良くないことが多い。
ミニ施設園芸(水稲育苗にしては贅沢な耐雪D6型パイプハウス八〇u)
▽バイオトマトは毎年欠かすことの出来ないものにまでなってきた。しかし菌はいつも購人しているが今年の天候のせいか物凄く徒長したものしか手に入らなかった。ここまでは致し方ないと思っていたが、1株2本仕立てを行い、徐々に大きくなってきたら徒長苗の親茎は細くて2本を支え切れないものが出てきた。こんな事は苗づくりから始めるもんじゃ……誰か言っていたなー
▽一寸ソラマメ……機械移植実演会に自ら育苗したセルトレイ苗の余ったものを昨秋ハウス内(当方は積雪が一寸心配がある)に定植した。それはそれは見事と言うより他ないものになった。
草丈は一.五m程度になり莢も大きい。しかも開花が早いから(四月中旬開花)早くお召し上がることになった……ビールが一段とうま一い
▽水稲苗生産の後のためキュウりやトマトを作付けしてもそれほど早く収穫できるものではないが、雨除けの効果は大きい……これ程の事は大したことないが、実はこれから播く抑制キュウリやトマトの裁培には抜群だ。私らの所では抑制栽培までは誰も知っていない。
▽この作が終わると1〜2月に収穫できるようにハクサイ、プロッコリ、などを作っておくのもだー
だあーれも真似できないものだ。誰か、何と賛沢な生活だと言った者もいた。なるほどー
<中山間地に永住しなくてはならない初老近き人……楽しい、それとも哀れ……どっちでも他人様に結論付けしてもらうことではない。>
自分流唐詩散策(6)
福井市 細川嘉徳
先日親友の0さん夫妻に誘われて蕎麦打ちを体験しました。場所は知る人ぞ知る福外市の「越前蕎麦道場」。山裾の真っ青なアジサイが一株、雨に濡れて一行を出迎えてくれました。先ず、道場の主人から「越前そば」の歴史と由来、「そば」の食文化、更に「そぱ」を通じての国際交流の体験講などの説明がありました。そしてこの道場で県下より選抜された「そば」の愛好家を対象にそば打ち名人[そば匠]を育成して、「そば文化の普及」で福井を全国にアピールしたいとのことでした。
実習室に入ると作業台の脇にある昔の精米機・石臼が目に付きます。「そば」をおいしく賞味する条件として「轢きだち」「作りだち」「ゆでだち」の「三だち」を挙げて、ユーモアあふれる指導で実習が始まります。実際にやってみると本当に難しいのです。主人の麺棒さばきで、そばが自由自在に生き物のように伸びて行きます。[パシーン!」棒をおく音が心地よい緊張感と静寂を醸し出します、やはりここは道場、身が引き締まります。
悪戦苦闘の末出来上がりの[三だち」そばを試食します。「これが越前そばだぞ」と自分に言い聞かせながら、とうとう四皿平らげてしまいました。自分たちで作ったということもあって、とにかくおいしく忘れられない味です。余分な調味料は一切使わず「そば」そのものの味をひたすら追求するこだわりの味です。
試食の後主人の案内で道場内を見学することが出来ました。さりげなく飾られている調度品・数々のコレクションは主人の人柄が滲み出ています。二階に上がると床の間に行書で書かれた軸が掛かっています。何となく読めそうなので近づいて字数を数えると28字これは漢詩だと直感しました。白居易作の字も読めます。
「私が日中友好の代表で訪中したとき、土地の高僧が為書きをしてくれたものです。」いつの間に来られたのか主人は後ろからこのように説明され、全文を私のために読んで下さったのです。軸の前で主人と二人だけの静寂な時間が過ぎました。
最後の一句「そばの花雪の如し」は、どこか世俗を超越した生き方をされる主人と重なるような気がしてなりません。これは主人の素晴らしい勲章だと思います。あの漢詩をもう一度読みたい。時が経つにつれそんな思いが高まり、少しばかりの「積ん読」した本をあさった末に見つけたのが次の詩です。その時は恋人に出会ったような気持でした。
村夜 白居易
霜草蒼蒼虫切切
村南村北行人絶
独出門前望野田
月明蕎麦花如雪
草は蒼蒼として虫は切切
村南村北行人絶ゆ
独り門前に出でて野田を望めば
月明らかにして蕎麦花雪の如し
霜枯れた草の色は緑のつやを失って青白い 秋の虫はチッチッと鳴いている/村の南も北も 道行く人はない/ひとり門口を出て はたけの方を眺めると/月の光にソバの花が 雪のように白く見える
蕎菱の花は人に鑑賞されることはありません。実を粉にして食膳に上り素朴な味で人々に潤いと活力を与え、殻は枕になって人々の疲れを癒します。
「そばになりたい。」ふとそんなことを思うのです。
米屋から読者の皆様へ
福井市 立矢米穀店代表 山本茂司
一.「研がずに米を洗う」
近年の精米技術の進歩と白度アップ要求で米にヌカがほとんどついておりません。テレビ風にゴシゴシ研ぎますと、傷がつき、艶のない腰の弱いご飯になります。やさしく洗って水をきれいにする。ザル上げは悲劇です。繊維王国福井のお米は、やさしく扱って下さい。
二.「環境を変えよう」
▽東京湾の海底には日本で1年間に発生するダイオキシンの半年分が溜まっています。その内訳は、ゴミから四五%、昭和四〇年代の農薬から三一%、その他二四%
▽トリハロメタン(トリクロロエチレン・テトラクロロエチレン)。テレビで報道されている大手電機企業の公害物質は、金属の洗浄として永く使用されてきました。本県でもドライクリーニングによる名水汚染は今も深刻です。また、丹南の主要産業でも使用されてきました。
▽小麦・大豆・米・卵白・牛乳の五大アレルゲンに反応する子供(アトピー)がふえてきております。米アレルギーで米を食べられない子供達は農薬に反応しております。無農薬白米を更に三回精白して食べております。
▽食を考えるとき、環境の浄化が不可欠です。
川の水に化学物質が大量に入っております。染色のチョコレート色の廃液を良く見かけますが、田んぼに使用される大事な水なのにと胸のいたむ思いです。このような現状で無農薬米を生産することは大変な事だと理解しております。
▽過日、保健所へ取り扱いの無農薬米を検査してほしいと依頼したところ、「今年の農薬か、昔の農薬か判らない」との返事でした。無農薬=残留農薬ゼロにはなりません。
▽農薬、トリハロメタン、ダイオキシンを分解・減少させる事が急がれます。農薬を使用しても分解して残留農薬をゼロにする方法は!
▽トリハロメタン分解に現在の技術では、五立方bの水を浄化するのに、多額の費用と1年の年月を要するそうです。もっと簡単に分解処理する方法は!地表などにあるダイオキシンを分解するには!
▽私の推薦図書です。理学博士酒井弥(今立町酒井理化学研究所主宰)著『ラン藻で環境がかわる 劇的!農薬・ダイオキシン分解も』技報堂出版。ぜひ、ご一読下さい
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