あぜみちの会ミニコミ紙

みち25号

(2000年春号)


絵 笹原和代


シグナル25


福井市 中川清


「一年の計は元旦にあり」 とかいって、 一月に一年の目標を立てることが多いが、 四月も、 一つの区切りとしての意義がある。
 各学校も新学期が始まり、 ピカピカの一年生が闊歩するし、 県や市町村役所も、 転勤や異動があって新スタートだし、 米作中心の農作業も四月が事実上の始まりである。
 それに今年は、 介護保険もスタートした。 この介護保険は、 義務としての掛け金は先送りで、 給付という管理だけの変速スタートである。
 義務を果たさず権利ばかり主張することが多い今の世相そのままとも言える。 元来保険制度とは、 掛け金の義務を果たしてこそ給付を受ける権利が発生するものではないだろうか。
 物事は、 基本をきちんと守るべきである。
 税制度の介護から、 保険制度の介護に新しく作ったときの、 激変緩和処置は緩和処置としても、 保険制度の基本を歪めてはいけない。
 これから米作りの農作業が始まる。 兼業化が進み、 長い間の習慣 (なれ) での作業を進めがちだが、 この場合も、 米作りの基本だけはきちんと守らないといけないと思っている。
 今年も、 近くの清明小学校の二年生、 およそ八〇人を相手に 「米作り教室」 の担当をすることになった。 子供達は純真であるだけに、 大事なこと、 基本的なことは、 手抜きなく伝えてやりたいと思っている。 そしてそれが、 私達大人の使命だと思っている。 でも、 肩に力を入れずに子供達と 今年も楽しい教室にしたい。 そして心に何か残してやりたい。
 とにかく 四月は自然と心がはずむから楽しい。


頑張る女将さん


普及員 榎 本 千 鶴


先日、 私が担当する町内の女性農業者と温泉旅館の若女将さんとによる、 第三回目の交流会が行われた。 こうした交流活動が始まって、 かれこれ一年あまり経つ。 特に昨年は、 女性農業者がプロデュースした農業体験に、 若女将さんが子供連れで参加するなど、 お互いの知らない世界を見聞することが活動の中心だった。 過去2回の交流会では、 農業者が若女将さんたちを招待する形だったが、 今回は逆に農業者が招待される形で行われ、 二人の若女将さんからの体験発表があった。 その話が極めて印象的だったのだ。
一人は、 OLから女将さんに転職した女性であった。 国立病院の事務職という安定職を投げ捨てて、 その職に就いたきっかけや、 サービス業に絡む様々なジレンマを話してくれた。 客の中には、 子供が騒いでも全く怒らない親や、 逆に子供の面倒は旅館が当然見てくれるものだと食ってかかる親などがいて、 大変気苦労が絶えないらしい。 客にセクハラまがいのことをされても、 自分は看板を背負っている以上、 笑って応じざるを得ないなど、 赤裸々な心情を語ってくれた。 もう一人もまた、 畑違いのところから女将業を始めることになり、 とにかく事務から重労働に至るまで何でも一連のことは経験したこと、 しかしそうしたことが今に生かされていることなど、 これからの自分の夢について語ってくれた。
こうした若女将さんたちの話は、 今の農業における女性たちには十二分に共感できるものであった。 今まさに、 農村女性起業が注目されている中で、 人を雇い使う側の心配りと接客業の難しさを教えられたと思う。 そして若女将もまた、 経営者の一人としてプライドを持ち、 旅館経営について話し合いの場に対等に参加していくことが、 ひいては自分自身の夢に繋がることになるというのだ。 こうした考え方は、 旅館というフィールドを農村に置き換えても全く違和感がなく、 今更ながら私は、 驚きと感動を隠せなかったのである。
今の若い女性たちにとって、 農業や女将業という職は、 OLとは違ってまだまだ遠い世界のことのように感じられることだろう。 何も若い女性たちだけではない。 周囲から、 いまだに特殊な目で見られがちなこうした女性たちには、 共通の悩みや目標があるということを知った。 今回の様な機会を通じて異業種同士が共感し、 お互いを認めあい、 そこから新たな一歩を踏み出すことを心から期待したいと思う。 決して共感だけに埋没することなく、 互いの職の特殊性を逆手にとって、 その魅力をどんどん地域社会へ情報発信していって欲しい。 そうした地道な活動の結果、 いつの日か、 こんな会話が巷でふつ〜うに交わされることを私は願っている。
「あなた、 農業を始めたの?いいわねぇ、 でも私は今、 女将修行中よ!」


存 在 感


福井市  細 川 嘉 徳


 「新芽が出たんやで見に来んか」 電話の相手は以前に世話になった庭師のTさん。 勤めていた造園会社も定年になり、 今は我が家の農作業を手伝いながら好きなパチンコに精を出しているようだ。 新芽が出たという電話は外でもない、 念願の手造りの庭が出来たので見て欲しかったのだろう。 夢にまで見た自分の庭が出来上がったからだ。 長年栽ってきた技術を活かして我が家を造る。 こんな楽しいことはない。 団地住まいの者にとって土地があり庭を造れる田舎の人は実にうらやましい限りだ。
 庭は二十坪位の築山のある回遊式枯山水で、 息子さんと二人の手造りとの事だが素人目にはなかなかの出来映えだ。 そこで作庭の自慢話と苦心談を聞くことになる。 「ウラは理屈こきやで」というTさんの話。 庭師が集って一個の石の伏せ方について議論した。 結論が出ないのでその石を転がして止まった姿勢で伏せることにしたと言う。 たわいもない話だがTさんはこの話から石の伏せ方、 組み方は自然の姿でなければならないと主張する。 石組みは植栽や構造物と共に日本庭園の重要な要素である。 従って造園に当たって石組みをどう自然に見せるかが庭師の腕の見せ所と話は尽きない。 とにかく自然を強調する。 自然は庭の手本だという。 例えば玉石や梅の木が山にあるのはおかしいとか、 等間隔で並べたような石の配置、 植栽。 植え込みの向き、 などなど人様の庭を見ては痛烈に批判して置いて「人はそれぞれ思うところがあるんやさけ、 自分で楽しむのにどんなやり方でもいいんやけどの」ともいう。
 Tさんの話を聞いていると庭も良いなあと思う。 高齢者が多くなったせいか、 秋の紅葉を見に行く紅葉狩り、 初夏の森林浴など野山を散策する人も多い。 自然の美しさに感動して、 絵に描き、 詩を読みながら今日の健康を感謝して心の安らぎを覚える。 この自然を自分の庭に取り込む今時に言えば贅沢な趣味だ。
 日本庭園は時間が経つにつれてよくなると言われる。 樹木は大きくなり石には苔が生えてくる。 Tさんの庭も梅は梅、 松は松、 モミジはモミジと自分の存在を強調しながらバランスよく四季折々の風情か出れば申し分ない。 早春の庭には次の漢詩がよく似合う。

  寒  梅
   新島 襄

庭上一寒梅
  笑侵風雪開
不争又不力
自占百花魁

    庭上の一寒梅
  笑って風雪を侵(おか)して開く
  争わず又力(つと)めず
  自(おのず)から百花の魁(さきがけ)を占(し)む

「家庭」というものはどういうものかと聞かれたことがある。 返事に戸惑っていると「庭のある家の事を言うんや」と言う。 この庭師の言葉が最近気になるのである。 そろそろ新芽がでたと電話がかかるころだ。

農業者にとって情報が糧


福井市 義 元 孝 司


 今年三月、 つくば市で開かれた農業情報利用研究会のセミナーに参加した。 先年開かれた農業情報利用研究会主催の大宮全国大会にも参加したので二回目ということになる。  農業情報利用研究会は、 農業者、 研究者、 メーカーが協力して情報をより得やすく、 より利用しやすい環境をつくろうと設立されたものである。 名称からするとこの研究会はなんとも難しいことを議論するのかと思って参加したのが、 私の思惑はことごとく外れてしまった。
 セミナーで発表される内容は、 農業者や農家がよりよい環境で栽培や販売が出来るようにと様々な創意工夫が施されている。 その一例を紹介すると、 北海道でドライフラワーの制作販売するT氏の発表はとても新鮮でインパクトの強いものであった。 農業者、 農家のホームページは毎日新しい方が良い。 アクセスのあった消費者には一時間以内にメールを送る。 そのビジネスのあり方は生産者と消費者がリアルタイムでやりとりが出来る新しい形態のコミュニケーションといえよう。
(次回に続く)

高齢社会としての農村を誰がどう支えるのか


福井市 屋 敷 紘 美


一、 制度発足の背景
 この四月一日から 「介護保険法」 が施行され、 二十一世紀の超高齢社会を支える基本的構造は出来たといえる。 この制度運営に必要な経費四兆三千億円の内、 国が二五%、 都道府県、 市町村がそれぞれ一二. 五%、 四〇歳以上の国民負担が五〇%である。 高齢の国民はそれ以外に利用者負担を五千億円負担することになる。 第一号被保険者である六五歳以上の高齢者は乏しい年金生活上、 大きな出費を強いられることになる。 年金制度が次第に先細りしていく将来、 果たして高齢者はこの負担に耐え切れるのか、 はなはだ疑問視される中での、 不安な制度の出発である。
 国や県・市は六百兆円という膨大な借金を抱えて、 財政の硬直化、 収支のアンバランスは目を覆うばかりである。 もはや政府、 自治体に福祉を丸抱えする力は残っていない。 むしろますます国民負担を増大させる方向にシフトされるだろう。 財政再建の切り札として、 おそらく、 将来消費税の大幅なアップは避けられないだろう。 何故なら、 少子化や経済のグローバル化、企業間競争の激化は確実に政府、 地方自治体の所得税・法人税といった税収を減少させている。 税の財源を国民に広く薄く負担させる消費税に頼らざるを得ない所以である。 年金、 医療、 福祉を消費税でという考えが一部で主張されているが、 その場合消費税率は二六%になると試算されている。 この負担は当然高齢者にも平等にかかってくるわけだから、 彼らの年金はますます目減りすことになる。

〈高齢者のおかれた状況〉

 母のため、
 いいえ、 私のために
 早くお迎えがきて欲しいと
 祈った一瞬があった
 母が死んだ日
 祈りが神に届いてしまった ことを
悔やんだ
 ………
 実母を八年近く介護した詩人、 国兼由美子の 「あの一瞬」 という詩の一節である (二〇〇〇年三月二〇日付け朝日新聞)。
 詩人の悔恨は肉親を介護した経験のある人たちに共通するものであろう。 親孝行とか肉親の情愛といった域を超えて、 時には殺意さえ起こるような人間関係をつくってしまうのが介護の現実である。
 少し資料は古いが、 一九九二年の 「高齢者処遇研究会」 の高齢者虐待に関する報告書によると、 同居の嫁によるそれは、 介護放棄、 怠慢が半数、 息子・娘・配偶者の場合は直接的な暴力が多いという。 政治家がいう 「日本の家庭の美風」 と称揚するにはあまりに も過酷な現実である。 (以下次号)

インタビュー
考えるよりまず行動の片岡仁彦氏 頑張る女将さん


案山子


今回、 福井市江守中町で農業をやっておられる片岡仁彦さんのお宅におじゃまして、 サラリーマンから農業へ転身した動機や農業に対する思い、 夢などを語ってもらいました。

▼就農して今年で何年目になりますか。
 平成七年に就農しましたから、 今年で六年目になります。
▼就農する以前はどんなことをしていたんですか。
 最初はJA福井市に勤めていました。 当時はバブルの全盛期ということもあって、 夜は農家宅へ販売推進にまわっていました。 実績を上げるために自腹を切っている人もたくさんいて、 そんな仕事に疑問を感じてで辞めました。 その後自動車会社でフロントや整備に7年ほど勤め、 もともと機械が好きなこともあって、 メカを覚えたんです。
▼それで就農したきっかけとなったのは。
 ちょうどそのとき細川首相のミニマムアクセスの発表があって、 水稲をやめる人が増えるんではないかと思ったことと、 このままサラリーマンを続けていくことに漠然とした疑問もあったんです。 うちも兼業農家で農業が好きだった事もあって、 会社を辞めることを決心したんです。
▼でも専業で農業をやるにはそのベースとなるものがなかったんですよね。
 そのとおりです。 でもどっちつかずというのはいやだったんです。 やるならやる、 やらないならやらないという考えだったんです。 そのころ県庁のTさんを良く知っていたので、 専業でやっておられるAさんやNさんを紹介していただいて、 いろいろ話を聞いたわけです。 そんな中で、 出来るんじゃないかという気持ちになって、 まず行動を起こしてみようということになったわけです。
 ただ、 最初から投資するということはなかったんです。 集落に生産組合があったので、 その機械を使うことができたんです。 当時は生産組合の仕事もあったし、 女房も働いていたので結構収入もあったんです。
▼実際に始めてみて苦しかったこと、 楽しかったことなどありましたら聞かせて下さい。
 やっぱり一から十までみんな自分でやるということで体力的には疲れますよね。 それと、 手を挙げてもなかなか土地が集まらない、 今でもそうですけれども、 特に水田は集まらないというのがありました。 この時は精神面で苦しかったですね。 生産組合の機械を使っているだけで自分が投資した機械を持っていなかったということもあり、 なかなか相手にわかってもらえず、 まかせてもらえなかったんです。 機械投資が先か、 土地を集めるのが先か、 いろんな人に話を聞いてずいぶん考えました。
▼生産組合のオペから始まり、 紆余曲折があったと思いますが、 現在はどのような経営状況でしょうか。
 水稲はまだ増えてませんけど、 現在四ヘクタールくらいです。 部分請負は代かき三〜四ヘクタール、 収穫二ヘクタール位です。 それに生産組合のオペレータもやっています。 転作大豆は昨年四集落から二〇ヘクタールほど受けていたのですが、 土地条件も悪いところもあり、 そういうところでの大豆栽培はむずかしいですね。
▼丘陵地で畑作をやっていると聞きましたけれども、 そちらの方はどうなっていますか。
 正式に借りているのは六反ほどしかありません。 友人の専業農家Sさんの畑も入れて三.三ヘクタールで馬鈴薯を作っています。 これはSさんの夏作ブロッコリーを作る前に連作防止としての効果も見込んでやっているんです。
▼福井でこれだけ大面積でジャガイモというと珍しいと思うんですが。
 これはカルビーポテトとの契約栽培みたいなものです。 カルビーの人に去年来てもらって、 土がいいんで太鼓判を押していったんです。 販売もカルビーに引き取ってもらうということになっています。 また疫病が心配なんですけれども、 岐阜県の海津町の友人から、 使わなくなったブームスプレヤを借りてきてやろうと思っています。
▼岐阜県からですか。 ずいぶんネットワークが広いんですね。
 播種機も北海道から直接取り寄せたんですよ。 これからは電話一本でいろんな事を相談できるネットワークを作っておかなきゃいかんと思いますね。 土地柄が違うと播種する時期も違うんで、 機械を融通しあえるんです。 そういう友達というのはお金で買えないというものがあります。 こういうネットワークを持っていると安いものが買えるんです。 畑用のトラクターも茨城で買ったんです。 メンテナンスもある程度自分で出来るというのも強みかなと思っています。 ▼カルビーポテトについてもう少し教えて下さい。
 カルビーはポテトチップの原料を国内産で賄っているんです。 北海道と九州に大きな産地があるんですけども、 この産地の動向によって生産量が大きく変わってしまうという弱点があり、 昨年は九州産のジャガイモが悪く、 カルビーポテトチップの中身を減らしたという苦い経験もあるんです。 そんなこともあって、 本州の真ん中あたりでも栽培し、 全体として原料供給のリスクを減少させようとしているんです。 うちでのジャガイモの栽培もその一環なんです。
▼昨年ニンジンも栽培されたと聞きましたが。
 試験的に六反作ってみたんですけれども、 物としてはそれほど手をかけずに出来ますし、 いいんじゃないかなと思います。 しかし問題は収穫ですね。 すごい手間がかかってしまったんです。 野菜は収穫に手間がかかるということは分かってはいたんですけれども、 雪と雨が降って一本一本手で引き抜いて土を取り除くということをして、 一反半しか収穫できなかったんです。 あとは処分してしまいました。
▼収穫の時の手間さえあればできるということですか。
 それと品種ですね。 ユーザーが欲している物を供給できればいいんじゃないかと思います。
例えば、 βリッチというβカロチンが豊富なニンジンがいま売れ筋で、 栽培方法はこれまでの物と違うんだけども、 こういう物を作っていく必要があるように思います。
 将来はジャガイモ、 ニンジンにタマネギを加え、 カレーの具が生産できればと思っています。 (笑)
▼販売面はどう考えていますか。
 人によっては自分で選別して高く出荷した方がいいんじゃないかという人もいるんですけれども、 自分一人の経営の中で、 そこまで手間ひまかけてやるつもりはないですね。 選別までやろうと思うと、 それなりの施設も必要ですし、 人も雇わなければいけないですよね。 そこでコストがかかる訳です。 そうして高く売るより、 選別はその道の専門家に任せて、 自分は品質のいいものをそれなりの価格で供給することに徹していきたいと思っています。 朝の早くから夜の遅くまで働こうとは思っていません。 あんまりあくせく働いている割には収入が少なく、 農業に魅力がなくなって誰も農業を継がなくなるんではないかと思っています。 餅は餅屋に任せればいいんですよ。
▼お話を伺っていると一〇年、 二〇年先の農業みたいですね。  そう、 余裕を持って仕事をやりたいですね。 例えば三ヘクタールのジャガイモの播種にしても、 一〇時頃出かけていって途中昼飯を食べて、 大型機械を使って1人で早めに終えて帰ってくる。 一日だけアルバイトを頼みましたが、 三ヘクタール余りを四日で終えることが出来るんです。
▼他の作物との組み合わせは経営の中でうまくいっているんですか。
 忙しいときには一人か二人の雇用も入れますが、 基本は機械を使って1人でやってます。 大豆をメインに水稲、 ジャガイモとやっていますし、 生産組合のオペレータや、 他の法人から応援を頼まれれば、 手伝いにいくこともあります。 今のところはそんな感じでやっています。
▼経営方針のような物を教えていただけませんか。
 いいものをそれなりの価格で大量に供給したい。 いいものであっても少しだけではでは全然儲かりませんからね。 (笑) それと大型機械を駆使して適期に播種とか移植、 収穫をできるようにしたいですね。
 それから低コストも大事なことだと思っています。 必要最小限の雇用は入れますが、 極力一人を心がけています。 でも志が同じであれば共にやっていくことも考えたいと思っています。
▼これからの経営規模は。
 水稲はこんなもんでしょうね。 丘陵地の農地がでてくれば二〇〜三〇ヘクタールやりたいですね。 できれば一〇〇ヘクタールということもありますかね。
 丘陵地へ行けばわかるんですけれども、 おんちゃん、 おばちゃんしかいない。 作る人がいないんですね。 それも小さいトラクターでやっている。 あと五年もすればこういった人が出来なくなってくると思うんです。 そういった中で農地を借りていきたい。  丘陵地は小高いところから海が見えてすごく景色がいいんです。 それに酪農もありますし、 そういうところで観光農園みたいなことを県や市町村とも一緒に出来たらいいなと思っています。 それで土地の人も喜びますし、 地域の評価も上がる。 そういったことのお手伝いができればいいなと思っています。
▼大きい夢ですね。 ぜひ実現して欲しいと思います。 でも片岡さん一人ではできないと思いますので、 後輩といいますかこれから続く若い人に対して何かアドバイスがありますか。
 大事なのは、 一人で悩まないということですね。 友達をたくさん作る。 地域だけでなく日本全国に。 一言声をかければ 「おうわかった」 と言ってもらえるような感じの人を作っておくのが一番ですね。 いろんなやり方があってもいいんでしょうけれども、 それが一番の宝だと思います。 ▼まさに片岡さんが実践されていることですね。
 考えるよりもまず行動ですね。 それと現場主義ですね。 やってみないとわからんことがいっぱいあるんで、 現場を見なきゃダメです。 いろんなことを先進的にやっている所が日本各地にありますからね。 本やパンフレットの知識だけでなく、 やっぱ行って見てこなきゃだめですね。 そうしないとそこの空気は全然わからない。 金が無いから行かれんとか、 暇がないから行かれんでは一生行かれんですね。 朝起きて、 行ってこようかなと思ったときに行って来れるような環境に自分をしておくことも大事じゃないかな。 いつもいつも行ける訳じゃないけど、 そういう環境にしておくことが必要だと思います。 いろんな所、 日本だけでなく世界中だと思いますね。 まだ世界の友達は知りませんけど。 それと行ったら聞いてくる、 一緒に酒呑んでくる。 これも大事なことです。

 どうもありがとうございました。

梨を食して


福井市 岡 田 肇


八月も下旬になると農家の私は、 もう直ぐ大根播の季節だ と畑のことが気にかかり出す。 二十年も前までは大根と言えば八月の終わりか九月の初めに蒔いて、 十一月下旬又は十二月初めに収穫し寒い冬のオデンの主役だった。 すじ肉・ガンモドキ・コンニャク・一杯のコップ酒がこたえられない風情だった。 いつの間にやら大根は一年中それこそ冬の最中でもハウス栽培で作られるようになり、 大根ばかりでないすべての野菜が高度の技術によって年中作られて季節感が無い。 わずかに果実類だけは季節感を保っているラヂオで幸水梨の取り入れで多忙だと報ぜられていた。 我が家でも食卓供せられて舌鼓を打った。 しかし暮れのカイガラムシの予防、 四月ごろ新稍の出る頃害虫や雑菌駆除に農薬の散布、 今はロボット的無人機で作業をする。 花が終わり結実すると又薬、 袋掛けが終了すると最後の農薬防除だ。 斉衡で瑞々しい梨だが、 生産者の苦労も然る事乍ら薬のことが少し頭の隅を過る。 野菜も店頭のものはほとんどが温室物と輸入品である。 二重のカーテンをして日光や日照をコントロールし、 水は井戸を掘り地下水を汲み肥料も農薬も自動的に電子機器により施肥生産されている。 おまけに最近では遺伝子組み換え作物までが多く出回っている。 今後はどのようになるのだろう。 温室内では技術が進み農家の人は薬害を受けないように設備され、 市場を睨みながら収穫出荷を考慮していれば良い。 又苗も苗生産者から買い入れする。 統一された良い品物のできる苗である。 一般の会社で作られている。 福井県でも日華化学が既に坂井町上兵庫で、 テクノロジーにより一枚の葉から何十本何百本もの同じ苗が作られている。 今はアメリカより組み替え食品、 主に大豆・トウモロコシ・小麦が入って来ている。 大豆は豆腐・納豆に小麦はパンやめん類として毎日食用にされており、 トウモロコシは家畜の飼料になっている。 組み替え食品の義務化で騒いでいるが大手会社では輸入食品から苗が作られて、 農家で作物が作られれば消費者は見分けられない。 判別は不可能と思う。
 多量の農薬や組み替え食品、 二〇五〇年頃には世界の人口が百億に近づき、 今生産されている全ての食品は六〇%に満たなくなるという。 地球環境の見直しが叫ばれている今日、 行政だけに頼らず一人一人が今から真剣に考えねばならない。
 今は無き東大の佐藤浩石先生は、 地球上の全ての生物は一度は爆発的に増えて後、 淘汰されることを繰り返していると言っている。 年寄りの世迷信か。

酪農と人工授精放談


福井市 名 津 井 萬


 私は稲作と酪農を経営している。 酪農の成功の鍵は一年一産の繁殖技術にある。
 現在乳牛の繁殖は人工授精であって精液は凍結され、 マイナス一九二度の液体窒素で半永久保管していて、 受精の時に三八度の温湯で急速融解して乳牛の発情日に子宮内へ注入する。
 受精技術は直腸法で、 直腸内の宿糞を手で取り出し、 子宮頸管を握り、 一方の手で膣内へ精液注入器を挿入し先端を誘導して子宮内に精液を注入する。 この場合出来るだけ早く子宮内に精液を注入する事が、 大きな技術のポイントである。
 現在、 科学技術の進歩で受精卵移植が実施され、 また同じ遺伝子をもつクローン牛まで生産されている。 国会ではクローン人間の禁止法案が上程されている。
 畜産は生命工学の最先端を歩んでいる。
(一)
 先日、 乳牛の繁殖技術研修会が群馬県で開催され出席した。 新技術が発表され、 早速、 私もその技術を取り入れている。 研修会の後、 懇親会が催され私は講師の先生の隣席となり、 酒が進むにつれて話がはずみ、 クローン牛の話になり、 世界のどこかでクローン人間の実験がされているのではないかとの話しが出た。 中国ではクローン人間の実験を途中まで成功したと言う。 そこで私は先生に「自分の奥さんの体細胞よりクローン人間を作り、 同棲しても不倫にならないかも知れませんね」と言ったら、 先生も「我々も大学の教室で同じ事を話題にして酒の肴にしていましたよ。 」と言ってお互い大笑いした。
 先生の素晴らしい頭脳も、 私のボンクラ頭もどこかで男の共通点があるものだわい。
(二)
 私と同じ酪農家で人工授精師でもあるN君は私に「名津井、 町のスナックや飲屋で話題豊富に女の子を引きつけるコツはなア、 ウラもお前も、 お互い牛飼いで人工授精師だが、 これを活かすべきである。 それには間違っても酪農と言う言葉は絶対使うなよ。 まず、 ウラは牧場経営者であると言う事だ。 大概の女の子は目を丸くして「まあー素敵ッ」と来るはずだ。 アメリカなどでは牧場主は大富豪か有名人である。 そして、 おもむろに人工授精の話しを始めると、 一時間・二時間はアッと言う間だ。 そしてホドホドに切り上げると女の子は「今度その話しの続きをお願いッ」と来るハズだ。 」と言う。 間違いはなかった。
 自分に与えらている天下の特技は大いに活かすべきだとN君は言う。
 実際は朝夕、 牛の糞にまみれ、 牛に蹴りとばされ、 汗をタラタラ流して、 ラジオから流れる演歌に合せて口ずさんでいる農牧夫だがね。
(三)
 Y大学農学部獣医科のH・E子さんは現在四回生である。 一回生の時の春休みから毎年、 春夏の休みに約一ヶ月ほど朝二時間ほど酪農実習に来場してくれている。
 乳牛への給餌、 乾草運び、 糞落し、 牛舎清掃など今では手なれたものである。
 昨夏は乳牛の搾乳を教えた。 搾乳の基本である手搾りを実習してもらった。 まず乳頭の根元を人差指と親指ではさむ様に握り、 少ししめて次に中指・薬指・小指と順番に搾りおろしていく事を、 まず私が手本を示した。 次にE子さんに搾ってもらったが乳が出ない。 そこで私は少しためらったが直接手を取って教えた。 二十歳のE子さんのすらりとのびた指と真白い軟らかい手に、 私の芋虫の様なゴツゴツ、 ガサガサの手をそえて搾り方を教えた。 これは私の役得である。 今では見事に搾りこなしている。
(四)
 今春は乳牛への人工受精の基本技術を教えた。 まず私の直腸法による受精技術を見学してもらった。 次に実習である。 直腸法を教えた。 直腸に直接手を入れて宿糞を取り出し、 子宮 管、 子宮体、 子宮角、 卵巣を直腸から指で触診する方法である。 口頭で何度か感覚を教えた。 早速、 直検手袋をはめて乳牛の尻から直腸に手を入れて実習してもらったが、 「何が何んだか、 さっぱり分から無い」と言う。 色々と考えた末に、 E子さんの手にそえて直腸内に私の手も入れて教える事だと思いついた。 牛の尻から直腸にE子さんの右腕が約五十センチほど入っている。 私も右手を入れるとE子さんの背にピッタリと張りついてしまう。 これは倫理上問題である。 それでも私は左手を入れる事にした。 お互い背中合せとなる。 牛は尻から直腸に二本も腕が入っているので「モウッ、 やめてくれ」と鳴く。 私の農作業で鍛えた丸太棒の様な腕を入れてE子さんの手指を誘導して、 まず最初に子宮角を探り当てた。 E子さんは「分かったわ、 言っている通りだね」と声をはずませて言った。
 後は簡単に子宮体、 子宮頸管、 頸口を教える事が出来た。
 E子さんは未知の世界を知り探り当てる事が出来て、 「分かったわ、 ありがとう。 ありがとう。 」と喜びと嬉しさに満々していた。
 私も少しは極楽の道へ進めるかなあ、 それとも、 やっぱり地獄の道へ真っ逆さまかな。

編集後記



 石原都知事の 「三国人」 発言が波紋を呼んでいます。 政治家であると同時に芥川賞作家でもある人の発言とは思えない粗雑な歴史、 現状認識と差別意識には言葉もありません。
 しかし、 このアジア地域の人々に対する差別意識は一人石原氏だけではないと思います。 僕も子供の時から、 近くに住む韓国・朝鮮人に対する差別を目にしてきましたし、 自分もその差別する側にいたことを認めないわけにはいきません。 農村での (多分、 農村だけではないのでしょうが) 日常会話の中で、 ドキッとするような差別語が飛び交うのに出会ったりします。 とくに、 被差別部落や国・朝鮮人に対するそれは地域やそこに住む人々に根強く、 陰湿に残っています。 石原氏はただ彼の政治的信条もあって表面に出しただけかも知れません。 僕たちは、 あらためて自分の心の真底にある 「内なる差別」 を正視しなければならない−今回の問題の教訓はここにあると思います。 先日、 村の総意に従わない人に対する 「村八分」 が裁判で争われ、 原告 (「村八分」 を受けた側) が敗訴したようですが、 事情はどうあれ、 異分子を排除するというシステムは時代錯誤でしょう。 日本全体でも、 農村でも従来から住んでいる人だけでなく、 「他民族」、 「都市住民」 との混住が一般化した現代では彼らと 「共生」 する道を見つけ出さなければなりません。 「共生」 とは相手の痛みを分かち合うこと!

(屋敷紘美)


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