好天に恵まれて、 今年もあぜみち収穫祭は盛大だった。
受け付けで名前を記入された方の数が約千人。
カンパを頂いた方に渡した、 持ち帰りお土産用のビニール袋の数も千三百枚を使い切ったという。
今年は、 ごぽうの掘り取り体験、 つまみ菜の収穫などもあって好評だった。
遠く、 兵庫県尼崎市から、 来られた石川さんに
「高速インターからのアクセスが解らなくて道に迷いました」
と言われて、 私どもの案内の不手際を知った次第です。
毎年催っている生まれて数日の子乳牛に触れるコーナも人気があった。
海外協力隊の活動写真展示の隣で笹原さんの俳画コーナーを見入る人から
「このすばらしい絵あとで分けて貰えない!」
といわれた。
手打ちそばコーナーの前にもひっきりなしに人垣が出来ていた。
そば打ち匠に例年の前田さんと、 今年は樅山さんにもお願いをしたけれど、
てんてこまいの様子でした。
ここで樅山さんにこだわりのそぱ談議を聞いた。
そばの収穫を完熟の一週間ほど早めにすることによって完熟そば粉と比べて収量は落ちるが、
そば粉にうっすらと青みが残って風味が増すのだという。
少し青みを残すことにこだわりを持っておられるのだ。
ちなみに米編に青と書いて 「精」 という字になる。
米に白は 「粕」 となる。 なるほどと首肯く点がある。
農業の現場だって青年が少し交じっている方が
「精」 がある証拠かもしれない。
しかも、 今年の収穫祭の大きな特徴は 「農園たや」
の周りのスタッフには農場主の人柄に魅せられてか元気あふれる若い人が一杯だったことである。
汗を流して杵餅つきをしていた青年部の人たちも、
会場で体操を披露してくれた女性達もみんなそうである。
野菜汁が入ったカクテルを用意してくれた人の蝶ネクタイも、
サマになっていた。
「遊YOU」 がテーマのこの収穫祭が多くの人の力で成功に終わったことが嬉しい。
また、 来年も元気にて収穫祭で逢いましょう
中川賞授賞審査報告
審査委員長 菊沢正裕
勝山市の伊藤直史氏が第二回中川賞を受賞されました。
おめでとうございます。 応募は第一回の二件に続いて一件と寂しいものでした。
一件だから誰でもということは決してなく、 賞を設置した当初から授賞レベルに達しない場合は賞金を積み立てていくことにしています。
今回、 論文の段階では賞に手が届かないと判断した委員もいましたが、
現地審査を行い、 お話を伺う中で論文がほんの入り口しか語っていないことに気がつきました。
伊藤氏は、 条件不利地のため過疎化の波にのまれつつある山間地を選び、
山間地の特性を生かした農業、 山間地で生計を立てる方法を模索してこられたようです。
養鶏業者のいない北谷町で、 鶏の種類を変え、
餌を工夫する毎日。 養鶏の知識は養鶏屋さんからだけでなく、
関連業者や専門家からむさぼるように学んだと言います。
養鶏を始めて三年目に伝染病が発生し経営が破綻する状況に追い込まれた二年間。
これを乗り越えたときに、 養鶏をやることの喜びと将来への自信ができたそうです。
伊藤氏の経営目標は、 ブロイラー卵ではなく高品質な有精卵を提供すること、
もうけ主義に走らず自分の力量に応じた規模で経営すること、
平飼と国内産の餌で育てた健康な鶏の卵を作ること、
だそうです。 また、 有機にこだわるが有機だけで農業や地域が存在することはできないので両者の共存共生が大切であり、
また地域を生かし自分を生かすということが自分の信条であると繰り返し話していました。
最近の日本人や兼業農家がともすれば忘れがちな生き様を教えてくれました。
さらに伊藤氏は、 ローテーションによる空鶏舎にEM菌をいれて有機肥料をつくり、
できた有機肥料を無料で生産者に譲っていました。
そのことが、 北谷町だけに留まらず多くの生産者との交流を深めていきつつあるようでした。
卵を買いにきてくれた顧客には自家製のプリンをごちそうしてきたそうですが、
最近は卵を使った料理を習いにいき、 それを顧客に振舞ったりレシピをつけて卵を売る、
といった消費者との交流を考えた工夫をされています。
これらはまさしく農業の原点であり、 山間地農業の明るい未来を示唆するものだというのが審査員みんなの一致した感想であり、
授賞の理由です。 今後益々のご活躍とご発展をお祈りいたします。
最後に、 中川賞は、 大々的にPRすることなく、
収穫祭や口コミを通じてじわじわと広がってほしいと中川清氏はじめ審査員一同は思っています。
第三回審査からは、 文章の苦手な人にも応募していただけるよう調査票形式も可としました。
現地審査を重視しますので奮ってご応募ください。
応募期間は五月から八月です。
私の農業紹介
伊藤直史
●就農の動機
平成二年春、 ここ勝山市北谷町木根橋に引越。
同年秋にログハウスが完成。 数十坪の休耕田を耕し、
素人の野菜づくりと村付き合いの田舎暮らしが始まった。
村での暮らしが現実となったが、 充実感はなかった。
平成四年、 和泉村の平飼い養鶏を見学し、 鶏の力強さとのどかな風景に感動した。
これなら自分でも、 とその後に起こる困難を想像することもなく平成五年春に就農した。
●現在の経営状況
採卵鶏 メス三四〇羽
オス二十羽
野菜 面積約十アール
約二十品目
各品目のお客様
卵 約七十カ所
野菜 八カ所
●将来の経営方針
採卵鶏 メス四四〇羽
オス三十羽
野菜 面積約十アール
品目数を増やす。
昨秋より口コミや情報誌などのお陰でお客様も増え、
現状の羽数では対応できなくなり増羽する。 飼料にも気を配りよい生育環境を実現しながら安定した卵販売を行う。
お菓子づくりも少しはできればと思う。
木根橋という地区では、 耕作の原点ともいえる
「畑に草を食わす」 (草マルチ) 慣習が続いている。
それを見ていると、 少しは昔のものを作って今風の食生活に取り入れることができないかと思う。
多くの伝統野菜とともに、 この地域に伝わるエゴマなども栽培していきたい。
山間地でしかできないことをやろうと思う。
勝山市北谷町木根橋六三-三二-一
電話〇七七九−八三−一二〇五
伊藤直史 (四十一才)
いただきます 「あぜみち中川賞」
伊 藤 直 史
たった一人の応募だった今年の 「あぜみち中川賞」。
受賞の知らせを受けたとき、 嬉しい気持ちと寂しい気持ちが交錯していました。
来年は、 若手農業者や小さな農家の人など多くの方が応募し、
自分の仕事に対する考え方や夢を綴ってほしいと思います。
たまには自分の仕事や生き方を見つめ人々に評価していただくことが大切なのではないでしょうか。
私があぜみち中川賞に応募したのは、 第一に極小規模の百姓を始めて数年がむしゃらにやってきた私なりの生き方や仕事の進め方を多くの先輩に評価していただきたかった、
第二に中川さんをはじめ、 あぜみちの会の方々の農業者を育成したいという誠意に応えたかった、
そして賞金であります (本当はこれが第一かもしれません)。
応募論文を書こうと思ってから現地審査までの間
「数年を経て得た今の自分自身の営み」 について何度も振り返り考えました。
養鶏と野菜づくりを始めた頃、 安全な産物を作りたい、
できるだけ少ない経費とエネルギー消費で所得を上げ生活を成り立たせたいと、
今では本当に甘い素人考えだったとの思いで一杯です。
世の中に大規模養鶏業者がいるからこそ、 社会システムのなかで私のように理想を追いながら年二百羽・月飼料二トンといった小規模経営も機能するのだと思います。
野菜づくりも同様で、 種子や資材が大規模に供給される仕組みがあればこそ、
少量多品目の野菜づくりも可能なのでしょう。
大量の米や穀物生産があればこそ、 ニワトリさんの世話もできる。
自分一人だけで経営できるわけじゃない、 と思うようになりました。
受賞をあり難く受け止め、 経営内容を充実するよう努力を続けたいと思います。
受賞を機に先輩農家との交流を広げ、 お知恵をいただきながら山間地の小さなお百姓を続けて参りたいと思います。
見捨てちゃいけない
小規模農家
つぶしちゃいけない
大規模経営
本当に、 ごちそうさまでした、 「あぜみち中川賞」。
今年のあぜみち中川賞募集のお知らせ
今年から調査票形式の応募もできるようになりました。
男性、 女性を問いません。 どしどし応募してください。
(調査票形式の様式)(A4縦長横書き) あぜみち中川賞応募用紙 氏名○○○○ 年齢○○歳 住所○○○○○ 電話番号○○○ 1.農業をはじめた動機 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2.現在の経営状況 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3.これからの夢、将来の方向など ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4.自由記入欄 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (あなたの思いや、上記項目についての 補足などを自由に書いて下さい) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
●応募資格:福井県在住の農業者(個人)で五〇歳未満の方
●応募方法:調査票形式による応募と論文形式の応募が選べます。
どちらも応募者本人が書いてください。
〔調査表形式〕左に示した 応募用紙に準じて、 就農動機、 経営状況、
今後の夢についてA4縦の用紙で応募してください。
〔論文形式〕 あなたの夢とその思いを四〇〇〇字程度で原稿用紙につづって下さい。
●原稿受付期間:五月一日から八月三十一日まで。
提出先:九一八―〇八〇三 福井市高柳町三―八 あぜみちの会 事務局 安実正嗣まで
●選考・審査・発表
調査票および論文の内容を参考に、 対面による調査を行い、
特に今後の発展が期待できる方1名を選考します。
●問い合わせ先
安実正嗣 (電話〇七七六―五四―七五六五、 ファックス五四―八〇七五)
前川英範 (電話〇九〇四三二七一三五四)
2000年最後に読んだ本
名津井 萬
十二月の中頃の夜、 炬燵でぼんやりしていた時、
何か本を読みたくなったので、 近くの書店に出かけた。
ぶらりと歩いている時 「韓国は日本に見習え」(文芸春秋発行)
という本が目についた。 パラバラめくって立ち読みして、
この本は是非読んでみたいと買った。
著者は李銅君といわれ、 韓国の超エリート官僚で、
日本のアジア経済研究所へ行けと言われたが、
米国へは行きたいが、 日本へ行く気はなく論外であった。
だが二人の先輩から日本行きをすすめられ、 いつの間にか二本へ行く事になってしまった。
しかし今思えば、 日本へ導いてくれた運命の女神に感謝したいと記している。
全部で八章に分け八十九編が記してあり、 二百五頁の本である。
著者は三ケ年間で日本社会を研究するため、
一日一日を日本を解剖する気持ちで過ごしたそうで、
その過程で日本の素晴らしさを知り愕然としたと言う。
韓国は祖先が日本に文化を伝授したという優越感にとらわれ、
日本を敵対心いっぱいで見て、 日本を知ろうとしない韓国は永遠に日本に追いつく事は出来ないと悟ったという。
冷静に考えれば、 憎悪や嫉妬は弱い者の自慰行為にすぎないとも記している。
その中で、 日本の長所は韓国の短所であり、
韓国の長所は日本の短所である。 しかし、 今韓国の長所はいらない。
ただほしいのは日本の長所であると記している。
一編一編を読みながら 「アッそうか。」 と日本の長所に気付く事が何編もあった。
中には少々あまく点数をつけてもらっているかなあと思うのもあったが、
現在の韓国の風土、 政治、 経済情勢から見て、
よくもこれだけ祖国の愛国の韓国に対して思い切った言論を書かれたものだと感嘆する。
著者は祖国韓国を愛するが故に、 韓国、 韓国人の可能性に確固たる自信があるからこそ書いたと言っている。
私はこの本を読みながら、 この良き日本の風土、
風習が少しずつ崩れようとしている事に気がついた。
しかし今からでも遅くない。 日本の良さに気付いた者からぜひ心を構えたいと思う。
また著者の様に冷静に他国の良さを、 長所を学び取ることが大切だと気付いた。
十二月は農閑期とはいえ、 色々な雑用に追われて、
この本を一気に読めず、 食事の後三十分ほど、
トイレで少し、 夜一時間ほどと読んで、 読み終えたのは丁度十二月三十一日であった。
私にとって、 二〇〇〇年の最後に読み終える事の出来た素晴らしい本にめぐりあえた事に心から感謝している。
私は二〇〇一年の年賀状に 「新世紀八心時代」と墨書した。
九九〇〇〇一(私の二〇世紀)
福井市 細川嘉徳
今年は西暦二千元年。 人類史上千年に一回の素晴らしい節目の年を家族全員健康で迎えることが出来た。
毎年の事ながらコタツに入って年賀状を見るのは楽しいものだ。
今年の年賀状は家族の写真が入ったりして、 パソコンで作ったものが半分以上になっている。
孫たちのイラストが良く出来ていて、 とてもじいちゃんのセンスでは及ばない。
年賀状も時代とともに変わって来た感がする。
今年はどんな年になるだろうか。 誰も先のことは解らないが、
直近の過去を見るとほぼ近未来は良くなるか悪くなるかは解るという。
昨年は世紀末を象徴する様な現象があまりにも多すぎた。
火山の噴火が相次ぎ、 地震の多発し集中豪雨による大洪水、
少年による凶悪犯罪等々、 まさにこの世の終わりを思わせる出来事が多すぎた。
さて二十世紀の三分の二を生きてきた者にとって、
この時代は物心ともに変化が激しくまさに革命の連続であった。
まず昭和十六年国民学校と同時に第二次大戦が勃発、
昭和十九年福井大空襲、 二十年原子爆弾で終戦、
更にこれに追い打ちをかけて昭和二十三年福井地震、
水害と、 軍国主義から民主主義へと価値観の大きく変わる中、
少年時代の八年の間に、 集中してこれらの災害・異変が次々と容赦なく襲いかかって来た。
それを境にして世の中すべてのものが変わった。
この目で夢を見てきたようなものだ。
昭和二十八年福井復興博覧会で初めてテレビを見、
世界万国博覧会、 東京オリンピックの開催。 その間、
自動車の普及、 テレビ、 蔵庫、 洗濯機、 耕運機、
トラクター、 コンバイン等々、 そして上下水道の普及、
新幹線、 高速道路の整備などで世の中は一変し、
昔の面影は何処へ行っても見あたらない。 総てがこの五十年ほどの前には無かった物ばかりである。
この間、 食うや食わずでひたすら我が家の復興に励んだ親たち、
そしてその息子たちは豊かさを求めて、 エコノミックアニマルとまで言われる程働き高度経済成長を果たした。
その結果バブルの崩壊。 高度経済成長の功罪が問われて久しい中で、
今度はパソコン、 携帯電話の普及で高度情報化社会となり、
更にIT革命で生活が変わろうとしている。 確かに世の中は便利になった。
今年の年賀状はどれもきれいで明るい。 パソコンを使い慣れたせいかも知れないが、
その片隅に手書きのメッセージが一言あるのは嬉しい。
心が伝わってくる。 便利さは反面人々を忙しくしているようで、
文字を書く必要も少なくなってきた。 いま文房具屋で便箋はあまり売れないと言う。
電話の発達がその原因らしい。 総て電話で用事が足せる。
職場でも文字を書く必要は殆どなく、 数字を書けば大体の用は足せるし、
後はキーボードを叩けば仕事が出来る。 まして漢字等は殆ど使う必要がなく、
次第に漢字は古典扱いになる恐れは多分にあると言われている。
便利になった反面失われゆくものも多い。
いま二十世紀について色々言われているが、 戦争の時代を生きてきた者は少なくなって来ている。
その中の一人としてただ一つ胸を張って言えることは、
何もない時に多感な少年期を過ごし、 何事にも辛抱強く耐えて生きて来たということである。
そしてそれぞれの立場で現在の繁栄の基盤を作って来た。
この体験は何時でも語り継がなければならない。
ふくいの伝統野菜・るるぶ
福井市 義元孝司
「ふくいの伝統野菜・るるぶ」 をご存知ですか。
昨年より伝統野菜をキーワードに活動している会です。
昨年 「ふくいの伝統野菜」 という本を出版したのを機会に作られた会です。
福井にはいろんな伝統野菜があることはよく知られていません。
そこで、 長年この福井の地で守り育てられ、 食されてきた伝統野菜を掘り起こし、
野菜をキーワードに楽しもうという主旨で 「ふくいの伝統野菜・るるぶ」
ができました。
福井には有名なラッキョやサイトモの他に一地区で細々と作られてきたナスやカブラがたくさんあります。
それらを作る農業者を訪ねたり、 料理を楽しんだり、
会の活動は強制されることなく自由にされております。
この会に参加希望の方は次のところに連絡していただければ誰もが自由に参加することができます。
又、 ニュースレターを発行もしておりますのでお求め下さい。
資料の請求、 会のことについては、 ジェイエイプリント義元
(090−3887−4244) までどうぞ。
ファームビレッジ「さんさん」視察研修報告
上志比 前川英範
「ファーマーズマーケットをいっしょにつくりませんか!」
の呼びかけでスタートを切った 『ファームビレッジさんさん』。
この設立準備委員会が企画した視察研修に参加しました。
私自身は準備委員会とは直接関わり合いがなかったのですが、
一緒に行きませんかと声をかけていただいたこともあり、
同行させていただきました。
視察先は三カ所プラス一カ所。 新鮮農場 「おはよう君」
(愛知県大府市)、 アグリタウンげんきの郷 (愛知県大府市)、
ヘルシーママSUN 「グランメール」 (神戸市西区)、
モクモク手づくりファーム (三重県阿山町) です。
とは代表の方にお話を聞くことができました。
視察研修に参加したのは、 「さんさん」 の呼びかけ人を中心とした中川さん、
安実さんをはじめとする専業農家の方と、 宮川さん、
後藤さん、 屋敷さんなど私を含めて十一名でした。
新鮮農場 「おはよう君」
専業農家の方二十三名が出資してつくった有限会社で
「おはよう君」 という直売所を経営しています。
新鮮な朝採り野菜がウリで、 三十五坪のお店にイチゴ、
ダイコン、 イモ、 ブロッコリー、 ホウレンソウ、
卵などが所狭しと並べられています。 おじゃました日は今年最初の営業日ということで、
入り口でぜんざいがふるまわれていて、 イチゴのパックを六つも抱えてレジに並ぶ奥様方、
ハクサイ、 卵などをかごいっぱいに入れた年輩の方などけっこう多くの方が訪れていました。
直売所のとなりにはハウスがあってガーデニング苗などの園芸ものが売られていました。
その中で社長の浅田さんにお話を伺いました。
商品は出資した農家の方が毎朝持ち込み、 それぞれが決めた値段で売っています。
会社としては十五%の手数料が収入となり、 十名のパートさんの給料をまかなっています。
年間で十万人のお客さんが来られて、 昨年の売上は一億六千万円になったそうです。
平日に買いに来られる方は近くの四十歳以上の方が多く、
飲食店の方など固定客がかなりいて、 週末には三十歳代のファミリーの方も増えるようです。
お客さんの七割が午前中に集中していることと、
農家の方も売れ残りを出したくないという気持ちもあって、
午後には商品がかなりなくなるらしく、 社長さんがおっしゃるには慢性的欠品状態だということでした。
商品の品揃えについては、 露地ものの野菜が多く、
端境期には商品が少なくなってしまうので、 他県から仕入れをしているということでした。
それでも仕入れする商品は最大で全体の四割までと決めていて、
できるだけ地元の新鮮で安全な農産物を提供したいという思いが伝わってきます。
農産物にも出品基準があって、 農薬は最小限の使用とし、
年一回以上堆肥を施用して、 あとは有機質肥料を使うことだそうです。
お店の中にも農家のこだわりが伝わってくるメッセージや新聞記事が商品の近くに張られていました。
新鮮農場では生協への卸販売も行っていて、
生協からの注文を受けて農家に連絡し、 農家が運んでくれた農産物をまとめて生協へ持っていっているそうです。
また月に一度はイベントを企画していて、 二千三百人のお得意さまへ案内状や優待券を送っているそうです。
店舗の規模もそこそこでスーパーのような品揃えもないのに、
信頼して買ってくれるお客さんをつかんではなさない。
いろんな魅力がそこにあったのだと思いますが、
正直という姿勢がそのひとつであった気がします。
アグリタウンげんきの郷
新鮮農場の社長さんのお話の中で、 昨年の暮れに農協が三十億かけて建てた直売・加工・体験・温泉施設が近くにできたということを聞きました。
それほど遠くないということでしたので、 せっかくなので見るだけでも見ておこうということで、
寒空の下二十分歩いてそちらへ向かいました。
昼食もそこで、 というつもりでしたがレストランは人がいっぱいで電車の時間も気になっていたので、
直売所だけを二十分ほど見学することにしました。
直売所はスーパーマーケット程で天井の高い店舗に、
壁側に肉、 乳製品、 卵、 お米などが、 フロアーにはミカン、
イチゴ、 キーウィなどの果物や、 ハクサイ、 キャベツ、
ダイコン、 ジャガイモなどの野菜が、 平台の上に整然と並べられていました。
土曜日の昼ということもあってか、 夫婦、 ファミリーなどかなりのお客さんが入っていました。
「これ生産者の名前が書いてあるんやよ」、 「台湾のイモもおいてある。
これ粘りがあっておいしいんや」 といった会話が聞こえてきます。
かごにいっぱいの野菜、 肉、 米を詰めた人が三台のレジに並んでいました。
げんきの郷はなだらかな山の中にぽつんとあって、
目の前には愛知県の大きな健康施設もあり、 温泉やスポーツ、
ドライブのついでに立ち寄る、 そんな感じを受けました。
ヘルシーママSUN 「グランメール」
今回の視察先でもあり、 宿泊先となった所です。
名古屋から新幹線にのって新神戸まで、 そこから地下鉄とバスを乗り継いで一時間、
台地の上の水田地帯にひっそりとその建物はありました。
フランス語でおふくろさんという意味のグランメールと名付けられた建物に入ると、
「おかえり」 と書かれた看板が出迎えてくれます。
「街に住む人の新しい実家」 にしたいという西馬
(にしうま) きむ子さんの思いが伝わってきます。
ヘルシーママSUNの活動を西馬さんに話していただきました。
ずっと有機農産物を作って市場に出してきた農家の奥様方が、
消費者との交流というソフト面の活動をしようと十人が集まってグループを作りました。
収穫祭やキムチ講習会、 みそ作り、 米作り体験、
ジャガイモ・タマネギなどの栽培収穫体験、 イチジク・ブドウのジャム・ジュース作りなど各種のイベントを開催しています。
グランメールはその拠点であり、 研修宿泊施設です。
小学生が二泊三日でここに宿泊し、 テレビもないところで農業体験と自炊をしながら田舎暮らしを体験します。
またウォークラリーといって、 ファミリーがいくつかのハウスを回って、
例えば二〇〇グラムのホウレンソウの束を見当でつくり、
実際の重さとの差を点数化して競うゲームなども人気があるそうです。
有機野菜の注文販売も行っていて、 会員のご家庭や神戸市内のホテルのレストランなどに宅配しています。
数量を記入した野菜注文票をファックスで受け付け、
指定日に宅配し、 十%を施設利用料収入としているそうです。
無農薬・有機肥料による有機栽培を行っているため、
虫の害などで全滅することもあるらしく、 特定の商品がなくならないよう仲間の数人で同じ作目を作り、
作り方を統一し同じものができるよう努力しているとのことでした。
注文販売の他にも朝市にも出しているのですが、
値段は変えず他の店より割高で売っているそうです。
特別 「有機」 という表示をしてなくても、 おいしいからということで売れているそうです。
「有機農業をすると必ず虫にやられてしまうけど、
三割は虫にくれてやるつもりで栽培している。
だから三割よけいにいただいているんです。」
「農産物を安く売ることは簡単。 でもそれでは農家同士の安売り合戦になってしまう。
私たちは自分たちで 『農業』 のグレードを上げて行きたいんです。」
と値段を下げない理由を話してくれました。
一人あたり三百万円の出資に加えて五百万円の借金でスタートした度胸からかもしれませんが、
百貨店 「大丸」 の青果物担当のバイヤーを教育したり、
レストランの料理長を引き抜いたり、 とにかくすごいことをやってしまう彼女たちに感激しました。
夕食は自炊が基本となっているそうですが、
自分で調理する (?) 有機野菜と神戸牛のしゃぶしゃぶを堪能しました。
春菊の苦みがなく甘いのには感動しました。 翌朝は西馬さんのハウスと有機肥料の施設を見学して、
有機栽培を志した経緯や、 自然界のバランスを考えた有機ぼかし肥料の配合の話、
施肥の仕方をお話しいただきました。
モクモク手づくりファーム
研修の二日目は、 三重県まで電車を乗り継ぎ、
伊賀の里モクモクを訪れました。 日曜ということもあってお話を聞くような約束がとれなかったようです。
普通の入場者と同じようにバーベキューを食べ、
地ビールを飲み、 中を回っておみやげ物のハムやウインナーを買って帰ってきました。
モクモクについては過去に訪れたことのある方や、
専務の吉田修さんの講演を聴いたり読んだりした方がおられると思いますので、
説明は省略します。
その日は、 来ていた人のほとんどがファミリーなのですが、
正月あとの連休のためかおじいちゃんおばあちゃんと一緒の子供連れがけっこういました。
私は四年前に訪れたことがあったのですが、 そのころよりも
「小さなのんびり学習牧場」 「手作り体験C館」
「焼き豚専門館」 「野天もくもくの湯」 「農村料理の店もくもく」
などなど、 施設が一層充実していて、 一日中楽しめて、
またいつ来ても新しい発見ができるそんな場所になっていました。
また、 「モクモクネイチャークラブ」 といった会員制度もやっていて、
本人およびファミリーの入場無料のほか、 通販ができたり、
買い物ごとにポイントがもらえてある程度たまったら商品と交換できたり
(一万点で豚一頭と引き替え)、 イベントの案内が送られてきたりと何かとお得なサービスもやっていて、
会員は二万人を越えているそうです。 「地場産花野菜市場」
という直売所もありましたが、 冬の時期のためかあまり商品が並んでいませんでしたが、
数人の方が品定めをしておられました。
どんなお客さんに来ていただいて、 そこでどんな楽しみ方をしてほしいのか、
それが明確に見えているのは、 ヘルシーママSUNとモクモクだと感じました。
それが今も事業領域の拡大を続ける活動につながっている、
そう思いました。 げんきの郷と、 新鮮農場については想像はできるのですが、
外に発信されるメッセージは二つに比べて弱い感じがしました。
消費者、 生活者の豊かな生活を演出する舞台づくりが、
今必要なんだと思います。
今回の視察研修は、 参加された方ともいろんなお話ができ、
見たこと聞いたこととあわせて収穫の多いものでした。
それぞれの立場で人やものを見て、 それぞれの関心から質問をする。
この研修報告は私が見て感じたことで書いていますので、
参加された方それぞれ少しずつ違った感触をもって福井へ帰ってこられたことと思います。
いろんな見方、 感じ方からおもしろいものができていく、
そんな気がしています。
編集後記
読者の皆さんに遅ればせながら新年のご挨拶を申し上げます。
新世紀も皆さんがご健勝でお過ごしなさいますようお祈りいたします。
また、 引き続き私どもあぜみちの会をご支援くださいますようお願い申し上げます。
田谷農場で行われたあぜみちの会の収穫祭は第7回目になります。
今回もたくさんの仲間たちと来場いただいた方々で、
にぎやかな収穫祭を行うことができました。 ありがとうございました。
農業を巡る情勢が転作の拡大と価格の下落と言う特徴を備えているだけに、
中々に出口が見えにくい昨今です。 収穫祭の活気はそういう情勢を吹き飛ばすほどの明るさがありました。
と同時に農業の閉塞感を突き破っていく方向も示唆されているように思います。
それは地域にしっかりと根を下ろすことと、 消費者と顔の見える関係を作っていくことではないかと思います。
最近、 地産地消運動ということがJAグループを中心に唱えられるようになりました。
昨年人体にアレルギーを発症させるために輸入が禁止されているスターリンクというトウモロコシの食品への混入が問題になりました。
輸入農産物が洪水のように入ってきてそれが健康に害を及ぼす危険性をはらんでいることが実体験として現前すると、
地産地消が説得力を持つ事になります。
不謹慎な話になりますが、 今こそ私たちは地場産の農産物をアピールする千歳一遇の機会を得ているのではないでしょうか。