龍泉寺の主な寺宝のご紹介
これらの宝物は「戒壇巡りと寺宝展」にて公開展覧しております
(次回はH20年10月予定)
龍泉寺は開祖通幻禅師が亡くなられた後は、遺命により10人の偉大な弟子たち(通幻十哲)とその法孫たちが年々交代する「輪番住職制」によって運営されてきました。しかし戦国時代になると他の寺社と同様、一向一揆や戦乱によって堂宇を焼失してしまいました。しかし被害は全焼というよりも類焼に近かったようで、本尊釈迦如来像や通幻禅師像はじめ多くの寺宝が焼けずに残り、今日まで伝わっております。ここではその中から代表的な幾つかのものを数点ご紹介いたしましょう。詳しい説明は写真をクリックして下さい |
峨山禅師像 (福井県指定文化財) |
釈尊涅槃像 (武生市指定文化財) |
||
通幻禅師語録 | 瑩山禅師 「伝光録」 |
||
通幻十哲 連署定め書 (南北朝時代) |
本多富正 寄進状 |
||
結城秀康・三将図 (武生市指定文化財) |
越前藩主 松平家が来寺 のときのお膳 |
夜叉が池の龍の牙
その他の寺宝(江戸時代末まで)
1、典籍
瑩山禅師十種疑滞 | 総持寺開祖瑩山の著述の写本 | 独住3世白牛和尚勧化文 | 享保21(1736)開山堂建立に際して |
御遺言記録 | 永平寺3世・徹通義介の編著、独住24世の写 | 「心学典論」自序文 | 無隠道費の著作自序文 |
通幻禅師喪記 | 通幻葬儀の記録 | 従容録弁解 | 鉄額泥牛の提唱録 |
龍泉寺前住帳 | 開祖以来323世までの輪住記録 | 歴代住職の三物 | 独住世代・伽藍法の血脈と大事が多数 |
開山和尚400年忌記録 | 寛政1(1789)独住8世鉄盤団陵編 | 御改張 | 文政13(1830)の御改めに対して |
諸国僧録列寺 | 正徳1(1711)中世の曹洞宗の僧録寺院名の列記 | 東照公由来 | 寛政8(1796)東照神君の像を造ったときの記録 |
2、文書
独住制許可願い状 | 享保1(1716)総持寺宛てに、伽藍の維持が困難なため独住制に移行したいとの願い出た状(関三刹への同状も存す) |
総持寺独住許可状 | 享保2(1717)総持寺からの独住制移行への許可状(〃) |
関三刹随意会地免牘(めんどく) | 享保14(1729)関三刹より龍泉寺宛て |
制約写し | 寛延3(1750)永平寺江寂の名で大乗寺壁間に貼付した制約の写し、月舟の正した叢規を遵守すべき旨 |
越前藩2代藩主松平忠直安堵状 | 元和2(1616)4上太田村の50石を安堵する旨 | 府中2代領主本多昌長禁制 | 寛文2(1616)龍泉寺へ3ヶ条の禁制 |
〃3代藩主松平忠昌安堵状 | 寛永1(1624)上記に岩永村の13石を安堵する旨 | 〃6代領主本多副充禁制 | 天明1(1781)の同状 |
〃4代藩主松平光通安堵状 | 万治2(1659)の同状 | 〃8代領主本多副昌禁制 | 文政12(1829)の同状 |
〃5代藩主松平昌親安堵状 | 延宝3(1675)の同状 | 本多家正月御礼次第 | 寛政4〜文化13までの家臣録 |
〃6代藩主松平綱昌安堵状 | 延宝5(1677)の同状 | 幕府大老土井利勝書状 | 戸口文庫を頂いたことへの礼状 |
府中城主木村常陸介消息文 | 文禄3(1594)京都伏見城周辺屋敷造営に関して | 水戸天狗党武田耕雲斎書状 | 内容未祥 |
府中城主青木秀以禁制 | 文禄4(1595)龍泉寺へ3ヶ条の禁制 |
3、絵画
釈迦十六善神図 | 延宝9(1681)本多昌長13回忌菩提のために寄進されたもの | 羅漢図 | 伝李龍眠筆。絹本着色 |
五百羅漢図 | 江戸時代。2幅に各々250羅漢が彩色鮮やかに描かれている | 達磨図 | 静岡県可睡斎38世因孝休覚(越渓)の筆 |
洞上ニ十八祖頂相 | 太祖慧可以下中国歴代祖師、道元、瑩山、峨山、明峰の頂相 | 李白図 | 酩酊の李白図の上に亀田ぼう斎が賛をしている |
観音曼荼羅図 | 本多家息女寄進の生地で作られた曼荼羅図 | 狩野派絵図 | 屏風仕立て。 |
4、墨蹟
為霖道霈(中国人僧) | 第一関 超珍品 | 大乗寺26世・月舟宗胡 | 無 |
龍泉寺輪住第215世 | 戒名授与由来 | 大乗寺27世・卍山道白 | 君 |
〃独住第7世巨海匡津 | 松に古今の色無し | 大乗寺43世・無学愚禅 | 白馬蘆花に入る |
〃独住第8世鉄盤団陵 | 棒喝図 | 〃 | 南無観世音菩薩 |
〃独住第9世鉄幹桂堂 | 芦葉達磨図、自賛 | 〃 | 龍日々四海水を〜 |
〃独住第10世紹賢仏国 | 燦(さん) | 〃 | 戒は孝順〜 |
〃独住第14世桂堂応物 | 棒喝図 | 大乗寺50世・覚海真禅 | 徳者堪忍後萬歳 |
〃独住第16世鉄藍無底 | 一道神光萬境閑なり | 大乗寺56世・冲峰黙如 | 七言絶句 |
〃独住第21世江月満舟 | 青々たる翠竹尽く是真如 | 碧巌窟・大円仏通 | 花が爾を聞けば〜 |
宝積寺・萬仭道坦 | 下炬法語 | 鉄文道樹 | 三転語 |
惟慧道定 | 仏 即心即仏 | 鉄文道樹 | 瑞岡珍牛へ立職祝偈超珍品 |
永平寺50世・玄透即中 | 法華経方便品の一句 | 夜雨和尚・蘭陵越宗 | 道元禅師閑居の偈 |
永平寺53世・仏星為戒 | 正法眼蔵行持の巻より | 円通寺・大忍国仙 | 玄門居士への七絶超珍品 |
永平寺56世・無庵雲居 | 徳は孤ならず必ず〜 | 龍霊瑞 | 暮雨 |
永平寺60世・臥雲童龍 | 厳鑑、探珠、水を善く治め | 天徳院・雲生洞門 | 火伏せの一筆龍 |
永平寺62世・鉄肝雪鴻 | 是道 | 香積寺・風外本高 | 梅花画 |
大光院・大薩祖梁 | 護法龍天白山 | ||
興聖寺・回天慧杲 | 触処生涯分に随って足る | 全久院・雪巌棟門 | 法演の戒語 |
興聖寺・萬安英種 | 梅花図並びに賛 | 宝円寺・太室宗桓 | 正法眼蔵行持の巻より |
総持寺独住1世・奕堂 | 掛け軸、屏風など数点 | 覚巌実明 | 臘月三十日 |
吉祥寺・大訥愚禅 | 火伏せの一筆龍 | 鴻雪爪 | 幽花一家に香る |
可睡斎・西有穆山 | 当寺独住24世晋山へ賀偈 | 全久院・亀山洞霊 | 恵比寿画賛 |
黄檗宗・鉄眼道光 | 松の置き字 | 萬松寺・無著黄泉 | 坐置字、道元禅師和歌 |
豪徳寺・巨海東流 | 浄土真宗についての説示 | 雲洞庵・海雲祥水 | 七言ニ句 |
弥勒寺開山・桃渓甫仙 | 子々孫々代々昌う | 雲洞庵・萬巌普白 | 三面大黒像並びに讃超珍品 |
瑞龍寺・真巌国常 | 七言二句 (総持寺三筆) | 泉福寺・嶽尾来尚 | 渓声山色〜 |
最勝寺・仏山智眼 | 三世十方一切諸仏 | 空印寺・面山瑞方 | 独住2世晋山開堂の諸山疏 |
最乗寺・星見天海 | 最乗寺退院の手紙 | 清涼寺・頑極官慶 | 花を弄すれば香衣に満つ |
大栄寺・無学絶宗 | 火伏せの一筆龍 | 円通寺・若生國栄 | 平等の仏界の入るは易く〜 |
曹洞大学林長・立花俊道 | 皎月清宵時没影 | 東こう心越 | 菊花図並びに賛 |
曹洞大学林長・山上曹源 | 柳は染む観音微妙の相 | 洞慶院・丹羽仏庵 | 如浄禅師風鈴の偈 |
曹洞大学林長・惣滑谷快天 | 雲月渓山 | 孤峰智燦 | 永光寺退院の法語 |
橘曙覧 | 旦暮れに焼刃ぬぐいて〜 | 沢木興道 | 円相画賛 |
加賀藩儒学者太田錦城 | 初夏漁村を詠った七言絶句 | 田中大秀 | 短冊和歌 |
山崎闇斎 | 扇面に書かれた漢詩 | 日下部鳴鶴 | 出入開閉鍵やく自如たり |
亀田鵬斎 | 李白酩酊図並びに賛 | 関義臣と杉田定一の賀偈 | 知人の銀婚式の際の扇面 |
大隈言道 | 短冊に和歌 | 野村望登尼 | 短冊に和歌 |
5、石碑
成仁の碑 | 明治維新の際、武生騒動の犠牲者15藩士を哀慕して本多副元が建てたもの |
護墳の碑 | 明治維新で版籍奉還となり主従関係が無くなった後も本多家に忠誠を誓った旧臣の碑 |
田中希尹・充庵親子の碑 | 伊藤仁斎門下で、本多公の招きで府中に来たり藩士に四書五経を講義した学者の碑 |
松井耕雪の碑 | 私財300両を本多公に献じて「立教館」を創立した翁を称えた碑 |
鎌の碑 | 武生の鎌の製法を工夫発明した、山内長四朗翁を称えた碑 |
松村友松の碑 | 本多公に殖産興業の政策を進言し、武生の産業の発展に多大な功績を残した人 |
内田耕雨の碑 | 上記松村友松の実子。通称内田謙太郎。南越自由党を結成し武生町長となった |
長尾等仙・等也の碑 | 本多家家臣で俳諧の府中美濃派10代と18代宗匠となった長尾親子の碑 |
若林為重の碑 | 武生の剣柔術師範として藩士数百人を育成し、また寺社奉行・表用人として活躍した人 |
奥村栗子の碑 | 武生の子女教育に尽力した女史の碑 |
玄頂庵宗雲の碑 | 茶道、華道の遠州流南越会会頭として活躍した市橋彦右衛門の碑 |
宝篋印陀羅尼塔 | 延享4年(1747)、門前に居を構えていた役行者(えんのぎょうじゃ)が納めた宝塔 |
6、その他
深草廃寺出土白鳳時代の古代寺院の礎石と瓦 | 龍泉寺境内は北陸地方最古の寺院跡で「深草廃寺」と呼ばれています |
武生騒動の銀盃 | 「武生騒動」で犠牲となった15名の家臣の遺族に本多副元が贈ったもの |
インド多羅葉の梵文 | 通幻禅師が持ち来たったと伝えられるもので、多羅の葉に刻んだ経文 |
金襴袈裟・絡子一領 | 永平寺71世大森禅師より下賜(随行長を務めた当寺獨住28世山口正麟代) |