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「農は万年、亀のごとし」

−渡部忠世先生講演より−


以下の文書はNOSAI福井の小野寺氏よってとりまとめられたものを掲載しております。なお、「千人の喝采・農」の出版を記念して、読者に「千人の喝采・農」の本をプレゼントします。10冊までとしますので、e-mailにて早めに申し込み下さい。宛先は m-yamada@mitene.or.jp です。



さる平成10年3月6日、奥越農業農村フォーラム実行委員会主催で大野市農協会館において京都大学名誉教授であり、現在農耕文化研究振興会代表の渡部忠世先生による講演が行われました。これは昨年7月に4日間かけて開催された「おくえつ農業・農村フォーラム」の記録集『千人の喝采・農』の出版を記念して行われたものです。以下は渡部先生からの熱いメッセージです。




7ヶ月ぶりの奥越です
奥越も昨年来7ヶ月ぶりです。あの時はお世話になりました。実はあの後で農林水産省に出向く機会がありまして、農水でも奥越の1000人フォーラム成功のことをなぜか知っておりました。それで今度はひとつ東北でもやってもらえないかと依頼を受けたのです。断りました。熱意を持った人達が地域にいてはじめてできるものです。金があればできるものではないと思うのです。

新渡戸稲造の『農業本論』から
今日の話は「農は万年、亀のごとし」というおかしな題です。実はこのタイトルは新渡戸稲造の著作の一節を借用したものです。新渡戸稲造(「ニトベ イナゾウ」と読む)といっても最近の若い人はご存知ない方も多いかもしれませんが、五千円札というとおわかりになるでしょうか。
彼は東大の教授をやった人ですが、出発は札幌農学校の先生だったということは知られていません。著作でも有名なのは『武士道』というのがありますが、『農業本論』というものもある。
この『農業本論』の中で彼はこう言っているんです。「農は万年を寿ぐ亀のごとく、商工は千歳を祝う鶴に類す。…この両者は相まって、はじめて完全なる経済の発展をみるべく、而して後、理想的国家の隆盛を来すべきなり」「農と工は双生児なるべし、けだし共に長育し、また共に衰死す」とこういうことを言っているんです。つまり農業と工業は片方だけが栄えるということはない、双方があいまって成長し、また片方が駄目になればもう一方も駄目になるということを言っているのです。明治30年頃ですから、ちょうど今から100ほど前になりますね。
ところでこの数年の日本国内の動きを見ていると、バブルの崩壊、工業生産の低落、金融不安など相次いでいます。これらの現象の根底には日本の産業構造の中で、農林業を軽視してきたことがあるのではないか。農業だけが衰退し、工業だけが栄えるということはありえないという先の新渡戸稲造の言葉、先見の明が100年の歳月を経て、私たちに反省を迫っているように思えてならないのです。
ところが政府の政策は工業だけを元に戻そうとしているようにしか見えない。でも本当は今がチャンスなのではないかという気もするのです。農と工の共存を考えるいい時期なのではないでしょうか。

「農を貴し」とする心
ところで、新渡戸の『農業本論』などを読んでいて2つのことに気づくのですが、彼は当時の世界のあらゆる知識を熟知していたということ、そして日本の農村をきちんと見ていたということです。後者については「農学者はすべからく地方(「ぢかた」と読む)へ出でよ」と説いています。これは現在でも通用する言葉だと思うのですが、とにかく現場へ足を運びなさいということです。そして『農業本論』の中で特に問題にしたいのは第10章にある「農の貴重なる所以」の部分です。ここで展開される「農を貴し」とする貴農論に注目したいのです。
新渡戸がこの本を書いた明治の中頃でした。当時の工業立国を目指そうという国全体の雰囲気の中で、貴農論を唱えるのはかなり勇気のいることであったろうと思うのですが、そういう意味では気骨の人であったと言えましょう。しかも貴農論が展開されている『農業本論』というのは漢文調の難しい本なのですが、これが当時のベストセラーになったというのです。それだけの読者もいたということです。内容としては「農業を軽視する傾向がある」「奢侈にながれて、実業を軽んじている」「国家は工業だけでは成り立たない」「農を軽視して商工だけでいこうというのは、巣を持たずして、太平洋を飛ぼうというようなもの」等々と、まるで今の時代のことを言っているようなのです。しかも日本において工業がよちよち歩きを始めた明治の時代において彼はこういう警句を発しているのです。
現在の日本というのは工業優先がいろんな部分でひずみをつくってきました。農業はもちろん教育も含めて社会全体がその影響を受けてきた。「農を貴し」とする心の欠落がこういった状況を招いてきたのではないでしょうか。こういうことを都会の多くの消費者に訴えると同時に多くの農業者にも知って欲しいのです。なぜなら儲ければなんでも良いという農業者もいないわけではない。つまり貴農の心がないのではないかと思われる農業者もいる。そういう農業者がいる限り、消費者も農業を大切だとは思わないでしょう。ですから「農を貴し」という心を取り戻すということが、根底のところで農業者自身にとっても重要なのではないでしょうか。

生まれ来る世代のためにも
現在の世界の人口は56憶から57憶程度だそうです。ところが50年後の2,050年にはこれが100憶を突破するという予測です。はたして100憶の人口を養うことができるのか。多くの悲観論と少数の楽観論があります。悲観論のひとつにはそれだけの食料を生産するのに、環境にやさしい農業でやっていくのは困難ではないか、というのがあります。ある日本の経済学者は現在の2.5倍は食料を生産しないと不足するだろうと試算しています。しかし耕地、水が足りなくて現在の1.7倍ぐらいが上限ではないかというのです。また別のオーストラリアの学者は人口の面から見れば100億から120憶までは養えるのではないかと試算しています。ただし、温帯ではサツマイモ、熱帯ではキャサバ、ヨーロッパではジャガイモなど、主食を穀類からイモ類へ転換していけばという仮定での話なのですが。
考えてみますと、この私たちの住んでいる地球というのは私たちのものであると同時に、先祖のもの、そしてさらに生まれ来る子孫のものであるわけです。そのことを真剣に考える必要があると思うのです。為政者がそれを考えないということは無責任である。先憂後楽という言葉ありますが、農水省は先のことを考えながら、毅然とした姿勢で国論を導き、きちんと日本の食料政策を世界に訴えるべきだと思うのですが、いかがでしょうか。先進国で自給率が30%台などというのは日本だけなんです。
1972年にローマクラブが『成長の限界』という本を出しました。これは食料、資源問題を考えた際に成長し続けることの危険性を警告したもので、成長の上限を決める必要があるのではないかということを訴えたわけです。当時の日本財界のコメントは「ローマクラブは成長の敵である」というものでした。彼らは今も同じ言葉を言って、笑い飛ばすことができるでしょうか。無策によりエイズを拡大させた厚生省の責任が重大であると同様に、農水省が食料問題に関して無策であるならば、やはり責任は重いということになってきます。
今の若者の好きな食べ物はハハキトクと言われているのだそうです。ハンバーグ、ハムエッグ、餃子、トースト、クリームシチューのそれぞれ頭文字ですね。これらの材料の大部分が輸入品である。それから最近は生鮮野菜まで輸入され始めていますが、これは食文化の危機ともいえましょう。
以前にタイの工場で日本向けの生鮮野菜がパック詰めされるのを見学したことがあります。新鮮に保つために室温は常に17°Cに設定されていて、そこで近郊の若い女性が働いている。そういった環境下で体調をこわしてしまい、たいていは1・2年で辞めていくのだそうです。でも、労働力はすぐに補充される。タイの若い女性の肉体的犠牲の上に成り立つ、こういった食料輸入が続くはずがないのではないでしょうか。

主食自給を国際的な原則に
ガット・ウルグアイラウンド農業合意が世紀の愚策であるという意味のことは、1昨年に出した『農は万年、亀のごとし』という本の中にも書きました。私は本の中で次のような提言をしています。「すべての主権国家が少なくとも自国の代表的な食料を、自らの責任と知恵で可能な限り自給をめざして生産することを、国際的原則とする」という主張です。鎖国時代に戻って何がなんでも自給自足をということではありません。
生産条件や伝統を率直に認めあい、自給自足への対応をお互いに容認しあいながら、国際的理解と相互の協力をむしろ促進しようという立場なのです。ヨーロッパやアメリカ合衆国の主張がまかり通って合意ができてしまったんだからしょうがない、ということではない。キーフード(重要な食料)についてはそれぞれの国の主張をしようという声はヨーロッパからもあるのです。ガット交渉に関連して岸本重陳という国際経済学者は農業者に次のようなメッセージを送っています。「農民よ、絶望するな。農業を捨てるな。偽りの国際化の狂乱は、いずれ消失してしまうに決まっています。それまでのあいだ、歯を食いしばって持ちこたえていれば、状況は完全に一変することは確実なのです」。彼はガットの合意は狂気である、とまで言っているのです。日本の人口の90%は消費者で農業者は10%足らずです。農業者の声だけでは小さすぎますから、消費者にも今回の合意が意味するところについて理解を求めることが必要となってくるでしょう。

"直耕"という生き方
ところで、新渡戸は東北の八戸あたりに両親が住んでいたらしいのですが、同じ八戸出身の人物に江戸時代中期の安藤昌益という人がいました。彼は医者でありまた土の哲学者とでも言うべき人であったのですが、彼が"直耕"ということを言っている。どういうことかと申しますと、「人間はそれぞれの土地で耕し、自分が食べるものくらいは自分でつくり、それができなければせめて自分の目の届くところのものを食べよ」というもので、それが天の理にかなった生き方、正しい生き方だというのです。生鮮野菜すら輸入するなどとんでもないというわけです。またポストハーベストの問題もありますが、生鮮野菜すら輸入するようでは食文化を守るということもできない。「不耕貪食」(耕さず、貪欲に食うこと)というのは人間のクズだというのです。耕すことを貴しとする心、地場のものを大切にし、旬のものを食べるという考えてみれば当たり前のことが実は食文化の原点ではないかと思うのですが。
今、私たちは口にする食べ物の種類がどんどん減ってきているということです。ある調査によると都会ででは1年に30種類の食料素材しか食べていない。1年を通して同じ野菜が売られていて、安ければよいということで買っていく。この食文化衰退と食料自給とは互いに関係しながら鍵になる重要な問題といえます。

都市と農村の共存
都市と農村の共存というと言葉はきれいですが、よくわからない。グリーンツーリズムで時々、都会の人間が田舎へいって何かイベントに参加して翌日にはさよならということはあるかもしれない。でもそれだけでは共存ということをどう考えたらよいのかは見えてこない。
江戸時代に来日したポルトガル・スペイン人たちが人口百万の大都会−江戸を「大きな田舎」と言っているんです。どうもヨーロッパ概念の都市というのは日本のそれとは違うようです。ヨーロッパの都市は石と城壁で囲まれていて、その中に畑や牧場があるわけではない。都市生活者と農民は同じ所には住まないのですね。ところが江戸は都市と農村が不連続である。どこまでが都市で、どこまでが農村がわからない。ポルトガル人たちは「大いなる村である」というわけです。ところが、近代の日本はこのヨーロッパ概念の都市をつくってきた。都会に農地があるとけしからんということになる。都市と農村とはきちんと分けるというふうになってしまった。今の日本を見てみると都会の過密、村の過疎というアンバランスはまさに西欧的な都市概念の導入の結果ではないでしょうか。
カナダにいる私の友人のマッギーという人は都市と農村という分類はヨーロッパ的であって、アジアにはそういう概念は通用しない−都市も農村も"いっしょくた"というのがアジア的であるとしています。こういうのを「デサコタ」と言っているのですが、デサはインドネシア語で村、コタは町(都市)を意味するのです。アジアで見られる形態はデサコタとでもいえるような、混沌としたありようが多いというのです。こういうデサコタ的空間こそが、人間が住むべき理想郷ではないでしょうか。つまり都市と農村に明確な線を引くという考え方が混乱の原因ではありますまいか。
マッギーに言われるまでもなく近世の日本の地方都市はデサコタ的空間であったのです。近代の都市はそのデサコタ的空間を除外してしまった。

共存に向けての試み 都市の人口増加と環境の悪化、一方で村の人口減という問題。実はこれらを克服しながらの理想的生活風土創造の試みを始めているところがあるのです。宮崎県綾町では町民の3割を占める農業者が可能な限り有機農業を行い、非農家の町民はできるだけその農産物を買うことによって農家を支援することが条例で決めてあるのです。町自身による経済的なバックアップも含まれています。あまり広くない地域でのこういった農家と消費者との提携が地域農業の発展につながり、都市と農村の共存と表現するにふさわしい関係をつくりだしていくのではないでしょうか。それから私自身も丹波の方で同じような試みを始めています。福知山市と4町村で新たな実験をやっているところです。
今日は新渡戸の貴農論、安藤昌益の直耕の考え方、そして都市と農村の共存という観点からマッギーのデサコタというとらえ方を紹介してきたわけですが、最後に繰り返しになるかもしれませんが、先にあげたどんな施策や条例も新渡戸稲造のいう「農を貴し」とする思想があってはじめて日本農業の蘇生につながるのだということを申し上げて結びにしたいと思います。


(文責:NOSAI福井 小野寺)

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